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オロチ様はイタズラがお好き!?

三章 純白の憎悪とひび割れる平穏


―― 六 ――

 左右から、同時。
 鞭は、それこそ蛇の如くうねって襲い掛かってきた。
 双子の〈言力〉は、本来は三メートルもないだろう鞭の長さを倍以上にまで伸ばしている。しかも、振るう度にそれは微妙に変化し、フウガに正確な間合いを計らせない。
「くっ――!」
 すかさず〈龍身〉を発動させたフウガは、必死に身を捌き続ける。
 躱して躱して躱して躱して、躱し切れないものは剣で弾き、防ぎ、そしてまた躱す――
 一時すら足を止める事をしない。
 いや、止める事が出来ない。
 体力も不足し、万全でない身体は、最初から悲鳴を上げ続けている。
 息は激しく切れ、一歩ごと一歩ごとに足は重くなっていく。
 それでも、止まれなかった。
 傍から見る者からすれば、少年の姿は、巧みに舞う二匹の蛇に追い込まれる哀れな獲物とでも映った事だろう。
 だが、この戦いは訓練でもないし、〈錬守結界〉内でもない。
 どんな一撃が致命傷になるかわからないし、死んでしまえばそこで終わりだ。だから、例え無様に見られようが、必死にひたすらに無我夢中で攻撃を躱し続ける。
 ただ、双子の鞭自体は、さして攻撃力はなかった。
 鞭はフウガに傷を負わせる事より、縛り上げて動きを封じる事を念頭に振るわれているからだ。だが逆に言えば、一度捕らわれてしまえば、一瞬で完全に足を止められてしまうだろう。
 そして、そうなれば――
「――っ、来る」
 鞭を躱し続けながらも、ずっと注意を払っていた人物からの殺気の高まりを感じ、フウガは僅かにそちらに視線を送る。
 その相手は、当然、ナキだ。
 彼女は刺突剣の切っ先を真っ直ぐにフウガへと向け、後方へと引いていた。同時に大量のプラナがその身へと汲み上げられていく。
 集った世界の息吹は、全て剣の刀身へ。
「一心――」
 〈具言〉が――世界への願いが乞われる。
 同時に剣が眩い破壊の光を放ち、
「――貫き、殺せ」
 斬るという行為を排除し、貫く事だけに特化した刃が突き出される!
 瞬間。
 その突きの延長線上の空間を、細く圧縮された光の奔流が真っ直ぐに貫いた。
 光線が向かう先は、フウガの左胸――人体の急所の一つ、心臓。
「――――っ!!!」
 圧倒的な死の感触が、フウガの肌を撫でた。
 纏わりつく二本の鞭を半ば強引に弾き、渾身の力で後ろ斜めに身を捻りながら跳躍する。
 まさに紙一重。
 ほんの一瞬前までフウガの左胸のあった場所を、細長い閃光が穿つと、遥か後方にまで伸びていき、すぐに見えなくなった。
「っ、はあ――!」
 地面を足で抉りながら、フウガは跳躍の勢いを殺す。
 一撃は胸を掠めていたのか、どろりと赤い血が服を塗らしていた。
 体勢と整え、素早く鞭の追撃に備える。
 だが、幸いな事にハニヤ姉妹の方も持久力に一旦限界がきたのか、鞭を手元に戻していた。ナキの方も一撃必殺の突きを放った直後のため、まだ次の行動には移れていない。
「……はあっ……はっ……はあっ……!」
 この僅かな間隙に、フウガは必死に息を整える。
 ナキ達は、またすぐに攻撃を再開するだろう。
 しかし、
(このままじゃ……駄目だ)
 そもそも長期戦に耐えられる体調ではないのだ。
 こんな防戦一方では、すぐに終わりが来る。
 無謀でも何でも、特攻じみた方法で一瞬で蹴りをつけなければ、こちらの勝利は有り得ない。
