幕間の一に続く 一覧に戻る 五章の六に戻る


オロチ様はイタズラがお好き!?

五章 心欠け、誓いは胸に宿る


―― 七 ――

 しゅうしゅうと不快な異臭が、樹海を漂っていた。
 閃風の斬撃に裂かれたキジムの本体である。ぱっくりと開いた傷からは、そこだけは人と同じ赤黒い血が溢れ、地面を濡らしている。
 その醜い肉塊の前で、フウガは崩れ落ちるように膝を突いた。前のめりに倒れそうになるのを、かろうじて両手で支えて止める。
 それから、亀裂の痣がざわざわと蠢動し、引いていく。
 欠落の騎士から、ただのスサノ・フウガへと変わっていく。
「スサノッ!!!」
 顔を真っ青にして、レナが大剣を放り出す。深く傷ついた少年に駆け寄り、恐る恐るその身体を支えた。
「ちょ、ちょっと大丈夫なの?! 血が……こんなに!」
「……平気、だ。急所は、逸れてる。……それより、早くナスノをスクナ先生の所に……」
「それはあんたもでしょ! それにまだ〈異界〉が……ああ、もうっ! 何でキジムが死んだのに消えないのよ!」
「……消え……ない……?」
 冷たい予感が背筋を這い登る。
 今も血を流し続ける傷の痛みも忘れて、フウガは弾かれるように眼前の肉塊を見た。
 土が舞い上がった。
 突然、目の前を覆い尽くすほどの木根の群れが生え出したのだ。その槍のような鋭い先が一斉にフウガ達を向く。
「そんな……! まさかっ」
「キジム……!」
『――終わらんぞ! まだ終わらんぞぉっ!』
 念話による絶叫が、脳裏に響き渡る。
『この身が朽ちる前に、お前達も道連れにしてくれるうっ!!!』
 そして、木槍が動いた。
 放たれた矢のように、逃げ道すら残さず、動けない二人へ向けて突き込まれていく。
「――――っ!」

