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オロチ様はイタズラがお好き!?

二章 完全無欠の最強少女


―― 二 ――

 不必要と思えるほどの広大な敷地を持つ王立第一ヒノカワカミ学園の一角には、〈錬技場〉れんぎじょうと呼ばれる施設がある。そこは授業での実技訓練や候補生達の自主訓練、また学園の催し物など、様々な用途で使われていた。
 放課後になり、フウガ達は、その〈錬技場〉へと向かった。
「お、あれってシンラン教官やないか?」
 〈錬技場〉が見えてきた所で、ゴウタが声を上げる。
 フウガが目を凝らすと、確かにソウゴが何か難しい顔で〈錬技場〉の入り口の前に立っていた。
「シンラン教官!」
「……ああ、スサノ君。あと、ミカヅチ君にフドウ君も」
 フウガに呼ばれ、ソウゴが少し気まずそうに顔を上げた。
「……って、何でお前達が居るんだ?」
 小走りに駆け寄ったフウガは、彼女達に気づいて目を丸くした。
 ソウゴの背に隠れるように、なぜかレナとミヨが居たのである。
「う、うるさいわね!」
 いきなりレナは怒鳴り、
「あんな許され方しても納得がいかなかったのよ! 悪い!?」
 そう一方的に言って、そっぽを向いた。
「いや、いきなり逆ギレされてもな……」
 相変わらず対処に困る反応に、フウガは曖昧に笑うしかない。
「ご、ごめんなさい、スサノ君!」
 ミヨがわたわたと慌てて、口を開いた。
「えっと、レナちゃんは、『もう気にしてないって言われても、それじゃやっぱり自分が納得できないから、スサノ君がツクヨミ先輩に勝てるように、自分達も出来る限りの手伝いをする』って言ってるんです」
「……一体、どこをどう訳したら、そういう意味になるんや?」
 ゴウタは呆れた顔で呟く。
 隣でライが肩を竦めた。
「素直じゃないんでしょ、要するにさ」
 ちなみに二人は、レナとミヨの事は、すでにフウガより聞いている。なので、フウガとのやり取りから、彼女達が話に聞いた、この件の発端となった二人だと察したようだった。
「とりあえず、フウちゃんを手伝うんなら、俺らとも協力関係って事やろ? 俺は〈三の風〉クラスのフドウ・ゴウタや。よろしゅう」
「僕は、ミカヅチ・ライだよ。同じく〈三の風〉クラス」
「あ、〈三の水〉のナスノ・ミヨです。よろしくお願いします」
「……タマヨリ・レナ。よろしく」
 ミヨがぺこぺこと頭を下げ、レナは、どうも気まずいのか、未だに顔を逸らしたままだった。
「……やれやれ、だな」
 フウガは、思わず苦笑していた。
 藁にもすがりたいフウガにとっては、協力者が増えるのは助かったが、なんとも先が思いやられそうなメンバーではあった。なにせ、それぞれがそれぞれ個性に溢れ過ぎなくらいに溢れているのだ。
「まあ、俺も改めてよろしくな。それと――ありがとう」
 責任を感じてのものとはいえ、手伝いたいと言ってくれたレナとミヨの気持ちは、純粋に嬉しかった。
 ミヨがぶんぶんと手を振る。
「い、いえ、もとはと言えば、私達のせいですから……!」
「そ、そうよ。礼なんかいらないわ」
「レ、レナちゃん! ……もう!」
 頬を紅潮させて無愛想な態度を取るレナを、ミヨが叱る。
 フウガは、彼女達に気づかれないように小さく笑った。
 相反する性格の二人だが、だからこそ良いコンビになっているらしい。
 そして、改めてソウゴの方に向き直る。
「それで、シンラン教官。ツクヨミ先輩は呼んでもらえましたか?」
 ウズメとの手合わせを決意したフウガは、彼女にその旨を伝える役をソウゴに頼んだのだ。
 なにせ今のフウガは、オロチの一件が広まり、現在、学園でやたらと目立つ存在と化してしまっている。そんな状態で堂々とウズメに手合わせを願いに行けば、間違いなくいらぬ面倒を起こすだろう。朝のナキとのやり取りを考えれば、その事は想像に難くない。
 故に、フウガは出来うる限り穏便に事を済ませるために、教官の中でも気心の知れたソウゴに伝言役を頼んだのである。
