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オロチ様はイタズラがお好き!?

四章 その悪夢、甘美に傷を抉り


―― 一 ――

「サワメ・ナキ、そしてハニヤ・スビコ、スビメの三名には、目立った怪我もなく、〈妖術〉による洗脳の後遺症もなし。問題なく明日には復帰可能。比較的重傷だったスサノ・フウガも数日以内には快復するだろう――というのがスクナ先生の判断です、学園長」
 早朝の学園長室。
 そう部屋の主に告げたのは、細長の眼鏡を掛けた怜悧な空気を纏う一人の男だった。年の頃は三十代前半。整った風貌からもその生真面目な性格が覗える。
 タワラ・ミチザネ。
 第一ヒノカワカミ学園の教頭として、シズネの補佐を務める人物である。
 教官を含めて、ほとんどが〈言力師〉であり、戦う者ばかりの学園において、数少ない事務能力のみで雇用されたのが彼だった。
「……そうですか。その程度で済んだのは本当に幸いでしたね」
 椅子に深く腰を沈めながら、シズネは安堵の吐息を吐く。
 昨夜。
 フウガが正体不明の少女により展開された〈異界〉に引き摺り込まれ、〈妖術〉で操られたナキ達に襲撃されたのだ。
 しかし、フウガの活躍によりナキ達は無事に術を解かれると、〈異界〉も閉じられ、駆けつけた教官達に四人は保護された。
 今は全員がヒナコの治療を受けて後、寮で休んでいるはずだ。
 奇跡的に、命を落とすような犠牲者は誰も出なかった。
 だが。
「スサノの話によると――シラユリ……でしたか。学園内で〈異界〉などを展開し、候補生に手を出した許しがたい妖魔の名は」
 机の向こうで姿勢良く立つミチザネが感情を抑えた低い声で言う。
 シズネは思案するように、目を伏せた。
「妖魔……ですか。しかし、彼女は〈言力〉を操ったとも聞きました。確かに〈異界〉は妖魔特有のものですが、逆に〈言力〉は人間特有のもの――妖魔には決して扱えません」
「そんなもの、〈妖術〉をそれらしく見せただけかもしれないではないですか」
「どうでしょうね……。〈言力〉を発動するなら、必ず〈龍脈〉よりプラナを汲み上げる事になる。スサノ君もそれを感じたから、シラユリという者が〈言力〉使ったと判断したはずです」
「…………。ですが、そうならばシラユリは何者なのですか。本来、両立出来ない力を扱うなど……」
 目元を歪め、眼鏡を指で押し上げながらミチザネがこぼす。
 学園内で好き放題を許した上に、その者の正体が掴めぬ事が不愉快でならないらしい。
 シズネは静かに頭を振る。
「わかりません。人間と〈妖魔〉の混血は数少ないながらも存在しますが、彼らは迫害を恐れて人前にはまず出てこない上、〈妖術〉と〈言力〉のどちらも操るなど聞いた事がない。――唯一、わかっている事があるとすれば……」
「シラユリがスサノを狙っている――という事ですか」
「ええ、彼女の言葉を信じるなら……という条件つきですが。どちらにしろ、今後も彼女がこの学園内で何かしら行動を起こす事は否定出来ないでしょうね」
 ミチザネが眉根を寄せながら、顎に手をやる。
「スサノに狙われる心当たりでもあれば、少しは相手の正体の想像も出来ようものなのですが……」
「しかし、彼本人はそれがないと言っている以上、仕方ないですよ。今はわかっている事だけで、出来る限りの対処をするしかありません」
 ミチザネは目を閉じ、しばし思案した様子を見せた後、納得したように頷く。
「――確かにそれが最善ですか。では、教官、候補生共に警告を発し、特に教官陣には常に学園内とスサノの周囲を警戒させましょう」
 シズネもその判断に同意し、さらに付け加える。
「スサノ君の警護なら、シンラン教官とミカヅチ教官が適任でしょう。シンラン教官はスサノ君のクラスの担当ですし、二人共、彼とは個人的に親しいですからね」
「わかりました。では、そのように」
 ミチザネは恭しく礼をすると、
「――失礼します」
 それ以上は余計な事を口にする事なく、静かな足取りで部屋を退出して行った。
「…………」
 その背中が扉の向こうに消えるのを、シズネは無言で見つめる。
 落ち着いた風に装っているが、ミチザネが内心で強い憤りを覚えている事に彼女は気づいていた。
 容姿や言動から、冷たい印象を与える事の多いミチザネだが、ああ見えて候補生の事を心から案じている男だ。だからこそ今回の事は、未然に防げなかった自分自身の不甲斐なさを含めて、忸怩たるものがあるのだろう。
 そして。
 それはシズネとて同じ事だ。
「正体の知れぬ少女……彼女はスサノ君を狙う、ですか」
 独り呟く。
 タイミング的に、一時はオロチとの関連も考えたが本人はそれを否定し、シラユリの言動からもその可能性は高くなさそうだった。
 あくまで彼女は、フウガに執着している。
 殺せたはずなのに、あえて生かしたという事実が逆にそれを告げているように思えた。
 だが、その目的の経過で他の候補生が巻き込まれる可能性がある限りは、フウガだけに気を配るわけにはいかず、学園全体の警戒は決して怠れない。
 何より。
「……“敵”の背景が掴めない以上、今は後手に回るしかありませんか」
 そう――敵だ。
 この学園と、そこで生活する候補生達に危害を加えようというのなら、それ以外には有り得ない。
 ならば、全力を持ってその存在を排除するだけ。
「今の状況では少なからず自由を許してしまうとしても――それがいつまでも続くとは思わない事です」
 シズネはかつての騎士として顔を僅かに覗かせ。
 未だ正体わからぬシラユリと名乗る少女へと決然とそう告げたのだった。

