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エンジェル 二章

血と罪と鬼人


―― 八 ――

「わざわざ見送りありがとうございました」
「いいのよ、気にしないで」
 オーシャが丁寧に頭を下げると、メイリーは妙にオバサン地味た仕草で手を軽く振った。
「そうですわ。私は“ティル”の見送りに来たのですから」
 がっちりティリアムの腕を掴みながら、はっきり言ったのはエルリアだ。
 思わずオーシャの頬が笑顔のまま引きつる。
 なんとも言えない重い空気が一気に周囲に広がり、一緒に居た護衛の騎士達が顔を強張らせながら後退りする。
「……まあ、レルードとジョアンにもよろしく言っといてくれよな」
 ティリアムは、そんな状況を完全に無視して、引っ付くエルリアを引き剥がしながら言った。
 この扱いにエルリアは憤慨した声を上げていたが、意外に素直にメイリーの方へと引き下がって行く。
 それを見て、騎士達がほっと胸をなで下ろしていた。
 フィーマル達の葬儀より三日後。
 《デンメルング》に関する有力な情報が手に入らなかったティリアムとオーシャは、次の街に向かう準備の為に城を出ようとしていた。
 レルードとジョアンは、騒動の事後処理の為に時間が取れず、メイリーとエルリア、そして護衛の騎士達だけが城門まで見送りに来ていたのだった。
「また、いつでもいらっしゃいな。人手は多い方がいいからね」
「……当分、来ないことにしとく」
 意地悪な笑みを浮かべるメイリーに、ティリアムは神妙な顔つきでそう返した。
 それを見て、メイリーはからからと笑う。
 次いで、エルリアがぐっと身を乗り出してきた。
「本当に、いつ来ても構いませんからね。ええ、もう、明日でも!」
「……そ、そのうちな」
 エルリアに困った笑みを送りつつ、ティリアムはちらっとオーシャへと顔を向ける。まだ少しむすっとしていたオーシャは、それに気付くと、わざとらしく咳払いなどをする。
 ティリアムはそれに苦笑を浮かべ、改めてメイリー達に向き直った。そして、少し逡巡してから、改めて口を開いた。
「……本当に世話になった。それと――」
 少しだけ間を空けて、ティリアムは拳を固く握りながら、先の言葉を告げた。
「フィーマルの事……すまなかった」
 それは、皆と別れる前に、ティリアムがどうしても言わねばならないと思っていた言葉。
 場に、沈黙が落ちた。
 そのとき。
「貴方ね……」
 不意に、メイリーが腰に両手を当て、呆れた様子で溜息を吐いた。
「今更、水臭いのよ。私達だって、貴方には十分に助けられたし――本当は、貴方が一番辛いんだって事もわかってる。だから、謝るなんてしなくて良いの。それともティルは、私達の中に貴方を責めるようなろくでもない人間が居るとでも思っているの? フィーマルだって――きっと向こうでそう思ってるわ」
 そう言って、ティリアムの肩を優しく叩きながら微笑む。
「……メイリー」
 エルリアと騎士達も、同じ気持ちである事を示すように、微笑と共に頷いていた。
 オーシャが涙目になりながら、思わぬ言葉に呆然としていたティリアムの腕にそっと触れる。
「ティル……良かったね」
「ああ……」
 ティリアムは目を閉じて呟き、オーシャの手の上に自分の手を重ねる。そして、メイリー達の方を見て、どこか救われたように笑った。
「……ありがとな、皆」

 ――少しだけ。

 胸の奥深くで、重く沈んでいたものが軽くなった気がした。
 そして、照れ臭いのを誤魔化すように「よし!」と、一つ大きな声を上げる。
「――じゃあ、そろそろ俺達は行くよ」
「ええ、元気でやりなさい」
「私の事、絶対に! 絶対に! 忘れてはいけませんからね!」
 メイリーが笑顔で頷き、エルリアが必死な様子で声を張った。
「ああ、わかってる。またいつか遊びに来るよ」
「皆さん、お元気で!」
 ティリアムとオーシャはそれぞれの言葉を告げ、踵を返すと、城の皆に手を振りながら、街へと向け去って行った。
 きっと。
 次に、この場所に訪れる事があっても、また笑顔で皆と再会出来る――
 そんな確信をひっそりと胸に秘めながら。