 もちろん、それでも少なからず騒ぎにはなるだろうが、フウガが直接、出張るよりはマシのはずだった。
「……ああ、うん。ツクヨミ君は問題なく来てくれたよ。今、〈錬技場〉の中で待ってる」
 ソウゴはどこか歯切れも悪く、答えた。
「そうですか。助かります」
 それにフウガは安堵して、息を吐く。
 彼女も噂でフウガの事情は聞き知ってはいるだろうが、あまりにいきなりな頼みだ。
 内心、断られるのではと少し不安だったのである。
「――一応、確認しますけど、出来るだけ目立たないようにしてくれましたよね?」
「も、もちろんしたよ! で、出来るだけね……」
「…………?」
 先ほどから明らかにおかしいソウゴの様子に、フウガ達は顔を見合わせる。
「なんだか気にはなるけど……ともかく中に入ろうか」
 ライに促され、フウガは頷いた。
「そうだな。よし、行くか」
 覚悟を決め、フウガ達は〈錬技場〉へと足を踏み入れ――
 目の前に広がった光景に、呆然と立ち尽くした。
 〈錬技場〉は、広い空間に白い枠線で区切られた舞台が整然と並んでいる。さらに、それらを囲み、見下ろす形で千人分を越える観客席が設置されていた。
 どちらかと言えば、見た目は闘技場のような趣である。
 そして、今、その観客席は――満員になっていた。
 ほぼ全てが学園の候補生達である。
 学年、性別問わず、席という席を埋め尽くし、今や〈錬技場〉内は、人の熱気とざわめきで包まれていた。
「な、なんだ、これは……」
 フウガは呻くように洩らすと、ぎぎぎっと油の切れたからくり人形のようにソウゴへと振り返る。
「……ごめん、スサノ君。僕も頑張って目立たないようにツクヨミ君と話したんだけど、彼女って普段から注目されてるだろう? 何人かに気づかれたら、あっという間に話が広がっていって、気づけばこんな状況に……」
 平身低頭に、ソウゴが謝罪する。
「やはり恐るべしだね、ツクヨミ先輩」
 ライの冷静な言葉を、フウガは引きつった顔で聞いていた。
 今の自分を取り巻く状況とツクヨミ・ウズメの存在感を考えれば、全く目立たずに行動するのが不可能に近い事は、フウガも理解している。
 だが、それにしたって、まさか〈錬技場〉を埋め尽くすだけの候補生が、この短時間で集まってしまうのは予想外だった。
『ぬはははは! たいした舞台ではないか。さあ、胸を張って舞台に上がるがいい、フウガよ』
「……本当にその舌を引っこ抜いてやりたい」
 大笑するオロチに、フウガは不気味な笑顔で言った。
 だが、今更、やっぱり今日はやめます、とは言えないだろう。
 そんな事をすれば、それこそ暴動の一つや二つ起きてしまいそうである。
「フウちゃん、残念ながらこのまま始めるしかないようやで」
 さすがに同情した様子で、ゴウタが肩を叩いた。
 フウガは小さく嘆息し、
「……そうだな。まあ、やるって決めたのは、俺だしな」
 半ば諦めるように覚悟を決める。
「が、頑張ってください!」
「……せいぜい死なないようにね」
 ミヨとレナの声援を背にフウガは独り、〈錬技場〉の中央に設置された舞台の一つに歩を進めていった。
 途端に〈錬技場〉内を静寂が支配した。
 溢れんばかりの候補生達の視線が、フウガに集中する。
 わかりきっていた事だが、好意的な視線は、ほとんどない。
 おそらくこの場に居るのは、野次馬的な気持ちで来た者を除けば、ツクヨミ・ウズメに心酔している候補生達がほとんどだ。どんな事情であれ、彼女に個人的に手合わせを願い、しかも、それを快諾されるなど、妬みの対象以外の何者でもないのだろう。それでも同情めいた表情の候補生が何人か見えたのは、フウガにとっては救いだった。
 そんな中、ふと、今日の朝に会ったばかりのナキとその取り巻きの双子が、只事ではない怒りのオーラを発している姿が視界の端に入る。
(……まあ、そうだろうなぁ)
 とりあえず全力で気づかない振りをして、フウガは中央の舞台の上へと上がった。
 そして、そこに――

