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オロチ様はイタズラがお好き!?

幕間 騒がしき日々は、かけがえなき日常


―― 二・中編 ――

 一歩進む度に、ぎしぎしと耳障りな音が廊下に響く。
 上を見上げれば、天井にはいくつもの蜘蛛の巣。壁も床も所々に朽ちて穴が空いており、油断すると手や足を取られそうである。
 さすがに五十年近く使われていないだけあって、旧校舎の内部は、酷い惨状であった。
 ただ、それでも、もともとの造りがしっかりしていたのだろう。慎重に探索さえすれば、いきなり床が抜けたり、天井が崩れたりという危険は今の所はなさそうだった。……あくまで、慎重に、という前提が必須ではあるが。
「ええと、旧校舎の一番奥の部屋って何だっけ……?」
 闇に包まれた廊下をランタンの灯りで照らしながら、フウガは呟く。
 肝試しのルールは、最奥の部屋に、そこまで辿り着いた証拠の印を刻んで帰ってくる事だ。だが、肝心のその最奥の部屋が、何に使われていた部屋かまでは、ゴウタからは聞いていない。
 今更だが、なんとも無計画な事である。
「……ああ、それなら」
 と、隣を歩くウズメが口を開いた。
「一応、昼の間に図書塔で、残っていた旧校舎の見取り図を見てきた。確か一番奥なら……学園長室だな」
「さすが先輩。じゃあ、そこに印を刻めば俺の用事は終わりですね。その道中で、ぬいぐるみが落ちてないか探せば大丈夫でしょう」
「そうだな。たぶん、あの子もそんなに奥にまでは入ってないだろうし、よっぽど見つかりにくい所にあるのでなければ、すぐに見つかるだろう」
「…………」
 とりあえずの行動の指針が決まる。
 そして、フウガは、ずっと気になっていた事を、思い切って言ってみる事にした。
「……あ、あの、先輩? そのですね?」
「……何だ?」
「……非常に言い辛いんですけど」
「……ああ」
「……ちょ、ちょっと……くっつき過ぎでは……?」
 と、言って、紅くなった顔を逸らしつつ、隣の少女へと目だけ向ける。
 そう。
 何故かウズメは、旧校舎に入ったからというもの、ずっとフウガの腕に縋りつくような態勢だったのである。しかも、奥へ進むほどそれは悪化していき、歩き辛いやら、恥ずかしいやら、何かの柔らかい感触があったりやらで、表面には出していないものの、すでにフウガは、相当に冷静さを失いつつあった。心臓なんて、さっきからもう絶好調でばくばくと鳴りまくっている。
 関係ない話題で意識を逸らそうと努めてみたものの、それもさすがに限界に近い。
「まず、かったか……?」
 途端、酷く不安そうな視線と声音で、ウズメが問うてくる。
 その表情は、猛獣に怯える小動物の如しだ。普段との姿との差異も相まって、その破壊力といったらもう。
「…………っ」
 もちろん、フウガは完全完璧完膚なきまでに敗北を喫して、二の句を失う――いや、むしろ永遠に喪失したような気さえする。なんだか、この少女の新しい顔を知れば知るほど、良くも悪くも自分の天敵である事を思い知らされるようにも思えた。
「い、いえ、問題ないです。頑張れます。ええ」
『ほほう、一体、何を頑張るんだ?』
「お前は口を閉じてろっ!」
 相変わらず余計な口を挟んでくるオロチを一喝する。とはいえ、このままの状態が続けば、身が保たない。
 なんとか現状を打破しようと、別の角度から攻めてみる事にした。
「――まさか、その、幽霊が苦手とか……じゃないですよね?」
「いや、特に怖いと思う事はない」
「ですよね……」
 フウガは、先日の夢魔の件を思い出す。
 あのとき彼女は、幻術に囚われたフウガを追って、独りで夜の学園にまでやってきていたのだ。もちろん、特に何かを怖がっていた覚えもない。そんな少女が、今更になって幽霊を怖がるというのは、やはり不自然である。