「……どのみちこの戦い自体が自殺行為みたいなものなんだ。やるだけやってやるさ」
 覚悟は、思いのほかあっさりと決まる。
 おそらくは後がない事を、頭の中だけでなく、頭頂から爪先まで身体が嫌と言うほど理解しているからだろう。
 フウガの移動した位置に合わせて、三人の少女は動き、陣形を整える。
 左右にきっちり五メートルほど離れた位置に双子、同じ程度の間合いで前方にナキが一人。
 ……よく考えられているものだ。
 この位置関係なら、直線的なナキの攻撃が双子に当たる危険は少ないし、左右の死角から同時に襲ってくるハニヤ姉妹の鞭は、躱すのも防ぐのも至難の業だ。さらに双子は間合いを無視する鞭で、ナキへの敵の接近を防ぐと同時に束縛し、それが成ればナキが必殺する。もしも敵が双子の片割れを先に潰そうと動いたとしても、注意を削いだナキからの攻撃は躱せず死ぬだけだろう。
 だが、それは逆に考えれば。
 三人の内、一人でも倒せれば、この陣形は容易く崩れるという事。
 そうなれば間違いなく逆転の好機となるはずだ。
 フウガが狙うのは当然それで、まず最初に倒すのは――
「…………」
 ナキを真っ直ぐに見据える。
 彼女は必殺の一撃こそ持っているが、威力がある分、攻撃の軌道は単純で読み易いし、一度躱してしまえば隙だらけだ。何より、左右という真逆の位置で距離を保たれる以上、同時に倒す事はほぼ不可能な双子は、ナキが健在な限りは狙う事は出来ない。
「「蛇鞭――」」
 再び双子が動く。
 最初に倒す相手は決まった。
 フウガは〈龍身〉の流れを足元へと集中させる。
 つまり、脚力のみを重点に置いた身体能力強化。
 ナキを狙うならば、まずは双子の鞭を振り切る必要がある。
「「――彼方へ伸び、喰らいつけ」」
 そして、二匹の蛇が奔った。
 唸る鞭は、振るう前以上のリーチとなって獲物を捕らえんとする。
(まだだ……)
 蛇の顎が迫る中、フウガは動かない。
 すぐに動いては捉えられる。
(まだまだまだ……)
 ぎりぎりまで引きつけ、今まさに喰らいつかんとした刹那。
「――――っ!」
 足に溜めに溜めた力を爆発させた。
 後方に吹き飛ぶ土塊。
 残像すら残しながらの急加速。
 蛇を連想させる二本の鞭は敵を見失い、空を薙いだ。
 だが、その隙も長くはない。
 ハニヤ姉妹は、すぐに追撃をしてくるだろう。
 それまでにナキを仕留める――出来なければ、もはや〈龍身〉を保つ体力すら、数秒も待たずに尽きようとしているフウガに待つ運命は死だけだ。
 ナキへの間合いが瞬きの間に詰まっていく。
 ――時間は緩やかに。
 徐々に近づくナキはすでに弦を引き絞る弓のように、刺突剣を後ろに引いていた。
 あちらとて、自身が狙われる事は百も承知なのだろう。〈具言〉が紡がれ、貫殺の一撃は、刹那の後に放たれようとしている。
 思考が雷鳴のように、フウガの脳裏で走った。
 ――自ら高速で接近しながら、敵の突きを回避する。
 そんな神業を可能にするならば、向こうがこちらのどの部分を狙っているかを正確に読んでいなければならない。
 頭部か、首か、再び心臓か――もしくは、それ以外の急所か。あえてここで必殺を狙わず、足だけ止め、後で確実に止めを刺そうとする可能性だってあるだろう。
 どこだどこだどこだどこだどこだどこだ?
 考える時間はない。
 相手の視線、体勢、腕や足、剣先の動き――それらの情報から直感的に判断しろ。
 思考を回すのではなく、何よりも速く奔らせ、行動に直結させろ。
(――――)
 駄目だ、迷いが――