 ティリアム達が、人ごみに紛れて見えなくなったのを確認してから――
 メイリーは、微かに震え出していたエルリアの肩に優しく手を乗せた。
 エルリアの大きな瞳からは、涙がぽろぽろと流れ出していたのだ。
 こんな姿をティリアム達の前では決して見せたくなくて、ずっと我慢していたのだろう。
 メイリーは、エルリアの背に合わせるように脇に膝を突くと、そっと彼女の頭を自分の方に抱き寄せる。
「ほら、泣かないで下さい。また、きっと会えますよ、エルリア様」
 嗚咽も涙も止まらない。
 だが、それでも。
「……ええ……わかって、るわ……わかって、る……」
 ティリアム達の去った方を真っ直ぐと見つめながら、エルリアはそう答えたのだった。


 深夜の十二時。
 その妙な出会いは、そんな日付が変わる直後の時刻に起きた。
 突然、部屋の扉が激しくノックされ、ティリアムが悪態を吐きながらベッドから這い出す。
「……誰だ? こんな時間に……」
 旅の準備も終わり、明日は王都エクスを朝早く出るため、宿を取って早めに寝ようとしていた矢先だった。
「……誰だー?」
 ティリアムが気だるい声で言いながら扉を開けると、そこに立っていたのはオーシャだった。
「なんだ、オーシャか。……明日は早いから、今日は早く寝ろって言ったろ」
「そ、そうなんだけど……」
 答えるオーシャの顔は、何故か困惑しきっていた。両手は、何かを隠すように自分の胸に添えられている。
「何だ? 何かあったのか?」
 ティリアムが少し真剣味を込めた声で問い返す。
 すると、オーシャは、
「うん、何というか……こうなっちゃって……」
 おずおずと言いながら、胸に添えていた両手を退けた。
 途端、ティリアムは、自分の目が捉えた光景に硬直する。そして、しばらくして、なんとか声を絞り出した。
「……なあ、オーシャ」
「……な、何?」
「……何か、光ってないか?」
「……うん、光ってる」
 ――言葉通り、オーシャのちょうど《フリューゲル》が埋め込まれた胸の部分が白い光を発していた。それは、もう、服越しでもはっきりとわかるほどにである。
「お前、魔法を使ったのか?」
「う、ううん、全然。寝ようと思ったら、突然光り出しちゃって……それで、とにかくティリアムの所に行こうと思って……」
「……そうか。まあ、とりあえず部屋に入れ。人に見られたら面倒だ」
「う、うん」
 ティリアムが促すと、オーシャは素直に部屋に入って来る。そして、部屋の真ん中で二人は向かい合った。
 光は、相変わらずオーシャの胸で輝き続けている。
「で、どうしようか……?」
「……どうしようって言われてもな」
 ティリアムは引きつった笑みを浮かべながら、首を捻る。
「今の所、特別、何か害があるわけでもないんだろ?」
「そ、それはそうなんだけど……」
 そのときだった。
 突然、急速に光が強くなり始めた。
「え……ええ、ええええ!」
「お、おい、これって……!」
 動揺するティリアム達を尻目に、光は二人が目を開けていられないほどに強くなり、部屋を真っ白に染め上げていく。
 数秒ほどして。
 完全に光は収まっていた。
 しかし、目を開けたティリアムとオーシャは、相変わらず呆然と立ち尽くしている。その視線は、あるものに釘付けになっていた。
「えーと、これは何だろう、ティル?」
「……それを俺に聞くか?」
「どうして、いきなり私の中から女の人が出てくるの?!」
「だから、俺が知るかって!」
 混乱と動揺の絶頂の末に、二人は不毛な問答を続ける。
 オーシャの言葉通り、部屋には見知らぬ女が出現していた。腰まで伸びた金髪に琥珀色の瞳をした、間違いなく美女である。
 だが、それより問題なのは彼女が――浮いている事だった。それはもう、床から足の離れた空中でふよふよと浮いているのである。
 さらには――
「し、しし、しかも、なんだか身体がうっすらと透けているし! な、何で!? まさか幽霊とか!?」
「だから、俺に訊くなって言ってるだろっ!?」
 宙を浮遊する金髪の女は、指でちょんちょんとティリアムの肩をつついた。
「あのー、少し落ち着きません?」
「この状況で落ち着けるかっ! そもそも誰のせいで、こんなに混乱してると思ってんだよ!」
 ティリアムの悲鳴染みた問いに、金髪の女は顎に人差し指を当てながら、天井を見上げて「う〜ん」と唸る。そして、すぐに何か思いついたようにぽんっと握り拳を自身の掌に打ちつけた。
「ずばり……私のせいですね!」
「正解!」
「ああ、なんか、ますますわけのわからない状況になってるよ……」
 オーシャが頭を抱えて呻いた。
 その後、二人が落ち着くまでに軽く三十分ほど掛かったのだった。