 ◇ ◇ ◇

「……………………おはよーす……」
 朝。
 青空の広がる爽やかな陽気の中。
 黒くどんよりとした空気を背後に背負いながら教室に姿を見せた少年に、ライとゴウタは目を丸くする。
「ど、どうしたんや、フウちゃん? 病み上がりとはいえ、がっつり休んだ後なんやから、もうちょい爽やかに朝を迎えようや」
「確かに。それじゃあ余命三日とか告げられた重病人みたいだ」
 久々に顔を合わせた二人の親友の、心配しているのかそうでないのかよくわからない台詞に、フウガは重い溜息で応える。
「仕方ないだろ。いろいろ悩む事があったし、貴重な時間を大幅に無駄にしたんだ。気落ちするのもしょうがないじゃないか」
 あのシラユリを名乗る白の少女の襲撃より、すでに四日。
 ようやく全快を果たしたフウガは久々の学園への登校を迎えた所だった。
 教頭のミチザネにより――内容の程度はともかくとして――学園全体に襲撃の事実は伝えられている。なので、朝から〈三の風〉クラスの教室も僅かな緊張感を含んでいた。
 いつシラユリが行動を起こすともわからないのだからそれも無理のない事だ。だが、それでも皆がほとんど普段と変わらぬ態度を崩さないのは、さすがは腐っても騎士候補生という所だろう。
 ゴウタが考え込むように首を捻る。
「悩む事って、フウちゃんを狙って来たっていうシラユリとかいう娘の事か?」
 途端、フウガは表情を引き締めた。
「! 何で、その事を?! あいつが俺を狙ってたっていうのは、他の候補生には伏せるって教頭から聞いてたぞ」
「ああ、フウガの周囲の人間は知っておいた方が良いって僕達は特別にね。タマヨリにナスノも――あと、ツクヨミ先輩も聞いてるはずだよ」
 相変わらず落ち着いた口調で、ライが補足する。
 これに得心して、フウガは強張っていた顔を緩めた。
 確かに、それは当然の対処だろう。
 シラユリがフウガを狙っているのなら、自分に近しい人間にその事を伝えていなければ、何の心構えのないまま襲撃に巻き込まれかねない。
 しかし、ウズメにまで伝えている辺り、教頭のミチザネは抜け目がなかった。
「……そういう事か。全く脅かさないでくれよ」
 そう言って、自身の席に着こうとして――
「…………なぁ、これは何だ?」
 自身の机の上にある不自然な物を発見し、首を傾げた。
 それにゴウタがおかしそうに笑うと、
「ああ、ようやく気づいたんや。それが何かは内容を確かめれば、すぐにわかると思うで?」
 などと意味在り気な事を言ってくる。
「…………」
 フウガは無言で手を伸ばすと、“それ”を手に取った。
 一言で言えば、それは他愛のないただの紙。
 ただし紙は紙でも――手紙である。
 何の装飾もない白い封筒に、中に入っている便箋も味気ないただの白。
 その中央に一言、やけに上品かつ丁寧な文字で、

