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エンジェル アフターストーリー

―― 金色の貴女は ――


―― 後編 ――

「やっぱり、ここだよね……」
 酒場を飛び出した金髪の少女は、聖地レレナの森の中にいた。
 眼前に在るのは、森の開けた場所に、ぽつんと建つ《エンジェル》の遺跡。
 だが、一見すると、それは遺跡を呼ぶには程遠い外見をしていた。
 むしろ、古びた大きな屋敷という方が正しい。実際、かつて約七百前に《エンジェル》が栄華を誇っていた頃には、そういう用途で使われていたのだろう。
 しかし、現代とは大きく異なる建物の様式や、七百年という長き時を経てなお、風化せず原型を留めるその頑強さなどが、この屋敷が紛れもない過去の遺物である事を、今に生きる者達へ教えていた。
 金髪の少女は、そんな遺跡の前で腕を組んで「うーむむ」と唸る。
「どうしよう。一応、貴重な物だから入ったりしないようにってサレファ様に言われてるんだよね。でも、ここが盗賊団のアジトでリースが居る可能性が高いのも確かだし……」
 右に左に首を傾けながら「うんうん」と悩んで、数分。
 結局。
「ま、ばれなければ良いんだよね!」
 そんな楽観的な考えで、少女は屋敷へと入る事を決断する。
 一旦決めてしまえば、性格的に迷うという事は一切ない。
 すたすたと屋敷へと近づいて、立派な装飾の施された丈夫そうな扉の前へと立つ。
 ぱっと見は普通の木造に思えるが、七百年経ってもまるで朽ちていない事を考えると、それは見た目だけなのかもしれなかった。
「さて、こっそり侵入なんて性に合わないし、ここは……」
 すうっと息を吸って拳を握りながら、腕を後方へと引く。
 そして、大きく息を吐き出すと同時に、
「やっ!」
 躊躇う事なく拳を扉へと叩きつける。
 刹那。
 金髪の少女の細腕によって起こされたものとは思えない轟音が、森中に響き渡った。扉は内部へと吹っ飛び、何度か床の上で跳ねた後、無残な残骸へ変わり果てる。
「お邪魔しまーす」
 自身のやった破壊行為にまるで頓着する事なく、金髪の少女は屋敷へと足を踏み入れる。
 途中、ふと、
(あ、扉を壊しちゃったら屋敷に入った事がばれちゃうんじゃあ?)
 とか思ったが、盗賊達のせいにすれば良いや、と酷い理屈で納得する。
 内部は、広い吹き抜けのロビーとなっていた。
 ほとんど放置されているわりには、存外に綺麗で、それほど荒れている様子は無い。そして、探索するまでもなく、少し奥の方に大人数の人影が在るのを発見する。
「あ、いきなり発見………って」
 と、金髪の少女は途中まで口にして固まる。
「え……?」
 見つけたのは、その風貌や人数からして目的の盗賊団である事は疑いようがなかった。しかし、何故か彼らは、あんなに派手に入って来た金髪の少女へと目もくれる事なく、その場に並んで正座しているのだ。
 そして――そんな盗賊達を延々と厳しく叱咤している人物こそ、金髪の少女の実の妹。
 紛れもなくリースであった。
「いい? そもそも貴方達は言動も格好も粗暴で汚くて、そんな事だから頭の方も悪くなっちゃうの。何より、あんな矛盾だらけのポリシーを堂々とのたまって恥ずかしくないの? 私だったら恥ずかしい。あんな事するなんて羞恥心で死にたくなる」
『うっす! 生きててごめんなさい!』
 盗賊達は、リースの容赦ない毒舌に晒されて、何故か元気良く返事をしていたりしている。非常に不気味だった。
「……………え、ええと、何コレ」
 目の前に広がる異様な光景に、金髪の少女は呆然と立ち尽くす。
 リースが大人しく盗賊達に従うとは思ってはいなかったが、正直、これは想定外にも程があった。