「……ええと、要するにあんたは、オーシャの身体に埋め込まれている《フリューゲル》と同化した七百年前の《エンジェル》だ、と――そう言うんだな?」
 ティリアムはベッドに腰掛け、目の前で“浮いている”身体の透けた女へと視線を向けた。
「だいたいそんな感じですね」
 未だに狐につままれたような二人とは対称的に、金髪の女はどこかあっけからかんとした口調で答えた。
「信じられませんか?」
「……いや……何というか……」
 ティリアムの隣に腰掛けていたオーシャが、どこか言いづらそうに口ごもる。
 その続きを代弁するようにティリアムが言った。
「お前の存在自体が信じられないな。むしろ夢ですか?」
「……ティル。残念だけど、それはないって……」
「やっぱりか……?」
 どこか絶望的にティリアムが項垂れる。
「いやいや、そんなにショックを受けなくても……まあ、確かに私は夢でも幻覚でもなくて、現実ですよ」
 場違いな明るさで金髪の女は言う。
 もはや、何も言い返す気力も無いティリアムは、引きつった笑みを浮かべる事しかできない。
「でも、何で貴女は――その、《フリューゲル》と同化でしたっけ? そんな事したんですか? いや、その同化って事自体よくわからないんですけど……」
 オーシャは場をとりなすように訊いた。
「そうですね。じゃあ、一から説明しましょうか」
 金髪の女は一転して真剣な顔になり、ティリアムとオーシャの顔をそれぞれ一瞥する。
 そして、静かな口調で喋り始めた。
「まず、今から約七百年前にドルガ大陸を統一した《エンジェル》の王――《ヴェルト・ケーニヒ》が、突如、世界の破壊を行おうとして起きた戦争の事は知っていますね? 《エンジェル》と《デモンズ》が絶滅するきっかけにもなったものです」
「ああ、《裏切りの贖罪》だな」
「そうです。私は、まさにその時代に生きていました。そして、《ヴェルト・ケーニヒ》に反抗した、《エンジェル》、人間、《デモンズ》で構成された反乱軍を率いたリーダーでもあったんです」
 と、そこでティリアムが思わず口を挟む。
「……あの、いきなり突拍子がなさ過ぎないか?」
「うーん、気持ちはわかりますが、今は流してください」
「――了解」
 仕方なくティリアムは了承し、金髪の女は話を再開する。
「……戦争は、反乱軍側の圧倒的不利な状況で始まりました。なにせ、あちらの軍勢を構成するのは、強力な魔法を扱う《エンジェル》達ばかりです。しかも、《デモンズ》がほぼ滅びた戦争の後期には、《デモン・ティーア》という生物兵器まで投入してきました」
「…………」
 《デモン・ティーア》の言葉を聞いて、オーシャが心配そうにティリアムの方を見てくる。
 ティリアムは、それに対して何でもないように肩を竦めて応えた。
 《デモン・ティーア》は、《デモンズ》の血肉から生み出された――
 確かに、ティリアムにとって、その事実は受け入れる事が容易なものではなかった。
 だが、今更、それを否定しても何も変わりはしない事も、また間違いないのだ。
 金髪の女は、さらに話を続けた。
「私達は粘り強く抵抗を続け、徐々に戦況を逆転させると、ついに《ヴェルト・ケーニヒ》の喉元まで迫ったのです。しかし――」
 金髪の女の顔が、ふいに苦渋なものに変わる。
 オーシャが気遣った声で先を促した。
「何があったんですか?」
「……自らの危機を悟った《ヴェルト・ケーニヒ》は、我々《エンジェル》達が《秘法》と呼ぶ、特殊かつ高位な魔法を用いて、自分の右腕とも言える部下と共に、自らを氷の中へと封印したのです。その封印は肉体の老いを止め、外部からのいかなる攻撃も受けつけないものでした」
「《ヴェルト・ケーニヒ》は、何でそんな事を?」
