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オロチ様はイタズラがお好き!?

六章 月


―― 十二 ――

 龍輝石、と呼ばれる物がある。
 極稀に、地中や岩肌などから発掘されるそれは、ヤマトという世界を巡る〈龍脈〉を流れる息吹――すなわちプラナが偶発的に高密度で圧縮される事により、生まれる鉱石である。
 この貴重な石には、〈言力〉を増幅する力が備わっていた。
 故にその石は、多くの〈真名武具〉へと埋め込むか、もしくは付属させる事で、より強力な武器を生み出すための必須な材料となる。
 だが、その需要の多さに反して、龍輝石の鉱脈が発見される事は酷く少ない。そのため、それを求める者は常に絶えないのに、手に入れる事だけが困難な状況が、いつしか常態化していた。
 当然、値段は高騰していき、偽物を捏造して売り捌こうとする者や、石やその鉱脈を巡って殺し合う者が現れる事が、今現在も頻繁に起きている。
 このヤマトにおいて、龍輝石は、そこらの宝石などより、よほど価値ある存在なのだ。
 そして、テナの胸に埋め込まれ、淡い輝きを放っている石。
 それこそは、まさにその龍輝石。
 しかも、余計な混じり気が一切なく、純度も高い、最高品質の物だ。
 そんな物が、彼女の白い肌にめり込み、一体化していたのだ。
 石をなぞるように、テナの指が自身の胸元を滑る。
「……美しい石。世界の命の欠片が形を為した、稀なる物。
 多くの人間が様々な欲望のままに、それを求め、争う。
 力を。富を。あるいはそれ以外の何かを欲して。世界という存在の象徴のような、この石の魅力に取り憑かれるがままに。
 どこまでも美しく、かけがえがないのに……忌まわしい輝き」
「だが、その石は、お前に力を与えた」
「それもまた――忌まわしい力よ」
 シロガネの、どこか誇るかのような言葉を、テナは厳しく切り捨てる。
「組織の人員として集められた、身寄りのない、居なくなっても誰も気に留めないような子供達。――あの日、その中で、特に才能に溢れていると判断された者達が、シロガネとクロガネ。貴方達、双子の元へ連れて行かれたわ」
 胸元にやっていた手が、強く固く握り込まれる。
 指の間から、紅い物がゆっくりと滴った。
「貴方は暗殺者であり、研究者。より強く、より効率的な、暗殺に特化した人間を生み出す術を求めていた。そのために目を付けたのが龍輝石だった」
「そう。龍輝石は、所持しているだけで、〈言力〉の大幅な強化を可能にする。だが、それでは石の持つ本来の増幅力の半分にも満たないものだった。故に俺は試みたのだ。龍輝石と――人間の一体化を」
 冷笑を湛え、当たり前の事の様にシロガネは語る。
 テナは胸中で煮え滾る灼熱の感情を抑えるように、強く唇を噛んだ。
「でも、石との一体化は、適正を持っている事と……石を埋め込む際に伴う激しい反動に耐え得る事が出来なければならなかった。それこそ容易く精神を破壊し、命さえも奪うような地獄のような苦痛に……!」
「そして、お前はそれに耐え抜いた。俺の実験の成功例第一号となり、紛れもない強力な力を得たではないか。〈真名武具〉を持たずとも増幅された〈言力〉を振るえ、武器を持つ必要がない故に、容易く標的の油断を誘い、接近出来る――暗殺者として、これ以上に適した存在はいまい」
「その代償を……忘れてたとは言わせない」
「代償? ……ああ、〈言力〉を使用する度に、肉体に多大な負担を課すため、僅かずつ命を削ってしまうという欠点か」
「それだけじゃないっ。私以外の実験の被験者は、皆、反動に耐え切れず死に絶えた! 苦痛にのた打ち回り、もはや人とは呼べぬような無残な姿を晒して!」
