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オロチ様はイタズラがお好き!?

六章 月


―― 九 ――

「フウちゃん……? 戻って来るなりどうしたんや、一体?」
 食堂の長卓にうつ伏せになり、まるで動かないフウガに、ゴウタは眉根を寄せていた。
 フウガが、レナの部屋に謝罪のために向かって、約数分余り。
 妙に焦った様子で、この場に戻って来たと思えば、誰かと顔を合わせる事を拒むように、ずっとこの状態である。
 ゴウタでなくても、首を傾げたくなるだろう。
 フウガ自身、それは自覚している。自覚した上で、
「……放っておいてくれ」
 と、一言だけ返すと、再び口を閉ざす。
 今、下手に顔を見せたり、会話を交わしたりすれば、自分は確実にぼろを出してしまう。それだけは避けたかったのだ。
「いや、そう言われてもなぁ。気になるやん」
 困った顔で、ゴウタが後頭部を掻く。
「それでさ」
 少し離れて、その様子を眺めていたライが言った。
「とりあえず、レナとは仲直り出来たの?」
「…………まあ、一応」
「一応、ね」
 それだけで大体の事情を察したように、ライは淡い笑みを湛える。
 非常に察しの良い彼である。案外わかりやすい人間であるフウガの事情を推測する事など、さして難しい事でもないのだろう。
「もしかして、思い余って僕達には言えないような事でもしちゃったとか?」
 そして、事実、的確に痛い所を突いてきたのだ。
「…………………」
 無言。
「……………………………………」
 頑なに、無言。
「…………なるほど」
 何やら一人で納得したように頷くライ。
「ほほう。フウちゃんも意外にやるんやなぁ……」
 次いで、ゴウタも妙にいやらしい笑みを浮かべつつ、呟く。
 明らかに、これは二人の策略。誘導である。
(くっ、耐えろ。ここで下手に反論したら、逆に肯定するようなものじゃないかっ)
 必死に否定の言葉を飲み込んで、フウガは無言を貫き続ける。
 しかし。
 そこに、傍で話を聞いていたフヨウが音もなく歩み寄って来たのである。
「…………なるほど。つまり、お仕置きね」
「何でっ!?」
 さすがに、これには黙っておられず、フウガが勢い良く顔を上げる。声は、情けないくらい動揺で上擦っていた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! 本当に、別にやましい事なんてないんですよ! 謝罪はちゃんとしたし、レナだって、きっともう大丈夫です!」
「…………じゃあ、何があったのか言える?」
 無表情で、小首を傾げながらフヨウが問う。
 何でこう、この姉弟は、こちらが返答を躊躇う質問ばかりしてくるのか。
「う、ぐ………」
 言葉に詰まる。
 言えるはずがない。
 泣いてるレナを、力一杯抱きしめました、なんて言えるわけがない。
 きちんと経過さえ言えば、フヨウも納得するかもしれない。だが、そういう事とは別に、羞恥心がそれを許してくれないのだ。
「…………そう」
 フヨウが、非常に不安を誘う表情と仕草で、ゆっくりと頷く。
「…………だったら、とりあえずお仕置きしておきましょう」
「とりあえずって何!?」
「…………だから、はっきりしないから、とりあえず」
「それで、俺が無実だったらどうするんですか!」
「…………その時は、ごめんなさいね」
「前払いで謝罪しないで下さい! ――って、あ、ちょ、何を……っ?!?」
 直後。
 孤児院内に、一人の哀れな少年の絶叫が響き渡った。
 そして、その光景を目の前にするゴウタとライはと言えば、
「フウちゃん、助けるのは無理なんで……とりあえず、がんばや!」
「頑張ってどうにかなるものかは、疑問だけどね」
 と、ただただ生暖かい笑顔で見守っていたのだった。