「おそらく今の世では、目的を果たせないと悟ったのでしょうね。だから、自分自身を一度封印し、時が経ち、人々が自らの存在を忘れた時代になって、再び行動を起こそうと思ったようです。……私はなんとしても、この事実を未来の人々に伝えないといけないと思いました。しかし、人に伝えたり、何かに書き残したりしても、それは長い年月のうちに次第に風化し、いつか確実に失われてしまう。……それでは駄目でした」
 金髪の女は、自らの透き通った身体を示すように、右手を胸に添えた。
「だから私は、《ヴェルト・ケーニヒ》が用いたのとは別の《秘法》を使って、魔法の力と共に自らの魂を《フリューゲル》と化し、永遠の時間を生きる道を選びました。いつか、そのときが来た時に、世界の危機を後の世の人々に伝えるために」
「そんな事が本当に……」
 信じられないといった表情でオーシャが呟く。
「でも、その話が本当だったとして、なんで今まで姿を見せなかったんですか? 私が《デンメルング》に《フリューゲル》を埋め込まれてから、もう随分経っているのに……」
 金髪の女は、オーシャに対し、申し訳なさそうに笑った。
「この姿は、実は貴女の魔力を少しだけ借りて具現化したものなんですよ。その方法を掴むのに時間が掛かったというのも一つです。それと……」
 その先、口にしたのはティリアムだった。
「もう一つは、俺達が今の話を伝えられるだけの信用が持てる人間かどうか――それを見定めていた……って所か?」
 金髪の女は、少し気まずそうな微笑みを浮かべながら、それを肯定する。
「……さすがにお見通しですか。その通りです」
 しかし、ティリアムは気にした風もなく、苦笑を浮かべた。
「だが、あんたも随分に無謀だな。オーシャの魔力を借りないとその姿を見せらないって事は、誰かに《フリューゲル》が埋め込まれてくれないと、何も出来ないって事じゃないのか?」
「そうですね。《フリューゲル》のままでは、外部と接触する術はありません。実際の所、誰かに埋め込まれる前に《フリューゲル》が破壊されてしまう可能性もありましたし、例え、無事に埋め込まれたとしても、その人物が私の言葉に耳を傾けてくれるとは限りません」
 金髪の女は、琥珀色の瞳に強い意志を浮かべ、胸に添えていた右手をぐっと握る。
「ですが、それでも、私はそうせずにはいられなかったんです。どちらにしても戦い際に負った傷もあって、私の命は尽きる寸前でした。もう先のない命なら、未来の人々を守るために使おう。そう思って……」
 金髪の女は、ティリアム達を真っ直ぐと見据えた。
「これまでの話――信じてくれますか?」
 ティリアムは困った顔で溜息を吐きつつ、頭を掻く。
「まあ、普通なら突拍子がなさ過ぎて、とても信じられない話なんだろうけどな。だけど、俺達は、実際に、あんたの姿や魔法を目の当たりにしてる。信じないわけにもいかないだろう」
 それに、オーシャも苦笑しながら頷く。
「……うん、そうだね。だけど、まさか自分の《フリューゲル》がそんなものだったなんて思いもしなかったよ」
 金髪の女は、心から安堵したように胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます……」
「礼を言われる事じゃないさ。――それで、この世界がまだ健在ってことは、まだ《ヴェルト・ケーニヒ》は目覚めてないのか?」
 金髪の女は、静かに首を横に振った。
「……いえ。《ヴェルト・ケーニヒ》はすでに目覚めています」
 その言葉に、ティリアムとオーシャは瞠目する。
「同時に彼は、現在、貴女達が戦っている敵でもあるんですよ」
 ティリアムが、はっと何かに気付く。
「まさか……」
 金髪の女は、重々しく頷いた。
「……そう。身寄りをなくしたオーシャを引き取り、《フリューゲル》の実験台にした男――エリック・カールソンこそ、《デンメルング》を率いる男であり、かつての《ヴェルト・ケーニヒ》です」