 過去の凄惨な事実を叫ぶテナに対して、シロガネはわざとらしく首を傾げて見せて、言った。
 本気でどうでも良い、とそういう口調で。
「それが、どうかしたか?」
「…………っ!」
 途端、部屋の窓硝子に、無数のひびが走った。
 抑え切れぬテナの怒気が、物理的な力となって、部屋を迸ったのだ。
「……そうね。貴方にとっては、そんな結果なんて、気に留める必要すらない些事なのでしょう。そんな事は、とうにわかっている。わかっていたからこそ、私は、ナヅチ様と共に組織を抜ける事を決意した。――けれど!」
 薄闇の中、怒りと憎悪で爛々と燃える双眸が、かつての師を射抜く。
「ナヅチ様の意向を無視して、あんな非道な実験を行い、多くの同胞の命を奪った貴方を、やはり私は許せない! 死んで行った者達の絶望と痛み――貴方も少しは知るべきだわ!」
「それを吼えるか。組織を裏切ったお前が」
「そう。私は組織を逃げ出した裏切り者。否定するつもりはないわ。でも、貴方が師としての私達の信頼を裏切った事もまた――事実よ!」
 叫ぶと同時にテナの身体が、前方へと疾る。
 蹴りの強さに耐え切れず、立っていた場所の床が砕け、木片が宙へと舞い上がった。それを背後に置き去りにして、刹那の間に、シロガネとの距離を詰める。
「羅掌」
 踏み込み、放たれるは、〈言力〉の宿った掌底。
 胸に埋め込まれた龍輝石に増幅されたその一撃は、人の肉体なぞ容易に貫き、砕く。
「ふん」
 シロガネは僅かに身を傾け、紙一重に避ける。
 しかし、これを読んでいたかのように、テナの身体が瞬時に沈み込み、
「蹴牙」
「――っ!?」
 下から伸び上がった蹴りが、シロガネの顎を跳ね上げた。
 それでも彼が意識を失わず、肉体が原型を留めているのは、紛れもなく〈龍身〉による身体強化の恩恵だ。だが、それでも襲う衝撃と身体が浮いた事による隙は、消しようもない。
 その場で、さらにテナは旋回。勢いの乗せた肘の一撃を相手の腹部へと容赦なく打ち込む。
「肘槍」
 接触の瞬間に、爆裂する〈言力〉。
 受身を取る余裕さえなく、シロガネは吹っ飛ぶ。
 そのまま後方の壁を砕いて、孤児院の外まで転がり出して行った。
「テナ」
「ナヅチ様は、ここに。私がやります」
 自らの主にそう言い残し、テナも空いた壁の穴から、外へと跳び出す。
 倒れたシロガネは、地面に大の字になったまま、ぴくりとも動かない。
「立ちなさい。まさか、それで私の油断を誘えると思っているわけでもないでしょう」
「……くくっ」
 小さく笑い、シロガネはゆっくりと上半身を起こした。
 口元を覆っていた布は破け、晒された唇の端から、紅い血がゆるりと垂れる。
 あれだけの攻撃をほぼまともに受けていながら、シロガネは、たいした痛手を受けているようには見えなかった。
 その事に、テナもまた、特に動揺はしていない。
 〈龍身〉による身体強化は、達人のものともなれば、その身を鋼の如き硬さとする。さらに瞬間的に、その強化割合を部分的に変化させる事で、より損害を軽減し、さらに攻撃にすら利用する事も可能だ。
 シロガネは、かつて〈常闇〉の幹部の中でも突き抜けた実力者であり、ナヅチが組織を抜けた後には、当然のように首領に収まった男。なれば、その程度の技術、備えていない方がおかしな話であった。
「〈言力〉を振るう度に命を削る――それを理解してなお、力を行使するか」
 愉快そうに言って、シロガネは立ち上がる。
 その手が、自身の胸元を鷲掴んだ
「だが、これを見て、平静でいられるかな?」
 服が引き裂かれ、シロガネもまた、その胸部を露にした。
「な――っ!?」
