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オロチ様はイタズラがお好き!?

三章 純白の憎悪とひび割れる平穏


―― 二 ――

 ウズメは静かだが、有無を言わせない声を張った。
「皆、そこに居るスサノは、昨日から、もう私の大切な友人だ。すまないが、ここは黙って退いてもらえないか?」
「で、ですが、ウズ……ツクヨミ先輩」
 隊員の一人が言った。
 しかし、ウズメは取り合わない。
 憤激すら感じさせる空気を放ちながら、告げる。
「聞こえなかったのか? 彼は私の友人だ。君達が私を慕ってくれているのはわかるし、その気持ちは嬉しいとも思う。だが、どんな好意も、行き過ぎれば害悪でしかない。厳しい言い方になるが、私は君達の存在を迷惑だと思わざる負えなくなる。できる事なら、私もそんな事はしたくない。……わかってくれるな?」
 漆黒の双眸が、隊員達を鋭く睥睨する。
 誰も何も言い返せない。
 それも当然だ。
 彼らの行動の動機は、そもそもが彼女なのだから。
 数瞬の間を置いて。
「……わ、わかりました」
 ナキが肩を落とし、消沈した様子で頷いた。
 隊長がそう言った事で、他の者達も次々と士気を失っていく。
 途端、ウズメは穏やかな微笑を浮かべた。
「ありがとう。――辛辣な言い方をしてすまなかったな」
「い、いえ、構いません。そ、それでは……」
 ナキは丁寧に会釈をすると、双子を伴って屋上の出口へと向っていく。
 そして、途中に一度だけ振り返ると、ウズメに気づかれぬように、こちらを睨んできた。
 その目は、「これで終わったなどと思わないで下さいませ!」と言わんばかり――いや、間違いなく言っている。
 その後、ナキが去り、双子が去り、隊員達が去り、屋上にはフウガとウズメだけが残された。
 紙一重の所で、脅威は去ったのである。
「はああああ…………た、助かった……」
 フウガは手すりに背を預け、大きく息を吐いた。
 ようやく生きた心地がした気がしたのだった。