 そこでようやく姉の存在に気づいたリースが振り向く。
「……あ、姉さん。騒がしいと思ったら、やっぱり姉さんだったのね。迎えに来てくれたの?」
「や、まあ、そうなんだけど……この状況は何事なの?」
「説教」
「いや、それは見ればわかる」
 反射的に突っ込んで、改めてもう一度訊く。
「そうじゃなくてさ、何でそんな事をする展開になったのかを訊いてるんだけど」
「だって、この人達があまりにだらしないんだもの。私、我慢出来なくって」
「ああ、そう……貴女らしいと言えばらしいけど、攫った女の子に説教される盗賊団ってどうなの……?」
「所詮、その程度の人達って事でしょう」
 さらりと酷い事を言い放つと、リースは未だに正座中の盗賊達を振り返った。
「……じゃあ、バートルさん達。私、姉さんが迎えに来たから帰るわ。これから自分達がどうすべきか、きちんとわかってる?」
「へい、わかってますとも、姉御!」
 バートルが何十年も付き従ってきた子分の如く平身低頭で頷く。
 つい数十分前の態度とは、まるで正反対である。
「俺たちゃあ姉御のおかげで目が覚めました! これからは生まれ変わります! 汗水垂らして真面目に生きて、今度こそ清く正しい盗賊だ……じゃなかった、人間になって見せまさあ!」
『なって見せまさあ!』
「あ、姉御……?」
「まさに青天の霹靂ッス。俺らに真っ当な人としての道を示してくれた姉御は、俺達の女神ッス!」
『女神ッス!』
「め、女神!?」
 次々と飛び出す、妹へとのとんでもない呼び名に、金髪は少女は口を半開きにして唖然となる。その後、頭痛すら覚えて、眉間を指で押さえた。
「わ、我が妹ながら、とんでもない。まさか盗賊団をこんな短い時間で懐柔するなんて……っていうか、これってむしろ洗脳じゃないの?」
「失礼な。私は真正面から真摯に彼らにぶつかっていっただけよ」
「……さっき聞いただけでも、ものすごい毒を吐いてたよね」
「単なる真実」
「……あ、そう」
 もう突っ込むだけ無駄だと悟って、金髪の少女はそれ以上は何も言わなかった。
 仮にも実の妹である。彼女の性格ぐらい熟知しているのだ。
 金髪の少女は、気を取り直すように妹の頭を撫でると、少し苦笑気味に笑った。
「じゃ、とにかく帰りましょうか。盗賊団の方も、この様子だと放っておいても大丈夫だよね」
「ええ、そ……」
 ……何故か。
 リースの返事が不意に途切れた。
「……リース?」
 金髪の少女は、怪訝顔で振り返った。
 前触れもなく、何か不穏な空気が流れ始めている気がした。
「姉さん」
 気づけば、妹の視線は、屋敷の天井へと据えられていた。
 その表情は今まで通り感情の変化に乏しく――しかし、どこか緊張で強張っているようにも見えた。
「さすがにこの騒ぎを聞きつけて来たみたい。最近、森の様子が変だったから、もしかしたら居るんじゃないかなって思ってたけど……ビンゴだったわ」
「リース、貴女、何を言ってるの……?」
「姉御?」
 釣られるように金髪の少女とバートル達も天井を見上げる。
 途端。
「ひっ!?」
 誰かの押し殺した悲鳴が聞こえた。
 ――居た。
 そこに、居たのだ。
 まるで蜘蛛の様にその両手両足で天井へと張り付く異形が。
 漆黒の甲殻で身を包んだ人間の天敵――《デモン・ティーア》が。
 ぼたり、ぼたりと何かが落ちる。
 涎だ。
 ずらりと並ぶ黒い牙の間から、押さえ切れない様に垂れる涎が、床で跳ねていたのだ。
 《デモン・ティーア》は人型だった。その頭部には、《デモン・ティーア》の証たる角が二本、下向きに捻れながら伸びている。
 異形の獣は、人では決して有り得ぬ角度で首をぐるぐると回転させ、金髪の少女やリース、盗賊達を観察する。それはまさしく獲物の品定めだっただろうか。