 ◇ ◇ ◇

 ごろりとベッドの上に転がる。
 自らの身を抱くようにして、レナは丸まっていた。
 顔が――否、全身が火照っている。
 しばらく頭を冷やさないと、とてもではないが皆の前に顔は出せそうもなかった。
 フウガは、すでに部屋を後にしている。
 彼も彼で、平静ではいられなかったようだった。酷く固い動きで、この場を退出していった姿が思い出される。
 彼と和解出来た喜びも相まって、思わず頬が緩んだ。
(……優しかったな……暖かかったな……)
 少年に抱きしめられた印象をぼんやりと思う。
 もしも彼と結ばれる未来があるのならば。
 いつだってあの優しさを温もりを、独り占めに出来る。そして――
「――――っ!」
 ふと、とんでもない想像が脳裏をかすめた。慌ててレナを横になったままの状態で、激しく頭を振る。
(……馬鹿……! 私は何を……!)
 ようやく少し冷めかけていた熱がぶり返して、枕に顔を埋める。
 でも……でも。
 そんな未来があったら、どんなに幸せなのだろう。
 彼が、自分だけにあんな優しく暖かい物を向けてくれたら、きっと自分は他には何も望むまい。例えそれが、一時の恋心に酔っただけの気持ちに過ぎなかったとしても、少なくとも今は、心からそう思える。それだけは、決して嘘じゃない。
「……フウガ、好きだよ。大好き……」
 正面から未だに告げられぬ想いが、唇からこぼれる。
「……だから、死んだら許さないんだから……」
 先程までとは違う熱が目元に集まって、再び涙が溢れそうになる。
 それを強く自身を抱いて堪えて――