「………鋼閃、迸れ」

 次の瞬間。
 その全てが中空で停止した。
「え……?」
 レナが、呆然と目をしばたたかせた。
 動かない。
 木の根は、二人を貫く寸前で、時が止まったかのように完全に固まっていた。
「…………あれ、は」
 フウガは、自分達を中心に、周囲に僅かに光を反射する線が縦横に走っている事に気づく。
「――……私の教え子に、これ以上、手を出す事は許さない」
 酷く感情を殺した声が、背後から届いた。
 二人が、はっとなって振り返る。
 その視線の先には、長い銀髪と海色の瞳を持つ美女が立っていた。その両の十指には銀の指輪が嵌っており、光の線は全てそこから伸びている。
「ミカヅチ教官……!」
 フウガの声に応えるように、フヨウは淡く微笑んだ。
 そして、すぐに容赦のない殺意が瞳に戻る。
「……細き刃檻、震断せよ」
 ぶん、と微かな震動音が鳴った。
 同時に、いくつも鋭い切断音が響く。
 ばらばらと落ちるのは、断ち斬られた木根の残骸。
「な、何が起きたの?」
 状況が掴めないレナが疑問を漏らす。
「……鋼糸、だ。ミカヅチ教官の〈真名武具〉は、あの銀の指輪と、そこから伸びる極細の鋼の糸……それでキジムの木の根を縛り、震動を送って斬ったんだ……」
 掠れた声で説明しながら、フウガは辺りに首を巡らせる。
 フヨウが居るという事は、〈異界〉の歪みを見つけて、自分達を助けるために侵入してきたのだろう。
 だとすれば、おそらくもう一人――
『ぬおおおオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!』
 もはや言葉にならぬ咆哮を上げて、再びキジムが攻撃を仕掛けようとする。
「往生際が悪い」
 それを、フヨウ以上に冷徹な声が遮った。
 キジムの本体の真上から、一つの影が落ちる。
「三連一牙――」
 翻るは、鈍く光る三つの穂先を持つ槍。
 敵を見据えるは、氷の眼光。
 そして、〈具言〉は完成する。
「穿て!」
 冷酷無比な破壊の奔流が解き放たれる。
 轟音。爆砕。
『―――――…………っ』
 断末魔はなかった。
 それすらも飲み込み、一撃は〈異界〉の樹海に、底の見えぬ大穴を刻んでいたのだ。後には、キジムの姿など欠片も残らない。
 一撃の余波で生まれた風に、身を低くしていたフウガとレナは、改めてその常識外れの威力に唖然となる。
 そんな二人の傍に、一撃を放った人物が軽やかに着地する。
 眼鏡を外し、すでに戦士の顔となっているソウゴだった。
「すまない、遅くなった。無事か」
「わ、私はなんとか……。でも、スサノが深手を……それにミヨが向こうで、キジムの毒に……!」
 レナが慌てて、状況を説明しようとする。
 ソウゴは冷静に頷き、頭上を振り仰いだ。
「大丈夫だ。〈異界〉が解ければ――」
 その呟きを合図とするように、周囲の景色がぐにゃりと大きく歪んだ。
 強い目眩を覚え、思わずフウガは目を閉じる。そして、次に目を開いたときには、すでにそこは見慣れた、あの簡易舞台の上だった。
「ミヨ!」
 途端、レナが声を上げた。
 すぐ傍に、ウズメに抱きかかえられたミヨが居たのである。
 〈異界〉が解ければ、中に居た者は皆、その〈異界〉が展開された場所へと戻される。どうやらウズメも、ソウゴやフヨウと共に異変に気づき、〈異界〉の中へと侵入していたらしかった。
「大丈夫だ。まだ息はある。すぐにスクナ先生に診せれば助かるだろう」
 気を失っている腕の中のミヨを気遣う視線で見下ろしながら、ウズメは言った。
 そして、不意にその表情が強張る。
「! フウガッ、その傷は……?!」
「……はは……少し派手にやられちゃっ……て……」
 フウガは、何とか苦笑いをして見せようとして――失敗した。
 全身が急速に脱力して、ずっと支えてくれていたレナへともたれ掛かってしまう。
「フウガ!!!」
「スサノ!!!」
 二人の少女が、悲痛な声で少年の名を叫ぶ。
「タマヨリ、スサノをこっちに。僕が運ぶ」
「は、はいっ」
 駆け寄ってきたソウゴに、レナは支えていた少年を託す。そして、そのままフウガは、ウズメに抱きかかえられたミヨと共に医務室へと運ばれていく。
 たゆたう意識の中。
 フウガは掠れる声で呟いた。
「オロチ……」
『……何だ?』
「…………」
『どうした? 特に何もないなら、喋らない方が良い。傷に障るぞ』
「気に食わないけど……」
『む?』
 迷って。躊躇って。
 でも、言った。
「酷く気に食わないけど……言わないと自分で自分が許せなくなるから、一応、言っておく。
 …………ありがとう。おかげで、タマヨリとナスノを守れた」
 姿は見えないのに、可笑しそうにオロチが笑う気配がした。
『なるほど。では、私もこう返しておくかな。
 …………気にするな。たいした事ではないさ』
 フウガの唇が、淡い微笑みを象る。
 それは、初めてオロチに向けて浮かべた表情でもあった。
「……本当、ムカツク奴だよ、お前は……」
 そんな憎まれ口を叩きながら。
 オロチに対する嫌悪感が不思議と薄れていくのを、少年は確かに感じていたのだった。

