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オロチ様はイタズラがお好き!?

六章 月


―― 十四 ――

 孤児院から王都へ続く道。
 まるで人気もなく、静寂と世闇に包まれたそこをフウガは一人で歩んでいた。
『フウガ』
「……わかってる」
 オロチの言葉に、フウガはただ一言だけ返した。
 ――決して確信があったわけではない。
 もしかしたら。
 そんな予感があっただけ。
 出来る事なら的中して欲しくなかったそれは、不幸にも現実となってしまったのだ。
「――人って言うのは、命の危険が迫るとね」
 不意に足を止め、フウガは言った。
「身体中の様々な感覚が鋭くなるんです。きっと自身を守るために、本能がそうさせるんでしょう」
 返事はない。
 それでも、フウガは前方の闇を見つめたまま続ける。
「自分から飛び込んだとはいえ、俺、さっき半ば殺されかけるような状況になったんです。だから、今は酷く全身の感覚が研ぎ澄まされてる。
 ……そう。例えば、普段なら絶対に気づかないような、身を潜めた誰かの気配に気づいたり、ね」
 まるで独り言のようにそこまで告げて。
 フウガは最後に言った。
「もう良いでしょう……ムソウさん。
 これ以上は無意味だと思いませんか?」
「……ああ、そうだね。君の言う通りだ」
 今度こそ返事があった。
 変わらず前を向いたフウガの視線の先。
 闇から浮かび上がるように、ムソウが姿を見せたのだ。
 青年は、数日前に会った時となんら変わる事のない、人の良さそうな微笑と共に、静かに問いかけてくる。
「僕が何故ここにいるのか……もうなんとなくわかっているのかな」
 数瞬程、逡巡して、フウガは言った。
「貴方は、今日の襲撃の事を知っていた。さらに、ナヅチさん達の素性に、この王都に人を探して来たという話……これだけの事実が揃えば、少し考えるだけで、ある程度の想像は出来ました」
「そうか。それはどんな内容だい?」
「おそらく、貴方が探していたのは、ナヅチさんとテナさん……あるいは今日の襲撃を行った連中の事だ。そうだとすれば、事前に襲撃の情報を貴方が得ていたとしても、不思議はない。そして、暗殺組織の人間を探し回る理由となれば、思い浮かぶ選択肢は多くなかった。それは――」
 言い淀むフウガの言葉を、なお落ち着いた口調でムソウが継いだ。
「――復讐」
「……そうです」
 フウガは内心の苦悩に耐えながら、頷く。
「ムソウさん、貴方が俺に襲撃の事を告げたのは、関係ない人間を孤児院から遠ざけたかったからでしょう。これから危険があるとわかれば、俺達が子供達をそのまま孤児院に置いておくはずもありませんから」
「それも理由の一つだね。だけど、それだけじゃない」
「もう一つの理由も察しはついています」
 咎めるような目線で、フウガはムソウを見つめる。
「……襲撃の混乱を利用して、復讐の相手を殺すつもりだった。違いますか?」
「ああ、そうだよ」
 ムソウは、もはや躊躇う事なく認める。
 フウガに自らの存在を気づかれた瞬間から、彼には、もはや何一つ隠すような意図はないように思えた。
「僕の復讐の標的は、〈常闇〉の残党全て……その中でも組織の首領だったナヅチだけは、どんな手段を用いても僕自身が殺すつもりだ」
「…………っ」
 内心、否定し続けた事実をあっさりと告げられ、フウガは苦悶に顔を歪める。
 対して、ムソウの様子に大きな変化はなく、ただ冷酷な事実を口にしていく。