 彼女は立っていた。

 床にまで届かんばかりの長い髪。
 波紋一つ立たぬ湖面を思わせる静けさと、烈火の如き猛々しき意思を同居、内在させる瞳。
 そのどちらもが夜闇を塗り固めたかのような漆黒だ。
 男女問わず見惚れ、羨望する美貌の面は、鋭き刃のような凛々しさで。
 鍛え上げられた肉体は理想的な線を持ち、無駄な肉など一切存在しない。
 その細く美しい指には、少女の美しさを際立たせるためだけにあつらえたかの様な、漆黒の鞘に収まった長い刀が握られていた。
 そう。
 彼女こそが――ツクヨミ・ウズメ。
 最高階位であるS参に認定され、紛れもなく学園最強を誇る美しき少女。
『――ほう、この娘が』
「…………!」
 オロチは感心した様に呟き、フウガは思わず息を止める。
 もちろん、その姿を見たのは初めてではない。
 以前に、その戦いぶりを目にした事だってある。
 だが、それでもなお。
 彼女を前にした瞬間、フウガは圧倒的な存在感に戦慄し、身を竦ませた。
 ……今日の朝。
 ツクヨミ・ウズメは住む世界が違うと言っていたのは、ゴウタだったろうか。
 確かに、それは的を射ていると思った。
 彼女と自分では、間違いなく住む世界が違うのだ。
 間近で見て、その事を思い知る。
 しかし、――“今は”だ。
 呪いを解くには、自分はツクヨミ・ウズメに勝たないといけない。そして、そのためには、彼女と同じ場所にまで這い上がらねばならないのだ。
 いや、這い上がってみせる――!
 決意と共に、真っ直ぐとウズメを見つめた。
 彼女は、意外にも、こちらに向けて穏やかに微笑んだ。
「君がスサノ・フウガか」
 その声すらも、彼女は美しい。
「――はい」
 一瞬見惚れそうになる自分を諌めながら、フウガは、はっきりと返事をする。
「そうか……なるほど」
 意味ありげにこちらを観察するウズメに、フウガを頭を下げた。
「ツクヨミ先輩、急な手合わせを受けて下さって、ありがとうございます」
 ウズメは苦笑し、小さく頭を振る。
「そんなに畏まらないでくれ。私は上級生とはいえ、まだ、ただの騎士候補生だ。それに多くの者と刃を交える事は、騎士になる上での大きな糧になる。互いにな」
 その後、彼女は顎に手を当て、何か考え込むように少し沈黙する。
「何か……?」
 フウガが訝しがっていると、不意に彼女は夜色の双眸に疑念の光を宿した。
「気に障ったら謝るが……君は学園史上最低の落ちこぼれと皆に言われているそうだな。階位もF参と通常の候補生なら有り得ないほどに低い。そんな君が呪いの事があるとはいえ、どうして私に挑もうと思った? 普通に考えれば、誰だって勝ち目はないと諦めるだろうに」
「ツクヨミ先輩。理由は言えませんが……俺は絶対に女になるわけにはいかないんです。そこだけは何があっても曲げられない。それに――」
「それに?」
 興味深げに、ウズメが問い返す。
 それに対するフウガの答えには、何の淀みはなかった。
「己を信じ、そして行動しなければ、決して叶う事はないんですよ。――どんな望みだってね」
「…………」
 ウズメは目を見開いて言葉を失う。
 その後、くすりと笑った。
「……君は面白い男だな。やはり、この手合わせ受けたのは正解だったようだ」
「どうでしょうね? いざ戦ってみたら落胆するかもしれませんよ」
「君は私にそうさせるつもりなのか?」
「さすがに今日、自分が先輩に勝てる可能性は皆無に近いと思ってます。でも、それなりに面白くするつもりではありますよ」
 フウガは不敵に笑った。
 ――なぜだろうか。
 不思議とフウガは心は高揚していた。
 こんな気持ち、随分と前に忘れてしまっていたはずなのに。
 その美しさ以上に、圧倒的な実力を感じさせるウズメを前にして、フウガは内心の興奮を誤魔化せなかったのだ。
「そうか。では、君の戦いぶりに期待する事にしようか」
 ウズメが微笑を残して踵を返し、フウガより離れる。
 フウガも彼女から一定の距離を空けて立った。
 二人が所定の位置に移動したのを確認して、後から上がってきていたソウゴが膝を突き、複雑かつ奇妙な形をした文字の描かれた舞台の床に自身の掌を当てる。
「――その身、その技、鍛え磨かんとする者達を守護せよ! 疾く為せ!」
 ソウゴが唱えた瞬間、描かれた文字が発光し、限りなく透明な壁がフウガ達のいる舞台を四角く包んでいった。
 〈言力〉げんりきで張られた〈錬守結界〉れんしゅけっかいだ。

