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オロチ様はイタズラがお好き!?

二章 完全無欠の最強少女


―― 三 ――

「……しかし、いくらなんでも無茶じゃないの?」
 ソウゴによって、舞台に〈錬守結界〉が張られる中、外で見守るレナが呟いた。
「何が?」
 ライが訊くと、レナは呆れた視線をこちらに送った。
「何って……言っちゃ悪いけど、スサノって学園史上最低の落ちこぼれって言われてるのよ? しかも、階位はF参。最強S参のツクヨミ先輩相手じゃ、強さを直に感じてみるとか以前に、戦いにすらならないでしょ、普通に考えて」
「レナちゃん! もうちょっと言い方が……!」
 ミヨが慌てて叱るものの、彼女もレナの言った内容自体は否定はしなかった。
 おそらく内心は、レナとさして変わらないのだろう。
 ただフウガの候補生間での評価を考えれば、無理のない事ではあった。
 しかし。
 ライやゴウタ、さらに学園長を含む幾人かの教官内でのフウガへの評価は、それとは大きく異なっている。
「ま、言いたい事はわからんでもないで」
 ゴウタが意味ありげな笑みを見せて、肯定した。
 ライもまた頷く。
「そうだね。確かに、今の時点じゃフウガがツクヨミ先輩に勝つのは、まず無理だろう。そこは認めるけれど……」
「けれど――何よ?」
 含みを持たせた二人の言い方に苛立った様子で、レナが問う。
 表面的な性格通り、遠回しなのは嫌いらしい。
「タマヨリが言ったような戦いにすらならないって事は、たぶんないよ。そこそこは善戦するんじゃないかな」
「はあ……?」
 何を言うんだ、と言わんばかりにレナが顔をしかめる。
 予想通りの反応にライは微笑を浮かべた。
「まあ、答えはすぐに出るさ。とりあえず見守ろうよ。フウガとツクヨミ先輩の戦いをね」
 そう言って、視線を舞台へと向ける。
 レナも不満気な顔をしつつも、それに従った。
「……いいかげん、ほんまの自分を出すんやろな、フウちゃん」
 ふと隣でゴウタが呟いた。
 独り言な上、囁くような小さな声だったので、ライ以外は聞き取れていないようだった。
(そう……それを出さなきゃ、ツクヨミ先輩とはまともに戦えないよ、フウガ)
 ライもまた胸中で呟き、期待に満ちた眼差しを舞台に注ぐ。
 それとほぼ同時。
「――始め!」
 ソウゴの号令が〈錬技場〉に響いた。
 こうして。
 スサノ・フウガの人生にとって、一つの転機となる戦いが始まった。

