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エンジェル 五章

双の黄昏



―― 五 ――

「……存在を、否定……する……?」
 オーシャは怪訝な顔で、隣に浮くマリアを見る。
 彼女は何かに耐えるように目元を歪めていた。
「……イリア、貴女は、まだ……私を憎むのですね」
「そうよ」
 イリアは断言した。
「別に貴女がそうしたわけじゃない――そんな事はわかっているわ。それでも、貴女が存在するという事自体が私の存在の否定である事も確かなのよ」
「……イリア、それは……!」
「七百年前と同じ問答をするつもりはないわ」
 イリアは冷たく吐き捨てる。
 オーシャには二人が何を話しているのかわからない。だが、何か因縁めいた関係にあるのだけは察せられた。
「マリア。お願い、教えて。一体、イリアは何を言っているの……?」
「…………」
 マリアは逡巡するように押し黙る。
 そして、彼女が口を開くよりも早くイリアが言った。
「知らないのなら、私が教えてあげるわ、オーシャ・ヴァレンタイン。これは決して貴女も無関係の話ではないのだから」
「え……?」
 イリアの目が遠くを見るように細まった。
 そして、ゆっくりと語り出す。
「……七百年前、マスターの正体にいち早く気づいたマリアが、ヴォール・シュタントを出奔した事で、マスターは世界破壊の鍵である《白光の翼》を手元から失う事になった。再び確保しようにも、当時すでに《デモン・ゴット》の力に覚醒していたエアの傍にマリアは居たため、マスターといえど容易くそれは出来なかったのよ。そして、マスターは考えた。《白光の翼》の奪取が困難であるのならば、自分の手で《白光の翼》とその宿主を模倣し、創造してしまえばいいのではないか……とね」
「…………っ!」
 オーシャは驚愕に呻いた。
「まさか、それは……!」
「そう。それが後に《デモン・ティーア》化の種の製造法へも派生した魔導人間という技術だった。マスターが前世でもともと知り得ていた《エデン》の技術と、予め収集していたマリアと《白光の翼》の情報を元に、研究は比較的順調に進んだわ。そして、何度かの試験体の創造を経て、さほど時間を掛ける事なく本実験へと移行。けれど――」
「…………実験は失敗に終わった」
 マリアが絞り出すような声で言った。
「その通りよ」
 イリアが肯定する。
「生まれた魔導人間は確かに翼を内に秘めていた。だけど、それは《白光の翼》の力とは程遠い――それこそ燃え残りの灰燼のようなものでしかなかった。結局、《白光の翼》の模倣は失敗。魔導人間の技術はその時点で凍結とされ、本来なら失敗作の魔導人間はそのまま廃棄されても仕方なかった。でも、マスターは――彼女にこう言った……いえ、言ってくれた」

 ――共に歩み、その力を私の為に存分に振るえ。

「――と、ね」
 オーシャは彼女の言わんとしている事に気づき、目を見開いた。
「……それじゃあ、その魔導人間というのは……」
 イリアが頷く。
「――そうよ。私の事。《白光の翼》に成り損ねた《灰燼の翼》を持つ魔導人間イリア――ある意味で、私は貴女の姉と言ってもいいでしょうね」
「…………!」
 オーシャは衝撃に身を震わせる。
 その様子を冷めた目で眺めながら、イリアはさらに言葉を紡ぐ。
「その後、その時代での世界破壊実行の困難を悟ったマスターは、《裏切りの贖罪》の終結直前に《秘法》を用い、私と共に魔氷の中で眠りについた。七百年後、封印から目覚めた私達は、程なくして無事に現存していた《白光の翼》の《フリューゲル》の回収に成功。魔導人間の技術は、“《白光の翼》の模倣”という部分のみを排除して、貴女という《白光の翼》の適正を持つ存在を生み出す手段として使われたのよ。全ては――世界破壊を為すために」
 今まで無感情だったイリアの声に、根深い憎悪が混じる。
「わかるかしら? 《白光の翼》の元の持ち主であるマリア、そして、同じ魔導人間でも結果、《白光の翼》に覚醒し、成功作となったオーシャ――貴女達二人の存在は、私に突きつける。
 ――お前は劣化した模倣品だと。
 ――ただの燃えカスの欠陥品だと。
 そんな無慈悲な現実を突きつける。例え、逆恨みと言われようとも、私にすれば変えがたい苦痛には違いない」
 そこで。
 イリアの容姿に異変が起こり始めた。
 彼女の茶瞳が、亜麻色の髪が、闇色へと変貌していくのだ。
 さらにその背中に現出するのは、オーシャの《白光の翼》と相対するような漆黒の翼――すなわち《灰燼の翼》か。
 イリアは、全身から己の内の憎しみを体現したかのような強大な魔力を放ちながら、最後にこう告げた。

