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エンジェル 五章

双の黄昏


―― 一 ――

 ただの意味の無い気まぐれだったのか。
 それとも、人には到底、理解する事など出来はしない崇高な意志によるものだったのか。
 全知全能たる神は、無から一つの世界を創造した。
 世界の名は、《箱庭》エデン
 そこには、無数の生命と共に、二種類の人が産み落とされた。

 一つは、《神族》。
 その背に、輝く翼を持つ者。

 一つは、《魔族》。
 その頭部に、雄々しき角を持つ者。

 どちらも強大な魔力を持ち、魔法という超常の技を操る事が出来た。その力で、二種族は当然のように《エデン》の生命の頂点に立る事になる。
 さらに。

 表と裏ならば、《神族》は表、《魔族》は裏。
 光と闇ならば、《神族》は光、《魔族》は闇。

 二種族は、そんな関係性を生まれながらに背負わされていた。
 故に両者は、いつしか運命のように憎み合い、争う事になり、それは瞬く間に大きな戦乱へと拡大していった。

 戦いは、長きに渡った。
 強大な力を持つ二種族の争いは、多くの生命に溢れていた美しい世界を荒廃させ、それぞれの種族の数も激減させていった。
 そして――

 それは起きたのだ。

 一際大きな両者の激突。
 それにより急激に膨れ上がった互いの破壊の魔力は一気に臨界点を越え、瞬間、魔力はその性質を逆転させた。
 すなわち。

 破壊から創造へと。

 その力は、空間を隔て、《エデン》とは全く別の新しい世界を創り上げてしまう結果を生み出す。
 名も無きその世界は、《神族》と《魔族》によく似た、しかし、ほとんど力を持たぬ人間という種族を含め、多くの生命に溢れていた。
 それは、まるで。
 《エデン》に似せて創られたかのよう世界だった。

 二種族は、慄き、恐怖した。
 例え意図したものでなかったとしても。
 世界を、生命を、神でもない自分達が創り上げてしまうなど、創造主たる神を敬愛する彼らにとっては、決して許されぬ罪深き行為だったからだ。
 《神族》と《魔族》は、まるで目が覚めたかのように争いをやめた。そして、力を合わせると、名も無き世界との間に強固な障壁を張り巡らせ、あちらの世界に決して干渉せぬ事を自らに戒めた。
 こうして《エデン》には平穏が訪れ、名も無き世界の人間達は、己と世界の成り立ちの真実を何も知らぬまま、生きていく事となった。

 また時は流れる。

 罪深い創造の日より、約千年。
 二種族の張った障壁は、いつしか、稀に小さな歪みを生むようになっていた。
 真に完璧を許された存在は、神のみ。
 故に、二種族が創り上げた障壁に時の流れと共に歪みが生まれ出したのは、ある意味必然とも言えた。
 しかし。
 それは思いも寄らぬ事態を引き起こしたのだ。
 ある日、いつものように生まれた歪みに、一人の《神族》の女と一人の《魔族》の男が偶然にも巻き込まれ、名も無き世界へと飛ばされてしまったのである。

 《神族》の女の名は、イヴァルナ。
 《魔族》の男の名は、アダムスタ。

 二人は、すぐに自らが名も無き世界へときてしまった事を理解し――そして、困惑した。
 もはや二種族の間では、名も無き世界に干渉する事は最大の禁忌である。
 だが、だからと言って、いくら綻びが出来ているといえ、あの二種族の総力を結集して作られた強固な障壁を越えるなど不可能だし、当然、いつ生まれるかわからぬ歪みに再び巻き込まれる事を期待するなど論外だった。
 ならば、結論は一つ。

 己の正体を隠し、この世界で人間として生きていくしかない。

 この世界では異端である自分達の正体を明かした所で、真実を何も知らぬ人間達が信じてくれるとは到底思えず、下手をすれば、それを原因に不必要な争いを生むのではないかと恐れたのである。
 こうして、二人は、それぞれの種族の証たる翼と角を隠し、人間として生きていく事となった。

 だが。

 幾ばくかの時が流れた後、アダムスタは、突如、自らの正体を隠す事をやめ、名も無き世界と人間達に牙を剥いたのである。
 イヴァルナは、必死にアダムスタの説得を試みたが、それは決して届く事なく、ただただ多くの人間達の命が散っていった。
 そして、イヴァルナは決意した。
 世界を守るため、自らも人間達に正体を明かし、悪魔と呼ばれるようになったアダムスタを討つ事を。
 しかし、アダムスタの力は、イヴァルナのそれを上回っている。まともに戦えば、敗北を喫するのは、まず間違いなくイヴァルナの方であった。
 そこで、イヴァルナは悩み抜いた末に、苦肉の策を取る事になる。
 信頼する十数人の人間達に、自らの力の一部を分け与え、共に戦ってくれる事を請うたのである。アダムスタに立ち向かい、多くの命を救ったイヴァルナを女神と呼び称えていた人間達は、迷う事なくそれを受け入れた。
 イヴァルナは、力を与えた人間達と共に戦い、多くの犠牲を払った末に、レレナと呼ばれる深き森の地でアダムスタを討ち果たす事に成功した。
 そして、神魔大戦と名付けられた、その戦いの終結後。
 イヴァルナより力を与えられた者達は、その活躍から、人間達が作り上げた神話の物語から名を取って、《翼持つ者》エンジェルと呼ばれるようになり、普通の人間からは別視される存在となっていた。
 そんな中、イヴァルナは、アダムスタが人間の女との間に、一人の子を作っていた事を知る。母親は、すでに死んでいた。理由は定かではなかったが、同じ人間の手によって殺められていたのである。
 放って置けば、まず間違いなく迫害の対象になるその赤子を、イヴァルナは信頼の置ける人間達へと託し、ほとんど人の訪れぬ大陸の奥地へ隠れるように命じた。
 さらに、イヴァルナは、己の存在と力が、再び新たな災いを呼ぶ事を恐れ、自らも姿を消す事に決めた。一つの小さな宝石に、自身の意思と力の全てを封じ込めたのである。
 《白光の翼》と名付けられたそれは、当時、最も強い力を持っていた《エンジェル》が己の内に封じ込め、代々、守り受け継いでいく事となった。
 イヴァルナが姿を消した後、大陸の奥地へと隠れた住んだアダムスタの子は、人間との交わりの末に、その血と力を受け継ぐ者達を増やし、いつしか《鬼人族》デモンズという一つの種族として成り立つ事となる。

 こうして名も無き世界には、《エンジェル》、《デモンズ》、人間の三種族が存在する事になり、そして、イヴァルナより語り聞かされた世界の真実は、《エンジェル》と《デモンズ》の中の一部の者達の間だけで伝え受け継がれるだけの秘事となった。

 つまり。

 名も無き世界とそこに生きる者達には――神の慈悲など決して在りはしないという事を。


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