 * * *

 意識が戻ったのは深夜だった。
 医務室である。
 闇に包まれた静寂の空間。
 横の棚に置かれたランプの光と、窓から差し込む月光だけが、暗闇を侵食している。
 フウガは、ベッドの上で寝たまま、ゆっくりと何度か瞬きする。次第にはっきりしていく意識と共に、ここに自分が居る理由が思いだされていく。
(……助かった、か……)
 そっと腹部に手を這わせると――ヒナコの治療のおかげだろう――すでにキジムに刺された傷は塞がっていた。未だに断続的に続く鈍痛と、大量の血を失った故の虚脱感が残っていたが、これだけはどうしようもない。
 フウガは、ぼんやりとした頭で、ベッドに横になったまま、首を巡らせる。隣に、自分と同じようにミヨが寝ているのが見えた。
 顔色は、もう正常な赤みを取り戻している。こちらも解毒が間に合ったらしい。
 フウガは、ほっと安堵の息を漏らす。
 と、それと同時に医務室の扉が開く音が聞こえた。
「――スサノ! 目が覚めたの!」
 慌てて誰かが駆け寄る足音。
 そのすぐ後に視界に入ったのは、レナの顔だった。
 安堵と憤りとが入り混じった、なんとも複雑な表情をしていた。
「馬鹿っ! 無茶して……死んだらどうする気よっ!」
「タマヨリ……」
 レナは、半ば泣き声で怒鳴ってくる。
 フウガは、彼女が水の入った桶を手にしている事に気づく。どうやら、今も自分の額に乗っているタオルを濡らすためのものらしかった。
「……もしかして、ずっと看病していてくれたのか?」
「え……」
 問われた途端、レナは先ほどまでの勢いを失って身を引いた。
 さりげなく目元の涙を手の甲で拭いながら、ぼそぼそと呟く。
「そ、そうよ。スクナ先生には寮で休めとは言われたけど、ミヨの事も心配だし、とてもじゃないけど寝れる気分じゃなかったから……」
「ナスノは……もう平気なのか?」
「ええ。結構前に、一度意識は戻ったし、毒は完全に除去したって。結果的には、あんたの方がよっぽど危なかったらしいわ。本当……助ける側が死にそうなってたら世話ないでしょ」
「……はは、全くだ」
 フウガは、思わず苦笑を漏らす。それと一緒に、傷が僅かに痛んだが、レナに心配掛けないよう表情には出さなかった。
「一応、言っておくけど……看病してたのは私だけじゃないわよ。今は外に煙草を吸いに行ったスクナ先生に……それと……」
「フウガっ」
 レナが言い終わるより先に、別の人間の声が飛び込んできた。
 新たに姿を見せたのは、夜から生まれたような黒髪黒瞳を持つ凛々しき一人の少女。
 ウズメだった。
 替えのタオルを取ってきたらしい彼女は、珍しく取り乱した様子で走り寄ってくる。そして、フウガが意識を取り戻しているのを確認すると、心から安堵したように息を吐いた。
「……良かった。気がついたんだな」
「先輩……。先輩も看ててくれたんですね」
 ウズメは持っていたタオルを脇の棚の上に置き、ベッドの脇に膝を突いた。
 微笑むと、そっとフウガの手を握る。
「当たり前だろう。君の事を放って寝てなど居られるものか」
「…………」
 彼女もまた、泣きそうな声をしていた。
 本当に心配を掛けたのだな、と罪悪感で胸が痛んだ。
 そんなウズメとフウガのやり取りを見て、レナが酷く不満気な顔で目を逸らした。
 同時に、異様な圧力を感じ、フウガは脂汗を浮かべる。
(……なんだろう。すごい刺々しいものが向けられているような……)
 だが、指摘するともっと恐ろしい事になる気がしたので黙っていた。
 ふん、とレナが鼻を鳴らす。
「……とにかく今は動ける状態じゃないんだから大人しく寝ときなさいよね。そんなんじゃ特訓だって出来やしないんだから」
「ああ、そうだな。でも……寝る前に少し話をしたいんだ。先輩も居てくれるなら、ちょうど良い」
「え……?」
 逸れていたレナの顔が戻ってくる。
 ウズメも訝しがるように、フウガの顔を見つめていた。
「確証があるわけじゃない。でも、シラユリの事は、あの……俺が母さんとお腹の中の子――セツナを失った九年前の事件が関係しているような気がしてならないんだ。それは初めてシラユリに会ったときから、ずっと感じていた。……もし本当にそうだとしたら、俺は自分の問題に皆を巻き込んでしまった事になる」
 レナもウズメも何も言わない。
 深更の静けさの中、フウガの言葉に、ただ耳を傾けていた。
「だから、きちんとけじめをつけておきたい。九年前に何があったのか、ちゃんと話しておきたいんだ。俺が話すのが辛いからって、誤魔化しておきたくはない。それが……仲間だと言ってくれて、今もこうやって心配してくれる皆へ、俺が出来る数少ない事だと思うから」
「私は……」
 ウズメが、そっと口を開いた。
「君が話す決意が出来たのなら、止めはしない。正直、私自身、聞きたいと思っていた事だからな」
「……私も……うん、同じ」
 続けて、少し逡巡してからレナが言った。
 と。
「――それは、私も聞いて良いんですよね?」
 不意に、医務室に響いた三人目の声。
 ぎょっと振り返った三人の視線が、一つのベッドに集まる。
「ミ、ミヨっ?! あんた、起きてたの!」
「今、ちょうど目が覚めたの。……ねえ、スサノ君、私も聞いて良いですか?」
「ああ。もちろん。むしろ、そうしてくれた方が良いよ」
 頷いて、フウガは天井を見据えた。
 よく掃除された、清潔で真っ白な天井。
 白。
 あの日の世界と同じ色。
 フウガは目を閉じる。
「そう……。あれは九年前、俺が八歳の頃だったな……」
 そして、ゆっくりと。
 彼にとって忌まわしい、そして、忘れられぬ過去を語り始めた。

