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オロチ様はイタズラがお好き!?

幕間 騒がしき日々は、かけがえなき日常


―― 三 ――

「ようやっと九枚目か。ライ、今、何枚や……?」
「僕は、ちょうど二十枚かな」
「は、早いわね。私なんて、まだ八枚目なのに……」
「うう……私、六枚目……」
 暗い声で、そんな会話をしているのは、ゴウタ、ライ、レナ、ミヨの四人である。黙々と筆を進めているが、当然、そこにはフウガもいる。
 五人の纏う空気は、やたらと重かった。
 無駄と言って良いほどの広大な敷地もつ第一ヒノカワカミ学園。
 その中にあって、頭一つ抜けて高さを持つ建造物がある。
 それが、図書塔だった。
 文字通り、所謂、図書館の役割を持つ建物ではあるが、どんな理由か、この学園では、塔の形を取っているのである。
 階ごとに種類分けされた書物が無数に並び、その蔵書量は、王都にある王立図書館に次ぐ量を誇っている。円形の部屋を囲むように設置された書架は、ぴっちりと隙間なく本で埋められ、まるで塔そのものが本で作られているのではと錯覚するようだった。
 この顔ぶれの中では、普段はミヨぐらいしか縁のない場所だが、今日に限っては、フウガ達全員が揃っている。その理由は唯一つだ。
 昨日の肝試し騒動の際に、教頭のミチザネから課せられた反省文五十枚を、必死に書き進めているのだ。
 自分達の教室では、周囲の人間の冷やかしやからかいがあって集中出来ない。なので、読書や調べ物を行う場所という性質上、常に静寂が約束されている、この図書塔を訪れたというのが、現在の状況に至るまでの経緯であった。
 ちなみに、一緒に反省文五十枚を言い渡されたはずのウズメは、この場には居ない。なんと、その日のうちに全て書き終え、ミチザネも内容に納得したらしい。それを聞いたときのフウガ達は、驚く以前に唖然とするしかなかったのは言うまでもないだろう。
「……フウガは? 今、何枚?」
 目の下にクマさえ作ったレナが問うてくる。
 相変わらず、こちらの名前を呼ぶときには、どこか躊躇いがある。それは、フウガがキジムとの戦いの怪我から復帰した辺りからずっとなのだが、フウガ自身には、その理由には、とんと思い当たるものがない。
「俺は、これで四十枚目だな」
 フウガもまた疲労感溢れる表情で答える。
 途端、ライ以外の三人が硬直して、目を丸くした。
「よ、四十枚って、フウちゃん、ちょい早過ぎんかっ?」
「す、凄過ぎです……」
「こんなもの一体、何をそんなに書く事があるってのよ?」
 三人が疑惑の視線を投げかけてくる。
 まるで、こちらがイカサマでもしたかのような態度である。全く持って、失礼極まりない。
 フウガは不満を隠さず、もともと悪い目付きを、さらに険しくして言い返す。
「あのな……俺はこういうのに慣れてるんだよ。だから、ちょっと早いだけだろ」
「慣れてるって、どうしてよ」
「そうやそうや」
「気になります。教えてください」
 なおも言い募る三人。
 何故か、気づけば尋問状態だった。
「お前らな……」
 そこに助け舟を出したのは、ライだった。
「フウガは、今までずっと落ちこぼれで通してきたからね。わざと失敗して、反省文書かされる事も多かったんだよ」
「そう。そういう事だよ」
 言って、フウガは顔の横で器用にペンをくるりと回す。
 ゴウタは腕を組んで、納得したように頷いた。
「……言われてみりゃ、そうやなぁ。フウちゃんは、慣れっこやもんなぁ。全然、羨ましくないけど」
「そりゃないわよ、そんなもの」
「正直、見習いたくはないですね……」
 今度は、それぞれそんな酷い事を言ったりする。
 至極もっともな意見だが、勝手に疑いの眼差しを向けておいて、理由を言えば、その反応とは、いくら何でもあんまりだ。
「あのな……お前ら、もうちょっと人には気を使って喋れ」
 なんか泣きたい気分で、フウガが仲間を非難したとき。

