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エンジェル アフターストーリー

―― 金色の貴女は ――


―― 前編 ――

 かつてあった一つの危機は、人知れず防がれた。
 戦いに臨んだ者達は、それぞれの日常に帰り、自らの守った平和の中に生きた。
 いつしか、新たな時代を担う命が生まれ、育まれた。

 未だ世界は続く。
 果てなく。長く。永久と思える程に。
 記憶を。想いを。そして、命を繋いで。

 ――これから紡がれるのは。
 そんな世界で生きる二人の少女の、他愛のない、何でもない、平凡な……とある日の物語おはなし

 ◇ ◇ ◇

 レレナ。
 かつて女神イヴァルナが没したといわれる、イヴァルナ神教の聖地。
 その地を覆う広大な森のすぐ傍に、クラインと呼ばれる小さな村は存在した。
 平凡かつ平和なこの村は、聖地へ向かう多くの巡礼者が立ち寄る休憩地の一つである。そのためその規模に反して、宿泊施設や飲食店などは整っており、穏やかながらに常に活気に溢れていた。
 そして、そんな村の簡素な舗装のされた道を、一人の少女が駆けていた。
 年の頃は、およそ十六程だろうか。
 風に靡く長い髪はまるで金糸の如く輝き、稀なる琥珀色の瞳は吸い込まれそうな深みを持っている。さらに、一切の無駄なく整った顔立ちと白い肌は、美しいという言葉以外の表現を奪う程。擦れ違う人々は、性別を問わず一度は彼女の方を振り返っていた。
 金髪の少女は、集う視線などまるで気にも留めず、軽やかな足取りで一つの建物へ向けて走り続ける。
 そして、程なく辿り着いた酒場内へと迷いなく飛び込んで行った。
「おじさん! 盗賊団に襲われたって本当ですか!?」
 唐突に、そんな一声を投げ掛けられ、カウンターに居た酒場のマスターは、グラスを拭く手を一旦止めて、目をしばたたかせる。
 しかし、すぐに声の主に気づいて、納得したような表情を見せた。
「……ああ、お嬢ちゃんか」
 マスターは吹き終わったグラスをカウンターに置くと、
「いきなり飛び込んで来るから、びっくりしたよ。女の子が大きな声を張り上げるのは、あんまり感心しないな」
 と、優しそうな面に苦笑を浮かべた。
 店内は、さすがに朝から酒を飲む人間は少ないのか、それとも聖地の傍という土地柄、真面目な人間が多いのか、酷く閑散としていた。それでも顔を見せていた数少ない客だけが、少女の美しさに目を奪われる。
「そんなに慌てなくも大丈夫だよ。怪我人とかはまるで出てないし、奪われた物もそう多くはない」
 落ち着いたマスターの言葉に、金髪の少女は、きょとんと可愛らしく首を傾げる。
「…………へ? でも、盗賊団は来たんでしょう?」
 予想通りの反応だったのか、マスターは小さく笑う。
「ああ、来たよ。自分達が必要な物以外は奪わず、女子供、老人、戦意のない者には絶対に危害は加えない、というポリシーを持った変わり者の盗賊達がね」
「…………??」
 思わず耳を疑って、瞼をぱちぱちさせる。
 最後の盗賊達という単語がないと、それこそまるで――
「……え、ええと、それって、どこの正義の味方でいらっしゃいますか?」
「お嬢ちゃんの反応はわかるけどね。本当にそういうのが、ここ最近、この辺りに居ついているんだ」
 まさについ先程、盗賊団の被害に遭った一人とは思えない程に気楽な様子でマスターは言った。