 不意に。
 その姿が消失する。
「リース!」
 誰よりも早く、金髪の少女だけが反応していた。
 妹の身体を両腕で掻っ攫うと、その勢いのままバートル達の居る方へ向けて床を滑る様にして退避する。
 直後、リースがつい一瞬前まで立っていた場所に、《デモン・ティーア》が落下して来て、両手の鉤爪を突き立てていた。
「な、何だぁ!? まるで動きが見えなかったぞ、あいつ!」
 バートルが瞠目して、背中の大剣の柄に手を掛ける。
「……突然変異体よ」
 静かな声で、リースが言った。
「と、突然変異体? そりゃあ一体何スか!?」
 ゲゼレの質問に、リースは姉に抱えられたまま、命を危険に晒された直後の人間とは思えぬ冷静さで語る。
「ごく稀に《デモン・ティーア》の間で生まれる事のある強力な個体の事よ。その力は、通常の《デモン・ティーア》の比じゃない」
「ま、マジッスか……っ? でも、何でそんなのがこんな場所に……!」
「貴方達は気づいてなかった? ここ最近、森の動物達が異常なぐらいまでに数を減らしている事に。……いえ、それだけじゃない。数が減っているのは、通常の《デモン・ティーア》達も一緒だった」
「……数を減らして? そういや、妙に静かだとは思ってましたけど……」
「その理由があいつよ。彼らは、唯一匹の危険な存在を感じ取って、まるで逃げるように森を離れるか、姿を隠していた。そう、あの突然変異体の《デモン・ティーア》を恐れてね……」
「で、でも、どうしてあいつが突然変異体って思うんスか。もしかしたらただの《デモン・ティーア》かも……」
「簡単な事よ。私は、現在までに人間によって確認され、固有の名称を与えられた《デモン・ティーア》の名前と姿形をほぼ記憶している。でも、あいつはそのどれにも該当しない。今の森の状況と、この事実を照らし合わせれば、あいつが突然変異体である可能性は限りなく高いわ。単なる未確認の《デモン・ティーア》一匹だけなら、今の森の異変は、まず説明出来ないしね」
 リースの説明を聞いて、金髪の少女は、ふと、ある《デモン・ティーア》の特徴を思い出していた。
「……確か、《デモン・ティーア》は、一度に大量の食事した後、長い期間は食事は行わないんだったわね。あいつもそれは同じで、この辺りに来てから今まで一度も食事を行ってこなかったのなら、これまでこいつの存在に誰も気づかなかった事も説明出来るって事か」
「うん。たぶんそう」
 姉の言葉に、リースは床に降ろされながら頷く。
 さすがに青い顔になったバートルは、慌てて言った。
「と、とにかく今の状況はやばいんじゃないんですかい? その話が本当なら、あいつは相当にヤバそうだ。このままじゃ全員殺られちまうかもしれねぇ!」
 しかし。
「――大丈夫」
 眼前の脅威を前にしても金髪の少女は恐怖の片鱗一つ見せず、一歩前に出る。
 その背中は、この場の誰よりも頼もしく、自信に満ち溢れていた。
「皆さんは、リースと一緒に下がっていて下さい。あいつは私が倒します」
「な、何言ってるんだ!? 姉御の姐さんにそんな危険な真似をさせられるわきゃあないでしょう! いや、それ以前に娘っこ一人に任せて、男の俺達が後ろに隠れてるなんざ出来ねぇ!」
「いいから、とっとと下がりなさい」
 食い下がるバートルの向こう脛を、リースが思い切り蹴りつける。
「てぇっ!? な、何するんですか、姉御!」
「ここは姉さんに任せておけば良いの。私達は足手まといよ」
「し、しかしよぉ!」
「いいから!」
 ぐいぐいとバートルの服を引っ張り、リースが無理矢理に盗賊達を下がらせる。
「姉さん、気をつけて。あいつ、それなりに手強そう」
「わかってる。平気よ」