 ◇ ◇ ◇

 フウガは、対峙する美しき少女を見据え、一直線に駆けた。
 今回の手合わせの目的は勝つ事ではない。
 ウズメの実力を直に感じる事だ。
 だから、ひたすら真っ直ぐにぶつけるつもりだった。
 今、己の持つ力の全てを、ウズメという少女へと。
 フウガは静かに感じる。
 舞台の床を越え、地を越え、さらにその下深くに存在する〈龍脈〉を。
 そこを流れる世界の息吹プラナを。
 〈言力師〉とは、プラナを知覚する事の出来る者だ。
 感じ取ったそれを、己が身に汲み上げ、自身のものにする事が出来る者だ。
 つまり、それは。
 世界と一体となるという事に他ならない。
 そして、一時だけ世界そのものとなった〈言力師〉は、紡いだ願いを現実へと変える。
「旋風――我が身を抱け!」
 フウガは、世界への願いを――〈具言〉を紡ぐ。
 果たして、プラナを犠牲にし、願いは叶えられる。
 生まれた〈言力〉の風は、地を蹴る少年の身体を抱き、結界の天井すれすれまで舞い上げていく。
 落下地点には、ウズメが居た。
 彼女は動かない。
 刀を構える事もせず、泰然とフウガを待ち受ける。
 二人が激突すると思われた寸前。
 フウガは、さらなる願いを世界に乞う。
「我、落葉が如し――」
「!」
 まさにそれは、落葉だった。
 ただ重力に従い落ちていたはずのフウガの身体は、目で追う事すら難しい不規則な挙動をしたかと思えば、一瞬にしてウズメの背後に居た。
 自身の周囲の風を複雑精緻に操る事で可能になる、常識を捻じ曲げた体捌き。
 この瞬間、〈錬技場〉内に大きなどよめきが起こる。
 フウガは学園史上最低の落ちこぼれ――候補生内での評価はそうなっている。だから、皆、この戦いはウズメが圧倒的な力の差を見せつけ、一瞬で勝利を決めると思っていたはずだ。
 しかし。
 今、フウガの見せた動きは、落ちこぼれのF参には決して不可能なものだったのである。
「烈風、研ぎ澄ませ!」
 三度紡いだ〈具言〉により、両手の小剣二刀に鋭き風が宿る。
 〈錬守結界〉内では、如何なる攻撃も命を奪うほどの威力は発揮できない。
 ならば、相手の身を案じて、躊躇う必要もない。
 全力を込めて、二筋の斬撃を放った。
 だが、しかし。
 二本の刃は、別の一本の刃に阻まれた。
 炎そのものかと見間違う模様を纏いし、長き刃だ。
 最初の体勢を変えぬまま、背後に刀だけ持っていって、ウズメはフウガの攻撃を防いだのだ。
 目で見る事すらしていない。
 風の流れだけでフウガの動きを読み切り、防御に動いたのか。
「良い動きだ。やはり君がF参というのは、大きな誤りのようだな」
 顔だけ振り向き、ウズメが言った。
 なぜか、とても楽しそうに。
 そして、刀を持った方のウズメの手首が捻られた。
 刹那。
「なっ――!?」
 唐突な浮遊感がフウガを襲い、気づけば舞台が遥か下にあった。〈言力〉を発動してもいないのに、再び結界の天井すれすれを舞っていたのだ。
 その高さは、地上より、およそ十数メートル程。
 信じられない事に、ウズメは手首の捻りだけで、フウガをそこまで飛ばしたのだ。
「……んな、滅茶苦茶な……!」
 驚嘆しているのは、フウガだけではない。
 ライ、ゴウタ、レナ、ミヨ、審判として結界内に留まるソウゴ、さらに観客席の候補生達――この戦いを見守る全員の度肝を抜く所業だった。
 〈言力師〉は戦闘の際、ほぼ必ず〈龍身〉りゅうしんという〈言力〉を用いる。これは汲み上げたプラナを自身の血液内で循環させ、身体能力を大きく向上させる術だ。
 つまり、肉体を世界に、全身を巡る血管、ないしはそこを流れる血液を〈龍脈〉に喩えるのである。故に通常、戦闘中の〈言力師〉は膂力からして、常人とは大きく差があった。
 だが、そうだとしても。
 手首の捻りだけで、人一人を飛ばしてしまうというのは、あまりにとんでもない。
(……これが学園最強ツクヨミ・ウズメ、か)
 笑みすらこぼれてしまう。
 基本の〈龍身〉でさえも、この錬度。
 わかっていた事だが、やはり彼女は普通の人間とは一線を画す存在なのだ。
 これで騎士候補生であるという事自体が反則に近い。
 だが、今更、それを思い知ったからといって、臆する気もなかった。
 フウガは空中で身を捻って着地すると、再度、攻撃に移ろうとして――
 少女の美貌を眼前に見た。
「――――!」
 着地の瞬間を狙って、間合いを詰めてきたのだ。
 すかさず少女の刀が疾る。
 凄まじい膂力のこもった横薙ぎの一撃を、フウガは咄嗟に二本の小剣を交差させて受け止めた。
 支えきれない――!
「ぐっ!」
 踏ん張る事は諦め、横っ飛びして威力を受け流した。
 だが、長い黒髪を外套の如く翻しながら、ウズメはさらに容赦なく斬り込んでくる。
 一撃一撃が重い上、あれほど長い刃を持つ刀でありながら、斬り返しが恐ろしく速い。
 武器の間合いの差もあって、フウガは反撃の隙をまるで見出せず、完全に防戦一方に追い込まれる。
 そして、その光景を見て、レナとミヨは驚愕の表情を浮かべていた。
 ウズメの強さはもちろん、彼女に必死に喰らいつくフウガの姿を目にした事が何よりの理由だった。
「な、何よ、あいつ……防御に手一杯とはいえ、まともにツクヨミ先輩と斬り合ってるじゃない……」
「す、凄い……」
 二人の驚きをよそに、ゴウタは平然と腕を組むと眉根を寄せる。
「だけど、ヤバイな。あのまんまじゃ、ほんまに何も出来んままに終わるで」