 ――――心臓だ。

「っ!」
 その声が誰のものかとか、それが正しいかとか、今更間に合うのかとか、そんな事を考えるよりも速く身体が動いた。
「ぐうっっっ!!!!」
 速度を緩める事なく前に向かう身体を強引に斜めにずらす。
 相手の突きは直線かつ、破壊を為すのは極小の一点のみ。その軌道から僅かでも外れさえすれば、もはや必殺足りえない。
 無理な挙動に足の筋肉がぶちぶちと断裂し、骨が今にも折れそうなほど軋んだ。
 それでも身体は、望んだ形に動いてくれた。
 一点のみを狙った愚直なまでの閃光は、声の通り心臓狙いだったのか、左腕の肉を抉るのみに留まる。
「うっ! おおおおおおおおっ!!!!!」
 前のめりに倒れるように、剣を突き出した状態のナキの懐に飛び込んだ。
「――――っ!」
 次の瞬間。
 フウガが左手に持った剣の柄尻が、少女の脇腹を抉っていた。
「…………あ――」
 糸の切れた操り人形のようにナキが崩れ落ちる。
 フウガは剣を持ったまま地面に手を突くと、反動を利用して跳ねる様に立ち上がり、ほとんど反射的に背後に剣を振るった。
 ばちんっと何かが弾かれる音。
 鞭だ。
 真っ直ぐに後を追ったが故に、軌道が単純になってしまっていた双子の鞭が、二本一緒にフウガの剣に弾かれたのだ。
 それを視界に収めつつ、フウガは剣を二本共捨て、すかさず両腕を伸ばした。不意打ち気味に防がれた二本の鞭は空中で一瞬停止し、無防備だ。故に、いとも容易くフウガの手に掴まれる。
「「!!」」
「こ、のぉっ!」
 双子が対処に移るよりも速く、フウガは渾身の力を込めて鞭を引く。
 手を離す暇もなかったハニヤ姉妹は、同時に体勢を崩して地面に手をついてしまう。
 フウガは最後の力を振り絞って、地面を蹴った。
 まずは、まだ立ち上がる事も出来ていない妹のスビメへと迫ると、手刀で首の後ろを打って意識を刈り取る。次いで、ようやく膝を立てた所だった姉のスビコまで疾駆すると、鞭を振るわれる寸前で同じように昏倒させた。
 それで最後だ。
 ナキ、スビコ、スビメの三人はほぼ無傷で意識を失い、フウガの〈龍身〉も限界を迎える。
「ぐ、つぅ……」
 苦悶の声を上げ、フウガは数歩よろよろと歩いた後、その場に膝を突いた。
 奇跡にも近い所業を為し得た喜びなどない。
 限界を越えた疲労で、今にも途切れそうな意識を必死に繋ぎ止める。
 酷使した両足はがくがくと振るえ、もう立ち上がる事さえ出来そうになかった。胸と左腕の傷は浅いものの、未だ止まる事なく血が溢れ出している。
「……くそっ……まだ妖魔も倒さなきゃいけないってのに……」
 歯噛みする。
 なんとかナキ達は救ったものの、代償を大きかった。
 もはや今の少年の身体では、どう無理をした所で、到底戦う事など出来ないだろう。
『無理をせん事だ。とりあえず動くなら止血をしてからだろう』
「…………」
『? 何だ?』
「…………いや」
 あのとき、フウガの迷いを振り払った声は、間違いなくオロチのものだったはずだ。
 だが、素直に礼を言うのも癪で、無言で止血だけを施す。
 治癒の〈言力〉としては初歩中の初歩である血止め程度なら、フウガにも扱う事は出来る。
「――よし、これでいいな」
 止血を終え、ようやく足の震えも少しは収まり始めた、そのとき――