 不敵に笑って、金髪の少女はゆっくりと歩き出す。
 突然変異体の方は、こちらをまだ警戒しているのか、床にへばり付く様な低い体勢のまま、未だに動こうとはしない。ガチガチと牙を打ち鳴らしながら、近づく金髪の少女を観察し続ける。
「さあ……」
 金髪の少女が言った。
 まるで子供に呼び掛けるかのように。
 まるで友人を迎え入れるかのように。
 両手を広げて、優しく言ったのだ。
「――遊びましょうか」
 ぎちり、と。
 突然変異体は、嗤ったように見えた。
 転瞬。
 一息で間合いを詰めた漆黒の獣の爪が、金髪の少女の顔面へと突き出される。
 その鋭さと速度は、人間の頭蓋を貫き、内部の脳を粉砕するには十分過ぎた。
 しかし、実際にそれが貫いたのは、何もない空間だけ。
 紙一重で奇襲を回避した金髪の少女には、敵の動きは緩慢にすら感じられていた。逆に相手の向かって来た勢いを利用して、強烈な跳び蹴りを相手の顔面へと叩き込む。
「グギッ!?」
 どこか間抜けな悲鳴を上げて、突然変異体は吹っ飛び、後方の壁へと叩きつけられる。
 そんな刹那のやり取りを、バートル達は唖然と見つめていた。
 この反応は、当然ともいえた。
 なにせ、どう見ても戦いに向いているとは思えない可憐な少女が、見た事もない化け物の攻撃を避けたばかりか、逆に蹴り飛ばしたのである。
「ど、どうなってんだ……? まるで何が起きたかわからなかった……。姉御の姐さんは、い、一体何者なんですか……?」
「――マリア」
「え?」
「マリア・ウォーレンス。それが姉さんの名前。これだけ聞けば、もうわかるんじゃない?」
「ま、マリアっていやぁ……もしかして!」
 何か思い当たったのか、真っ先にバートルが目を見開いた。

 ……およそ、二ヶ月程前の話だ。
 クラインの村で、大規模な《デモン・ティーア》の群れによる襲撃があった。その数は、小さな村一つが壊滅させられるには、十分過ぎる程だった。
 しかし、事前にその動きを察知していた神威騎士団によりそれは迎え撃たれ、クラインは一人として被害を出す事はなかったのだ。
 そして、そんな騎士団の活躍の中に、《鬼人》デモンと呼ばれる凄腕の傭兵と――もう一人。彼の娘である、一人の少女の姿があったといわれる。

「た、確か、少女とは思えぬその強さと戦いぶり、そして、美しさからつけられた二つ名が《金色の鬼姫》ゴルト・プリンセス……! じゃあ、もしかして姉御の姐さんが、あのティリアム・ウォーレンスの娘――マリア・ウォーレンスだっていうのか!?」

 * * *

「ギッギギギ……!」
 突然変異体は、まるで堪えた様子もなく崩れた壁の瓦礫から這い出す。
 それでも、さすがに怒りを覚えたのか。纏う殺気は、今まで以上に濃厚となり、真っ直ぐに金髪の少女――マリアへと向けられていた。
「……硬いわね。あの全身を覆う黒い甲殻のおかげか……」
 蹴った足は、僅かに痺れている。
 あの甲殻の防御は、下手な鎧よりもよほど強力だった。
 素手でやり合っていては、このまま日が暮れても倒す事は不可能だろう。何か対抗する手段を考えねば、敗北は必至かと思われた。
 しかし、そんなこちらの都合など、向こうには関係ない。
 全身のばねを利用した瞬時の加速で、マリアへと突撃してくる。その速度は、先程までの比ではない。
「っ!」
 次々と突き出される鉤爪の一撃を、巧みな体捌きでマリアは避ける。
 敵の速さは上がっているが、それでもまだマリアの方が速い。
 攻撃を回避しながら、僅かな隙を縫って、強烈な拳の一撃を相手の各所へと打ち込んでいく。
「……グ、ッギッ……!」
 それに一瞬は怯むものの、やはり決定打にはほど遠い。
 結局、マリアは防戦に回るしかなく、だんだん劣勢へと追い込まれていた。
