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オロチ様はイタズラがお好き!?

三章 純白の憎悪とひび割れる平穏


―― 三 ――

「ふぉれで、つふよふぃせんふぁいにふぁふけられたの? やふぁりすほぉいひほぉよへぇ……」
「ふぉふやなぁ。まっふぁくかなふぁんほひぃとや」
「…………」
 フウガは眉間に皺を寄せ、
「? ほうふぃたの、ふぁあの? ふぁふまって?」
「ふぉおひでもふぁるいんか?」
「……よし、とりあえずお前ら、食うのを止めろ」
 両肩をわなわなと震わせ、
「ふぉに?」
「ふぉうひゅう事や?」
「だ・か・ら……!」
 目を怒りで吊り上げて、
「「ふぅふぁら?」」
「何を喋っとるのかわからんのだ! ドアホ!」
 腹の底から絶叫した。
 ――ここは食堂である。
 学園の敷地内に建てられた騎士候補生のための寮。男子寮、女子寮と当然のように分けられたそれらに挟まれる位置に、その食堂はある。他にも購買や大浴場など、生活に必要な施設が全て同じ建物内に揃えられていた。
 寮からは、食堂らのある建物に直接移動できるため、その気になれば寮から一切外に出なくても生活するだけなら全く支障はない。
 学園の全寮制なので、この食堂は、候補生のほぼ全員が利用するという事でもあった。
 故にフウガは、いつも食事を共にするライやゴウタはもちろん、協力関係になったレナとミヨも誘って、昼食のために食堂を訪れたのだ。
 ずらっと並ぶ長机の一つに座り、両脇にライとゴウタ、対面にはレナとミヨが居る。そして、人言語と思えぬ言葉を発していたのは、食物をリスの如く口いっぱいに頬張ったゴウタとレナだ。
 今日の朝のウズメとの出来事の報告をしたのだが、この二人は食べる手を止める事がなかったので、今のような事態に陥っていた。ちなみにライとミヨは礼儀正しく話を聞くときには食事の手は止めているし、あんなに口の中に物を詰める事などもちろんしていない。
 フウガの叫びを聞いて、二人はようやく食物を咀嚼し、飲み込む。
「何よ、そんな声を上げる事? 礼儀がなってないわ」
「そやそや。食堂は飯を食う場所やで」
「あれ? 何これ? 凄い殺意的なものが湧き上がってくるんだけど? いいのか? これを解放してもいいのか?」
「……わ、私が全面的に悪かったわ」
「……堪忍して。いや、マジで」
 フウガの笑顔があまりに危機感を煽ったのか、二人は額にびっしりと脂汗を浮かべながら、一転して謝罪に移る。なにせフウガには、もともとの目付きの悪さがあるので、それこそ睨み殺されそうな迫力があったのだ。
「それは当然だよ……。明らかに二人が悪いもの」
「僕的にはフウガの暴走も見たかったけど、まあ、他に迷惑が掛かるし仕方ないね」
 呆れたように指で眉間を押さえるミヨはともかく、ライの発言は聞き捨てならないが、この辺りはいつもの事なので流しておく。
 フウガは怒りを収めて、溜息を吐いた。
「……ったく、せっかく律儀に恥ずかしい事まで話した俺が馬鹿みたいじゃないか」
「だ、だから謝ってるでしょ」
 レナはそう叫んだ後、一転真剣な面持ちで、
「……しかし、まあ、今更だけど、まさかあのツクヨミ先輩があんたに告白なんて大事件よね。これがバレたら、今度こそ親衛隊に抹殺されるんじゃない?」
 と、一応は気を遣っているのか、声を潜めて言った。
 ……確かに親衛隊に、この事実がバレる事だけは避けるべきだろう。またウズメの制止が間に合う保障などないのだから、避けられる危険を避けるべきだ――っていうか、なんで同じ騎士候補生に命の危険を感じねばならないのか、甚だ納得はいかないのだが。