 ――感謝しておきます!

 と、書かれている。
 差出人の名前はない。
 ただ、それだけが記されていた。
「えーと……一体、誰がどうして誰に感謝してるんだ?」
「相手は当然、フウガ。手紙を出した人物とその理由は、ここ数日の出来事を思い返せば自然と思い至ると思うけどな」
「…………ふーむ」
 ライの言葉に従い、フウガは自分の記憶を探る。
 ここ最近で誰かに――しかも、こんな遠まわしな形で礼を言ってくるような人間に感謝されるような事をしただろうか?
 ――が。
 よくよく考えてみれば、そんな人物は“彼女達”しかいなかった。
「……サワメ先輩とハニヤ先輩達、か」
 やっと手紙の差出人に気づいたフウガに、ゴウタがけらけらと笑う。
「そういう事や。フウちゃんが来る前に物凄い形相で教室に入って来たと思ったら、その手紙だけ置いて出て行くから何事かと思ったもんや」
「まあ、先輩らしいといえば先輩らしいんだろうな……」
 と、フウガは妙に納得してしまう。
 四日前、ナキ達を助けたのは、間違いなくフウガだ。
 いくらフウガを見下し、邪険に扱っていたナキ達とて話を聞けばその事実は否定出来ない。さらに誇り高い貴族の人間として、恩のある人間に何一つ感謝の意を示さないのは彼女達の矜持が許さなかったに違いない。
 だが、今までの態度の事もあり、面と向かってはどうしてもそれが出来ず、已む無くこんな方法を取ったのだろう。
 ただフウガとしては、シラユリが自分を狙っていた以上、ナキ達を巻き込んでしまったのはこちらであり、礼など言ってもらうのは本意ではなかったのだが……。
「――何にせよ、誰かを彷彿とさせる素直じゃなさ、だな」
「ああ、タマヨリね」
「それは、もうタマヨリ以外に有り得へんな」
 未だ二週間にも届かない付き合いでしかないのに、速攻でライ達にわかってしまわれる辺り、レナのそれも相当のものらしい。
 そんな風に三人が三人、妙な共感に包まれていたとき。
「――スサノ!」
 まさか、当の本人が教室に姿を見せようとは誰も思っていなかった。
「タ、タマヨリ!? お前、どうしてここに?」
 思わず激しく動揺しながら、フウガは振り向く。
 ゴウタとライはすかさず何事もなかったように振舞っていた。この辺りのふてぶしさは、いつまで経ってもこの二人には敵わない。
「何よ、そこまで驚く事?」
「い、いや、気にするな。ちょっと考え事してたから驚いただけだ」
「…………? まあ、良いけど」
 怪訝な顔をしつつもレナは納得する。そして何を思ったか、フウガを足元から顔まで、やけに念入りに観察して来た。
「……な、何だ? じろじろと気持ち悪いな」
「ふん……怪我したって聞いたけど、思ったより元気そうじゃない」
 レナは鼻を鳴らすと、そんな事をぼそりと口にする。
 これにフウガは目をしばたたかせた。
「へ……? ……あ、もしかして心配してくれたのか?」
「…………っ! ち、違っ! 断じて違う!」
 何故か、顔を紅潮させて大きく後退るレナ。
 なんとなくフウガは切ない気分になる。
「そんなに全力で否定しなくても良いだろうに……」
「う、うるさい! あんたが勝手に勘違いするからでしょっ!」
「わかったわかった。悪かったよ。それで、何の用で来たんだ?」
「…………昼休みよ」
「え?」
 いきなり小声で言うので聞き取れず、咄嗟にフウガは訊き返す。
 途端、