 * * *

 ――最初に、結論を言ってしまえば。

 スサノ・フウガという少年は、紛れもない天才だった。
 物心ついたときには、すでに〈龍脈〉の存在を感じ取り。
 世界の息吹を自身の身へと汲み上げる術を知り。
 誰に教わるでもなく、〈言力〉の発動を成功させた。
 それこそ、まるで赤子が生まれながらに呼吸の仕方を知っているのと同じ自然さで、それらを全てこなしたのである。
 決して容易い事ではない。
 〈言力〉を扱う上での最初の段階である、〈龍脈〉の存在の感知にすら苦戦する〈言力師〉は大勢いる。それをまだ、流暢に物を喋る事すらままならない、幼子が為し得たのだ。
 戦神――
 人の身でありながら、戦の神とまで呼ばれたスサノ・ラシン。
 そして。
 彼の妻であり、同じく元神聖騎士、スサノ・ヒスイ。
 その両親の才を余す事なく受け継いだ神童。
 二人は、この才気溢れる自らの子に、力を暴走させぬように、最低限の知識と技術を教えた。そして、決して無闇にそれを振るわぬ事を戒めさせた。
 だが、それでも幼い子供。
 周囲の同い年の友人達が決して出来ぬ事が己に出来るという事実に、自惚れ、傲慢になるなという方が無理というものだったのだろう。幼き少年は親に隠れて、いつもその力を自慢気に見せびらかし、己の顕示欲を満たしていた。
 それが、おそらくは。
 悲劇へ繋がる、最初のきっかけ。

 そして。
 あの日が訪れる。

 ――じゃあ、妖魔を倒して見せてよ。

 そんな一言を口にしたのは、一体誰だっただろう。
 たぶん、いつもつるんでいた友人達の誰かだったような気がする。
 いや……もはや今となっては、その答えに意味などない。
 確かにその言葉は、少年へと向けられ。
 彼の力へ対する疑いすら含んだそれは、少年の矜持を著しく刺激した。
 ちょうどその頃、王都から北に進んだ所にある森では、ある妖魔が旅人を誘い込んでは襲っているという噂が立っていた。
 近いうちに、神聖騎士団が討伐に行くと、そんな噂が。