(でも、だったら理由は何なんだ……?)
 今のウズメが、何かに怯えているのは間違いないのだ。
 王国内にある他二校のヒノカワカミ学園を含めても、紛れもなく現在の候補生の中では最強――勇ましく凛々しい、この少女が、である。
 正直言って、想像がつかない。
 一体、何がこの少女をここまで恐怖させるというのか。
(……俺の心臓、このままだと破裂するんじゃないだろうか……)
 びっしりと額に脂汗を浮かべ、フウガは思う。
 依然、フウガとウズメは、絶賛密着中。
 これはもう、一刻も早い原因の究明が求められていた。
 ――と。
 そのときであった。
「! おっと」
 不意に、眼前に降りてきた影を、フウガは咄嗟に首を傾げて躱す。
 それはお尻から伸ばした糸で天井からぶら下がる、一匹の大きな蜘蛛である。こんな廃墟のような建物の中なら、別段珍しいものでもない。
 だから、フウガは何事もなかったように、また懊悩したまま、先へ進もうとする。
 だが。
「え?」
 腕にしがみついたウズメが唐突に立ち止まったのだ。そのせいで、フウガは後ろに引っ張られる形になる。
 何事かと背後を振り返った。
「先輩? どうしたんです?」
「…………」
 反応はない。
 ウズメは硬直したまま、ある一点を凝視していた。
 視線の先には、ぶらぶらと揺れる、何の変哲もない蜘蛛が一匹。
「先、輩……?」
 まさか、と思いつつ、フウガが問い掛けた瞬間であった。
「きゃ……」
「へ?」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?!!?」
「どわあああああっ!?」
 いきなり、問答無用で押し倒された。
 五十年間、積もりに積もった埃が舞い上がり、ランタンの灯りに照らされてキラキラと光る。もちろん、そんな光景を綺麗だな、なんて思う余裕があるはずもない。
「せ、先輩ぃっ!?」
 ウズメに抱きつかれるのは二度目だが、場所と状況も相まって、前以上にフウガは狼狽する。一瞬にして、平静さなんて吹っ飛んでいく。
 少年の胸にがっちりと抱きついたまま、ウズメはぶんぶんと腕を振りながら、背後を指差した。
「く、くくくく、蜘蛛がっ!!!」
「は、はい! 蜘蛛ですけどっ!!」
「クモクモクモクモ――――ッ!!!!!!」
「ええ! クモですクモですクモですクモですっ!!」
 二人共、お手本の如く見事に動転しまくって、もはや会話が成立していない。ただ、ひたすらに不毛なやり取りを延々と繰り返す。
『――全く本当に笑わせてくれるな、お前達は』
 そんな中、笑いを噛み殺した声が念話で響いた。
 当然、オロチである。
『落ち着け、フウガ。この状況でお前まで冷静さを失ったら、誰が収拾をつけるのだ』
「はっ!」
 途端、フウガは我に返った。
 そして、蜘蛛とウズメを交互に見た後、ようやく状況を飲み込む。
 要するに、ウズメの様子が出会ったときからおかしかった原因は、“これ”だったのだ。
 これだけ古びた建物なら、当然、蜘蛛の巣は多くあるし、それの主である蜘蛛自身もまた同じ事である。だから、ウズメはずっと何かに怯えていて、フウガと一緒に旧校舎に入る事も躊躇っていたのだろう。
 しかし、まさかのあのウズメの苦手なものが蜘蛛だったとは――!
「せ、先輩! 落ち着いて!」
「フ、フウガ! 蜘蛛が蜘蛛が蜘蛛がぁっ!!」
「ええ、わかってますっ。大丈夫、俺がどこかにやりますから!」
 ともかく言い聞かせて、苦労しつつもウズメを引き剥がす。
 そして、立ち上がると、今もぶらぶらと呑気に揺れている蜘蛛へと慌てて駆け寄った。糸を切って、蜘蛛をそっと指に乗せると、ウズメから見えない場所へまで移動してから放してやる。
「――ごめんな。別の場所で巣を張ってくれ」