「……あらあら、大変そうですわね」

 そんな、せせら嗤うような甲高い声が、部屋に響いた。
 皆が一斉に視線を向ける。
「…………うわあ」
 誰ともなく、心底、嫌そうな声を上げた。
 視線の先に居たのは、ふんぞり返る見事な金色の巻き毛の少女。
 その背後に付き従うのは、瓜二つの双子の少女だ。
 この特徴的過ぎる個性と構成を見れば、もはや確認するまでもない。
 サワメ・ナキと、その従者であるハニヤ・スビコとスビメだった。
 一体、どこで聞きつけたのか、彼女達は、フウガ達の事情を知り得ているようだった。……まあ、その日の朝のうちの学園中に広まっていたようだから、当然なのかもしれない。
 ナキは、折った指を唇に当てて、さも愉快そうに嗤う。
「話は聞きましたわ。何やら肝試しなどと言う戯けた遊びに興じて、旧校舎に不法侵入したせいで、タワラ教頭に反省文を命じられたとか。ふふ、さすが貴方達のような身分の低い方は、やる事も相応のようね」
「「相応のようですね」」
 きっちり最後の方には、双子が言葉を重ねてくる。
 嫌味度を倍加させるような、この演出はわざとやっているのだろうか? だとしたら、全くご苦労な事である。
「サワメ先輩。その戯けた遊びには、一応、ツクヨミ先輩も一緒に居たんですけど……」
 わかっていると思うものの、フウガは念のため、その点を指摘してみる。
「そんな事は知っています。ですが、ウズメ様は、ぬいぐるみをなくした少女の願いを受けて、感涙ものの御慈悲により、規則に反すると承知で旧校舎に行かれたのです。それを下らない遊びに巻き込んだのは、貴方達でしょう? 何より、ウズメ様は、不当にも課せられた反省文も、当の昔に終えられたとの事。やはり貴方達とは、そもそも生まれからして格が違うのだわ」
「…………ははあ、なるほど」
 これはもう、感心すれば良いのか、それとも呆れる所なのか。どうにも判断に苦しむ見事なウズメ愛炸裂の理論を展開されて、フウガは返す言葉もない。
 と。
 唐突に、傍でだんっ! と誰かが掌で机を叩く音が鳴った。
 広がっていた微妙な空気が、途端に変化する。
「わざわざ、そんな事を言いにここまできたんですか? そもそも先輩に、そんな風に言われる筋合いなんてないですよ。特にフウガは、先輩達の命の恩人のはずですけど」
 険のある声で、そう反論したのは椅子から立ち上がったレナだった。
 常からつり気味の目が、今は研いだ刃のようにも思えた。
「……それとこれとは別の話でしょう? 貴方達が騎士候補生にふさわしくない行動を取って、罰を与えられたのは確かなのよ」
 売られた喧嘩を買うのに迷いはないようで。
 ナキもまた、声に怒気を孕まして言った。
(……うあ、まずいな)
 レナの性格からして、こんな一方的に馬鹿にされたら、そりゃあ黙ってなどいられないだろう。そして、ナキの方も馬鹿にした相手が噛み付いたとくれば容赦などしそうにない。
 すでに、部屋は一触即発の空気へと切り替わっている。他の机で勉学に勤しんでいたはずの見知らぬ騎士候補生達も、そそくさと退散を始めていた。
 どうしたものかと、フウガは助けを求めて、ライとゴウタの方に視線を馳せた。しかし、期待に反して、二人は早くもお手上げのポーズである。どうやら、触らぬ神に祟りなしの方針で早々に手を打ったらしい。
 駄目だ、この二人は役に立たない。
 だから言って、先ほどから何も口を出せず、あわあわとなっているミヨには、とてもこの場は収拾出来まい。
 結局、残されたのは、フウガ自身一人か。
(ええい、ままよ!)
 確実に精神的損傷を負う事は確実ではあるが、自分が止めようと、フウガは立ち上がる。
 それと同時だった。
「そこおおおっ!」