「油断ならない相手だが、老いさらばえた奴をただ殺すだけなら、そう難しくはない。それぐらいの自信が僕にはある。だけど、偶然、組織の残党のシロガネ達が同じようにナヅチを命を狙っている事を知った時、僕はそれを利用して、より深い屈辱と絶望の中で、ナヅチを死に追いやろうと考えた」
 青年の双眸に、かつてない程に暗い光が宿る。
 その光の示す感情は、フウガもよく知っているものだ。
 許し難い相手への、果てしない怒りと憎悪。
「シロガネとナヅチ……どちらが勝ったにしても、勝った方が相手の止めを刺す瞬間に僕が割り込み、二人共殺す。
 一人は、勝利の愉悦から、まさかの敗北の屈辱と共に死を。
 かたやもう一人は、敗北の屈辱から、さらなる屈辱と死を。
 卑怯と罵られても仕方ない手段でも、復讐としては、この上なくふさわしいじゃないか」
 フウガは何かを振り払いたいかのように、強く頭を振る。
「でも、貴方はそうしなかった……!」
「正確には『出来なかった』だよ。君達の助力は、僕の予想以上にナヅチ側の力になったようだね。こんなに早い決着になるとは思わなかった。さらに言えば、戦力的に勝つのはシロガネ側だとも思っていた。
 何にせよ、ここまで計画しておきながら、完全に僕は出遅れたわけだ。間抜けな話だよ、我ながらね」
「ムソウさん……。俺の考えた事は、あくまで推測で何の確証もなかったんです。だから、本当は、俺自身もそんなわけないと楽観していた。――いや、そんなわけないと、そう信じたかった。激情に駆られ、間違いを犯そうとしていた俺を、貴方は救ってくれたから」
「でも、僕は、この場に居た。復讐の相手を前に抑え切れなかった僅かな殺気を君に感じ取られ、見つかってしまった。その現実が、全てを物語ってしまっているんだよ、フウガ君。君を助けたのだって、計画のために、あの孤児院と関わりのある君と自然な形で接触したかったからだ」
 フウガは、まだ最後の望みに縋る様に問うた。
「ムソウさん……何故、貴方は復讐なんて……!」
「――単純な理由さ。
 大切な人達を理不尽に奪われた。
 それが許せない。だから、殺す。
 ……何も珍しくもない、だからこそ容易く覆せない深い憎悪だ」
「…………」
 否定は出来なかった。
 かつて、憎しみのままに妖魔へと刃を向けていたフウガには、嫌というほどに、それが理解出来る。
 間違いに気づいた今でも、その憎しみ自体が完全に消え去ったわけではない。
「……僕は、かつてこの王国で、本当に小さな領地を任せられていた領主の息子だった」
 ムソウは、自らの復讐の動機となる過去を、ゆっくりと語り始める。
「生活は、普通の平民よりもほんの少し裕福な程度で、特別恵まれていたわけじゃない。でも、幸せだったよ。誰よりも僕を愛してくれる父と母と兄の三人の家族が居たからだ」
 ムソウの過去を懐かしむ遠い目が、途端、激しく燃え滾る怒りへとすり替わっていく。
「だが、領地内のとある岩肌から、偶然、龍輝石の鉱脈が見つかって、その平和はすぐさま瓦解したよ。龍輝石は、需要と供給が釣り合わないが故に、非常に貴重で、高価で取引される。その恩恵を奪い取ろうと考えた、ある上級貴族が暗殺者を雇い、僕達の一家を皆殺しにしようとした」
「その組織が……〈常闇〉……」
「ああ。当時、あの組織は全盛と言っても良かった。貴族といえど……いや、むしろ貴族という立場にあるからこそ繋がりのある人間は、少なくはなかったんだろう。
 そんな組織の人間に、為す術なく父達は殺されていき――でも、僕は助かった。父達が命懸けで庇ってくれたおかげで瀕死の重症を負ったものの、一命は取り留めたんだ。治療した医者は、助かったのは奇跡だと言っていたよ。……まあ、それぐらいの傷だったからこそ、一流の暗殺者も死んだものと違いしてくれて、助かったんだろうけどね。