 予想外の事実に、部屋を沈黙が支配した。
 しばらくして、最初に口を開いたのはティリアムだった。
「……なぜ、確信を持って、そう言える?」
「そもそも、人間に《フリューゲル》を埋め込む術を知るのは《エンジェル》でも一部の者のみです。それを外部漏らすことは絶対の禁忌とされていました。そして、今の世で生き残っている《エンジェル》は私を除けば、《ヴェルト・ケーニヒ》と、彼と共に封印の眠りについた右腕の部下だけのはずです」
「つまり《デンメルング》が《フリューゲル》を人に埋め込む術を知っているのなら、そこに《ヴェルト・ケーニヒ》が関わっているのは間違いない、か……」
「それに、私は《フリューゲル》の中から、一度だけ彼の気配を確認していますからね。間違いありません」
 オーシャは、突然すぎる事実の数々に、呆然となったまま呟いた。
「な、なんか大変な事になってきたね……」
「……確かにな」
 ティリアムは、苦笑いを浮かべる。
「まあ、でも、俺達のやる事は、結局、変わりはしないだろう」
「え?」
 オーシャがきょとんとする。
「例え《デンメルング》を率いるのが、かつての《ヴェルト・ケーニヒ》だったからって、あのくそったれな組織を何がなんでも潰してやりたいって気持ちは変わらないって事だよ。……むしろ、そうすれば世界が救われるってなら一石二鳥ってやつかもしれない」
 ティリアムの不敵な台詞に、オーシャは思わずといった風に笑んでから、頷いた。
「……うん。確かに、私達のやる事を変わらないね」
 二人のやり取りに、最初は呆気に取られていた金髪の女だったが、すぐに思い出したようにクスクスと笑う。
「やっぱり、貴方達を信じて良かったです。今、心からそう思いました」
「なんか大袈裟だな」
「そんな事はないですよ。……うん、これで安心して、一緒に旅できますね」
「……は?」
 金髪の女が、にっこりと笑顔を浮かべながら何気なく言った台詞に、ティリアムとオーシャが同時に固まった。
「? どうしたんですか?」
「いや……今、一緒に旅するとかって聞こえたからさ。気のせいだよな?」
 金髪の女は、「この人は、何を言っているんだろう?」といった表情を浮かべる。
「いえ、一緒に旅をする、と言いましたけど?」
「マ、マジですか?」
「はい、大マジですね」
「な、なんで、そういう展開になるんだ_」
 ティリアムが動揺を隠せず、問い返す。
 しかし、金髪の女は、気楽な様子でティリアムの肩をぽんぽんと叩いた。
「まあまあ、良いじゃないですか。旅は道連れですよ。それに、私、オーシャの《フリューゲル》と同化していますから、離れられませんし」
「あ、そういえば……」
 言われて気付いたようで、オーシャが目をしばたたかせる。
「……ていう事で、これからよろしくお願いしますね。あ、そうだ。私の名前は、マリア・アールクレインです。ちゃんと覚えてくださいね。ティル、オーシャ」
 しかし、聞こえてないティリアムは疲れきった声でぼそりと呟く。
「ああ、また面倒な事になってきた……」
「あー、ひどいですね、その発言は。断固撤回を求めます」
 金髪の女――マリアは唇を尖らせながら不満を漏らし、何気ない動作でティリアムの背後に回った。
「ぐっ?! お、おい、腕で首を絞めるな! って、お前、何で俺に触れられるんだよ!?」
「あ、言っていませんでしたか? 私、短い時間なら実体化もできるんです。――まあ、それはともかく、さっきの発言を撤回したら離してあげますよー?」
 マリアは天使のような微笑みを浮かべつつ、悪魔のように腕に力を込めた。
「締まってる!? 冗談抜きで締まってるよ! ねぇってばっ!」
 ティリアムは顔を蒼白にしながら、必死に腕を振り回す。
 この状況に、慌ててオーシャが止めに入った。
「ああ、マリア! ティルが白目を剥いてる! 白目を剥いてるから――っ!」
 