「――レナ、少し良いか?」

 不意に、扉が叩かれたのだ。
「ひゃ、ひゃい!?」
 文字通り、レナはベッドの上で跳び上がる。
 そして、何故かそのまま正座をして、
「ど、どうぞ!」
 と、反射的に応えていた。
 静かに扉を開いて部屋に入って来たのは、着物姿の美麗なる少女。
 ウズメであった。
 すでにレナは、フウガから彼女が孤児院を訪れている事は聞いている。
 だが、自分の所へわざわざやって来た理由までわからなかった。
 そして、何より、
「先、輩? その格好は一体……?」
 着物姿のウズメを見て、レナは怪訝顔になる。
「ん? ああ、これはちょっとな。まあ、気にしないでくれ」
「はあ……」
「まあ、それよりも、少し話があるんだが……良いかな?」
「あ、はい。ど、どうぞ」
 未だ動揺を隠し切れないまま、レナは身振りで入室を促す。
 部屋に入って来たウズメは、一拍間を置いて、静かに口を開いた。
「回りくどく言うのは柄じゃないからな。単刀直入に訊く事にするよ」
 ウズメは、真っ直ぐにこちらを見つめる。
 その真剣な表情から、重要な話である事は問うまでもなく察せられた。
「レナ」
「はい」
「君とフウガのいざこざの原因は、例の痣の事か?」
「――――っ!?」
 直球かつ的確な問い掛けに、レナは瞠目する。
 そんな少女の反応を見て、ウズメは納得したように首肯した。
「…………どうやら、正解のようだな」
「先輩、どうして……? あ! も、もしかして、さっきのフウガとのやり取りを……?」
 苦笑いして、ウズメは頭を振る。
「いや、いくら何でもそんな無粋な事はしないさ。――なに、そんな特別な事じゃない。フウガのような人間が、仲間である君に対して冷たく当たる理由なんてものは、そう多くはないだろう。そして、思いつく可能性の中で、レナが触れてしまいそうなものと言えば――それぐらいしかなかったというだけだ」
「…………。なるほど……」
 フウガのお人好しぶりと顔に似合わない優しさは、レナだって知っている。だからこそ、ウズメの説明にも納得がいくというものだった。
「でも……先輩は、あの痣がどんなものかを知っているんですか……?」
「ああ、知っているよ。私もスクナ先生に話を聞いたからな」
「え……?」
「実は、レナのすぐ後に、私も先生の所を訪ねていたんだ。もちろん、フウガの痣の件について訊くためにな。先生は、あくまで推測の話でしかないという理由で、訊きに来た人間以外には、あの話はしてないそうだ。だが、逆に訊きに来た人間には、隠さず全てを話しているらしい。実際、他にも訊きに来た人間が居たんじゃないか?」
「……ええ。そうみたいです」
 フウガが孤児院を離れてすぐ後。
 レナは、朝食を終えてから、皆にヒナコから聞いた話を全て話したのだ。
 仲間に隠しておくべきではないという思いと、一人ではどうしようもないから、皆の力も借りたいという気持ちもあった。
 しかし、皆の反応は、レナが予想したものとは違っていた。
 なにせ、皆、すでにその事を知っていたのである。
 時期こそ違えど、皆、フウガの事を心配して、ヒナコの元に話を聞きに行っていたのだ。
 つまり、悩んでいたのは、レナだけではなかったという事。
 それを知った時は、思わず脱力したものだ。
「先輩も……そうだったんですね」
「ああ。私の場合は、痣の事は話で聞いていただけだったが、どう考えても安心出来るようなものとは思えなかったからな……。そして、さっき王都の方で、実際、痣を見る機会があったが――やはりあれはフウガにとって、間違っても良いものではないだろう」
 思わずレナは身を乗り出す。
「フウガのやつ、また痣を出したんですか!?」
「……すまない。突然の事だったんだ。止められなかった」
「あ……いえ……先輩の事を責めてるわけじゃないんです」
 苦い表情を浮かべるウズメに、レナも勢いを逸する。
「だけど、どうして先輩は、わざわざそんな事を聞きに……?」
「当然だろう。私だってフウガの事は心配だし――好きな相手が自分以外の女の子の事で悩んでいれば、気にもなるさ」
「…………あ。……そ、そうですね。先輩はフウガの事を……」
「レナだって、私の立場だったら、そうすると思うがな」
「へ?」
 きょとんとするレナへ、どこか挑戦的な物言いで、ウズメは言う。
「君だって、フウガの事が好きなんだろう、と言っているのさ」
「うえっ!?!」
 再びの不意打ち。
 ぼんっと顔は一瞬で真っ赤で、戻り始めた平静さなんて、どこかへ吹っ飛んで行く。
「あ、いや! それは誤解で! 私はあいつの事なんて何とも! 本当に! だ、だから……その……あの!」
 レナは、わたわたとみっともないほどに慌てる。
 逆に落ち着き払ったウズメは、少し申し訳なさそうに笑った。
「レナは、見事なまでに嘘がつけない性格だな。まあ、そこが良い所でもあるんだろうが」
「……う……あ……うううう……」
 もう何と返せば良いのかわからなくて、レナはただ俯いて、唸るしかなかった。
 ミヨやヒナコだけでなく、ウズメにまで自分の気持ちを見抜かれているとは……。こうなるともう、ゴウタやライ辺りにも、とっくの昔に感づかれていると思った方が良いかもしれない。いや、あの二人の事だ。まず間違いなく気づいているだろう。
 そう考えると、今までのフウガの前での言動を思い出すだけで、恥ずかしくて堪らなかった。皆に気持ちを見透かされていたとすれば、必死に気持ちを隠して、素直になれない態度を取る自分は、本当に滑稽に見えたはずだ。
「まあ、落ち着いてくれ、レナ」
 そんな羞恥に沈む少女の気持ちを察したのか。
 歩み寄ってきたウズメが、優しくレナの肩を撫でる。
「何も、私は君をからかいに来たわけじゃないんだ」
「……先輩」
「ただ、何と言うかな……君と私の気持ち――はっきりさせておかないと気持ち悪かったんだ。今のままだと、無闇やたらと君へ向けて、醜い嫉妬心を抱いてしまう自分が嫌でな」
「嫉妬……? 先輩が、ですか……?」
 意外な台詞に、レナは赤いままの顔を上げる。
 常に自信と余裕に溢れているこの少女が、自分なんかにそんな感情を抱くなんて、どうにも想像し難かった。
 レナの反応を見て、ウズメは、寂しそうに表情を曇らせる。
「私だって、普通に人間で、普通に女だ。誰かに恋もするし……嫉妬もしてしまうさ」
「あ……。すみ、ません」
「良いんだ。強く見せようとしているのは、私自身の行為でもあるからな。ともかく今日は、君に共闘と恋敵宣言をしようと思ったんだ」
「共闘と、恋敵宣言……ですか」
「そうだ。共闘というのは、他の皆と一緒に必ずフウガを救おうという事。これはすでに以前、ゴウタとライとはしたんだがな。そして、恋敵宣言は……君にフウガを渡すつもりはない、という宣戦布告だ」
「……だけど……私なんて、先輩に敵うはずが……」
「そうかな? 今日のフウガの様子を見る限り、私にはそうは思えなかったよ」
「え……それって……」
「おっと、これ以上は何も教えないぞ? 敵に必要以上に塩を送るつもりはないからな。――さあ、レナ」
 ウズメは、レナへ向けて、その白く綺麗な手を差し出す。
「この手を握った瞬間から、改めて私達は、仲間で敵同士だ。必ずフウガをあの痣の呪縛から解放して……そして、彼と一緒になるのは私だ」
「…………」
 レナは、無言で差し出された手を見つめる。
 躊躇いがあった。
 フウガを救いたい気持ちは、確かだ。そのために、ウズメや他の皆と力を合わせていこうという提案に乗る事に関しては、何の躊躇もない。むしろ、レナ自身がそうしないと、と思っていたのだ。
 だが。
 フウガを賭けて、目の前に居るウズメと争う――
 こちらには、咄嗟に乗る事は、どうしても出来なかった。