「まあ、バレなければ良いんだし、今はそれは置いておけばいいと思うよ。今の状況なら、ツクヨミ先輩の存在があれば、親衛隊は面倒は起こさないだろうしね。何より僕達の本当の目的かつ、最優先なのはフウガがツクヨミ先輩に勝てる手段を見つける事――そうじゃないの?」
 海色の瞳を細め、ライが言った。
 この少年は、生来の毒舌家でありながら、非常に物事を冷静に見る。
 おかげで話を本題に戻せたようだ。
 フウガは頷き、
「ああ、そうだな。なんだかんだとあったけど、なんとかツクヨミ先輩と手合わせは出来たんだし、この先の対策をしないと」
「そんで、直に戦ってみて、フウちゃんの感想は?」
 ゴウタが興味深げに訊いた。
 手合わせの結果やウズメの強さはわかりきっているが、彼は直接手を合わせたフウガの具体的な言葉を聞きたいのだろう。
 それは他の皆も同じようで、四人の視線がフウガへと集う。
 フウガは難しい顔で腕を組んで、
「ほぼ完璧だよ。膂力、速力、剣技、〈言力〉技術、プラナの汲力量、どれを取っても、隙なし、欠点なし。全てが高いレベルで備わっている。あの人は、間違いなく騎士候補生なんて枠組みは外れている。強いて欠点を挙げるなら、実戦経験の不足だけど、それでもあの人は、学園に来る前から家の指示で、いろいろとやらされているみたいだから、他の候補生とは比べるべくもないだろ」
 そんな自ら希望を断つような事をつらつらと口にした。
「で、でも、それじゃどうしようもないんじゃ……」
 ミヨが眉尻を下げて、もっともな意見を言う。
 他の三人もそれに同意のようだった。
 しかし、フウガは首を横に振る。
「いや、逆に答えが明確で良いと俺は思う。彼女にそれらしい弱点は見当たらない。なら、当然、下手な小細工なんて通用しない。それに正面から戦って勝たないとオロチも納得せず呪いも解けないんだから、やる事は一つだ」
「……それは、つまり?」
 ライが先を促した。
「この三ヶ月間で、出来うる限り俺が強くなるしかない。そうすれば低いながらも勝てる可能性は少しは高くなる。ツクヨミ先輩も人間だ。真の意味で完全無欠は有り得ないんだから、まぐれでも何でも勝ちを拾う事が出来ないなんて言い切れないだろう?」
 理屈は通っている。
 確かに誰にも絶対の否定は出来ないだろう。
 しかし、それは――
「なんだか本当に絶望的の一歩手前って感じよね……」
 レナの言葉は正しい。
 たった三ヶ月間で、フウガがいくら特訓を重ねようが、あれほどの実力を持つウズメと同等になるという事は、まず有り得ない。不可能だ。これは、むしろ絶対。
 それでも、少しでもウズメの強さに近づいて、人である以上彼女も必ず持っているだろう僅かな綻び――そこにつけ込める可能性を引き上げるというのが、フウガの計画。
 あまりに頼りない計画だが、これしか手段が思い浮かばないし、おそらく他にありはしないのだろうから、どうしようもない。
 ライが思案顔で顎を撫でる。
「まあ、フウガの計画はわかったよ。じゃあ、次の問題だ。フウガは三ヶ月間で少しでも今より強くならないといけない。その方法は? 中途半端な特訓をしても、むしろ逆効果だと思うけどね」
「ああ、それはアテがあるよ。一番糧になるのは、限りなく実戦に近い訓練だろう。――本当は実戦そのものが良いんだろうけど、いろいろと問題があるから、それは無理だしな。んで、訓練では勝つべき相手と実力が近い人間と出来れば、なおの事良い」
「? そんな都合の良い人が、この学園に居ましたっけ……?」
 ミヨがお下げを揺らしながら、首を傾げる。
 それに自信に満ちた面持ちで頷き、フウガはさらに言った。
「ああ、居る。だからそれとは別に皆に頼みたい事があるんだけど、いいか?」
 四人は怪訝そうに顔を見合わせ――それでも承諾してくれる。
 それを確認して、さっそくはフウガは、自分の計画の内容を説明した。