 事を終えると、すぐさまウズメのもとへと戻る。
 あの様子を見ては、独りにしておくのは不安で仕方がなかった。
「先輩」
 戻ってみると、少女は未だ座り込んだままだったが、蜘蛛が視界から消えたおかげか、もう取り乱してはいないようだった。それでも恐る恐ると言った風に、こちらを見上げてくる。
「……フウガ……あの……」
 膝を突いて目線を合わせると、フウガは優しく声を掛けた。
「もう平気です。蜘蛛は向こうに逃がしましたから」
「あ、ああ……そうか。ありがとう……」
 礼を言って、ウズメは顔を合わせるのを避けるように俯く。
 続けて、ぼそぼそと何か呟いた。
「…………か………?」
「はい?」
「……呆れたか……?」
 じっと床を見つめたまま、ウズメは不安に揺れる声で言い募る。
「以前に、ツクヨミ家の人間として相応しい振る舞いを心がけるなどと言っていたのに――蜘蛛一匹を怖がって、あんなみっともない姿を見せて……呆れてるんじゃないのか……?」
 蜘蛛の事以上に、フウガにそんな風に思われてしまう事を恐れている――そう、はっきりとわかる言い方だった。
 だけど、
「何で、俺がそんな事を思うんです?」
 逆に、フウガはそう訊き返していた。
「え……?」
 ウズメは顔を上げ、呆気に取られたように、ぽかんと固まる。よほど予想外だったのだろう、そのまましばらく表情が動く事はなかった。
 それに構わず、フウガは続ける。
「確かに突然の事で驚きはしましたけど……世の中、完璧な人間なんて居ません。俺も含めて、誰にだって苦手なものはあります。だから、何も恥ずかしい事なんてありませんよ。むしろ、先輩もそういう所は普通なんだなって、安堵するぐらいなもんです」
 それは慰めでも、誤魔化しでもなく、フウガの正直な気持ちだ。もとより、こんな状況で、その場しのぎの嘘など吐けるほど器用な性格でもないのだ。
「さ、行きましょう。ぬいぐるみ、探さないと」
 淡く微笑んで、手を差し出す。
「…………」
 しばらくウズメは反応出来ないまま、差し出された手をじっと見つめていた。
 だが、ふと。
 彼女もまた微笑むと、フウガの手を取る。
 本当に嬉しそうな、でも、ちょっと照れ臭がっている――そんな可愛らしい微笑。
「そう……だな。――ただ、また蜘蛛が出たら……」
「ええ、俺がちゃんとどこかにやりますから大丈夫です」
 頷いて応えると、手を引いて、ウズメを立たせてやる。
「――君は、ずるいな」
 立ち上がったウズメは、服についた埃を払いながら、悪戯っぽい口調で言った。
 意味が理解出来なくて、フウガはきょとんとする。
「ずるい?」
「ああ、ずるい。あんな言葉を掛けられてしまったら……私は君を惚れ直さずにはいられないよ」
「…………っ!」
 不意打ちに、フウガは動揺を隠せない。
 いや、そもそもこの少女は、いつも唐突に、こちらが平静でなどいられない言葉を口にするのだ。
「え、ええと……お、お手柔らかに」
 動揺した末に、なんだか間抜けな返答をしてしまう。
 よほど困った顔をしていたのか、ウズメは小さく噴き出した。そして、彼女の方も改めて恥ずかしさが湧き上がってきたのか、頬を紅くする。
「しかし、出来れば蜘蛛の事は君には知られたくなかったな……」
 フウガは申し訳ない気持ちで、頭を掻く。
「すみません。でも、誰にも言いませんから」
「そうしてくれると助かるよ」
「ええ、安心してください。それにしても――」
 フウガはランタンで、天井の蜘蛛の巣を照らすと、
「あんなに蜘蛛が苦手なのに、女の子の頼みを引き受けちゃう辺り、確かに俺に負けず劣らず、先輩はお人好しかもしれませんね」
 と、さっきのお返しばかりにそう言って、笑って見せた。
「――ああ、全くだな」
 否定出来なかったのか、ウズメは目尻を下げて苦笑した。