「志はおよそ盗賊らしくないのに、手際だけはやたらと良くてね。村の家畜を放されて、皆が大騒ぎしている内に、見事にやられたよ。うちも酒樽をいくつか持っていかれた。とは言え、見ての通り普通に営業する分には、差し障りない程度の被害だよ。実際、村長も今回に限っては、神威騎士団には報告しないつもりだとか……まあ、騎士団の方々はいつもお忙しいから、この程度の事で御足労願うのも心苦しいんだろう」
「な、なんだか大急ぎで駆けつけ損な気がしてきた……」
 急に気が抜けて、金髪の少女はカウンターに突っ伏すと、長い溜息を吐いた。
 まさか、そんな平和的な盗賊団が存在するなんて夢にも思わなかったのだ。むしろ、そんなポリシーを持つぐらいなら、もっと別の事をすれば良いのにとさえ思う。
「だけど、あれだけ騒ぎになってたのに、お嬢ちゃんは気づかなかったのかい?」
「うっ、痛い所を……」
 金髪の少女はカウンターに倒れ込んだまま、目を泳がせた。
 白い頬が、少しだけ紅潮する。
「その、何と言うか……育ち盛りの私は、こんな時間には、まだまだぐっすり眠ってるものでして……」
「はは、なるほど。でも、君の妹さんは、しっかり起きていた様だけどね」
「リースが……?」
 脳裏に、常に脇に分厚く小難しい本を抱えた妹の姿が浮かぶ。
 彼女とは、先日一緒にこの村を訪れたばかりだ。
「そういえば朝から宿で見かけなかったんですけど、こっちに来てたんですか?」
「ああ、居たよ。そういえば盗賊団の騒ぎがあってすぐくらいから姿を見かけなくなったなぁ」
「…………」
 不意に金髪の少女は眉根を寄せながら、カウンターから身を起こした。
 酷く嫌な予感がした。
 自分の妹の性格と普段の行動を考えると……。
 しばし、想像を巡らせた後、彼女は訊いた。
「ねえ、おじさん。その……盗賊団がやって来る前に、リース、何か妙な事を言ってたか、やってたかしませんでした?」
「妙な事……?」
 マスターは首を傾げて、しばし記憶を探る。
 そして、すぐに「ああ」と声を上げた。
「そういえば、なんか空の酒樽をじっと見つめて、『これは良さそう』とか『試してみる価値はある』とか、そんな感じの事を……」
 そこまで聞いただけで、嫌な予感は、ほぼ確信へと変わる。
「ああ、やっぱり……。あの子なら有り得る……有り得すぎる……」
「有り得る? 何がだい?」
「ううん。気にしないで。……それより、さっき言ってた盗賊団のアジトって、どこにあるかわかりますか?」
「それなら、傍の森の中だろう。フェイナーン神殿から巡礼を終えて帰って来た人が『聖地の森の中に居つくなんて、なんという不信人者だ』とか、愚痴をこぼしてたから、たぶん間違いないよ。まあ、森のどの辺りかまでは、さすがにわからないけど」
「ふーん……。森の方か。だったら、やっぱりあの辺りかな……」
 形の良い顎に細い指を当てて、金髪の少女は一人納得して呟く。
 彼女にとって、あの森は自分の家の庭のようなものだ。盗賊団が隠れ家に出来そうな場所は、すぐに検討がついた。
 少女の反応が気になったのか、マスターが問い掛けてくる。
「だけど、そんな事を訊いてどうするんだい?」
「え? ……ううん。何でもないです」
 にっこりと笑って、金髪の少女は身を翻す。
 やる事が決まった以上、ここでじっとしているわけにはいかなかった。
「それじゃ、私はもう行きますね。また!」
「あ、ちょっと」
 軽くを手を挙げて挨拶すると、金髪の少女は来た時と同じように軽やかな足取りで、店から飛び出す。途中、ちょうど店に入ろうとしていた村人の脇を華麗に駆け抜け、すぐにその姿は村の向こうへと消えていった。