「それにツクヨミ先輩は、まだ〈龍身〉以外の〈言力〉は使ってない。さすがに、この辺で反撃が欲しい所だね」
 ライも冷静に相槌を打つ。
 もしもこの会話をフウガが聞いていれば、他人事だからって簡単に言うな、とでも怒ったかもしれない。
 だが、彼とて、このまま終わるつもりは微塵もなかった。
「――疾く、駆けよ!」
 両足に風の補助を得て、一瞬だけフウガはさらなる速さを得る。
 瞬時に、ウズメの間合いから脱すると、さらに次の〈具言〉を唱える。
「刃風、断ち切れ!」
 放たれるは、立ちはだかるものを冷酷に切り裂く真空の刃。結界内であっても、相手を昏倒させる程度の威力は十分にあった。
 それをウズメは見事な体捌きで躱し――次の瞬間、目を見開いた。
 すぐ間近にフウガの姿があったのである。
 風刃を囮に、彼もまた距離を詰めていたのだ。
 これを好機と見て、フウガは叫ぶ。
「剛風、吹き荒め!」
 途端、フウガを中心に小さな嵐が巻き起こり、結界内を蹂躙する。
 至近距離からの広範囲攻撃。
 自身が巻き込まれる事も厭わない決死の特攻。
 もとより実力差は明白なのだ。ならば、それくらいの覚悟がなければ、攻撃を当てる事など出来ようはずもない。
「なっ!?」
 だが、少年は瞠目する。
 視界には、すでにウズメの姿はなかったのだ。
「勇気は認めるが、まだまだ甘い」
 反射的に声のした方に顔を向けようとした瞬間。
 フウガの脇腹を強烈な衝撃が襲う。
 苦悶の声を上げる暇もなく舞台の上を二転三転して、結界の壁へと背中から叩きつけられる。
「……ぐ……つぅ……」
 背中と脇腹に、激痛。
 胃液が逆流して、その場で吐瀉しそうになる。――が、さすがにそれはみっともないとフウガはぎりぎりで耐えた。
「どうした、スサノ。もう終わるのか?」
 ウズメは追い討ちを掛ける事なく、静かに佇んだまま問うた。
 どこか試すような口調でもあった。
「……まだ、ですよ」
 震える膝を押さえて、フウガは立ち上がる。
 息が酷く荒れ、身体が石のように重い。
 最後の〈言力〉には渾身を込めていただけに、消耗が激しかった。
 今の体力では、せいぜい残り〈言力〉一発が限界といった所だろう。
 まだ自分は、ウズメに、まともに一撃を決める事も、基本以外の〈言力〉を使わせる事も出来ていない。
(負けは覚悟してても――それは駄目だよな)
 こんな自分にだって矜持はある。
 譲れない一線はある。
 このままで終われない。終わるわけにはいかない。
「俺の意地……見せさせてもらいますよ――!」
 咆哮し、フウガはイザナギ、イザナミを構える。
「そう……そうでなくては面白くない」
 ウズメが嬉々として笑む。
「さあ、スサノ・フウガ――君の全てを私に見せてみろ!」
「おおおおおおおおっ!!!」
 咆哮し、フウガは駆ける。
 駆けて、駆けて、駆けて、駆けて――ウズメとの間合いを詰めていく。
 そして、不意に。
 彼の唇が笑みを象った。
「――なっ!」
 この戦いで初めて、ウズメが動揺を見せた。
 疾駆するフウガが、何を思ったか、手にした二本の小剣を真上に投げ上げたのだ。
 この思わぬ行動に、さしものウズメも困惑し、視線がそれを追ってしまう。
 そこをフウガは見逃さない。
 一気に間合いを詰め、
「烈風、集え!」
 右の掌に、残った力の全てを込めた風を結集させた。
 投げた剣は彼女に隙を作らせるためのもの。
 本命は、こちらの一撃。
「しまっ――!」
 一瞬、遅れてウズメはそれに気づく。
 構わずフウガは、風を纏った掌底を叩き込んだ。
 爆風。轟音。
 観客席から、ウズメを案じる悲鳴が上がり、僅かに遅れて二本の小剣が舞台の上に落ちる音が響いた。
 数瞬の静寂の後、
「……後一歩、か」
 フウガが苦笑を含んだ声で言った。
「そうだな。だが、見事に虚を突かれたぞ」
 ウズメは微笑し、素直な賛辞を送る。
 フウガの掌底は、彼女には届いていない。
 寸での所で、刀の鍔の部分で止められていたのだ。
 自ら武器を手放すというフウガの行動は、完璧にウズメの想定範囲を越えたはずだった。
 それでもなお――この結果だ。
 それは、現在のフウガとウズメの実力の差を明確に表していた。
 反撃を避けるために、フウガは後方に跳ぶ。
 もはや〈言力〉を練る力も残っていなかったが、まだ身体が動くのならば、最後まで負けを認めるつもりはない。
「君の戦いぶりに敬意を表して――私もまた渾身の一撃で応えねばな」
 ウズメはそれを追う事なく、カグヅチを頭上に掲げた。
 ぴりぴりと空気が震え、強大な圧迫感がフウガを後退りさせる。
「…………っ!」
「――劫火、万象焼き尽くせ」
 歌うように紡がれる〈具言〉。
 しかし、それによって叶えられる世界への願いは、鮮烈かつ苛烈。
 一瞬にして、〈錬技場〉内は、赤色に染め上げられる。
 ウズメの〈真名武器〉であるカグヅチが纏うのは――大火の獣。
 それを従える彼女の姿は、まるで一枚の絵画のようで。
 まるで炎姫とでもいうような雄々しさと美しさで。
 思わず見惚れたフウガは、次に放たれた一撃を躱すという考えすら浮かばなかった。
 ――カグヅチが振り下ろされる。
「ぐっ……うああああああああああああああああああああっ!!!」
 開いた炎獣の顎が、容赦なくフウガを飲み込み、吹き飛ばし――
 その瞬間、彼は敗北を確信した。