「だから、私は貴女達を妬み、憎悪する。私という存在を私自身の手で肯定するために、貴女達をこの手で抹殺する――!」

「――――」
 言葉がなかった。
 安易な反論など許さぬ強烈な負の感情。
 イリアからは、それらが容赦なく叩きつけられてきていた。
 そして。

 ――不完全な存在として自分を生み出したアダムスタを憎まないのか?

 ……とは問えなかった。
 わかるから。
 オーシャにはわかるから。
 不必要だと言われて。
 頼れる人間は誰も居なくて。
 自分の居場所がどこにもないと思い知る絶望。
 そして。
 そんな絶望の中で。
 新たな居場所を得る、かけがえのない喜び。
 同じだからわかってしまう。
 その喜びを与えてくれたアダムスタをイリアが憎むなど有り得ない。
 どんな出生であったとしても、彼女にとってアダムスタは父親同然でもあるのだ。
 だから、これまで彼の為だけに盲目に生きてきたのだろう。
 オーシャがティリアムを愛し、彼の為に戦うのと同じように。
「……でも、それでも」
 言う。
「そんなのは……」
 言わなければならない。
「絶対に間違ってる……!」
 ざわりと、イリアの纏う魔力がざわめく。
「……間違ってる? 一体、何が?」
「確かに、貴女は皆が望む形で生まれる事は出来なかったのかもしれない。私達という存在は、その現実を貴女に突きつけるのかもしれない。それでも、イリア。貴女は貴女でしかない。……そう、生まれたそのときから、他の誰にも決して真似できない、イリアという唯一つの命なのよ。その事実の前では、模倣品とか欠陥品とか――そんな括りは何の意味もない」
 マッドに、お前は魔導人間だと告げられたとき。
 オーシャは、それまで平凡に生まれ育った人間だと思っていた自分の存在を根本から否定された。
 だけど。
 ティリアムが、マリアが、ジョンが、フォルシアが、皆が。
 言ってくれた。
 関係ないと。
 どんな存在であろうとも、オーシャはオーシャだと。
 そう……言ってくれたのだ。
 その言葉が、いつだって少女を支えてくれている。
 だから――言う!
「例え、私達を殺したって、貴女の存在は決して肯定されたりなんかしない。残るのは、血塗れた手と命を奪ったという罪だけ。だって貴女は、初めから唯一無二のものとしてそこに在るんだもの。――だから、間違っている。その間違いを正すためにも、アダムスタの世界破壊を止めるためにも、イリア! 私は貴女を倒して、この先に行くわ!」
 決意の咆哮と共に、オーシャの黒瞳が、黒髪が、白銀へと変わる。
 穢れなき白き翼――《白光の翼》が具現する。
「……オーシャ」
 そんな少女の横顔を頼もしそうに、マリアは微笑で見つめる。
「言うわね。オーシャ・ヴァレンタイン」
 イリアは、意外にも冷静にそう口にした。
「でも、それは貴女の理屈よ。私はそんなもので感情を割り切る事など出来はしない。この嫉妬を、憎悪を、消し去る事など出来はしない!」
 虚空を踊るイリアの指が、魔法文字を描く。
 クロウ、と読む。
 石畳に浮かび上がった魔法陣より、一匹の獣が生まれる。
 巨躯を誇る黒鳥だった。
 しかし、その姿はひどく不完全だ。
 嘴は途中で捻じ曲がり、片側の翼は肉が腐っているかのように骨を晒している。鳴き声は、魂を侵しそうなほど禍々しい。
 《魔獣》ガイストの出来損ない。
 それは本物である《白光の翼》には決して届かぬが故の姿か。
「喰らえ」
 黒の少女の命。
 それに従い魔鳥が滑空し、白の少女へ迫る。
 だが、オーシャもまたすでに具現化を終えている。
 猛る白き虎――ハクトだ。
 白虎の牙と黒鳥の爪が中空で激突する。
 衝撃に二匹の獣は、それぞれ反対側に弾かれた。
 そして次の瞬間。
 虎が白の。
 鳥が黒の。
 光と化した。
  《ガイスト》の力は、創造した術者に依存する。
 故に、ハクトはオーシャと同じく《リヒト》を使用できる。そして、逆に言えば、イリアもまたそれを扱えるという事に他ならない。
 二匹の《ガイスト》は、数度の交錯を経て、それぞれの主の下まで退いた。お互い浅い傷は負っていたが、致命傷には遠い。
「ここまでは互角。――さて、次はどうかしら?」
 イリアは手を正面に掲げ、オーシャもまたそれに倣った。
 二人の少女は同時に唱える。