「だから、今日の昼休み! 授業が終わったら第一校舎――ここの屋上に来なさい! ミカヅチとフドウを連れて来ても良いから! わかったわね!」
 ががーっとレナは怒鳴ってくる。
「あ、ああ……」
 その勢いに圧されてフウガは気づけば頷いていた。
 それを確認すると、レナは「じゃあね!」と、一方的に立ち去っていってしまう。
 フウガ、ライ、ゴウタの三人は、それを呆然と見送った。
「……何やったんや、あれは」
「さあ?」
 ゴウタの呟きに、ライがお手上げと言わんばかりに肩を竦める。
 正直、フウガも同じ気持ちだ。
「……まあ、言われた通りにしないと後が恐そうだし、昼休みは屋上に顔を出してみるか」
 ――と。
 そこにレナと入れ替わるように、一人の人物が教室に姿を見せた。
 これにフウガは、それこそ度肝を抜かれる。
「つ、ツクヨミ先輩!?」
「ああ、フウガ。今日は学園に来ていたのだな」
 フウガの顔を見た瞬間、ウズメは心から安堵した表情を見せる。
「え……いや、どうして……?」
「……例の件で君が怪我をして寝込んでいると聞いてな。本当はすぐに見舞いに行きたかったんだが、君は寮で休んでいただろう? 男子寮は女子禁制だからな。仕方なく断念したんだ。それで今日復帰すると聞いて様子を見に来たんだが……どうやら元気そうだな。良かった」
「あ……はい。おかげさまで。その……わざわざすいません」
 思わず恐縮するフウガに、ウズメはくすりと笑う。
「何を謝る事がある。私が君の事を心配するのは当たり前だろう」
「…………ええと……」
 そんな直球な言葉を返されると、フウガには二の句が告げない。
 顔が赤くなるのを抑えるので精一杯だった。
 そして。
(……う……これは……)
 びっしりと額に脂汗が浮かぶ。
 今更だが、ウズメの存在は、ここが三年の教室であるという事を除いても、非常に目立つ。さらにこれまでの彼女との経緯もあり、興味深げなライ達や他のクラスメイトの視線が、どうにも気まずかった。
(と、とにかく何か言わなければ……)
 咄嗟に口を開きかけた、その瞬間。
 紛れもなくフウガにとって救いとなる、予鈴の鐘が外で鳴り響いた。
 それに気づいてウズメは、残念そうに眉尻を下げる。
「む、もう授業が始まるな。……仕方ない」
 そして、長い髪を翻して踵を返すと、
「……フウガ、あまり無理をしないようにな」
 と最後に気遣うように言い残して、教室を去って行った。
 これにフウガはほっと胸を撫で下ろす。
 心配してもらったのは素直に嬉しいのだが、この状況と場所では、やはり気が気でないのだ。
(それにしても何というか……)
 久々に学園に来たと思えばあまりに怒涛の展開である。
 気を休める暇もないとは、この事だろうか。
 ――とは言っても。
 オロチに取り憑かれて以来、何だかこういう事ばかりな気もしなくもなかった。
「何とゆーか、フウちゃん、モテモテ?」
「あれだよ。オロチの件の不幸分に比例した幸運が、今になって舞い込んでるんじゃない?」
「…………あのな」
 フウガは好き勝手な会話を交す親友二人を睨みつけ、
「お前ら……本当にそう思うなら、オロチを譲ってやろうか……?」
 半ば本気でそんな事を口にしていた。

 ――もちろん、あっさり拒否されたのは言うまでもない。


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