 ――不幸にも。
 その噂は、少年の耳にも入っていた。

 冬だった。
 白い雪がちらつき、その無垢な色に染め上げられた森。
 春が訪れれば、多くの生命に溢れるそこは、今は冷たい眠りにつき、外から来る者を強く拒絶しているようにも思えた。
 それは、今も少年の心に焼きついて離れない白の世界。
 少年は無謀にも一人で、その森へと妖魔退治へ出掛けた。
 自信はあった。
 心から尊敬する偉大なる父。
 その息子である自分。
 なればこそ、妖魔の一匹や二匹、軽く捻ってやれるものだと。
 そんなわけもないのに、根拠もなくそう信じて疑わなかった。
 年相応に未熟で。
 年相応に愚かだった。
 故に、結果もまた必然なものとなる。
 いざ対峙した妖魔には、拙い少年の〈言力〉など通じるはずもなく、無様に敗走する他なかったのだ。

 ――そして、不幸にも。
 少年が王都を離れてすぐに、彼の母のヒスイも、少年が森へと向かった事の経緯を知る事になる。

 だから。
 少年が命からがら逃げ込んだ洞窟の奥で、悲劇は起きてしまった。
 妖魔の冷酷な一撃から少年を庇った身重のヒスイは、その身に宿っていた新たな命と共に絶命した。
 ……あるいは。
 悲劇がここで終わっていたのならば、少年の運命は、あれほどまでに歪む事はなかったのかもしれない。

 ――だが、不幸にも。
 その日、ラシンは、ある一人の強敵との戦いにより激しく消耗していた。

 だから。
 遅れて駆けつけたラシンは、中級に過ぎぬ妖魔に、本来なら有り得ない苦戦を強いられる。そして、片目と片足という大き過ぎる代償を支払わされて、それでも自らの息子だけをかろうじて救った。

 ……血の海に沈む母の屍。

 ……騎士の命を絶たれた血塗れの父。
 
 己が招いた惨劇。
 それを突きつけられた少年の心は、致命的に欠けた。

 こうして少年は、愛する母と新たな家族となるはずだった命を失い、尊敬する父の未来を奪う事になった。
 それが九年前の悲劇の事の顛末。
 ああ、なんて事はない。
 つまり。
 全ての悲劇の原因は。
 