「「――我が手に!」」

 イリアの手に、黒き刃。
 オーシャの手に、白き槍。
 対称的な二振りの武器が構築された。
 そして、《リヒト》を発動する。これもまた同時。
 《エンジェル》の都市で、黒と白の二筋の光が縦横無尽に疾った。
「やあああああああ!」
「はあああああああ!」
 一撃一撃に渾身の魔力を込めて、何度も相手に叩きつける。二匹の《ガイスト》も、お互いの主を守るために、その間を駆け抜け、ぶつかり合う。
 激突の余波は、長き時の果てに朽ちて半ば崩壊していた周囲の建物をさらに粉砕していった。
 両者の戦いは、最初は拮抗。
 しかし、それはすぐに崩れた。
「ぐうっ!」
 空中で弾き飛ばされたオーシャは、受身を取りながら地面を転がる。
 すかさず上空から降り落とされる黒光の雨。
 咄嗟に《リヒト》で、攻撃範囲から逃れる。
「――遅い」
「!?」
 すでに先回りしていたイリアが、背後から黒刃の一撃を振り下ろしてくる。
 横に飛んで、ぎりぎりで回避。
 中空の不安定な体勢で、それでも《神槍》シュペーアを突き込んでいく。
 しかし、苦し紛れ。
 容易く弾かれ、逆に強烈な衝撃波で反撃を被る。
「オーシャ!」
「うっあっ!」
 マリアが声を上げる中、今度は受身も取れず、思い切り背中を石畳に打ちつけてしまう。肺から空気が押し出され、オーシャは喘いだ。完全に無防備となった所に、ハクトを巻いたクロウが上空から急降下してくる。
「させん!」
 しかし、横手から飛びかかったハクトが掴みかかり、二匹はもみ合うように建物の壁へと突っ込んでいく。
 続いて破砕音と巻き上がる粉塵。
「っ、ハクト……!」
 オーシャは跳ねるように立ち上がり、自身の周囲に無数の光輪を生み出す。
「これなら!」
 光輪は、全方位からイリアへと襲いかかる。
 逃げ道はない。
 《リヒト》を使う以外は。
「無駄よ」
 イリアが呟き、予想通り《リヒト》を発動した。
 《リヒト》を行使できる術者は、自身のものであれ、他者のものであれ、《リヒト》が発動したとき、実際の移動よりも一瞬速く、その動きの軌跡を視認する事が出来る。故に、発動の予測さえ出来ていれば、如何に高速を誇る《リヒト》といえど、その対処の難易度は格段に下がるのだ。
 その事を証明するように、眼前に姿を見せたイリアの横薙ぎの一撃を、オーシャは《シュペーア》で見事に防いでいた。
 すかさず空いた左手で拳を握り、魔力を宿らせた一撃を相手の腹部めがけて打ち込む。
 捉えたのは、虚空だった。
「……え?」
 イリアの姿は、上。
 完璧に隙をついたと思えた攻撃は、しかし、読んでいたイリアに跳躍で回避されたのである。
 お返しとばかりに頭上より刃が振り下ろされる。
 もはや剣の軌道も確認する時間も惜しんで、オーシャは必死に後方に跳んだ。
 だが、避け切れず、肩から胸部までを斬られる。
「つっ!」
 その場に膝を突き、後を追うように鮮血がぼとぼとと落ちた。激痛に視界が明滅し、一瞬、意識が飛びそうになる。
「ぐっ……つうっ……!」
 傷は浅くはなかったが、幸い致命傷ではない。
 あの状況では、それだけでも僥倖だった。あと一瞬回避が遅れていれば、確実に死に至る傷を負っていたはずだ。
「その程度なの、オーシャ?」
 イリアが冷たく言い放つ。
 オーシャは、せめて出血を止めようと治癒魔法を施しながら、はっきりと理解する。
(……駄目だ)
 マリアから得た戦いの知識と記憶、《デモン》化の力が宿った腕輪、この二つの要素でオーシャは急速に戦う者として力をつけた。
 だが、イリアは生まれてより戦士として生きてきたのだろう。
 あらゆる面で彼女には後一歩で届かない。
 それは実際に多くの戦いの経験を積み上げてきた者とそうでもない者の差だった。
(それでも唯一、私が彼女に敵うものがあるとすれば――それは……!)
 オーシャは出血が止まった事を確認すると、痛む身体に叱咤して、立ち上がった。
 大きく長く息を吐く。
 次に、ゆっくりと白槍を構えた。
「……なるほど。戦闘技術で届かないのなら、魔法での力勝負に賭けるというわけね」
 得心し、イリアもまた黒刃を構えた。
「では、貴女の《シュペーア》と私の《魔刃》シュヴェート――どちらが上か勝負といきましょうか」
 二人の得物に高密度な魔力が集い始め、周囲に渦巻く。
 白き槍は清廉に。
 黒き刃は禍々しく。
 まるで白と黒の太陽のごとく強烈な光を纏っていく。
 二つの強大な魔力の集いに、周囲の大気が、魔素が打ち震える。
 先にオーシャが動いた。
「穿てっ!」
 穂先から放たれるは、軌道上に存在するものを完膚なきまで穿ち抜く白の閃光。
 それは石畳を轍のように抉り飛ばしながら、イリアへと牙を剥く。
 だが。
 眼前で開かれる白き顎の前で、イリアは至極冷静に唱えたのだ。
「――断ち斬れ」
 振るわれる魔剣。
 放たれた黒の斬撃は、白光の牙へと喰らいつく。