「へえ……。頑張ったのね、フウガ」

 そんな満足そうな幼い少女の声がその場に響いた。

 * * *

「な……」
 顔を上げる。
 視界に入ったのは、声の印象の通りの十歳ほどの少女。
 髪、瞳、肌、服。
 全てが純白。
 ただ一つ紅い唇だけが、嬉しそうに笑みで弧を描いている。
 その手には、小柄な身体にはあまりに不釣合いな大鎌が握られ、曲線を描く刃が鈍く怪しい光を放っていた。
『……この娘』
 何かを訝しがるようにオロチが呟く。
 フウガも、自身の胸中でざわめく何かを感じていた。
(……俺は……この娘を知って……いる……?)
 だが、それを確信するには、酷く違和感を覚えた。
 知っているのに――“知っているはずがない。”
 そんな噛み合わない感覚。
 フウガの戸惑う様子を見て、少女がくすくすと愉しそうに笑う。
「でも、そうじゃなきゃね。フウガに簡単に死なれたら、後の楽しみがなくなってしまうもの」
 フウガは膝を突いた状態のまま、目付きも鋭く少女を睨む。
「……君は、誰だ。まさか――」
「ええ、そうよ。私が〈異界〉を創り、この娘達を操った張本人」
「…………!」 
 白を纏う少女は、フウガが唖然とするほどあっさりと己の行った事を認める。
 怒りで心が沸騰し、フウガはぎりっと拳を固く握った。
「お前、妖魔なのか……!」
「妖魔? 失礼ね、私、そんなのじゃないわ」
「嘘を吐くな!」
 〈異界〉もナキ達を傀儡にしたのも〈妖術〉。
 そして、それを行ったのは、この少女。
 ならば、彼女が妖魔である以外の結論が有り得るものか。
「まあ、信じるかどうかは貴方の勝手。正直、そんな事はどうでも良いし。それよりも――」
 明らかにその細腕では支える事も出来なさそうな巨大な鎌。
 しかし、少女は、それをぶうんと頭上で軽々と回転させ、
「――白花、咲き誇れ」
 呟かれたのは、紛れもなく力在る言葉――〈具言〉。
 〈言力〉を発動させる鍵である世界への願い。
 そうして中空に生まれたのは無数の純白の百合だった。
 次の瞬間。
 花の群れは、飛来してきた矢のような速度でフウガの周囲へと降り落ち、鋼の如き強靭な茎で次々と地面に突き刺さる。
 だが、フウガ自身には一本足りとも刺さってはいなかった。少年を避けて、周りだけが綺麗に白花に覆われている。
「――――」
 フウガは一歩も動けない。
 身体が重いとか、足が動かないというそういう話ではなかった。
 寸前まで全く発動を悟らせなかった洗練された少女の〈言力〉。さらに妖魔であるはずの彼女がそれを操ったという驚愕で動けなかったのだ。
 妖魔にとって〈妖術〉が彼ら特有のものであるように、〈言力〉は人間のみが操れる術で、決して妖魔には扱えない。
 何故なら、そもそも人間とは、生命としての成り立ち自体が異なる妖魔は、〈人界〉にのみ在る〈龍脈〉との繋がりを持てないのだ。〈龍脈〉との繋がりがなければ、プラナを汲み上げる事も出来ず、当然、〈言力〉を扱う事など不可能だ。
 なのに。
 そのはずなのに。
 この妖魔であるはずの少女は、さも呼吸をするような気軽さで〈言力〉を行使してみせたのだ。
「何でだ……? 何故……」
 呆然としつつも、意識は自然と数メートル後方にある自身の剣へと向いていた。
 六メートル……いや、七メートルはあるだろうか。
 〈龍身〉すら使えず、足はまともに動かない。
 果たして、この状態で眼前の少女を出し抜いて、あそこまで行け――
「――――」
 思考は、背筋が凍りつくほどの冷たい感触で遮られた。
 気づけば、首には鎌の刃がぴたりと押し当てられている。
 いつ少女が動いたかすら、わからなかった。
「無駄よ。余計な真似をする前に、私が貴方の首を刎ねるもの」
「…………くっ」
 指一つ動かせなかった。
 少女の言葉は脅しではない。
 それを確信させるぐらいの殺意と憎しみが声には内包されていた。
「フウガ……貴方を心から愛しているの。
 そして、それと同じくらい憎くて憎くて堪らないの。
 だから――ここで哀れに死んでくれる?」
 声音は、とても優しく。
 その幼い容姿にそぐわぬ熱を帯びて。
 ――沈黙が落ちる。
 フウガは声すら出せず、少女もただ冷たい眼差しでこちらを見下ろしている。
 必死にこの危機を脱する手段を考えるが、何一つ思いつかなかった。
 あまりに自身の状態も状況も悪過ぎる。
 このままでは間違いなく殺され――
 と。
「なーんてね。冗談よ」
 突然、少女は殺意も憎しみも収めて、あっさりと鎌を首から離した。
 これにフウガは、呆気に取られる。
「…………どういう、つもりだ?」
「さっきも言ったでしょう? ここで、貴方を殺したら楽しみがなくなるの。貴方には今後、私の掌の上で散々もがいて苦しんで、それでも生き残って――最後の最後に絶望に抱かれたまま私の手で殺される。だから……その日が来るまでは生かしておくのよ」
「…………」
 本気だ。
 この正体の知れぬ少女は、そんな馬鹿げた事を本気で口にしていた。
「さあて……」
 少女は相変わらず軽々と片手で大鎌を持ち上げると、唇に指を当てて笑んだ。
「それじゃあね、フウガ。私はもう行くわ。この先、貴方に苦しんでもらうため、いろんな奴にちょっかい掛けさせるけど、私に殺されるまで死んじゃ駄目よ?」
「…………っ」
 ――止める事は出来ない。
 今の自分は、見逃されただけの無力な獲物だ。
 だから、黙って少女が去るのを見守る事しか出来なかった。
 しかし、その前に。
 一つだけ訊かねばならない事があった。
「――待て! 最後に教えろ。お前は……お前は何者なんだ……!?」
「私? そうね、名前くらいは言い残しておこうかしら――って、そういえば自分の名前とか考えてなかったわ」
 少女は困ったように首を傾げ、数瞬、考え込む様子を見せた後、
「――シラユリ……そう、私はシラユリ。忘れないでね、フウガ」
 と、そう名乗った。
「……シラユリ」
 フウガは、口の中で小さくその名を反芻する。
 その前で、少女の周囲を白い花弁が舞い出す。
 白の帳は、ゆっくりと――だが、次第に速度を上げつつ旋回し始める。
 回る毎に花弁は数を急速に増やしていき、シラユリの姿を覆い隠していった。
「愛しているわ、フウガ。誰よりも。狂おしいまでに。……また必ず会いましょう――」
 舞う踊る花弁と共に、少女の姿が消える。
 愛とも憎しみとも取れぬ響きを持った声と共に。
 同時に、周囲に刺さった花も〈異界〉も消え去っていた。
 夜闇も月光も――世界の在り方は全て元に戻り、夜の静寂だけが辺りを包んでいる。
「…………」
 ふわり、と。
 何かがフウガの足元に舞い落ちた。
 ――白い。
 唯一つ残った、どこまでも白い百合の花弁だった。


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