「す、すげえ……」
 そんな熾烈な戦いを遠巻きに傍観していたゲゼレが、感嘆の声を漏らす。
「あんな相手と一人で互角に……。だ、だけど、素手であれだけ丈夫な奴をぶっ叩いて、姉御の姐さんは平気なんスか?」
「平気よ。姉さんは、生まれつき常人では有り得ない馬鹿力と強固な肉体――そして、戦闘センスの持ち主だから。あの程度だったら、まるで問題にしないわ」
 自らを誇るかのように、リースは語る。
 しかし、同時に、敵の思わぬしぶとさに焦慮をも覗かせていた。
「それでも、さすがにあの甲殻は、拳じゃ貫けないか……。関節部を狙えばダメージは与えられるかもしれないけど、それでも決定打には――」
 そこで、はっとリースは顔色を変える。
 まさにすぐ横に、手頃な武器を持っている人物が居たのだ。
「バートル!」
「は、はい!? 何ですか、突然っ」
「背中の大剣を姉さんに渡して!」
「え、ええ! しかし、あんな戦いの中でどうやって……」
「そのうち機会は来るわ。貴方はそれに備えていれば良い」
「わ、わかりやした。やってみます!」
 リースの指示に従って、バートルは大剣を手にして、それを投擲するタイミングを待つ。
 その間にも、マリアと突然変異体との激しい攻防は続いていた。
 これまで敵の攻撃は、全て避け切っていた。
 だが、さすがの彼女も、まるで疲れを見せず攻め続ける相手に、僅かに集中力を切らせる。
「っ!」
 一撃がドレスのスカートを掠め、切り裂かれた。
「こ、のっ!」
 お返しとばかりに、敵の懐に飛び込み、両手の掌底を敵の腹部へと打ち込んだ。衝撃に敵の身体を叩き、僅かに浮き上がる。
「ギシィ!」
「もう一つ!」
 相手がたたらを踏んだ所に、追撃の回し蹴りを側頭部へと送り込んだ。
 突然変異体は踏ん張る事も出来ずに、屋敷の外へと転がって行った。
「今だ! マリアの姐さん、これを!」
 敵の攻撃が止んだのを見計らって、バートルが渾身の力で大剣を放り投げる。
 くるくると宙を舞ったそれを、マリアは当たり前のように片手で受け取った。
 飛んで来た重量のある剣をそんな風に受け取れるという事実が、彼女の膂力が常人のものではないという事実を明確に示していた。
「ありがとう! 助かります!」
「え? いや、どうも……へへへ」
 その事に唖然としていたバートルは、マリアに満面の笑顔で礼を言われて、思わず顔をだらしなく弛緩させる。しかし、すぐに隣のリースに「……気色悪い」と言われて凹んでいた。
「よし、ついでに……」
 剣を受け取ったマリアは、空いた方の手で、先程の攻防で裂けてしまったスカートを中程の部分から思い切り引き千切る。そうして荒っぽく、ミニスカートにすると、すぐに来るだろう襲撃に備えて大剣を構えた。
「うん、これで動きやすい。……あ、一応、言っておきますけど」
 振り向く事もせず、しかし、マリアは有無を言わせない声で言った。
「ちょっと際どいからって、いやらしい目で見たら、後で全員お仕置きなので、その辺はよろしくお願いしますね」
 まるで背中に目でも付いているかのように彼女の指摘に、
『が、合点承知!』
 と、バートル達は、明らかに動揺しながら返事をする。
「――最低ね」
 その時の傍に居るリースの目は、それこそケダモノを見るかのようであった。
 そして、そんなやり取りの間にも、敵が再び姿を見せる事はなかった。
「……妙ね」
 剣を構えたまま、マリアは眉根を寄せる。
 外へと転がって行った突然変異体は、一向に襲って来ない。
 まさか逃げたとは考えにくいし、先程の一撃がそこまで効いているとも思えなかった。
(通常の《デモン・ティーア》に比べて、あいつは知能も高そうに見えた。だとすれば、何かを企んでるの……?)