 ウズメは、自分なんかより美しく。
 ウズメは、自分なんかより強く。
 ウズメは、自分なんかより賢く。
 ウズメが、自分なんかより大人だ。

 こんな考えは、ただの卑屈でしかないとわかっている。
 でも。それでも。
 自分がウズメに勝てるなんて、どうしても思えないのだ。どこを探したって、そんな可能性が存在する気がしないのだ。
 ここで恋敵宣言を受け入れた所で、最終的にフウガが選ぶのは、ウズメだろうと思う。
 ならば、そんな行為に意味など見出せない。ここで、大人しく身を引いてしまった方が、よほど潔いではないか。
 そう、諦めと共に思った時。
 不意に、先日の医務室での出来事が思い出された。

 ――恋敵が強敵だから、自分を卑下してしまいそうな気持ちはわかるがな。

 それは、あの少年に憑いた、変わり者の妖魔の言葉。

 ―― 一度、そういうものを全部忘れて、ウズメと同じように自分の気持ちを正直にフウガへと伝えてみる事だ。

 ……何故なのだろう。
 唐突に思い出されたその言葉が、身を引こうとする自分を踏み止ませる。
 ここで諦めちゃ駄目だとそう思わせる。
(……そうだ……私は……)
 ウズメに勝てる要素なんて何一つないんだとしても。
 どこにも勝ち目のない戦いなんだとしても。
 ――フウガを渡したくないと。
 ――フウガと結ばれたいんだと。
 ただ、強くそう思っている。思ってしまっているのだ。
 この気持ちに気づかない振りなんて出来ない。出来るはずなどない。
 ならば、それが全てではないのか?
 勝てる、勝てないじゃない。
 今、自分がどうしたいのか。どう在りたいのか。
 その気持ちに従うべきだと、オロチの言葉は遠回しに告げている。
 己の内から突き上げてくる想いに従って、全力を尽くせば。
 例え、その結果、敗北という結末を迎えたのだとしても、そこに惨めさや後悔なんて存在する余地はないのだ。
 だったら。
 それならば、自分の答えは――!
「……違いますよ、先輩」
 ――握る。
 強く。
 負けない、負けたくないという、ただ不器用で、真っ直ぐで、一途な想いを込めて、レナは、ウズメと握手を交わしたのだ。
「最後に笑うのは、私です。フウガは渡しません。絶対に」
 自然とレナの口元に浮かぶのは、不敵な笑み。
 もう迷いも躊躇いも、その顔からは消え去っていた。
「……そうか。そうこなくては面白くない」
 ウズメもまた、どこか満足気に微笑む。
 まるで、こうなる事を望んでいたとでも言うように。
「これで改めて、私達は仲間で、敵同士だ。互いに全力を尽くしてフウガを救おう。そして、フウガがどちらを選んだとしても、誰を選んだとしても、後悔などしないようにしよう」
「ええ。もちろんです」
 最後に一際強く握り合って、二人は手を離す。
 そして、どこかすっきりとした顔で、一緒に笑い合っていた。
 ――もしも、その光景を眺める第三者の存在が居たのならば。
 きっと二人を、疑うべくもない親友同士と思うような――そんな笑顔で。


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