 ◇ ◇ ◇

「やれやれ……。本当、元気な子だなぁ」
 呆れと感心、それぞれ半々にマスターは笑う。
 そこに少女と入れ違いにやってきた男性客が、カウンター席へと腰を下ろした。
「ああ、びっくりした……。あの子って、“あの時”の女の子だよな。一体、どうしたっていうんだ?」
「さあね。もしかしたら、例の盗賊団でも退治しに行ったのかもしれないな」
 マスターは冗談交じりに言うと、注文を訊く事もせず、男の前に酒を置いた。
 男は常連なのか、その酒を当然にように受け取る。
「ははあ。あの子ならやりかねないか。しかし、盗賊団の奴らも気の毒に。被害に遭っておいて何だけど、そこまで悪い奴らではなさそうだったのにな」
「同感だ。――それにしてもどうしたんだい? いつもなら狩りのために森に入っている時間だろうに。朝から仕事をサボって酒とは感心しないな」
 マスターの指摘に、狩人らしい男は苦い顔を浮かべた。
「それなんだけどなぁ。ここ最近、獲物がさっぱりなんだよ」
「獲物が……? どういう事だい?」
「だからさ、獲物が全く居ないんだ。兎一匹見つけるだけでも一苦労だよ。こんなんじゃ狩りになりゃしない」
「そりゃまた、不思議な事もあるもんだ」
「しかもさ……それだけじゃないんだ」
「? まだ、何か?」
「ああ。獲物だけじゃなくて、俺達にとっての悩みの種でもある《鬼獣》デモン・ティーアまで一緒に姿を消してるんだ。おかしな話だろう? 《デモン・ティーア》が増えて、普通の獣が少なくなるならわかるけど、どっちも一緒に姿を消すなんて」
「……確かに妙な話だね。原因に心当たりとかは?」
「さっぱり。別段、おかしな事はなかったと思うんだけどな。まあ、こういう現象も、本当に数日前からだから、単に気づいてないだけかもしれないが……」
 男は、隠し切れない不安と不満を飲み込むように、酒を喉へと流し込む。
「ともかく、もう今日の所は、俺は諦めたよ。たぶん、他の連中もそろそろ暗い顔を揃えてやって来るんじゃないかな」
「なるほど」
 マスターは、どこか複雑そうに笑って、肩を竦める。
「繁盛するのは嬉しいものだけど……今回ばかりは、あんまり喜べそうにもないね」