 * * *

 気づけばフウガは、服の各所からくすぶった煙を上げながら、舞台の上に大の字になっていた。
 疲労と、先ほど一撃による痛手で、まるで身体が動かない。
(もしも結界内でなかったら、消し炭だったかな……)
 と、他人事のようにぼんやりと考える。
 すうっと喉下に、刃が突きつけられた。
 視線を上げると、ウズメが静かにこちらを見下ろしていた。
「まだやるか?」
「……まさか。もう戦う力なんて残ってないですよ。完敗です」
 まさにその一言でしか表せないだろう。
 結局、自分は彼女に一太刀すらも浴びせる事はできなかったのだ。
 本当なら悔しいはずなのに、ここまで完膚なきまでやられると、いっそ清々しかった。
 負けを認める台詞に刀を引いたウズメは、フウガの脇に移動すると膝を突き、こちらの顔を覗き込んでくる。
「君との戦い、久々に心躍った。礼を言わないといけないな」
「いや、そんな……俺は何も出来ませんでしたよ」
「そんな事はない。君が真っ直ぐと向かって来てくれた事が、本当に私は嬉しかった。おかげで君に興味が湧いたよ。だから――」
 ウズメが、どこか艶やかに微笑んだ。
「――これを受け取ってくれ」
「え――……」
 ――甘い白梅香の香りがした。
 何かが優しく頬を撫で、唇に柔らかい感触が広がる。
 目の前にあるのは、凛々しい少女の美貌。
(まさ、か……これって……)
 頬を撫でていたのは、彼女の長い漆黒の髪だ。
 そして、唇に重ねられているのは――
「!!?」
 ようやく状況を頭が理解しても、身体がまともに動かないフウガは、なすがままになる。
 ウズメがゆっくりと顔を離した。そして、曲げた指を、さっきまでフウガのそれと触れ合っていた唇に当てて、悪戯っぽく笑う。
「つまらないものだが、ほんの礼代わりだ」
 フウガは何も答えられない。
 ただただ固まって、呆然と彼女の顔を見つめていた。
 ライ達やソウゴ、さらに他の候補生達も、あまりに突然の展開に付いて行けずに、呆気に取られて静まり返っている。
 ウズメはそれに苦笑しながら立ち上がると、倒れたままのフウガに告げた。
「三ヵ月後、また戦る事になるのだろう? その日までに君がどこまで強くなっているか――楽しみにしている」
 そう言って身を翻すと、ウズメは〈錬技場〉を去って行った。
 フウガはその背中を見送った後、
「…………」
 痛みも忘れて腕を持ち上げると、掌で顔を覆った。
 ……一体、なんなのだろう、この状況は。
 おかしい。
 何かがおかしい。
 昨日から、明らかに自分の日常が大きく狂い始めているのを、フウガは感じていた。
『ぬはははは! 思いのほか、面白い事になってきたではないか』
 間違いなく、その元凶であるオロチが、機嫌も最高潮に大笑する。
 だが、今のフウガには、それに怒りを覚える心の余裕さえもなかった。まず間違いなく、この後この場で起きるであろう騒動の事を考え、途方に暮れる。
「……本当……どうしよう……」
 もう、そんな言葉しか出てこなかった。

 それから数秒後。
 フウガの予想通り〈錬技場〉は大騒ぎとなった。
 ようやく何が起きたのか状況を理解した候補生達(八割が親衛隊所属)により、阿鼻叫喚の如き絶叫と悲鳴が響いたのである。
 フウガの受難の日々は、悪化の一途を辿るばかり――。


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