 二つの破壊の魔力は激しくせめぎ合い、辺りに凄まじい烈風を吹き荒れさせた。
(これなら……勝てる――!)
 手応えで、オーシャは確信する。
 このままいけば、まず間違いなく勝つのはこちらだ。
 そう思った。
 そのはずだった。
 しかし。
「教えてあげる。魔法戦というのは、力任せで押し切るだけがやり方ではないのよ」
 イリアの宣告と同時。
 黒の斬撃に変化が起こる。
 正面から向って来ていた力の方向が、突然斜めへと変化したのだ。
 つまりは押すのではなく、受け流すように。
「なっ――!」
 オーシャが息を止めた。
 結果、光の一撃はほんの僅か軌道を逸らされ、イリアのすぐ脇を疾り抜けていったのだ。
 イリアが再度、剣を振りかぶった。
 あくまで、さっきの一撃は回避のためのモノ。
 故に、再行動も速い。
 しかし、オーシャの方は、あれで決めるつもりで渾身を込めていたのだ。
 すぐには反応出来ない。
 黒刃より、二撃目が放たれる。
「――――あ」
 対処が間に合わない。
「オーシャ、避けてぇっ!!」
 マリアが悲鳴にも近い声で叫ぶ。
 黒光は、もう眼前。
 刹那。
 崩れ落ちた建物から白い影が飛び出す。影は、斬撃が届く紙一重の所で、少女を引っ掴んで救出した。
「ハクト!」
 オーシャを危機より救ったのは彼女の忠実なる《ガイスト》だった。
 ハクトは安全な場所まで移動すると、そっとオーシャを下ろした。そこに、マリアも飛んで来る。
「大丈夫ですか!」
「……うん、なんとか。――ありがとう、ハクト。助かったよ」
「いえ、それが私の役目ですから。……あのクロウという《ガイスト》は仕留めました。しばらくは復活出来ないはずです。あとは、イリアを」
「…………ええ」
 オーシャは頷く。
 当のイリアの方は、かろうじて命を繋ぎ止めたオーシャの姿を冷静な眼差しで見つめている。そこには、津銀オーシャがどんな攻撃を繰り出して来ようが、その全てに対処し、反撃出来るという自信に満ちているように思えた。
 実際、そうであろう。
 今のオーシャに使える最大の切り札を完璧に防がれたのだ。
 もはや手札はない。
 ――いや。
「オーシャ。どうしますか? このままでは……」
 マリアは焦慮を含んだ口調で訊く。
 彼女もわかっているのだ。
 この状況がいかに危機的なものであるかを。
 しかし、オーシャは決して絶望する事なく、こう言ったのだ。
「まだ……手はある。一か八かだけど、もうこれに賭けるしかない」
 次の瞬間、オーシャの口から出た最後の手段に、マリアが言葉を失う。
「ですが、オーシャ。それは……」
「わかってる。これは生前のマリアでも成功した事ないんだよね。でも、やるしかないの。きっと、これならイリアも対処出来ないはずだから」
 オーシャは迷いなく言う。
 双眸には決して揺るぐ事のない覚悟があった。
 マリアは観念したように息を吐く。
「……そうですね。どのみち、このままでは私達は負ける。ならば、やってみるしかありませんか……」
「大丈夫です。主なら、きっと出来ます」
 ハクトは信頼に満ちた声音で言った。
 オーシャは微笑んで首肯する。
「最期の会話は終わったかしら?」
 イリアが冷徹な声を投げてくる。
 それは、次の攻防で決着をつけると言っていた。
 オーシャはゆっくりと振り返り、黒の少女を見据える。
「ええ、これで最後よ。イリア」
「――良いわ。来なさい」
 イリアが《シュヴァート》を構える。
 オーシャもまた《シュペーア》を構え、命じた。
「ハクト」
「御意」
 ハクトは恭しく頭を下げると、自身を光と変えて、槍の穂先へと宿った。
 イリアが目を細める。
「《ガイスト》の分の魔力も惜しいという事? でも、そんな雀の涙程度に威力を上げた所で無駄な事よ」
「やってみないとわからないわ」
 オーシャは強い口調で言った。
 全身から根こそぎ集めた魔力を白槍へと纏わせていく。
 おそらく、これを撃ったら最後、ほとんど体力も魔力も残らないだろう。
 それでも届くと信じて――撃つ。
「これが――」
 集う魔力が限界まで高まる。
 オーシャは《シュペーア》を振りかざし、
「私の持てる全てを込めた一撃!」
 極大の閃光が放たれる!
 だが、イリアは揺るがない。
 一直線に迫ってくる白牙を、先ほどと同じように絶妙な角度で放った《シュヴァート》の斬撃で受け流していく。
 軌道が逸れた。
 やはりイリアには届かない。
「終わりよ」
 冷酷に告げ、二撃目を振りかぶる。
 だが。
「――まだ!」
 オーシャが叫んだのだ。
「曲がれ!」
 命じる。
 限界を越えた秘儀の行使に、少女の身体が悲鳴を上げる。口の端からどろりと赤黒い血が流れた。
 それでも閃光の一部となったハクトを通じて、命じる。
「曲がれ!!」
 槍を突き出すオーシャの手に、マリアがそっと自身の手を重ねた。
 オーシャは。
 マリアは。
 ハクトは。
 その一言に全身全霊を乗せて命じる――!