 怒声と共に、どこからともなく高速で飛来してくる、細長い物体。
「だっ!?」
「「ナキ様!」」
 それは、まずナキの後頭部に命中。
 反動でくるくると宙を舞った後、
「つぁっ?!」
 狙い済ましたかのように、レナの頭頂部に落ちた。
 二人は不意の激痛に悶絶して、その場に蹲る。その際、ナキが勢い余って、傍の机で足の脛まで打っているのは、隠れ天然の面目躍如と言った所か。
「〜〜〜〜っ! だ、誰ですか! こんな無礼が許されると思って!?」
「そ、そうよ! なんか目の前で星が光ったわよ!」
 さっきまで喧嘩寸前だったわりには、二人は息ぴったりで自分達の頭を打った物体――硬い樫の杖の飛んできた方向へと一斉に怒鳴る。
「やかましいぃっ!!」
 そんな少女二人の勢いをばっさりと一刀両断する大音声が轟いた。
 床に転がった杖を拾い上げたのは、頭部の禿げ上がった齢八十を超える老人である。だが、その腰は今もぴんっと真っ直ぐで、表情にも年を感じさせない生気が溢れている。例えるならば、年老いてなお気勢衰えぬ獅子の様相か。
「ここは図書塔だ! 知識と研鑽を求める輩が集う聖地! ならばこそ、この場に置いては、静寂は絶対の規律! それを破った故に、儂が罰を与えたまでよっ!」
 ……って言うか、あなたが一番、静寂破ってます――とは、もちろん誰も言えない。
 そんな突っ込みを入れられるような剣幕ではなかった。
「そ、そうだとし……」
「黙れえっ!」
 それでも反論しようとしたナキの言葉を、即座に遮断する老人。
 聞く耳を持たないというのは、まさにこの事だろう。
「いいか! そもそも貴様らは……!!」
「ゲン爺、落ち着けってば。血管が切れるぞ」
 説教がまさに始まらんとした所で、すかさずフウガが口を挟む。ここで止めておかなければ、このゲン爺と呼んだ老人は、軽く数時間は話が止まらないからだ。
「何だ。誰かと思えば……ふん、ラシンとこの倅か」
 話の出鼻を挫かれたゲン爺が、あからさまに不満そうに鼻を鳴らす。
 図書塔の管理を任されているこの老人は、例によって元々は神聖騎士であり、引退後この学園にきたらしかった。当然、フウガの父、ラシンの騎士候補生時代も知っているようなのだが、当時の話を彼から聞いた事は一度もなかった。
 ゲン爺は、興味深げにフウガを上から下へと凝視する。
「貴様、オロチに憑かれたらしいな」
 そして、唐突にそんな事を言った。
「え? ……あ、ああ、そういえば憑かれてからゲン爺と話すのは今日が初めてか。でも、今、オロチは意識をどこかに飛ばしてるから話せないぞ」
 オロチが王国で悪戯して回って封印されたのは、約五十年前。
 当時のゲン爺は、ばりばりの騎士現役である。オロチと既知であってもおかしくはない。
「かっ! 別に話とうないわい。あんな疫病神と」
 心から不愉快そうにゲン爺は吐き捨てる。
(まあ、そうだろうなぁ……)
 と、フウガは納得してしまう。たまに忘れかけるが、自分だって女になってしまう呪いなんて代物を掛けられているのだ。この反応に同意するなという方が無理だ。
 その後、不意にゲン爺は声を落とした。
「……それよりも憑いた相手が妖魔なわりには落ち着いとるな。貴様にとって仇みたいなモンだろう」
「…………」
 フウガは、一瞬、押し黙る。
 老人もまた、フウガの過去の事情に通じている一人だ。だとしても、こんなに直球でこんな事を訊いてくるのは、この老人ならではだろう。良くも悪くも実直な人間なのだ。
「…………いろいろあったんだよ。そう、いろいろ、な」
「ふん。そうか。まあ良い」
 深くは追求せず、ゲン爺は、視線を未だに痛みで頭を抑える少女二人へと向けた。
「それよりも少しは反省したか、餓鬼共。したなら、用のない奴は帰れ。ある奴は、とっとと済ませて帰れ」