 ――こうして。
 二人は、新たなる旅の仲間を思わぬ形で得る事となった。


「こんな風に月を見上げるのも久しぶりですね……」
 マリアは感慨深げに一人ごちた。
 ティリアムとオーシャ、そして、街全体がすでに眠りについた深夜。
 彼女は、一人、宿の屋根の上に佇んでいた。
 しかし、時折、眼下の道を通り過ぎる街の住人や巡回の衛兵がそれに気付く事はない。彼女は自分の意思で、己の姿を見る事の出来る人間を選べるからだ。
 マリアは面に、深い苦悩を浮かべる。
(結局、私は告げられなかった……。あの二人の抱える残酷な真実を……)
 ティリアムとオーシャ――二人に姿を見せると決めたときに、それを一緒に告げると心に決めたはずだった。
 だが、いざティリアム達を目の前にした途端、彼らの信じるもの根本から壊しかねない、その真実を口にする事は出来なくなっていた。
(私は、本当に卑怯で臆病者……それを告げる事で、何よりも自分自身が傷つく事を恐れている。本当に辛いのは、真実を知らされる二人のはずなのに……)
 例え、今、彼女が告げなくても、彼らが《デンメルング》と戦い続ける限り、それを知るときは必ず来るだろう。
 だが、そうとわかっていても、やはり真実を告げる勇気は出ず、ただ愚かな自分を呪い続けるしかなかった。
 真っ直ぐと月を見上げると、マリアは胸中で叫ぶ。
(……神よ! 本当に貴方は、この世界の人々に――あの二人に与えるべき祝福と慈悲をお持ちでないのですか! 何故、貴方は彼らにあのような運命を定めたのですか――!)
 何かに耐えるようにぐっと下唇を噛み、最後にマリアは、こう呟いていた。
「……私は……貴方を恨みます……」
 月は何も答えず。
 優しく――そして同時に冷たく、彼女を照らし続けていた。