 そこに在った物を見て、テナは瞠目し、息を呑んだ。
「馬鹿な……っ! シロガネ、貴方は!」
 シロガネの胸に埋め込まれていたのは、テナと同じく龍輝石。しかし、テナの物とは違い、その石の表面には〈言紋〉と思しき紋様が細かく刻まれている。
「自らの研究成果……試さない方が愚かと言うものだろう」
「…………っ」
「言っておくが、俺の場合は、〈言力〉を扱う度に命を削るような不完全なお前とは違う。〈言力〉封じを応用した〈言紋〉を用いる事で、肉体に強いる負担は、限りなく軽微となった。すなわち、俺自身がまさに暗殺者の理想像を体現したというわけだ」
「愚かな、事をっ」
「どうかな?」
 その声が響いたのは、テナの背後。
 予備動作すらなく、シロガネは一瞬で回り込んでいたのだ。
「っ!?」
「遅いな」
 先程のお返しと言わんばかりに、掌底がテナの背中を打つ。
 一瞬にて、七発。
「か、はっ――」
 当然のように〈龍身〉の防御を貫かれ、テナはつんのめる。
「そら、もう一つだ」
 そこに、今度は前方に移動したシロガネの跳ね上げた爪先が、彼女を宙に蹴り上げ、
「ついでにおまけだ」
 さらに踵落としで、地面に叩きつける。
「――――っ」
 全身を襲う衝撃に、テナは苦痛と共に悶絶する。それでも、上から迫る危険を無意識に感じ取り、反射的に身を横に転がしていた。
 一瞬前まで居た場所を、シロガネの拳が貫く。
 転がった勢いを利用してテナは素早く立ち上がると、一つ飛んで、大きく間合いを取ろうとする。
 それを読んでいたかのように、地面から腕を引き抜いたシロガネが掌を向け、唱えた。
「破玉」
「!」
 テナの周囲に、透明な球体が複数、出現する。
 今、テナの身は空中にあり、まともな〈言力〉を行使出来る状態でもない。
 回避、防御、迎撃、どれもが不可能だった。
「弾けろ」
 主の命に従い、球体が容赦なく炸裂する。
 四方からの衝撃にもみくちゃにされて、テナは受身も取れないままに地面へと落ちる。なんとか五体満足でいられたのは、強引にでも〈龍身〉での全身強化を、より強い形で施したからだ。
 しかし、まともな集中もなく行使する〈言力〉は、術者の体力と精神を大幅に奪う。それは〈言力〉を発動する度に、命を削られるテナにとっては、より大きい負担となって彼女を襲っていた。
 倒れ伏し、各処から血を流すその姿は、早くも満身創痍。
「……はあっ……はっ……げほっ……!」
 それでもテナは、吐血しながらも腕を立て、身を起こそうとする。
「どうした? 先程までの威勢が嘘のようだぞ?」
 シロガネが愉快そうに笑いかける。
 その言葉は、敵に投げ掛ける物とは思えぬ程の気安さだ。
 伊達に自らに手術を施してはいないという事なのだろう。
 彼の一撃は酷く強烈だった。
 いとも容易くテナの〈龍身〉の防御は上回って、こちらに痛手を与えてくる。しかも、速力に差があり過ぎる為、攻撃の接触部分を強化して損害を減らすのも間に合わない。さらに悪い事に、こちらの攻撃は、まるで相手には効いていなかった。
 それでも、あるいは、渾身の一撃ならば、まだ通じる可能性はある。
 しかし、これほどの実力者が、そんな暇を与えてくれるとは考え難い。
 傍からみれば、もはや、この戦いの勝敗は、ほぼ決しているように見えた。
 ――だが。
 この劣勢にあって、テナの顔に、まるで絶望はなかったのだ。
「攻めて来ないのか? では、こちらから行くぞ」
 シロガネは、まだ動けないテナの方へとゆっくりと歩み始める。
 その動作は、テナがいかなる攻撃を仕掛けようと対処出来るという自信に溢れていた。
 しかし。
「私以外の攻撃ならば――どう?」