 幼く未熟な少年の、自惚れと傲慢にあったという事――

 * * *

「……これが九年前にあった出来事の全てだ」
 全てを語り終えて、フウガは疲労感と一緒に息を吐く。
 だが、同時に、何か肩の荷を下ろしたような安堵感もあった。
 三人の少女は、しばらく何も言わなかった。
 いや、言えなかったのかもしれない。
 例え、フウガが幼かったからとはいえ、結果的に悲劇を生む原因は、紛れもなく彼自身にあったのだ。
「軽蔑されても、失望されても仕方ないと思っている。皆がどんな風に思ったとしても、俺は全てを受け入れるつもりだ」
 沈黙の後。
「……ない……でよっ」
 まず一人の少女が口を開いた。
 レナだった。
「は?」
「ふざけないでよっ!」
 あまりに唐突な一言に、フウガは目を丸くする。
「軽蔑とか失望とかっ……そんなの出来るわけないじゃない! だって、九年前の事があって一番辛いのは何よりもスサノでしょっ。なのに……どうやってあんたを責める事なんて出来るのよ……! 見損なわないでよねっ!!」
 腕を振って激昂する少女は、その実、少年の気持ちを心から慮っていた。
「――レナの言う通りだよ」
 ウズメも同意した。
 少年の手を握った指に、優しく力を込める。
 まるで我が事のように哀しそうな顔をしていた。
「誰だって間違いは犯すものだ。ときには、それが九年前のときのように、取り返しのつかない事を引き起こしてしまう事もある。だけど、だからと言って、それで君の全てが否定されるかと言えば――それは違う。
 間違ったのなら、次は間違わぬように自らを正せば良い。
 大切な何かを失ったのならば、次は失わぬよう強くなれば良い。
 それこそが、今は亡き人達に対する償いにもなるだろう。
 ……フウガ。君は、ちゃんとそうしようしているじゃないか」
「そうですよ」
 最後にミヨが、微笑んだ。
 向ける瞳には、嫌悪も蔑みもなく、ただ真摯な光が宿っていた。
「あんなに必死に私達を守ろうと戦ってくれたスサノ君を見ちゃったら、とても嫌うなんて出来ません。それに、辛い事があって苦しんでいる人が居たら、それを支えて励ましてあげるのが友達で仲間でしょう?」
「…………」
 フウガは、この少女達の言葉に、ただただ呆然となっていた。
 恐れていた。
 今までの好意も。
 今までの親しみも。
 全てを話す事で、全て失われるのではないかと、怖かった。
 でも、違った。
 少女達は、少年の過去を知った上で、受け入れてくれたのだ。
 過去も。罪も。今の彼もまた。
「…………良いのか? ……本当に、そんな簡単に片付けてしまって……? だって俺は、罪人なのに……」
「言っただろう。この世に罪を背負わない人間なんて居ないよ、フウガ。差こそあれど、人は生きている限りは、皆、罪人だ。
 そして、私達には、君の罪を裁く権利も、つもりも――ありはしないんだよ」
 ウズメは、どこか遠くを見つめながら言った。その眼差しは、もしかしたら己の背負う何かの罪を見ているのだろうか。
「きっと誰のモノであろうとも、どんなモノであろうとも、罪は死ぬまで消える事はないのだと思う。だけど、それを理由に自分をずっと責め続けて、傷つける必要なんてないんだ。それは償いじゃない。ただの悲しい自虐だ。
 罪は生きる限り消えない。でも、犯した罪がその人間の価値の全てを否定するわけじゃない。
 だから、フウガ。私達は、君を責める事もなく、許す事もなく……ただ、大事に思うんだ」
 何も言わず、頷きもせず――だけど、レナとミヨの瞳には、ウズメの言葉に対する同意の意志があった。
「…………」
 無言で仰向けになると、フウガは持ち上げた腕で目を覆う。
「スサノ?」
「フウガ……?」
「スサノ君、どうしたんですか?」
 どこか様子が変な少年を、三人の少女が心配そうな視線を送った。
 フウガの唇が、どこか困ったような笑みを象る。
「……いや……おかしいんだ……」
 次の瞬間、少女達の誰かが「あ……」と小さく声を上げた。
 目の上に乗せられた少年の腕の陰。
 そこから、月光を反射して微かに輝く雫が見えたからだった。
「……なんでかな……あの日と同じで……止まらないんだ……」
 ――フウガは思い出す。
 それは、この学園に入学して、まもなくの記憶。
 学園に来てから――いや、九年前のあの日から、フウガは他者との接触を極力拒むようになった。常に、孤独で居る事を己に課した。
 そうすれば、また自分の未熟さのせいで誰かを犠牲にする事はないだろう――とそう思ったのである。
 そんな静かで、でも、明らかな拒絶の空気を纏う少年に、あえて近寄ろうという物好きな人間は居なかった。ずっと居なかったのだ。
 あの二人――そう、ライとゴウタに出会うまでは。
 半ば無視を決め込むフウガに、二人は懲りずに何度も声を掛けてきた。
 何度も、何度も、何度も、何度もだ。
 どれだけ冷たく当たっても諦めない二人に痺れを切らしたフウガは、自分の過去を聞かせる事にした。自分がどんな人間なのか知れば、きっとこの二人も、もう話し掛けようなどと思わなくなるだろうと。
 きっと、他の皆と同じで、自分から離れていくだろうと。
 そう思った。
 だけど。

 ――……そう。だったら、なおさら僕達がついてないとね。

 ――え……?