「「「曲がれ!!!!」」」

 果たして奇跡は起きた。
 ――否。
 それは強き想いの起こした必然だったのかもしれない。

 受け流されて、もはや無意味となったはずの白光の一撃が。
 ぐるりと大きく円を描くかのように軌道を曲げ。
 進行上の建物を薙ぎ倒し。
 イリアの真横から飛び込んで来たのだ。
「なっ!?」
 剣を振りかぶっていたイリアは瞠目する。
 あの強大な威力を秘めた一撃の軌道を変えてくるなど、思いもよらなかったのだろう。
 だから、反応が遅れる。
 直撃する前に、再度、受け流そうと斬撃を放つが遅かった。
 回避しきれない。
「――――!!」
 そして。

 白が――黒を穿った。


 ――それでも、イリアは生きていた。
 あの瞬間。
 完全に受け流せないまでも、直撃を避けるぐらいまでは軌道を変えて見せたのだ。
 それだけでも驚嘆ものの所業と言えた。
 しかし、余波だけで十分過ぎる程のダメージを受け、もはや立ち上がるだけの力さえ残っていないようだった。翼も消え去り、髪と瞳は元通りの色を取り戻している。
 オーシャは槍を杖代わりにしながら、マリアと共に倒れたイリアへと歩み寄る。
 体力も魔力も、ほとんど使い果たしている。
 呼吸は荒く、足取りは、ひどく重かった。
「……そう、私は負けたの……」
 空の見えぬ天を見つめ、イリアが呟く。
 そこには憎しみも、嫉妬も、生気すらもなく、ただの抜け殻のようにも見えた。
 唇が力なく笑みを象る。
 自嘲だった。
「……まあ、そうでしょうね……もとより勝てるはずなどなかったのだから……私はただの劣化した模倣品だもの……」
 その一言で、マリアが気づいた。
「イリア、貴女、まさか最初から……」
「――そうよ。私は別に勝てなくても良かった。私の憎悪と妬みの全てをあなた達にぶつけられれば……勝ち負けなどどうでも良かったのよ」
「何故、そんな……?」
 オーシャが問うた。
 イリアの自嘲の笑みが深くなる。
「もう、どのみち私がマスターの為にできる事など何一つないからよ。マスターの傷も完全に癒え、《聖器》は三つ揃い、《白光の翼》を持つ貴女も自ら《陽炎の森》までやって来た。ならば、もう私の役目は終わり。だから、世界が消える前に私の中の暗く淀んだ感情に決着をつけたかった。それが、例え、どんな形であろうとも……」
「イリア……」
 マリアが痛ましげに、自分を模倣して創造された少女を見つめる。
 自分のせいでこの悲しい娘が生まれてしまった――そう、己を責めているようでもあった。
 もはや何の感情も映さなくなったイリアの茶瞳が、オーシャを見た。
「さあ、後は好きにしなさい。勝ったのは、貴女。ここで私を殺すも、捨て置くのも自由よ。それが敗者には決して抗えぬ、勝者の権利」
「…………」
 オーシャは《シュペーア》を消し去り、無言で身を翻した。
 それが彼女の答え。
 イリアが目を閉じる。
「そう。殺さないの。それは同情? 哀れみ? それとも、勝者の愉悦かしら?」
「どれでもない」
 オーシャはきっぱりと否定した。
「同情もしないし、哀れみもしないし、勝利した事を喜ぶ気もない。ただ、私は勝者として――貴女に命令する」
 イリアが目を見開く。