 マリアは、全身の感覚を限界まで研ぎ澄ませる。
 爆発の瞬間に備えて、全身に力を蓄えていく。
(……だけど、例え、どう来たとしても反応して見せる。私なら出来る)
 それは、たゆまぬ鍛錬と努力――そして、何よりも大好きな父の娘であるという誇りから湧き出る自信。
 緊張感で息の詰まる時間が流れ始めて――数十秒。
 敵は、来た。
 マリアの背後で、床が吹き飛ぶ。
 その鋭い爪で地中を掘り進み、内部へと飛び込んで来たのだ。
「――――!」
 見事な反応を見せて、瞬時に振り返ったマリアは瞠目する。
 敵は背後を取ってそのまま襲撃するかと思えば、飛び出した勢いのまま、そのまま真上に飛び上がったのだ。そして、反転して天井に着地すると、さらに勢いをつけて、上空から襲撃して来る。
(背後から襲うと見せかけて、飛び出した勢いを利用した頭上の死角からの攻撃――!)
 完全に不意を突かれた。
 これまでで最も速く鋭い一撃が、マリアの頭部へと落ちる。
 ――しかし。
 マリアの驚異的な反応速度は、その突然変異体の策をも凌駕したのだ。
 一瞬として躊躇する事なく彼女は動く。
 大剣を持ったまま全力で旋回。
 遠心力を利用して速度をつけ、身体を捻る。
 強引に斬撃を頭上へと送り込む――!
「――――ギィッ!?」
 何かが切断される音と、甲高く耳障りな奇声が同時に聞こえた。
 刃は狙い済ましたように、突然変異体の両足を膝部分から切り裂いたのである。その勢いに、突然変異体は体勢を崩して、地面へと無様に落下して転がった。
 これで勝負は着いたかと思われた、その時。
「っ、まだ!」
 マリアが目を見開く。
 最後の足掻きなのか。
 突然変異体は、残った両腕だけで這いずると、驚異的な速さでリース達へと迫って行ったのだ。
「あ、姉御!」
 咄嗟にバートルが庇うように前に出る。
 だが、庇われたリースの顔には恐れはなく、ただただ確信だけがあった。
 自分には、決してこの《デモン・ティーア》の爪も牙も届く事はないと。
 自らの姉を、心から信じているが故に、彼女は恐れる事も、逃げる事もしない。
 そして、マリアはその信頼に応える。
「させ――ないっ!」
 マリアは敵を追って、大きく跳躍すると、上空で剣を振りかぶる。
「だああああああああああああ!!!」
「――――ッ!?」
 落下の勢いと全体重を乗せた一撃を、地を這う敵の上へと躊躇なく振り落とす。
 爆砕。轟音。
 さしも硬い甲殻も、この衝撃は防ぎ切れなかったのだろう。
 強烈な一撃により床にめり込んだ突然変異体は、二、三度痙攣した後、行動を停止する。
「――――ふう」
 敵が絶命したのを確認して、マリアは安堵の息を吐いた。
 結果的に勝利はしたものの、全身には冷たい汗が伝っていた。
「終わりました。皆、もう大丈夫」
 振り返ると、こちらを心配そうに見ているリース達へ向けて笑い掛ける。
 それに応える様に、淡く微笑んでリースが歩み寄った。
「……ご苦労様、姉さん」
「うん」
 頷いて、マリアは額の汗を手の甲で拭った。
「それにしても、驚いた。まさかこんなのが森の中に居たなんて。でも、退治出来て良かったわ。村の皆に被害が出てたら大変だったもの」
「そうね。まあ、姉さんじゃなかったら、そう簡単に倒せる相手じゃなかっただろうけど」
「はは。父さんだったら、逆にもっとあっさり勝ってたかな」