 * * *

「大丈夫か、スサノ」
 ナキを含めた親衛隊の隊員達が去ると、ウズメが声を掛けてきた。
「……な、なんとか」
 額の汗を拭いながら、フウガは答える。
 本当に危機一髪であった。
 あそこでウズメが止めに入らなかったら、そして、逃げ損ねていたら、自分はどんな目に遭っていただろう。想像するだけで、ぞっとする。度の過ぎた心酔というのは、やはり質が悪いと、心からそう思った。
 ――と、安堵したのも束の間。
 不意に、思いもよらぬ光景が目に飛び込んでくる。
「すまない、スサノ。私の軽率な行動が君に多大な迷惑を掛けてしまった」
 いきなりウズメが深々と頭を下げたのである。
 そんな姿まで絵になっていて、相変わらず反則な少女だったが、フウガはそんな事に気づく余裕もなく、慌てふためく。
「ええ!? ……や、やめてください! 別に俺は先輩のせいなんて……!」
「君がそう思っていても、原因は私の行動にあるのは確かなのだ。謝罪させてくれ」
「わかりました! わかりましたから! 頭を上げてください!」
 フウガは必死に、そう叫んだ。
 確かに親衛隊があそこまで暴走したのは、彼女の口づけがきっかけかもしれない。
 しかし、それ以前にも、自分はナキの忠告を無視している。全てを彼女のせいにするなど、フウガには出来なかった。
「きっかけは何であれ、先輩のおかげで俺は助かったし、もういいじゃないですか! チャラにしましょう! そう、それがいい!」
「……そうか」
 ようやくはウズメは頭を上げる。
 そして、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「君は優しい男だな」
「い、いえ……」
 途端、どぎまぎしてしまうフウガだった。
 よく考えてみれば、ウズメとは、まさに昨日、キスをしてしまったばかりだ。それを意識すると、急に気恥ずかしくなり、彼女を直視できなくなってしまう。
 異常に身体が火照る。今、酷くみっともない顔を自分はしているのではと不安だった。
 ウズメは屋上を見回して、他に誰も居ない事を確認すると、
「まだ一時限目まで時間があるな。スサノ、少し話をしないか?」
「え……? か、構いませんけど」
 唐突な提案に、咄嗟に承諾してしまう。
 そして、すぐに後悔した。
 こんな状態で、まともに会話が出来るだろうか……。
 懊悩するフウガには気づかず、ウズメは隣まで歩み寄ってくると、その場に腰を下ろした。男らしい口調の彼女だが、意外にも座り方は、女性らしい清楚なものだった。
「さあ、君も」
「……はい」
 促され、フウガは観念すると、素直に腰を下ろした。
 春の暖かな風が、二人の周囲を吹き抜けていく。
 少しの沈黙の後、
「一つ……訊いてもいいだろうか」
 最初にウズメはそう切り出した。
 フウガが頷くと、彼女はこう言った。
「――なぜ、君は本当の自分を隠すんだ?」
「…………」
 やはり来たか、とフウガは思った。
 それは、昨日の手合わせを観た者なら、誰もが覚える疑問だろう。
「私の見立てでは、君は階位B……いや、Aレベルでも遜色ない。単純な戦闘能力だけなら、確実に学園内でもトップクラスだ。だが、今のままF参で居れば、君は神聖騎士の道を断たれる事になるだろう。それはあまりに惜しい」
「買いかぶり過ぎですよ」
「そんな事はない。私は君と直接手合わせをし、その上で客観的に判断した。君の父親が、本当にあのスサノ・ラシンである事を私は知っているが――そんな事は関係ない。他の教官達もそう思っているはずだ」
「…………」
 フウガは押し黙る。
 胸が……疼いた。
 決して忘れられない――でも、周りを心配させないため、自然に笑顔を浮かべられるよう、心の奥に押し込めた過去が、傷を押し広げて僅かに顔を出す。
 ――本当は言いたくはない。
 でも、ここまでの出来事で少なからず疲労し、冷静さを失っていたフウガは、噴き出す感情を抑え切れなくて、口を開いていた。
「……夢だったんです」
「え……?」
 とても静か。
 でも、あまりに哀しい響きを宿したフウガの声に、ウズメが驚いた顔で、こちらを見る。
「一人目は、男の子。二人目は女の子。男の子は、親父みたいに強くて格好良い神聖騎士になる。女の子は優しく綺麗に育って、花嫁姿を自分に見せてくれる……それがあの人の――母さんの夢だったんです」
「スサノ……?」
「でもね。夢は叶わなかった。一人目の子供は、確かに男の子として生まれたけれど、二人目は生まれる事なく、母さんと一緒に……。親父も取り返しのつかない怪我を負って、神聖騎士を引退するしかなくなった。……そんな風に多くの大切なものを奪った男が居たら、そいつは神聖騎士になるにふさわしいでしょうか?」
 フウガは激しく頭を振る。
「いいや! そんなわけない! あっていいはずがない! だから……だから! 俺は……!」
 気づけば、硬い石の床をフウガは拳で叩いていた。
 遅れて痺れと痛みがじんわりと脳に伝わってきたが、気にはならなかった。そんなものより、胸を何度も突き刺す痛みの方が、よほど辛かった。
「……スサノ」
 床を叩いた拳に、そっとウズメが掌を乗せてきた。
 伝わってくる感触は柔らかく、温もりは優しい。
「……すまない。何かしらの深い事情がある事はわかっていたのに、君の過去に土足で踏み込んでしまった。本当に……すまない」
 ウズメが心から後悔している事は、すぐにわかった。
 だから、フウガも暗く淀んだ感情をねじ伏せ、押し込め、なんとか微笑を形作った。
「……いえ、いいんです。ただ俺がこの学園に入ったのは、自分の意思じゃなくて、親父が勝手に手続きしてしまって……だから、俺は最初から神聖騎士になるつもりなんてなかったんですよ……」
「……それが君の母の夢だったとしても?」
「はい。俺が叶えられる事は、男として生まれた事だけです。でも、だからこそ守りたい」
「……君が絶対に女になれない理由、か」
 納得がいったように呟くと、ウズメは立ち上がった。
 不意に突風が吹き、彼女の長い髪が大きく靡く。そんな中、ウズメはどこか悔しそうな顔で俯いた。