 ――辛い事があったときに独りでおるなんて、もっと凹むだけで逆効果なんやぞ? やっぱ、俺らみたいなやかましい人間が傍におらへんとな!

 ――ああ、やまかしいのは保証済みだよ。特にゴウタが。特にゴウタが。

 ――何で二回言うねん!?

 ――さあ? なんでだろう?

 ――ああ、馬鹿にしとる! 絶対にしとる――っ!

 ――…………。

 信じられなかった。
 なんで、あんな過去を聞かされて、そんな反応が出来るのかと。
 どうして、最低だと、愚かだと、自分をなじらないのかと。
 そして、少年は自分が泣いている事に気づいた。
 驚いて、戸惑って、でも、止められなくて。
 泣いて泣いて泣いて――
 いつしか……三人は親友となっていた。
 今も覚えている。
 この涙は、きっとあれと同じモノ。
 熱くて、切なくて、暖かいモノ。
「…………ありがとう…………」
 自然と口に出た、その一言は。
 たくさんの思いを込めて、たくさんの人々へ向けて紡がれたような気がした。

 ◇ ◇ ◇

「……フウちゃん、良かったな」
 廊下から、医務室の様子を覗う三人の影があった。
 ゴウタとライ、そして、ソウゴだった。
 この三人は、フウガの容態を見に来たものの、医務室内の空気に気づいて入るに入れなくなり、結果的に盗み聞きするような状態になってしまっていたのである。
「そろそろ戻りましょうか。もう声を掛けるような雰囲気じゃないし」
「そうだね。まあ、フウガ君も意識が戻ったみたいだし、もう大丈夫だろう」
 ライの言葉に、眼鏡を掛けて普段通りのソウゴが頷いた。
「……了解。じゃ、ばれないようにこっそりと……」

「おい。そこの三馬鹿。盗み聞きとは良い趣味してるじゃないか」

「「「…………?!」」」
 横手からの唐突な声に、三人が硬直する。
 ぎぎぎ、と三つの首がぎごちなく横を向く。
 廊下の奥の闇から出てきたのは、腰に片手を当てたヒナコだった。隣には、フヨウも一緒に居た。
 ヒナコは、にやりと、それはもう邪悪な笑みを浮かべる。
「そういうお痛をする子には、優しいお姉さんがしっかりとお仕置きをしてあげないとね」
「いやいやいやっ、ちゃうんですよっ」
「こ、これは不可抗力だからっ。決して盗み聞きをしようだなんて……」
 医務室のフウガ達に気づかれぬように、ゴウタとソウゴは必死に小声で弁解を口にする。そして、ライだけは観念したように一人両手を挙げていた。
 すると、ヒナコは愉快そうに鼻を鳴らした。
「冗談だ。スサノの事が心配だったんだろう。アイツもなんだかんだで慕われてるな」
 彼女は、ちらりと扉の隙間から室内へと視線を送り、
「……全く余計な心配したもんだ。押し潰される所か、支える人間が多すぎて浮き上がりそうなぐらいだものね」
 そう言って、どこか嬉しそうに笑う。
 彼女もまた、レナやウズメに気を使って部屋を離れた振りをしながらも、ずっと傍でフヨウと共に様子を覗っていたのだ。
 他の四人もそれぞれ顔を見合わせた後――同じように笑んだ。
 そのときは、ちょうど夜が最も更ける時間。
 世界は、どこまでも静かで。
 傷ついた者達もそれを囲む者達も、平等に優しく包んでいたのだった。


幕間の一に続く 一覧に戻る 五章の六に戻る

inserted by FC2 system