 二人がそんな風に安堵感と共に話していると、
「……って言うか、お二人共」
 と、バートルの声が割り込んで来る。
「ん?」
「……どうしたの、バートルさん?」
 マリアとリースが、訝しがって振り返る。
 それと同時に。
「凄すぎじゃねぇすか――――っ!!」
 バートルが感激に打ち震えた声を上げた。それを引き金にして、ゲゼレを始めとする盗賊達が歓声を上げながら、マリアとリースの元へと集まって来る。
「わ! わ! 何!?」
「あの、暑苦しいんだけど……」
 戸惑う二人を尻目に、興奮したバートル達が次々と口を開く。
「あんな化け物相手に勝っちまうマリアの姐さんに、冷静な分析と的確な指示を送るリースの姉御! 俺ぁ感動しちまいましたよ!」
「全くッス! 晴天の霹靂ッス! ……あれ? これ、さっきも言った? いや、そんな事はどうでも良くて、とにかく感動ッス!」
「もう俺達、これからは、お二人に付いて行きますぜ!」
「子分……いや、弟子。そうじゃなかったら下僕でも良いんで、一緒に行かせてくだせぇ!」
 盗賊団の誰かが、さりげなくとんでもない申し出を口にする。
 これに他の皆も、「それが良い!」、「お二人についていけば、俺らも真っ当になれる!」と、すかさず同意を始める。
 まさかの展開に、マリアは目を剥き、リースは呆れたように目を閉じる。
「ええ!? いや、落ち着いて下さい! 弟子とか有り得ませんから! っていうか、突然に何を言ってるんですか、皆さん!」
「……そうね。いっその事、本当に下僕にして、一生こき使ってやる?」
「リース、何を言ってるの! そんな事出来るわけないでしょう……って、ちょ、ちょっとあんまり近づかないで――!」
「子分に!」
「いや、弟子に!」
「いっその事、下僕として、踏みつけて!」
 バートル達の興奮は、一向に収まらない。
 むしろ、歯止めが効かずに、テンションは上がっていくばかりである。
「あああああ、もう! 誰かどうにかして――――!!」
 マリアの絶叫もむなしく、当然この後も誰も助けに入る事は無かった。それでもなんとか、マリアがバートル達を説き伏せた時には、外では完全に陽が傾き始めていたのだった。

 * * *

 西の空では夕陽が沈み、世界はその赤色に染め上がる。
 マリアとリースは、そんな黄昏の中、とぼとぼと村への帰路に着いていた。
「……つ、疲れた……突然変異体との戦いよりも、よっぽど疲れた……」
「そうね。まあ、私は見てただけだけど」
「……鬼。何で手伝ってくれないの。そもそも、あんな事態になったのは、リースが酒樽の中で読書なんてしてたからじゃない」
「妹として、姉に顔を持たせてあげようと思っただけよ」
「絶対、嘘だ……」
 マリアは、恨みがましく妹を横目にする。
 あの後、なんとかマリアの説得で、二人に付いて来る事を諦めたバートル達は、準備が整い次第、これから真っ当に生きていくため、新天地を目指して旅立つとの事だった。ちなみに、説得ついでに、いろいろ壊してしまった遺跡の修理も任せておいたのは、もちろんリースの策略だったりする。それを何の疑いのもなく了解してしまう辺り、彼らも根は善良な人間という事なのだろう。
「まあ、なんだかんだで盗賊団の人達はちゃんと改心したみたいだし、村に被害が出る前に《デモン・ティーア》の突然変異体も退治出来た。結果だけ見れば、良かったのかな」