 ◇ ◇ ◇

 ――金髪の少女がクラインの酒場に飛び込んだのと、ほぼ同時刻。

「よーし、今回も我ながら見事な手際だったな!」
 がはは、と豪快に笑って、厳つい顔の下半分を覆う髭を撫でる。
 巨漢の男であった。
 名を、バートルという。
 背中には無骨な大剣を背負い、何かの獣皮で作られた衣服を身に纏っている。その物々しい風貌は、一見して真っ当な人間ではないと見る者を教えていた。
 彼の満足気な視線の先には、食料や何やらが雑多な山となって積まれている。
 そう。このバートルという男こそが、つい先程、クラインから盗みを働いた盗賊団の頭なのである。
「これも全部、親分の計画が素晴らしいからに違いないッスよ!」
 と、バートルの隣にいた小柄の男が相槌を打つ。
 こちらの名は、ゲゼレといった。
 平凡な悪人顔とでも言うような見た目に反して非常に臆病であり、常にバートルと共に行動している子分だった。
「全くですぜ!」
「やっぱり、バートルの旦那に付いて来て、俺たちゃ勝ち組だ!」
「笑いが止まりませんな!」
 ゲゼレに追随するように、他の盗賊達が声を上げる。
 バートルは、さらに愉快そうに大笑した。
「おいおい、あまりおだてるな! そんなに褒められちまうと俺ぁ、調子に乗っちまうぜ?」
 そう言って、今度は一味全員で笑い合う。
 しかし、ふとゲゼレが不安そうに口を開いた。
「ですけど、大丈夫ッスかね……。俺らが居るのって、あの聖地の森ですし、神殿の方には神威騎士団だって居るんじゃ……?」
「なーに、心配はいらねぇ」
 バートルは余裕を見せて、ゲゼレの肩を、その大きな掌で叩く。
「おめぇも知っての通り、俺らのポリシーは、女子供や老人、戦意を持たない奴には手は出さねぇ、そして、盗るモンも必要な分だけと決めてる」
「ええ、そりゃあよーく知ってますとも。これだけは親分の信念ですから、俺らも固く守ってます」
「そうだなぁ。だからよ、実際の所、俺らの襲った村なんかは、そこまで重大な被害ってのはそうそう出ねぇ。そして、神威騎士団は、聖地の平穏を保つため、日々奔走していて、決して暇な連中じゃねぇよな」
「確かに、そうッスけど……それが一体……?」
「つまりだ。騎士団の連中からしたら、たいした事のない盗賊団の被害よりも、他に優先すべき仕事は盛りだくさんってわけだ。村の奴らにしたって、その事は重々理解してるから、すぐに騎士団に泣きつこうとは思わねぇはずだ」
「じゃあとりあえず、すぐに騎士団がやって来るなんてこたぁ……」
「俺の計算通りなら、まずねえな」
 ゲゼレの言葉を継いで、バートルは、にやりと笑う。
「あとは、標的を毎回変えて、いつも通りに俺たちゃあ仕事をする。んで、さすがにそろそろ騎士団が腰を上げそうな頃合になった時に、この一帯からとんずらすりゃあ、完璧だ。……どうだぁ? 俺って頭良いだろ!」
『もちろんでさぁ! バートル親分!』
 部下達が一斉に合唱する。
 もはや、バートル盗賊団のアジトは、先程の仕事成功の喜びもあって、有頂天な空気に包まれていた。
 バートルは、のしのしと戦利品の山へと歩み寄る。
「さーて、さっそく祝杯といこうぜ。まずのこのでけぇ酒樽のまま、一気飲みでもするかぁ!?」
『さすが親分! 豪快だぜぇ!』
「当然よぉ。じゃあ、こいつを……」
 子分達におだてられて、機嫌の良いバートルは手近な酒樽へと何気なく手を伸ばす。