 血を流す腕を押さえながら、テナは笑った。
 それこそ会心の笑みと呼んでも過言でない笑い方で。
「……何?」
 シロガネが異変に気づき、足を止める。
 否。
 異変に、ではない。危険にだ。
 ……月光を照り返す。
 シロガネの周囲、縦横無尽に張り巡らされた、“それ”が。
 その檻に囚われた男が、ようやく自らを囲む物の正体に気づいた。
「これは……鋼糸か!」
「…………その通り」
 建物の陰に生まれた闇から浮かび上がるように、白銀の髪が揺れた。
 シロガネを鋭く射抜くのは、深き海色の瞳。
 その両手の五指に嵌った銀輪からは無数の鋼糸が伸びる。
 月下、その姿を晒したのは、学園の若き教官にして、凡庸ならざる実力を秘める美女――ミカヅチ・フヨウ。
 シロガネに悟られず存在を潜めていた伏兵は、もう一人いたのだ。
「…………貴方は、刃の檻に囚われた。その細き身に力を凝縮し、高速で襲う鋼糸の前では、強固な〈龍身〉の防御力も意味はなさない」
 得心した顔で、シロガネはフヨウを振り返る。
「最初にテナだけで戦わせたのは、この為の伏線か。夜暗、しかも、もともと視覚では捉え辛い鋼糸だ。さすがの俺でも、テナへ意識を向けている状態では、その存在を察する事は不可能に近い」
「…………今更、気づいても遅いわ」
 フヨウは、冷たい声で言い放つ。
 シロガネは、心底おかしそうに喉の奥で笑った。
「しかし、まさかナヅチが、自らの技を育てた孤児の一人に授けていようとはな。鋼糸の技は誰もが扱えるようなものではない。俺とした事が、敵の力量を見誤っていたようだ」
 ――そう。
 鋼糸の技と、フヨウの〈真名武具〉である銀の指輪――オモイカネは、もともと全てナヅチの物だったのだ。それをフヨウが、血反吐を吐くような鍛錬の日々の果てに受け継いだのである。
 二十三という齢にして、神聖騎士養成機関であるヒノカワカミ学園の教官を務めている事実からしても、そのための努力と――結果として得た力がどれ程のものか知れるというものだった。
 顔を上げたシロガネは、フヨウの隣に、足を引き摺りながら歩み寄って来たテナを見る。
「それで、どうするつもりだ。このまま動けない俺を鋼糸でバラバラにして、仲間の無念でも晴らすか」
「……殺しはしないわ」
 シロガネの言葉を、テナはどこか複雑な感情を瞳に宿したまま、否定する。
 その先を継いで、フヨウが口を開いた。
「…………私が、この技をじーじから受け継いだのは、人を殺めるためじゃない。じーじの力も、きっと人を生かすために使えるのだと証明するためよ。ライやゴウタだって、そう。
 だから……私達は貴方を殺さない」
 その言葉の一つ一つに、普段の彼女からは考えられないほどの強い意志がこもっていた。
「甘いな。虫唾が走る」
 シロガネは肩を竦めて、馬鹿げた事だと嘲る。
「こんな甘い人間が、暗殺者をやっていたなど信じ難い話だ」
「…………そう、きっと私達は甘い」
 不意に、フヨウの双眸が細まり、殺気が浮かび上がった。
「…………でも、優しくもない。だから、余計な抵抗をされないよう、動けない程度には傷つけさせてもらう」
 オモイカネの嵌った片方の五指が、巧みに動かされる。それに合わせて、シロガネを囲む鋼糸が風を切って、渦巻きだす。
「ほう……」
 この状況にあって、シロガネは愉快そうに鋼糸の軌跡を追って天を仰いだ。
「…………痛みを――知りなさい」
 宣告と共に、フヨウの掌が閉じられる。
 怒涛の如く、人の目には捉えられぬ刃の群れが、シロガネへ襲い掛かった。


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