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オロチ様はイタズラがお好き!?

六章 月


―― 五 ――

 孤児院を離れたフウガは、あてもなく王都を歩いていた。
「くそっ……俺の大馬鹿野郎っ」
 がしがしと頭を掻き毟って、自分自身へと悪態を吐いた。
 胸中で、酷い後悔の念が渦巻く。
 レナが、何故、急にあんな事を言い出したのか。
 理由なんてわかり切っている。
「……あれは、ただ俺を心配してくれただけなんだ……」
 なのに。
 だというのに。
 自身の抱える秘密を悟られたくないがために、あんな態度を取ってしまった。
 あの場を離れるとき。
 一瞬見えた少女の顔は、泣く寸前だったようにも思えて、余計に胸が痛んだ。
『――そう思うのなら、やるべき事は決まっているのではないか?』
 と、そこで、オロチの念話が響いた。
 その口調は、まるで自分を叱っているようにも思えた。
『こんな所で独り、己を罵倒しているぐらいならばな』
「……わかってるよ。そんな事は」
 いつものような反論など出来ず、フウガは素直に肯定する。
 だが、このまま取って返して、レナと顔を合わせる勇気はなかった。
 情けないとは思うが、もしもそうして彼女の泣き顔なんて見てしまったら、自分は平静ではいられないだろう。
「少しだけ、時間を潰してから戻る。……それで良いだろ」
『まあ、私は構わんよ。お前の問題だからな』
 つれなくそう呟いて、再びオロチは引っ込む。
 どうやら、フウガに対して、少なからず憤慨しているのは気のせいではないらしい。
 確かにそんな態度を取られても仕方ないとは思うものの、レナに冷たく当たったからといって、オロチが怒るというのも不思議だった。
(――案外、あいつの事を気に入ってるのかな)
 何の根拠もないが、なんとなくそう思った。
 素直じゃないくせに、わかりやすく、すぐに感情が表に出る少女。
 思えば、オロチが面白がりそうな相手ではある。
「だけど、今はそんな事より、どんな顔で謝るか、だな……」
 とりあえず当面の問題を思い出しながら、フウガは辺りを見回す。
 気づけば、王都の中央部近くまで歩いて来てしまったらしかった。
 南門の周囲より、さらに多くの商店や露店の並ぶ区画の一つで、王都でも特に賑わう場所だ。まだ朝だというのに、すでにかなり多くの人々が行き交い、それに伴う活気が溢れ始めている。
「ん?」
 と、視界に入った物に、フウガは顔を巡らせるのを止めた。
 王城へ続く道などを含めた、特に大きな三つの道が交差する三叉路。
 そこは円形に開けた広大な広場になっており、特に店や人々が集う所でもある。その中央に建つ物に、フウガは目を留めていた。
 大神アマテラス。
 世界を創造したといわれる万象の神であり、この王国の名の由来ともなった存在。
 彼が化身したと云われる、白狼を象った石像である。
 見ているだけで、思わず跪きそうになる神々しさ。
 今にも動き出さんばかりの躍動感。
 芸術にはとんと疎いフウガでさえもわかるほどに、見事な出来栄えだった。おそらくは、相当に腕の立つ石彫師の手による作品だろう。
「白い狼、か……」
 石像を見上げ、フウガは呟く。
 考えてみれば。
 何かと自分の中で“白”という色は、重要な意味を持っていた。
 母、スサノ・ヒスイは、白という色を好んでいた。
 彼女を失った九年前、世界は白雪に覆われていた。
 自身を狙うシラユリ。彼女は、異常なまでに純白な容姿を持っている。
 そういえば、ライ達が孤児院に引き取られた日も、雪の日だったと聞いていた。
「白。何物にも属さず、何物にも染まる事が出来る――始まりの色」
 まさしく、そうだろう。
 自分や、それ以外の人間の人生の分岐点。
 偶然とはいえ、そこに必ず白という色が絡んでいる。
 あの瞬間、それぞれの白は、様々の色に染まったのだ。