「ははあ、なるほど。あの人ね」
「で、でも、大丈夫なんでしょうか……」
「ま、フウちゃんが決めたんなら、俺は手伝うだけやけどな」
「フウガって普段は目立ちたがらないくせに、やる事は意外に大胆だよね」
 それぞれの反応を見せながらも、フウガの話に四人は納得する。
 ただ一様に「本当に大丈夫なのか?」という不安と疑問も一緒に垣間見えていたが、そこは仕方がないだろう。
 フウガ自身だって、不安はある。
 だが、現状ならば、これが最善の策だと思うのだ。
「それじゃ、準備の時間も考えると実行は三日後かな。皆、よろしく頼む」

 ◇ ◇ ◇

 そして。
 三日があっという間に過ぎた。
 すでにオロチに呪いを掛けられて約一週間。
 それでなくても時間は少ない。もはやゆっくりしている余裕はなかった。
「……思いのほか立派なモンが出来たなぁ」
 フウガはそれを目の前にして、額の汗を拭いながらしみじみと呟いた。
 場所は学園の敷地内、寮より少し歩いた場所にある人目につかない空き地だ。学園は敷地自体が無駄に広いので、こういう場所は探せばいくらでもあるのだ。
 そして、今そこには三日前までにはなかったものが作られている。
 綺麗に整地し、大きく正方形に掘った地面に石板を敷き詰め、さらにその石板の表面には、〈錬守結界〉の〈言紋〉が細かく描かれていた。
 つまりは、簡易の実戦訓練用舞台。
 〈錬技場〉では人目が多く、気兼ねなく訓練に励めないために、わざわざ作ったものである。
 三日前、フウガがライ達に協力を頼んだのは、これを作る手伝いだったのだ。ちなみに必要な道具や材料は、学園長に頼んだら、すぐに用意してくれた。
「ふーむ、〈錬技場〉のものより〈言紋〉が洗練され、無駄が少ない。これなら少ないプラナで、より効果的な結界を張れる。さすがにナスノさんは、この手の事に関しては、見事な才の持ち主だ。……そう思いませんか、ミカヅチ教官?」
 簡易舞台を感心した様子でまじまじ眺めていたソウゴは、隣に立つ人物に同意を求めた。
「…………そうですね」
 ぼそりと相槌を打ったのは、教官服を纏った美麗で小柄な女だ。〈三の水〉クラス――つまりはレナとミヨの居るクラスの担当教官、ミカヅチ・フヨウだ。
 ミカヅチの姓でわかるように、彼女はライの姉である。
 長い銀髪に、海色の瞳。まるで人形のように整った美貌。
 その人並み外れた美しい容姿だけで、もはやライの肉親である事は一目瞭然であろう。
 ただ非常に眠そうなとろんとした目だけが、その美点を損なわせてもいた。ちなみに彼女は普段からこんな感じなので、別に今日が特別寝不足であるとかそういう事ではない。
 ソウゴとフヨウには、ライ達と共にこの簡易舞台を作るのを手伝ってもらっていた。
 なにせ重労働な上に、かなり大事な作業なので、一人でも多くの人手が欲しかったのだ。
 幸いソウゴもフヨウも、教官の中ではフウガ達と親しい間柄だったので、快く引き受けてくれた。もちろん学園長であるシズネがあの日に口にした「私達も全面的にバックアップします」という台詞が効いているのも間違いないが。
「いやー、使える時間は全部使ったとはいえ、三日でここまでのモンを作るとは、俺らって頑張ったやん!」
「……そりゃそうでしょ……普段から鍛えてあるのに、それでもあれだけの筋肉痛になったんだから……」
 ゴウタは両手を腰に当て満足気だったが、脇で地面にへたり込んだレナは疲労困憊といった感じだった。体力的な差というより、性格面の違いが態度に出ているのだろう。それでもレナは作業中、文句は何一つ口にしなかった。
「……だ、大丈夫かな。念入りに確認はしたんだけど……」
「そんなに心配しなくても、ちゃんと結界の〈言紋〉は構成できてるよ。シンラン教官や姉さんも納得してるし、問題ないと思うけど」