「だけど、私達がクラインに来た目的は、全然果たせてないけどね」
「……せっかく前向きになろうとしてたのに、何で今、それを言っちゃうかなぁ」
 美しい面に年相応の幼さを覗かせて、マリアは赤く染まった空を仰ぐ。
「だけど、本当、父さんどこに行っちゃったのかしら……」
 彼女達が、自分達の家代わりでもあるフェイナーン神殿を出て来た理由。それこそが今、彼女の口にした、父親の捜索というものだった。
 二人の父であるティリアムは、時々、ふとした拍子にどこかへ出かけ、何日も帰って来ないという事が度々あった。そして、一ヶ月程前、同じようにどこかへ出掛け、彼はそのまま帰って来なくなったのだ。
 ――あの強い父さんに限って、万が一の事もないだろう。
 そうは思いつつも、さすがに一ヶ月も経つと心配になってきた二人は、イヴァルナ神教宗主サレファの補佐を務める自分達の母――オーシャの制止も聞かずに、神殿を飛び出して来たのである。
 クラインを訪れたのも、父親がもしかしたら立ち寄ったのではないかと、そう思ったからだ。
 リースは、姉の横顔を覗いながら、悪戯っぽく笑った。
「姉さんはファザコンだものね。毎日、寂しくて枕を濡らしてるんだ」
「ぬ、濡らしてない! ……な、何よ。リースだってマザコンのくせに。神殿を出る時だって、母さんと離れたくないからって、散々迷って涙ぐんでたぐらいでしょう!」
「んな……っ!」
 リースの顔が、一瞬にしてかーっと真っ赤になる。
 そして、普段なら絶対に見せないような仕草で、ぶんぶんと本を振り回す。
「な、ななな、何言ってるの、姉さん! そ、そんな事ないもん!」
「嘘言っても無駄。私、ちゃんと見たんだからね。そもそも私に付いて来た理由だって、父さんが居ないと母さんが寂しそうだからじゃない」
「〜〜〜〜っ!」
 ずばり図星を突かれて反論出来なかったのだろう。
 リースは、言葉にならない唸り声を漏らしながら、悔しそうに両の拳を握る。
 そして、それでも我慢出来ずに、
「な、何よ! 姉さんの馬鹿! ファザコン!」
 と、彼女らしくない子供っぽい言い返しをする。
 ここは本来、姉としては、冷静に受け流すべき所なのだろう。
 だが、ファザコンという点に関してはマリアも自覚しているため、つい感情になってしまう。
「むぐっ! まだ言うかっ。だったら、私だって……リースのマザコン!」
「ファザコン!」
「マザコン!」
「ファザコン! ファザコン!」
「マザコン! マザコン!」
「ファザコン! ファザコン! ファザコン――――っ!」
「マザコン! マザコン! マザコン――――っ!」
 まさに不毛な言い合い。
 それを理解しつつも、感情的になった二人は、延々と繰り返し続ける。
 結局、言い合いは宿に帰り着くまで続いた。そして、どちらも喧嘩疲れのせいで夕食も取らずにベッドに転がって熟睡。朝になったら、お互いにけろっと忘れてしまうのだった。

 ◇ ◇ ◇

 ――こうして。
 二人の少女の、とある日の物語は終わりを迎える。

 その後も、彼女達は未だ戻らぬ父親を探して、時に仲良く、時に喧嘩しつつ、各地で騒動を巻き起こしたり、目覚ましい活躍をしたりする事となるのだが……
 それはまた――別の物語である。


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