 あるいは、世界創造の神を象徴する色に。
 あるいは、破滅を決定づけられた運命に。
 あるいは、もう一つの暖かな故郷に。

 そこには、幸福も不幸も善も悪も光も闇も、もれなく全てがある。
 人は、始まりの白を、そんな何かに染めていく。
 移ろい、変わり続ける色。
 では、今の自分を示す色とは、何なのだろうか。
「――そういえば」
 そんな事を考えているうちに、ずっと忘れていた、一つの記憶が掘り起こされる。
 白。雪。冬の森。
 それらで連想される過去が、フウガにはもう一つあったのだ。
 確か、まだ学園に入る前。
 取り憑かれたように妖魔狩りを続けていた頃だ。
 フウガは、ある一人の少女を、妖魔から救った事がある。
 しかし、記憶は曖昧で、少女の顔などは思い出せなかった。
 当時は、特に人との関わりを避けていた時期で、少女の名前さえも聞いてない。そもそも彼女とは、まともな会話など交わしてさえいなかったはずだ。
 それでも、とても綺麗な女の子で、そして――
「そう、周りの雪とは真逆な黒い……」
 不意に、記憶が鮮明に思い出されそうになった、刹那。
「フウガ?」
 横手から声が掛かって、再び記憶は靄がかってしまう。
「あああっ」
「えっ?!」
 思わず叫んでしまい、少年の名を呼んだ相手もまた驚きの声を上げた。
 フウガがそちらに顔を向けると、着物姿の少女が目に飛び込んで来る。
 淡く美しい桃色に、見事な意匠を施した衣装。かなり長いのだろう滑らかな黒髪は、驚くほど巧みに結い上げられ、梅のかんざしがそれを彩っている。さらによく見れば、凛と整った顔にも、薄く化粧がされているようだった。
「……え……あ……?」
 数秒程、本当に誰なのかわからなくて、フウガは惚けてしまう。
 だが、この少女は、間違いなく自分の名を呼んだのだ。
 それは確認ではなく、こちらがフウガであると半ば確信したもの。ならば、彼女が自分の知り合いである事は疑いようがない。
 そして、こんな美貌を持つ相手は、彼の記憶の中には一人しか居なかったのである。
「せ、先輩……? ツクヨミ先輩ですか?」
「え、ええ、そうよ。驚いたわ。まさか、あんな声を上げられるとは思わなかったから」
「あ、すいませんっ。ちょっと考え事してたもので……ってあれ?」
 咄嗟に謝罪を口にして、ふと違和感を覚える。
 何か、今、自分の知るウズメとは、相違するものを感じたのだ。
「どうしたの、フウガ?」
 ウズメが不思議そうに、こちらの顔を覗き込んで来る。
「…………」
「フウガ?」
「あの、先輩……」
「うん?」
「口調が……その……変って言うのはあれですけど……」
「え……? あ!」
 フウガが指摘している事が何か気づいて、ウズメは目を大きく見開くと、掌で口を覆う。
 その後、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべて見せた。
「久々に屋敷に戻っていたから、つい口調が戻ってしまっていたか。すまない、驚かせたな」
「い、いえ、そんな」
 フウガはなんとか平静を保ちつつ、頭を振る。
「……なんだか失礼な言い方かも知れませんけど、先輩も、あんな喋り方をするんですね」
 ウズメは、少し照れた様子で、淡く笑んだ。
「まあ、これでも私も女だからな。初めから、こんな男口調だったわけじゃないさ。この喋り方は、学園に入ってから始めたものだよ。ツクヨミ家の人間として、常に強く在れるように――そんな気持ちと願いを込めてな。まあ、おまじないみたいなものだ」
「はあ……おまじない、ですか」
 フウガは、呆れとも感嘆とも取れる返事をする。
 ウズメの言っている事は理解出来る。だが、それで口調まで完璧に改めてしまうというのも、なかなか出来る事ではないだろう。
「しかし……」
 ウズメは、嬉しそうに唇を綻ばせて、フウガの表情を覗う。
「この格好、少しは見違えてくれたようだな。ふふ、私じゃないみたいだったか?」
「あ、いや……すみません」
「別に謝る事はないさ。思えば、君には学園の制服姿でしか会った事はなかったからな。わからなくてもしょうがない」
「……そう言ってもらえると助かります。
 ――あ、でも、似合ってますよ、その着物。とても綺麗です」