「んお?」
 しかし、その手は何も触れる事無く、宙を掴んだ。
 何故か、酒樽が一人でに倒れたのである。
 バートルは、立派な髭を蓄えた口元を僅かに引きつらせた。
「お。おい。今、この酒樽、勝手に動かなかったか……?」
「何言ってんスか。親分。そんな事あるわけないじゃないスか」
「そ、そうだな。きっと下に何か挟んでたかしてバランスが悪かっただけ……」
 ゲゼレの言葉にバートルが安心仕掛けた、刹那。
 ガタガタ!
 今度は、酒樽が大きく揺れ出す。
「うおい! これ、ぜってぇ動いてるぞ!? っていうか、今まさに揺れてんぞ!?!」
「ひ、ひぃい! な、何だこれ!?」
 ずざざざ、と一斉に盗賊達が酒樽から距離を置いた。
 そして、遠巻きに未だに揺れ続ける酒樽を観察し始める。
「……ゲゼレ」
 バートルはびっしりと脂汗を額に浮かべながら、隣に居る子分の名を呼んだ。
「な、何スか」
「酒場から酒樽をかっぱらって来たのは、おめぇだったな」
「そ、そうスけど。それが何すか? すげー嫌な予感するんスけど」
「責任持って、おめぇが中身を確かめて来い」
「い、いいいい、嫌ッスよ! な、何が潜んでるかわかんねぇじゃないスか! デ、デデ、《デモン・ティーア》とかだったらどうするんスか!?」
「ゲゼレ……」
「は、はい?」
「安心しろ。骨は拾ってやる。たぶん」
「安心出来るわけねぇでしょーが!!」
 とか、バートル達がモメている間に、酒樽は揺れるだけには収まらず、右に転がり、左に転がり、何度か跳ねて、思い切り壁に激突する。
 そして、不意にぴたりを動きを止めた。
「と、止まったぞ……」
 盗賊の一人が緊張した声で言った。
 その次の瞬間、ぽこんと小気味良い音を立てて、酒樽の蓋が外れる。
 ごくり。
 一様に、皆が息を呑んだ。
 果たして、一体、中から何が出てくるのか。
 不安と恐怖……そして、それに負けないぐらい好奇心が、皆の興味を、その一点へと集中させていた。
 ごそりごそりと何かが内部で身じろぎする。
 そして、ようやく、ゆっくりと樽の中から這い出して来たのは……
「……あちこち打った。ちょっと蓋を固く閉め過ぎたわ……」
 ……一人の愛らしい少女であった。
 おそらく年は、十三、四程。
 まだ幼いながら将来を期待させるような綺麗な顔立ちで、しかし、同時にどこか表情が乏しい。さらに、伸びる黒く滑らかな髪は、肩の辺りで綺麗に切り揃えられ、黒曜石を連想させる大きな黒瞳には、深い知性と不思議と惹きつけられる魅力を湛えていた。
 黒髪の少女は、酷く苦労しながら樽から完全に這い出すと、ぽんぽんと服を小さな両手で叩く。その後、樽の中から取り出した革張りの分厚い本を脇に抱えた。
「…………」
 上下左右。
 きょろきょろと丁寧に辺りを見回す。
 そして、しばらくして、ようやくバートル達を見つけた。
「…………」
 バートル達の方も、突然の展開に頭がついていけないのだろう。
 無言でそれを見つめ返していた。
「……………………………………………………」
 長い沈黙が続く。
 そして。
「……んー…………」
 少女は、顎に指を当て、溜めに溜めた後。
「…………貴方達、誰? ここ、どこ?」
 と訊いたのだ。
 当然。
「そりゃあ、こっちの台詞だぁ――――!!!!」
 と、バートル達は見事に声を合わせたのだった。