「命令……ですって?」
「そう」
 背を向けたまま、頷く。
「――生きなさい。劣化した模倣品とか、魔導人間とか――そんな事は関係ない。ただイリアという一人の人として、生き続けなさい。反論なんかさせない。それが勝者の権利だと、貴女自身が言ったんだもの」
「……馬鹿げてるわ。私はマスターの勝利を――世界破壊の実行を信じているのよ?」
「私達が、決してそんな事はさせない」
「…………」
 オーシャの真意を計りかねるように、イリアは黙り込む。そして、しばらくしてから、ようやく言葉を見つけたかのように一つ訊いた。
「それは……貴女の中の何がそうしろと命じたの……?」
「自分でも、よくわからない。ただ、そうしたいと、そうして欲しいと心から思った。理屈なんて関係なく。あえて例えるなら……それが私の――オーシャ・ヴァレンタインの生き方だから」
「…………そう」
 イリアは、小さく呟いた。
 そこからは、オーシャの返答に納得したのかは読み取れなかった。
「死んだら……駄目だからね」
 命令と言うより、どこか乞うように最後に呟いて。
 おそらくティリアムも目指しているだろうツェントルムを目指して、オーシャは歩み去って行った。
 イリアの視線が横に動く。
「……貴女も同じ意見なのかしら?」
 それは、白の少女が去った後も、未だ残っていたマリアへと向けた問い。
「ええ」
 短く一言、肯定した。
 イリアは、呆れたように鼻を鳴らす。
「似た者同士という事かしらね」
 その皮肉に、マリアは何故かちょっと嬉しそうな苦笑いを浮かべた。
「そうですね。あの子は私の娘のようなものですから。そして――貴女も」
「……冗談にしては笑えないわ」
「それでも……オーシャの言った通り、生きてください。今は理解出来なくても、心の中は空虚でも――きっと、これから多くの人々と出会い、友を作り、誰かを愛し、誰かに愛されれば、そこに暖かくて、かけがえのない想いを宿す事が出来るはずです。イリアという平凡な一人の少女としての生きる道も――見つけられるはずです」
「…………」
 何も応えぬイリアから、マリアはそっと視線を外した。
「この先の戦いの結果がどうなったとしても……もう二度と貴女と会う事はないでしょう。だから、最後に――言わせてくださいね」
 声音に、確かな母の暖かさと優しさを含めて。
 マリアは告げた。
「これから、貴女の往く道に多くの幸せと素敵な未来が待っている事を心から願い、祈っています。さようなら――イリア・アールクレイン」
 ――それは。
 黒の少女が、アダムスタと為に生きる事を己に課したときより、捨てた名だったのだろうか。
 マリアは、先に行った白の少女を追って姿を消す。
 そして、静寂がその場を包み込んだ。
 イリアは静かに目を閉じて――本当に小さく、囁くような声で呟く。
「……本当に……馬鹿げてる……」
 その一言に。
 今までの彼女にはなかった響きが微かに含まれていたのは果たして気のせいだったのか。
 しかし。
 それを判断する者は、もはやそこには誰もいなかったのだった。


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