 すると、ウズメはいじけたような表情で唇を尖らせて、
「おや、着物だけか?」
 と、そう言ったのだ。
「え、えええっ」
 これに、フウガは激しく動揺する。
 数秒ほど迷いに迷った末に。
「あ、えっと……も、もちろん……先輩も、で、す……」
 恥ずかしさのあまり、酷く尻すぼみになりながらも、なんとか言い切った。
「そうか。ありがとう、フウガ」
 ウズメは、喜色満面の笑顔を見せる。
 こういうときの彼女は、本当に当たり前の女の子以外の何者でもなくて。
 フウガは紅潮してしまった顔を隠すように、そっぽを向く。
(――ああ……普通に、可愛いんだもんな……)
 誤魔化しようのない率直な気持ち。
 馬鹿みたいな感想だけど、真実なのだからどうしようもない。
 こんな少女に、自分のような人間が好意を寄せられてるなんて、一体、どんな奇跡なのだろうか。
 大袈裟ではなく、それは心からの本音だった。
「それで、フウガ」
「え? あ……は、はい!」
 ぼんやりとしていた所に声を掛けられて、フウガは我に返る。
「気のせいかもしれないが……何かあったのか?」
「え?」
 いきなりな質問に、フウガはきょとんとする。
 ウズメは心配そうに、こちらを見つめていた。
「いや、どこか元気がなさそうに見えたものだから。勘違いだったら良いんだが……」
「――それは」
 つい先程のレナとのやり取りを思い出して、口ごもる。
 なんとなく、ウズメには、あの事は話し辛い気がしたのだ。
 しかし、少女は、フウガの表情の機微を見逃さなかった。
「何かあったんだな?」
「…………」
「もちろん言いたくなければ、無理に言わなくても良い。だが、話してくれれば、私にも何か力になれる事があるかもしれないぞ?」
 ウズメの声は真摯で、優しかった。
 だから、フウガは慌てて否定するように手を振った。
「いえ、そんな大事ではなくて……いや、別に小さいわけでもないんですけど……。
 その――実は、少し事情があって、レナに冷たく当たってしまって。それで、勢いのまま孤児院を飛び出して来てしまったんです」
 結局、気づけば、痣の件を伏せつつも、本当の事を口にしてしまっていた。
 言い辛いのは確かだが、ここで嘘をつくのはもっと後ろめたいと思ったのだ。
「……そうか。レナか」
 ウズメは、僅かに表情を強張らせて頷いた。
 そして、少しだけ間を置いて、再び口を開く。
「で、君はどうしたいんだ?」
「それは……もちろん、謝ろうと思ってます。どう考えても、俺が悪かったですから。でも――こう、すぐに戻って謝るというのもやりにくくて、ちょっと時間を潰そうかな、と」
 言っていて、やっぱり情けないな、とフウガは思う。
 だが、今更、格好つけた所で仕方ないのもまた事実で、そのまま本音を告げた。
「そうか。事情はわかった」
 ウズメは頷くと、
「では、行こうか」
 と、そう言って、踵を返して歩き出したのである。
「え? 行くってどこに……?」
「だから、時間を潰すんだろう? 本当は私もこのまま孤児院に顔を出すつもりだったんだが、せっかくだから君に付き合うよ」
「で、でも、さすがにそれは迷惑……」
 そこまでフウガが言いかけて。
「フウガ」
「っ!」
 突然、ウズメはフウガに歩み寄って、少年の腕に自分の腕を絡めたのである。
「せ、先輩!?」
「私がそうしたいと思ったからそうするんだ。迷惑なんてものはな、本人がそう感じなければ、何の意味も持たないんだぞ」
「……先輩」
「それに、せっかくの機会だ。君と一緒に王都を見て回りたいしな」
 たぶん、それがウズメの本音だったのだろう。
 とても楽しそうに肩にしなだれ掛かられて、フウガはもう隠す余裕がない程、顔を紅くする。
「わ、わかりましたっ。……でも、俺、王都に詳しいわけじゃないですよ」
「構わないさ。君と一緒だという事に意味があるんだから」
 応える少女は、本当に弾けるような笑顔。
 その一撃で、フウガの中の、ささやかな抗弁の言葉さえもが消滅した。
『これはまた――見事に手玉に取られているな、フウガ』
 珍しく、ちょっとだけ同情した様子のオロチの言葉に、
「……ああ、そうだな。本当に」
 と、フウガはしみじみとそんな風に返したのであった。