 規則正しく揺れる足元。
 規則正しく流れる景色。
 規則正しく聞こえる音。
 窓の外を眺めていたオーシャは、感嘆の吐息を吐いた。
「……私、本当に乗ってるんだね、蒸気機関車に……」
「それ今日、四回目だな」
 耳にタコができそうなほどに何度も聞いた感想に、ティリアムが呆れた顔で突っ込みを入れた。
「そ、そうだっけ? あ、あはは」
 オーシャは誤魔化すように、わざとらしく笑う。
 ティリアム達は、次の目的地に向かって疾走する蒸気機関車の中に居た。
 いつもならば切符代の持ち合わせもなどないほどに財布が寂しいはずである。
 しかし、レルードがティリアム達の城での働きを考慮して、相当な量の報酬を渡してくれたおかげで、ティリアムは久々に――マリアとオーシャの場合は初めての蒸気機関車に乗る事が出来ていた。
 最初は「国宝を守れなかった自分がこんな物を受け取るわけにはいかない」とティリアムは受け取りを拒否したのだが、口の上手いレルードに言葉巧み言いくるめられ、結局、受け取ってしまっていたのだった。
「蒸気で走る乗り物ですか……。私の時代にはこんなものはなかったですね」
 マリアの言葉に、オーシャが興味深々といった風に身を乗り出す。
「へえ、そうなの?」
「ええ。私達の時代は、主に魔力を動力にしていましたからね。空を飛ぶような乗物もありましたよ」
「空かぁ……。すごかったんだ」
 オーシャは素直に感嘆すると、さらにいろいろとマリアに質問を始めた。
 ティリアムは、そんな二人のやり取りを窓枠で頬杖を突きながら、ぼんやりと眺めていた。
(こんな風に誰かが話している様子を見ながら旅するなんて、いつ以来だったかな……)
 そんな感慨に耽っていると、オーシャが何かを思い出したように、こっちを向いてきた。
「ね、ティル。そういえば次の目的地ってどこだっけ?」
「ん、言ってなかったか? 次は……」
「目指すは、水と花の都ウィンリアですよ」
 途端、マリアが会話を遮って、向かい合って座っているティリアムとオーシャの間に手に持った何かを突き出しながら言った。
「……おい、マリア。何だ、これは?」 
 ティリアムが、マリアの手にした物を指差す。
 どうやら丸めた本のような物だった。
「これですか? ウィンリアの観光雑誌ですよ」
「何でそんなものをお前が持っているんだ……?」
 マリアはなぜか胸を張って答えた。
「拾いました!」 
「……拾うな、頼むから」
 ものすごい脱力感に襲われつつ、ティリアムは手で顔を覆いながら呟いていた。
 その様子に、オーシャは苦笑いを浮かべる。
「だけど、何でこんなものを拾ったの?」
「だって気になるじゃないですか。今から行く所に、どんなおいしい食べ物があるのかとか」
 マリアのさりげない発言に、オーシャが軽く目を見張る。
「……え? マリアって食事出来るの?」
「ええ、できますよ。実体化状態なら味覚もありますから。まあ、お腹がすく事もないから食べなくても平気なんですけどね」
「一体、食べた物は、どこいってるんだよ……?」
 ティリアムの口にした当然の疑問に、マリアは腕を組んで考え込む。
「《フリューゲル》を通して、オーシャの栄養にでも変わってるんですかね……? 私の食べた分も、オーシャが太ってくれるというわけですね!」
「え! そうなの!?」
 “太る”という単語に、オーシャが過敏に反応する。
 オーシャは、マリアの方に身を乗り出すと、妙に必死な様子で叫んだ。
「マリアはウィンリアに着いても、絶対に何も食べちゃ駄目!」
「ええ!? だって、ずっと《フリューゲル》の中だったから、久々に何か食べたいです!」
「駄目なものは駄目なのっ!」
「ちょっとくらい大丈夫ですってば!」
「ちょっとでも駄目なの――っ!」
 お互い譲らない押し問答は、延々と続いていく。
 一人だけ蚊帳の外のティリアムは、流れ行く景色を遠い目で眺めながら疲れきった声でぼやいていた。
「……大勢での旅もいいかと一瞬思ったけど――やっぱり一人旅の日々が懐かしいな」
 ちなみに。
 周囲の人間から見れば、誰も居ない空間に喋りかけたり、叫んだりしているように見えるオーシャが、奇異の視線を集めていたのは言うまでもなかった。


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