 その後、無事に快復した僕は、病院を抜け出し、着の身着のままで、一人王都を離れた。そのまま留まれば、再び暗殺者を差し向けられる事は、幼かった僕でも容易く想像出来たからね。
 そして、それから十数年の年月を、僕は復讐の想いだけで生き抜き、力をつける事に全てを費やし続けた」
「〈常闇〉の暗殺者を雇ったという貴族はどうしたんですか? まさか、もう……」
「ああ、死んだよ」
 あっさりとムソウは肯定し、しかし、同時に皮肉めいた笑みを浮かべる。
「でも、僕が殺したわけじゃない。何かの目的のために龍輝石を欲していた〈常闇〉の暗殺者の誰かに殺されたらしい。それが何者かまではわからなかったが……馬鹿げた話だろう? 復讐のためだけに生き続け、力をつけて、決死の想いで故郷の地に帰って来てみれば、真っ先に殺してやりたい相手は、勝手にも自業自得な結末を迎えていたんだ。全く笑える話だよ。神様という奴は、とことん僕に意地悪をしたいらしい」
「なら、それで終わりじゃ駄目なんですか!」
 必死の思いでフウガは訴える。 
「確かにムソウさんの家族を殺したのは、〈常闇〉の暗殺者でしょう。でも、手を下したのは、おそらくナヅチさんじゃない。首領である彼が、そうそう自ら動くとは思えません。なら、暗殺を実行した人間は、まず間違いなく十七年前の神聖騎士団との戦いで死んでいるはずだ……!」
「フウガ君」
 ムソウが、少年の名を呼ぶ。
 優しく、だけど、有無を言わせぬ声で。
「理屈じゃないんだよ。どれだけ自らに言い聞かせた所で、僕の家族が、醜い欲望に塗れた貴族の雇った暗殺者に殺された事実は変わらない。その暗殺組織の首領がナヅチという男である事実もまた……変わりはしないっ!」
 先程までの落ち着いた物腰が嘘のように、ムソウは感情も露に腕を振るう。
 明確な拒否の意思表示。
 下唇を噛み、爪が肉に食い込むほどに拳を握りながら、フウガは俯く。
「もう……止まれないんですか、ムソウさん」
「ああ、もう駄目なんだよ、フウガ君。ここに辿り着くだけでも、僕は十分過ぎるほど汚れてしまった。今更、戻れない。
 だから、そこを退いてくれ。僕の標的は、ナヅチと組織に関わる人間だけだ。君の友人や孤児の子供達には手は出さない。僕に……君を殺させないでくれ」
「でも……」
「フウガ君……?」
「それは貴方自身では止まれないというだけの話だ」
 勢い良くフウガは顔を上げる。
 腰の後ろに両手を回し、抜剣する。
「フウガ君!」
「だったら、俺が貴方を止めます、ムソウさん。
 知ってしまった以上、俺には見過ごせない。貴方に、ナヅチさんやテナさんを殺させるわけにはいかない。
 ――あの人達は、俺にとって護るべき人達だから!」
 フウガの覚悟と刃を前に、ゆっくりとムソウの周囲を殺気が漂い始める。
「……君がどうしても立ちはだかるというのなら、僕は容赦しないよ」
 冷たい声だった。
 聞く者に、その言葉が本気だと確信させる程に。
 しかし、フウガの決意は、まるで揺るがない。
「構いません。それなら力尽くで止めるだけだ」
「――そうか。残念だよ、本当に」
 それが最後だった。
 流れるような動きで腕を持ち上げ、ムソウは、今度こそ抜刀した。
 切れ味の鋭さを見せ付けるように、磨き抜かれた刀身が月光を照り返す。
 そして、小さく、静かに。
 だけど、はっきりと少年の耳に届く冷たい声で。
 青年は告げた。
「なら、僕は――君を殺すよ」