 さらに向こうでは、ミヨとライが刻んだ〈言紋〉に不備がないか、最終確認をしている。
 おそらくミヨは心配性なのだろう。相当に丁寧に確認をしているようだった。
 しかし、それもすぐに終わり、数分後。
 完成した簡易舞台は、さっそくその役目を果たす事になる。
「……本当に良いのかい? その……わかっていると思うけど、僕は始めたら手加減は出来ないよ」
 ズレた眼鏡を直しながら、ソウゴが改めて確認してくる。
 彼の手には、今、三つ又の槍が握られていた。多くの戦いで使い込まれた事を感じさせる重厚な空気を纏う武具だった。
 フウガは迷いなく頷き、
「もちろんです。むしろそうじゃないと意味がないんですから」
 と、はっきりと答えた。
 つまりはそういう事。
 フウガが特訓の相手に指名したのは、〈三の風〉クラス担当教官シンラン・ソウゴその人だったのである。
「……そうか、わかったよ。君がそこまで言うなら仕方ない」
 ソウゴは観念した様子で、特訓の相手を引き受けた。
 ウズメのときと同じように、一定の距離を置いて二人は舞台の上で対峙する。
「ミカヅチ教官、お願いします」
「…………はい」
 フヨウはこくりと頷くと、
「…………疾く為せ」
 〈錬守結界〉を発動させる。
 展開した半透明の結界の中、ソウゴは眼鏡に手を掛けた。
「では、行くよ。――覚悟は良いね、スサノ君」
「はい。いつでも」
 フウガの返事を聞いて、しばし気持ちを切り替えるように目を閉じた後、ソウゴは眼鏡を外した。
 途端。
 彼の気弱そうな雰囲気は一変する。
「…………っ!」
 ソウゴの身から放たれる強烈な闘気。
 研ぎ澄まされた刃のような鋭い眼光は、一瞬でフウガの身体を強張らせ、全身から冷たい汗を噴き出させた。
 先ほどまで穏やかだったその場の空気は、すでに凍ったように張り詰めていた。
 見守る誰もが喋らない。喋れない。
 ソウゴの手にした槍がゆらりと動く。
 三つの切っ先はゆっくりと下を向き、ソウゴは戦闘の構えを取る。
 握る槍の名は、ヒボコ。
 彼の〈真名武具〉だ。
「…………」
 フウガは深く息を吸い、それを吐き出す。
 ぐっと歯を噛みしめ、頬を叩き、ソウゴの空気に呑み込まれそうな自分を叱咤した。そうやって身体の強張りを少しでも和らげてから、腰の後ろの鞘からイザナギ、イザナミを抜き、構える。
 僅かな静寂が過ぎ、
「…………始め」
 フヨウが開始の合図を小さく口にした。
 刹那。
「――がっ!?」
 腹部を抉られる感触と共に、視界が明滅した。
 立っていられない。
 身体をくの字に折ると、がくりと膝を突き、上がってきた胃液が口の端からこぼれる。
 眼前には、目にも留まらぬ速さで間合いを詰めたソウゴが立っていた。
 いつものおとなしい風貌の片鱗は見られず、容赦のない視線で跪くフウガを見下ろす。
「立て」
 ソウゴが冷たく口にする。
「…………く、つぅ……」
 がくがくと震える膝と苦痛を押さえつけ、フウガは立ち上がる。
 接近にはかろうじて気づけた。
 だが、放たれた初撃は軌跡さえ掴めなかった。
 これほどか、と思い知る。
 もはや改めて確認するまでもないだろうが、ツクヨミ・ウズメという少女の実力は候補生という範疇を大きく越えている。彼女には、元神聖騎士やかつて名のある戦士だった者ばかりである学園の教官達でさえ敵わないのだ。
 だが。
 ただ唯一、未だウズメも勝てないと認める教官が一人居る。
 それが、シンラン・ソウゴだ。
 ――神聖騎士団が生まれた当初。
 まだ所属する騎士の人数が多くなかった事もあり、師団ごとにはたいした役目は定まっていなかった。そんなものを割り振るほどの余裕はなかったし、必要もなかった。しかし、年月を重ね、王国が強く大きくなるにつれ、騎士団の規模は拡大し、人員も増える。自然とそれぞれの師団には決まった役目が与えられ、それに特化した人間が配置されるようになったのだ。