 * * *

 それから、十数分後。
「あ、先輩、あれ!」
 再び廊下を歩いている途中、フウガは声を上げた。
 視界の端に、この朽ちた旧校舎には不釣合いな物体が見えたのだ。
「あれは……もしかしたら当たりか」
 ウズメは小走りで駆け寄って、それを拾い上げる。
 ごく平凡な子犬のぬいぐるみだった。
 少々埃を被ってはいたが、ずっとここに放置されていたとしたら、あまりに綺麗過ぎる物である。
 ウズメはぬいぐるみの埃を払うと、優しく頭を撫でてやった。
「あの子も犬のぬいぐるみだと言っていたし、たぶん、これで間違いないだろう」
「ええ。……だけど、ここって、もう旧校舎の中程ぐらいですよね。その子、よく独りでこんな所まで入り込んだもんだ」
 訪れた時間がいくら昼間だったとはいえ、大人も不気味がるような場所なのだ。年齢も考えると、相当に肝っ玉が据わっていると言わざるを得ない。
「ふふ、なかなか将来有望な神聖騎士候補かもしれないな」
「ですね」
 二人で、ひとしきり笑いあう。
 その後、ウズメはぬいぐるみを片手に抱きながら、言った。
「さて、じゃあ、次は君の用事の方だな」
「……ちょっと忘れかけてました。そういえば、肝試しにきたんでしたね」
「こらこら。皆、外で待っているんだろう?」
 そう言って、フウガを笑顔で叱ってくるウズメは――相変わらず蜘蛛の巣を見かけると、びくびくとはしていたが――先ほどまでと比べると随分と余裕が出てきたようだった。
 そんな様子を見ていると、まさかとは思うものの、
(俺の事を信頼してくれてるのかな……?)
 と、そんな自惚れみたいな考えを抱いてしまう。
 ただ、基本的に無害な蜘蛛から護るために頼られるというのも、なんとも微妙な所ではあるのだが……。
「……まあ、だからと言って、危険な蜘蛛なんて、正直ごめんだけど」
「ん? 何か言ったか?」
 まだちょっとフウガの方に寄りがちに歩くウズメが、不思議そうに見てくる。
 慌てて、手を振って誤魔化した。
「あ、何でもないんです。気にしないでください」
「そうか? ならいいが」
 首を傾げたものの、特に追求する事なく、ウズメはまた前を向いた。
 フウガは、こっそり息を吐く。
(……危ない危ない。下手な事を言ったら、また怖がらせちゃうしな)
 と、そんな風に自分を戒めたのと、同時。
 それは、二人の耳朶をざわりと叩いた。
「「…………!」」
 低く低く低く。
 地の底から響くような。
 不気味な――呻き声。
 素早くそれぞれの武器の柄に手をやって、二人が身構える。
 一瞬にして、薄暗い空間に満ちる空気が張り詰めていく。
「聞こえたか?」
「ええ、ばっちりと」
 春先から、ずっと候補生の間で噂になっていた幽霊。
 その内容は、不気味な呻き声と――そして、何かが這いずるような音だったはず。
「じゃあ、次は……」

 かりかりかり。
 かさかさかさ。

 フウガの呟きに応えるように、呻き声と共にそれは聞こえた。
 警戒する二人を嘲笑うように、何度も何度も何度も。
 繰り返すたびに、声も音も、徐々に近づいてくる。
 次第に大きくなって、異様な気配と共に迫ってくる。

 かりかりかり。
 かさかさかさ。
 かりかりかり。
 かさかさかさ。

「――フウガ。気をつけろ」
「はい」
 二人は油断なく、前方を見据える。
 もう数秒もすれば、ランタンの灯りで、近づいてくるモノの正体は明らかにされるだろう。
 そのときに備えて、フウガは緊張感と集中力を極限までに高め――

 それは、きた。


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