 言い切ると、相手の反応も待たずに、ゲン爺は拾った杖を突きながら、奥の方へと引っ込んでいく。あまりの容赦ない態度に、さすがのレナとナキも言葉もない。
 向こうに居た司書の女性が、ごめんなさいね、とこっそりと小さく頭を下げているのが、フウガには見えた。おそらく、こういう騒ぎは、日常茶飯事なのだろう。
「なんちゅう無茶苦茶な物言い。怖いわぁ」
「ゲン爺節全開だねぇ」
「いや、お二人は、いくら何でも他人事過ぎると思うんですけど……」
 あの騒ぎの中、席から立ちもしないゴウタとライに、ミヨが呆れたような困ったような微妙な表情を浮かべていた。
「……興が削がれました。今日は失礼しますわ」
 まだ頭部と脛の痛みは残っているだろうに、ナキは無理矢理に優雅な仕草で立ち上がると、服の埃を払う。
「行くわよ、スビコ、スビメ」
「「はい」」
 ちょっとふらつくナキをさりげなく支えながら、双子が続く。
 そのまま立ち去るかと思われたが、
「――最後の一つだけ」
 と、突然、ナキは足を止める。
 顔だけで振り返って、フウガを見据えた。
「……先日の件、改めて礼を言っておきます。助けてくださって――ありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
 早口で言い残すと、今度こそ少女達は退散していった。
 去り際の顔が、紅潮していたように見えたのは、たぶん気のせいではないだろう。
 後には、最初の五人と戻った図書塔の静寂だけが残される。
「……何よ」
 レナが呆れた顔で、唇を尖らす。
「初めから、そのために顔を出したの? だったら、最初からそう言えば良いじゃない」
「だからさ」
 フウガは、肩をすくめて、苦笑いを浮かべる。
「素直じゃないんだよ、あの人は。根は悪い人じゃないよ」
 貴族という自負がある故にプライドは高いし、傲岸不遜で、ウズメへの敬愛は過剰ではある。でも、やはりフウガは、彼女達は嫌いではなかった。
「……全く。あんな態度を取らなきゃ、私だって……」
「でも、ちょっとレナちゃんに似てるよね」
 ミヨはくすりと笑って、そんな事を言った。
 ――それが失敗だった。
「誰が」
 一瞬で背後に回ったレナに。
「……………………え?」
 ミヨのおさげ髪の頭が両の拳で挟まれて。
「誰に似てるって言うの? ミヨォ?」
 問答無用で、ぐりぐりと力が込められる。
「いたたたたたっ!? いいい、痛いよ、レナちゃん! 頭蓋骨が陥没するよぉっ!!?」
「そうなる前に、さっきの言葉を撤回なさい!」
「す、するから! するから、ごめんなさいいいいい!!!!」
 ミヨが絶叫して、必死に謝罪を訴える。
『……………………』
 再び始まった大騒ぎの中、残った男性陣は、こっそりとその場を離れようとしていた。
「いいんか、フウちゃん? 放っておいて?」
「この後の展開ってわかりやす過ぎるけど」
「……悪いけど、いくら俺でも、毎回、自分から面倒事に首を突っ込んでいられないんだよ」
「まあ、正論やなぁ」
「じゃあ、ここは例によって他人事という事で。ごめんね、レナ、ミヨ」
 結論して、忍び足で三人は部屋を退出する。
 そのすぐ後、図書塔に、再びゲン爺の怒号が響き渡ったのは言うまでもない。
 学園は、なんだかんだあっても今日も平和であった。

 ……ちなみに。
 結局、その日は中断してしまった反省文の作業が全員終わったのは、さらにその翌日の事であり、当然その分、フウガのウズメに勝つための訓練の時間は減ってしまったのであった。


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