「本当なら、君に辛い思いをさせるつもりなどなかった。私は昨日から、配慮が足りなさ過ぎだな。学園最強などと言われた所で、所詮はまだ小娘で、未熟者だ――情けない」
「……やめてください、先輩。俺は、その先輩に昨日、完敗したばかりなんですよ? それなのに未熟者だなんて……俺の立つ瀬がなくなっちゃいますよ」
 フウガがおどけて笑う。
 どんなものであれ、自分の事で、彼女に責任を感じさせたくはなかったのだ。
「ありがとう、スサノ」
 ウズメが少しだけ安堵したように、頬を綻ばせる。
 それを見て、フウガはなんだか無性に落ち着かなくなる。とにかく話題を変えようと、ずっと気になっていた事を訊いた。
「先輩……昨日、なんであんな事をしたんですか?」
 それは〈練技場〉での、あの口づけの事だ。
「あれか……」
 少しだけ照れ臭そうに、ウズメは鼻の頭を掻く。
 彼女もそんな普通の仕草をするのだな、とフウガは意外に思った。
「もちろん礼代わりでもあるし……それ以上に私は君を気に入ったんだ」
「気に入った?」
「ああ……いや、違うな。少し違う。そう、あれだ……たぶん……君を好きになったんだな」
「……………………へ?」
 迷った末にウズメの口にした一言に、フウガは硬直する。
 ――今、彼女は何と言った?
 有り得ない。
 世界が十回二十回、いや、百回千回ひっくり返ったとしても、有るはずのないと思っていた事。
 でも、ウズメは確かに言ったのだ。
 君を好きになった、と。
「な、なんで……? いや、だって、あれじゃないですか。先輩とまともに話したのは昨日が初めてで、俺は悪人面な上に無様に負けちゃって、好きになる要素なんて、何一つなくて……え、えええ!?」
 もはや混乱の極致である。
 だが、当のウズメは平然と言った。
「理由、か。そうだな。強いて言うなら、君が真正面からぶつかって来てくれたからだよ、スサノ」
「…………?」
「君も知っているだろう? 私は軍閥の貴族、ツクヨミ家の長女。代々、幾度となく将軍を務めた人間を輩出し、長年、名門と呼ばれている家だ。その名に恥じぬよう、私は常に精進してきたし、相応しい振る舞いだって心がけてきた」
 そう。
 彼女が学園で一目を置かれ、あれほど多くの候補生達に心酔や尊敬をされるのには、そういう理由も多分にあった。
 フウガがラシンの息子であるという事を知っているのも、その関係なのだろう。
 なにせラシンは騎士現役時代、当時から現在まで代わらず神聖将軍を務めているウズメの父と個人的に親しかったらしいのだ。おそらくはその親交は、今なお変わってはいないのだろう。
 ウズメは、不意に沈んだ面持ちになり、さらに語る。
「……だが、そのせいなのか、周囲の人間達は、どこか私に距離を置くようになった。それは、この学園でも同じだ。私はいつも当たり前のように高みの存在。訓練でも相手はどこか手を抜き、ただ負けるためだけに向かってくる。そして、負けた事を悔しがりもしない。
 ……でも、君は違った。勝てないと半ば覚悟しながらも、一矢でも報いようと必死に戦ってくれた。負けた後も、次を見据えた目をしていた」
「だって、それは呪いがあるからで……俺は……」
「それでも、だよ。私は嬉しかったんだ。そして、そんな君が新鮮で……どこか眩しかった。だが、たぶん……」
 ウズメは、そこで一拍だけ置いて、
「本当は、そんな事も関係ないのかもしれない」
 フウガは怪訝な顔になる。
「どういう……事ですか?」
「誰かを好きになるのに、理屈なんてない。私は君が君だから、好きになれた――そういう事だよ」
 そう言って、ウズメは悪戯っぽく笑む。
「…………」
 フウガは口をぱくぱくと動かすだけで、何も言えなかった。
 こんな目付きの悪い、悪人面なのだ。今まで恋愛になど、全く縁がなかったし、当然、告白された事など、これが初めてだ。
 しかも、相手が学園の候補生のほとんどが羨望の眼差しを送るウズメとなれば、もうどうすればいいのか……。
 そんなフウガの反応を見て、ウズメは可笑しそうにくすくすと笑う。
 これも、フウガの中のウズメのイメージとはかけ離れていた。
「別に、今すぐ返事を求めたりはしないさ。確かに君と私が共に過ごした時間は、あまりに短いからな。君が自分の気持ちにはっきりと向き合えたときに、答えを教えてくれればいい」
「……は、はい」
 もはやフウガには、肯定する事しかできない。
 ウズメは満足気に頷くと、
「……そろそろ一時限目も始まるし、今回はここまでにしておこうか。また時間があるときに、ゆっくりと話をしよう。――では、お先に失礼するよ」
 そう告げて、屋上の出口へ向けて歩いて行く。
 フウガは、ただただその背中を見守るしかなかった。
「ああ、そうだ」
 ふとウズメは足を止めると、こちらを顔だけで振り返り、
「これからは君の事は、フウガと呼ばせてもらうよ。スサノでは、他人行儀だしな。どうせなら君にも、ウズメと呼んでもらいたいが――そこまで望むのは、さすがに贅沢かな」
 はにかむような微笑と共に言い残して、今度こそ扉の向こうへと姿を消した。
 静寂が落ちる。
「…………」
 なんだかもう茫然自失だった。
 しばらく、ここで頭を冷やしてからでないと、下に降りられそうもない。
 本当に、ここ数日の出来事といったら……どうかしている。
 それにしても――
「……好きになった、か」
 ウズメの言葉を反芻する。
 嬉しい――とは思う。
 フウガから見ても、彼女は魅力的な少女だし、好意をあんな風に真っ直ぐに向けてもらえたら、男なら悪い気などするはずもない。
 でも。それでも。
「あの日の俺を知ったら、先輩はきっとそんな気持ちではいられない……。だって、俺は――」
 その先は、言葉に出来ない。
 そうするには、あまりに辛く重い事実だったから。
 唇を強く噛んだ。
 切れて、鉄の――血の味が口の中に広がる。
 いつも以上に、苦く感じた。


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