 そんな中、第一師団には、ひたすら戦闘に優れた騎士が集められた。
 その使命は唯一つ。
 圧倒的な戦力で国を脅かす敵を殲滅、駆逐――そして必勝。
 第一師団の騎士に求められるのは強さはもちろん、戦士としての冷徹さだった。
 戦場において、中途半端な甘さは自身の死を招き、それは周囲の仲間達にも波及する。さらに、王国最強を誇る彼らが敗北する事は、同時に王国の敗北を意味すると言っても過言ではない。故に第一師団には、決して勝利以外の結果は許されなかった。
 九年前。
 まだフウガの父、ラシンが第一師団の師団長を務めていた当時。
 ソウゴは、副師団長として彼の補佐をしていた。
 普段は気弱で大人しく、そして優しい男である彼は、戦場に立ったとき、誰よりも冷徹に敵を屠る騎士となった。その豹変ぶりは静謐な憤怒を思わせた事から、いつしか彼はこう呼ばれるようになる。
 氷怒のソウゴ――と。
 神聖騎士を引退し、騎士候補生を育成する学園の教官となった今でも、彼は戦いに際し、人が変わったような冷徹さを見せる。それは実戦を想定した訓練であっても例外ではない。
 そして。
 だからこそフウガは特訓の相手に、彼を選んだのだ。
 ウズメに匹敵する強さに、戦いになれば決して手を抜かない性格。
 僅か三ヶ月、無理を承知で強くなるというのなら、それぐらいの人間と特訓しなければ意味がない。
「がっ! くっ! つうっ!」
 まだ完全に立ち直っていないフウガへ、怒涛の勢いで槍の連撃が襲い掛かる。
 狙いは、全て人体の急所だ。
 それがわかっているのに、フウガには無我夢中で防御をする事しか出来なかった。乱雑に見える攻撃なのに酷く防ぎ辛く、それでいて一撃一撃には、ウズメ以上の速さと重さがある。
「こ――のっ!」
 それでも振り下ろされた槍を止め、弾き、かろうじて一瞬の隙を見出す。
「烈風、研ぎ澄ま――」
「三連、穿て」
 フウガの〈具言〉は、ソウゴのそれに遮られた。
「――――!」
 もはや声も出せない。
 肩を胸を腹を、槍の穂先から放たれた三本の矢のような衝撃が同時に突き抜け、フウガは無様に昏倒する。
「――――がっ!?」
 だが、途切れそうになった意識は、不意の衝撃で無理矢理に覚醒させられる。
 ソウゴがつま先で脇腹を抉ったのだ。
「げっ! ぐはっ! はっ!」
 途端、痛みと苦しさでフウガは喘ぎ、虚ろな目で別人のようなソウゴの冷たい顔を見上げる。
「立て」
 それだけをソウゴは命じる。
「…………っ、はあ!」
 この場を求めたのは、フウガ自身だ。
 だから、彼は弱音も文句も口にする事なく、ふらふらと立ち上がる。
 戦いが始まって数分――すでに剣を振るう事も辛くなっていた。
 ソウゴが無言で槍を薙いだ。
 そこに気遣いや手加減は一切ない。
 フウガはそれを手にした小剣で必死に受け止め、次の突きを紙一重で躱す。
 だが、下から跳ね上がった蹴りを受けて、再び倒れる。
「ぐっ――つうっ!」
「立て」
 ソウゴがまた命じる。
 フウガもそれに従い、苦痛を噛み殺して立ち上がる。
 その後は、ひたすらこれの繰り返しだった。
 ライ達は、野次を飛ばす事もからかう事もなく、ただ無言で特訓を見守り続ける。
 ソウゴに特訓の相手を頼むと知った時点で、これは予想出来た光景だ。だから、彼らも取り乱す事はない。
 そして、それから約一時間後。
 この特訓という名の拷問は終了を迎えた。
 それまでにフウガは、五度の失神と数える気にもなれないほどの敗北を味わう事になったのだった。


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