 ◇ ◇ ◇

 フウガが孤児院を離れた後。
 レナは意気消沈したまま、朝食が出来たと言われて、孤児院の食堂へ向かっていた。
 脳裏ではずっと、去って行く少年の後ろ姿の映像と、別人のような冷たい声が繰り返し流れ、さらに彼女を落ち込ませていた。
 足が鉛になったように一歩一歩が重く、まるで食欲も湧かない。
 だが、ナヅチ達には泊まる部屋に、食事の世話までしてもらっている。だと言うのに、呼ばれて行かないわけにもいかないだろう。
 とにかくさっきまで泣いていた事だけは悟られないように努めて、レナは食堂の扉を開く。すでにそこには、レナとフウガ以外は全員が揃っていた。
「あ、来たわねー。今日も朝から豪勢にしたから、たくさん食べてね!」
 ことさら明るい声で出迎えてくれたテナは、昨日から、やたらと楽しそうだった。久々の大勢の客が、とにかく嬉しいらしい。
「あれ、レナ。フウちゃんは?」
 少年の不在に気づいたゴウタが不思議そうに訊いた。
 レナは、思わず言葉に詰まる。
「あ……。その……街の方を回って来るって、さっき」
「街を? 何でまた、朝食も食べずに」
 ライが怪訝そうに眉を寄せた。
「えー、悪人面居ないのー」
「つまんないよー」
 フウガが来ないと知って、子供達も不満の声を上げる。
 本人がそれを望んでいるかは別にして、本当にフウガは、子供達に慕われているらしい。
 レナは走る胸の痛みを自覚しながら、俯いた。
「ごめん、ね……。私が、怒らせちゃったから……そのせいで」
「怒らせた……? フウガを? レナが?」
 ライとゴウタが、まさかと言わんばかりに顔を見合わせる。
「フウちゃんは、そう滅多な事では怒らんと思うやんけど」
「レナ、一体、何があったの?」
「…………」
 レナは、押し黙る。
 二人の反応はもっともだ。
 確かに、フウガは滅多な事で怒るような人間ではない。
 レナ達が原因でオロチに憑かれてしまったときだって、「自分にも責任がある」なんてお人好しな事を、少年は笑って口にしていた。それなのに、あんな態度を取らせてしまったのは、全て浅はかな行動を取ってしまった己の責任。
 後悔しても……し切れない。
「レナちゃん……?」
 何も言わないレナを心配して、ミヨが立ち上がって駆け寄って来る。
 こんな風に、皆に心配掛けてしまうのも申し訳なくて、辛かった。
 だが、どうしても今の心境で、嘘でも笑顔を浮かべる事は、彼女には出来なかったのだ。
「そう……ね。皆にも話した方が良いよね……」
 ぽつりと、呟く。
 ヒナコは、皆で支えてやれ、とそう言ったのだ。
 自分一人で抱えてどうにかなる問題でもないし、何よりこんな大事な事を、仲間である皆に隠しておくべきではないだろう。
「――なんやわからんけど、とりあえず先に飯にしとくか? 落ち込んどるときに腹減ってたら、なおさら凹むやろ。ちょうど俺らの方にも、レナとミヨに話さんといかん事あったしな」
「話? 私達に?」
 ゴウタの言葉に、レナは訝しがりながら顔を上げる。
 ライが、妙に真剣味を帯びた表情で頷く。
「うん、まあ、こっちはもうフウガは知ってる話だから、居なくても問題はないんだけどね」
「……そう。わかった」
 ライ達の言う話がどんなものかはわからなかったが、とりあえずレナはそう応えていた。
 正直、今は、他の事に思考を回す余裕を失っていたのだ。
「――レナちゃん、とにかく座ろう?」
 ぼんやりと立ったままのレナの手を引いて、ミヨが席まで誘導してくれる。
「さて。では、朝食にしようか」
 話が纏まったのを見て、ナヅチが落ち着いた声で食事の開始を告げる。
 その後、ゆっくりと顔を巡らせると、暗い顔のままのレナを優しい眼差しで捉え、
「……大丈夫だ。フウガ君なら、すぐに戻って来るさ。あの子は、いつまでも君にそんな顔をさせて、平気で居られるような子ではないよ」
 と、とても穏やかな声音で、そう言ってくれたのだ。
 達観した響きを持つそれは、ほんの少しだけ、ずっと彼女の胸を苛んでいた痛みを和らげてくれる。
「そうそう。フウガ君は、ああ見えて優しい子だもの。だから、あんまり落ち込んでたら駄目よ。そんな事じゃ、可愛い顔が台無しになっちゃうわ」
 レナの肩に、そっと後ろから両手を乗せたテナも、まるで子を慰める母のような暖かな声で笑い掛けた。
「元気出せよ、レナー」
「悪人面が苛めたんなら、俺らが成敗するからなー!」
「成敗! 成敗!」
 さらには、子供達が拳を振り上げて、フウガにとっては不幸以外の何物でもない事を言い出す。
「こらこら。貴方達はいつも成敗してるじゃないの、全く」
 これにはさすがに呆れたように、テナは苦笑していた。
「……レナちゃん。皆、ああ言ってくれてるよ」
 ミヨが微笑みながらレナの手を握って、そう囁いた。
 口には出さなくても、彼女もまた自分を元気づけようとしてくれているのが、レナには痛いほどにわかった。
 そんな皆の優しさが、再び涙が出そうな程に嬉しくて。
「――……はい。ありがとう、ございます」
 レナは、その唇に、ようやく淡い笑みを浮かべる事が出来たのだった。


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