 ◇ ◇ ◇

「さて、こっちは、こいつをどうにかせんとな」
 倒れたシロガネを見下ろして、ゴウタが腰に両手を当てながら言った。
「とりあえず〈言力〉封じの縄で動けないようにして、あとは手当ても必要だね。死なれたりしたら目覚めが悪いし」
 そう言いつつも、気が進まない様子でライが呟く。
 ライ、ゴウタ、フヨウの三人にとって、ナヅチやテナから教わった戦う術は、決して無闇に人の命を奪うためのものではない。ナヅチ達からすれば暗殺のための忌むべき技術でも、使い方次第で誰か護り、そして、救えるのだと――それを証明するためにライ達はそれを修得する事を決心したのだ。
 故に、敵であった男でも、むざむざ死なせるわけにはいかなかった。
「…………じゃあ、じーじとテナは、私が手当てするから、孤児院の方に戻りましょう。――動ける?」
 シロガネの方をライとゴウタに任せて、フヨウがナヅチとテナの方へと振り向く。彼女自身も決して軽い怪我ではなかったが、二人に比べれば、まだ軽傷だった。
「私の方は大丈夫だ。歩くくらいなら問題ないさ」
「……私は、少し手を貸してもらえるとありがたいかな……」
 辛そうな表情でテナが伸ばした手を、フヨウは握ろうとする。
 その時だった。
「――――っ!」
 唐突にフヨウは顔色を変えると、傷ついた二人を押し倒すように飛んでいた。
 三人の頭上を、まさに紙一重のタイミングで、一振りの短刀がほぼ無音で通り過ぎる。その軌道は、間違いなくナヅチを狙ったものだ。
「な、なんや!?」
「姉さん!」
 すぐに異常に気づいたゴウタとライが振り返る。
 そこに、
「……ふん。さすがナヅチの技を受け継ぐ女だな。完全に不意を突いたつもりだったが、感づいたか」
 聞き覚えのある声が闇の中に響いた。
「…………誰?」
 すかさず身体を起こしたフヨウは、誰何の声を上げる。
 それに応えるかの様に、森の木陰より、一人の人物が姿を見せ、歩み寄って来る。
 他の暗殺者やシロガネと同じく、その身を黒装束で覆った男だ。
 しかし、この男は、シロガネ達とは違い、顔だけは隠していなかった。
「!? どういう、事や……!!?」
 真っ先にその事実に気づいたゴウタが、傍で倒れたシロガネと、新たに襲って来た男とを見比べる。
 ――同じだった。
 背丈、声、纏う空気、そして、容姿。
 全てがシロガネとその男は、そっくりそのまま同じだったのだ。
「双子、か……!」
 ライが呻く様に漏らす。
 それを聞いて、フヨウに助け起こされたテナが息を飲む。
「まさか――クロガネなの……!?」
 そんな彼女の反応を、黒装束の男――シロガネの双子の兄弟であるクロガネは、鼻で嘲笑う。
「どうした、テナ? そんなに俺が生きている事が不思議か?」
「貴方は、十七年前の神聖騎士団との戦いで死んだと……!」
「それは俺の半身――シロガネから聞いた事だろう? まさかお前は、自らの命を狙う敵の言葉を真に受けていたとでも言うのか。これは、とんだお笑い種だな。そこまでぬるま湯に浸かっていたとは」
「…………っ」
 自らが図られていた事を知り、テナは悔しげに歯噛みする。
「さりげなく自身は死んだ、とシロガネに教えさせ、奴を倒した時点で戦いは終わったと私達を油断させる。そこを、ずっと潜んでいたお前が速やかに仕留める――そんな所か、お前の……いや、お前達の計画は」
 冷静に状況を分析したナヅチが言った。
 別に優越感を見せるでもなく、クロガネは肩を竦める仕草で、それを認める。
「俺達は暗殺者。そもそもが敵に悟られず背後から刺すのが本来の在り方だ。だとすれば、この程度の伏線を張っておくのは、むしろ当然だろう。……それでも、まさかシロガネが敗れるとは思いもしなかったがな」
 血を分けた兄弟の失態を憤るでもなく、クロガネは淡々と言った。
 彼からすれば、シロガネとその部下達だけでもナヅチ達の始末は十分と感じたからこそ、あえて自身は、万が一の保険のために身を潜めていたのだ。故に、シロガネがフウガ達に倒された事は、その言葉通り予想外の事だったのだろう。
「だが、シロガネ達の敗北も決して無駄ではなかったな。手強い三人は、もはや全て手負い。まともに戦えるのは、未熟な騎士候補生二人のみだ。不意打ちは失敗したとはいえ、これほど容易い仕事もあるまい」
 フヨウ達の元に駆けつけ身構えたゴウタとライは、明らかな侮辱の言葉に、憤怒を見せて吼える。
「なめんなや!」
「僕達が誰一人、死なせたりはしない……!」
 しかし、クロガネの見下す態度は崩れない。
「無駄な事を。双子である俺の力は、シロガネと同位だ。当然、龍輝石を埋め込み、〈言力〉も強化してある。シロガネを五人がかりでも仕留め切れず、ナヅチの助力があって、ようやく勝利したお前達に、万が一の勝機もあるものか」
「くっ……!」
「…………」
 これに、二人に反論の言葉は続かなかった。
 その放たれる威圧感だけで、クロガネの言葉が出任せではない事は明らか。どれだけ感情任せに言葉を荒げた所で、その事実が覆るわけではないのだ。
 それでも退くという選択肢を絶対に選べない二人は、臆さず覚悟を決める。
 〈龍脈〉より組み上げたプラナをそれぞれの形に改変し、相手の隙を伺う。
 その背後では、フヨウが、ナヅチより返したもらったオモイカネを両指に嵌め直し、もう戦えないナヅチとテナを庇いながら、静かに身構える。
「敗北必至と悟ってなお抗う事は勇気と言わん。ただの無謀で愚かな行為よ。……まあ、好きにするが良い。過去の復讐と、シロガネをこうも痛めつけてくれた礼――存分に返させてもらおう」
 存分に余裕を持って告げて。
 もはや語る事もないと、クロガネが動く。

 星空の下、紅い鮮血がその場を彩った。


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