 * * *

 未だ動揺の収まらないバートル達に対して、黒髪の少女は、とにかく冷静だった。
「リース。それが私の名前。貴方達は?」
 自ら名乗ると、バートル達へと質問を投げ掛ける。
「……俺ぁ、この盗賊団の頭、バートルだ。横のがゲゼレで……って、いちいち全員の名前を教えてられるかっ。とにかく子分達だ!」
 とりあえず状況を整理しようと考えたのか、それともまだ彼も混乱しているのか、バートルは律儀に少女の問いに答える。
「ふーん……盗賊団ね。じゃあ、この場所は?」
「聖地の森の中にある、《翼持つ物》エンジェルの遺跡だよ。古いが丈夫だし、中も広いから、勝手に使ってんだ。なんかわりぃか、ああ?」
「私、何も言ってない。……それよりも森の中の遺跡か。なら、だいたいどの辺りかはわかるわね」
 何度か頷いて一人納得すると、黒髪の少女は人差し指を立てる。
「じゃあ、もう一つ質問。――何で、私を攫ったの?」
「ひ、人聞きの悪い事を言うんじゃねぇっ! おめぇが樽ん中なんかに入ってるからだろうが! つーか何で樽ん中!?」
「――本」
 激昂するバートルをまるで気にする事無く、リースと名乗った少女は、手にしている本を掲げた。
 バートルは、思わずといった風に後退さる。
「な、何だよ。それが何だってんだ」
 冷静……というより、どうにも表情の変化に乏しい少女の不可思議な空気に、彼は完全に呑まれている様子だった。
 対照的に、リースは淡々と説明する。
「私、本好きなの。でも、本って静かな場所で読まないと集中出来ないでしょ。さらに理想を言うなら、薄暗い方が私はもっと集中出来るの。ただ母さんは、目が悪くなるから止めなさいって言うけれど」
「そ、それで?」
「それでって――何が?」
「っ! だ・か・ら! おめぇが読書好きな事と樽ん中に入ってる事がどう繋がるんってんだ!!」
「え……? もしかして、頭悪いの?」
 本気で驚いた顔で、リースは掌を口に持っていく。
「こ、このガキャ……っ」
 バートルは顔を真っ赤にして、びくびくとこめかみを引きつらせた。
 放って置けばそのまま飛び掛りそうな様子に、ゲゼレや他の盗賊達が必死に押し止める。
「お、親分! 相手は女の子ッスよ! ポリシー! ポリシー!」
「どうどうどう!」
「人参! 人参食べますか?」
「わ、わあってるよ! 人を馬扱いすんじゃねぇ!! ……とにかくわかんねぇから、ちゃんと説明しろ、娘っこ!」
「仕方ないなぁ」
 心底面倒といった様子で、リースは溜息を吐いた。
 そして、背後を振り向き、指で樽を示す。
「考えればわかるでしょ? 樽の中って暗いし、静かそうじゃない。だから、読書するのに最適かなと思って入ってみたの。そしたら案外快適でずっと本を読んでたんだけど、だんだん眠くなってきて、思わずうたた寝してたら、いつの間にかこんな場所に居た。……それだけよ」
「いや、でも、蓋を閉めちゃったら、暗過ぎて本なんて読めねぇんじゃあ……?」
「馬鹿ね。ランタンぐらい持ち込むに決まっているじゃない」
「あ、はい。そうッスね」
 ばっさり斬られて、ゲゼレが泣きそうな顔で肩を落とした。
「……とりあえず状況はわかった」
 さすがに、こんな少女相手にムキになるのは格好悪いと気づいたのだろう。
 なんとか平静さを取り戻したバートルが頷く。
「だったら、俺達にも、この場所にも用なんてねぇだろ。勝手に連れて来ちまった事は謝るから、とっととママん所でも何でも良いから帰りな。道がわかんねぇってんなら村の傍くらいまでなら送ってやる」
「へぇ……」
 感心した声を出して、リースは頭四つ分は高いバートルを見上げる。
「意外に優しいのね。盗賊なのに」
 バートルは腕を組むと、自信満々で胸を張る。
「はん、当然よ! それが俺達のポリシーだからな!」
「ポリシー? そういえばさっきもそんな事を言ってたわね。何それ?」
「へ、聞いて驚くな! 女子供、老人、戦意のない奴にゃあ決して手を出さない! そして、盗みは必要な分以上はしねぇ! この二つを固く守り、大陸各所で暴れ回っているのが、俺達、清く正しいバートル盗賊団よ!」
『いよ! 親分、男前!』
 すかさずゲゼレ達が合いの手を入れる。
 おそらくバートル達は、彼らの志にリースが感涙して、さらに今までの言動を謝罪してしまうくらいの反応でも期待していたのだろう。
 だが、現実は残酷だった。
 半眼になってしばしバートル達を見つめた後、リースはぼそりと言ったのだ。
「呆れた……。親分だけじゃなくて、もれなく子分達も大馬鹿野郎なのね……」
『んだぉっ!?』
 もはや芸術的なまでに声を合わせて、バートル達が目尻を吊り上げる。
 しかし、リースはまるで揺るがず言葉を続ける。
「だって、そうじゃない。盗み働いている時点で清く正しいなんて、間違ってるわ」
『う……っ』
「女子供や老人、戦意を持たない相手に手を出さないなんて人として当然の事よ。それを誇るなんて、馬鹿げてる」
『ぐう!?』
「必要な分しか盗まない? それでも皆が被害に遭っている事には違いないわ。貴方達が必要な分だと言い張って持って行った物は、盗まれた人達にとって必要な物なのよ」
『げはああ!!??」
 ぐさぐさと胸に突き刺さる言葉に、バートル達はもれなく打ちのめされる。唐突に現れた一人の少女によって、あっという間に、彼らは精神的に満身創痍となっていった。
 完全にその場を掌握したリースは、まるでどこかの国の女王か何かのような威容で、ゆっくりと盗賊達を見回す。
「仕方ない。本当に面倒だけど、貴方達がどれだけ愚かしい行為をしていたか、これからとっくりじっくり教えてあげる」


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