 ――このヤマトという名の世界には、〈言力師〉げんりきしと呼ばれる者達が存在している。

 彼らは、地中深くに存在する〈龍脈〉を流れる世界の息吹プラナを、己の身へと汲み上げる能力を持っており、それを力在る言葉――〈具言〉ぐげんを口にする事で、自身が操るのに最も適した形に改変する事が出来た。
 改変されたプラナは〈言力〉と呼ばれ、それを意のままに操る者が〈言力師〉なのである。
 〈言力〉は、戦いに用いれば絶大な威力を発揮するため、いつしか神聖騎士になる者は、例外なく〈言力師〉である事を求められるようになっていった。故に、現在、ヒノカワカミ学園に通う全ての騎士候補生達もまた、〈言力師〉の才の持ち主である事を認められた者達である。
「……結界は、無事に展開出来たようだね」
 立ち上がったソウゴが、頷いた。
 彼が舞台に張った〈錬守結界〉は、候補生が安全かつ、限りなく実戦に近い訓練をするために開発されたものだ。結界内に居る者達は、いかなる攻撃を受けても、結界がその威力を緩和してくれ、故に滅多な事がない限り、結界内で戦った者が死に至る事はない。
 そして、この結界は、〈錬技場〉の舞台に描かれた〈言紋〉げんもんという特殊な文字を用いて、張られていた。この〈言紋〉は、特定の物や生物に刻んだり、描いたりする事で、通常は短時間しか保てない〈言力〉の力の長時間持続と付与を可能にするものだ。
 フウガは、結界が展開されると同時に、腰の後ろに両手を伸ばした。
 そこには〈錬技場〉に来る前に、用意してきた物があった。
 二つの鞘にそれぞれ収まった二本の小剣。
 それらをフウガは抜き放つ。
 磨き抜かれた二対の銀色の刃が、窓から差し込む陽光を反射して、煌いた。
 右手の青色の柄を持つ剣が、イザナギ。
 左手の赤色の柄を持つ剣が、イザナミ。
 この二振りが、フウガの〈真名武具〉しんめいぶぐだった。
 〈真名武具〉とは、〈言力師〉専用の武器の名であり、〈言紋〉に訳された持ち主の名を刻んだ物をそう呼ぶ。そして、この場合の〈言紋〉は、〈言力〉を持続させたり、付与するためのものではない。
 名を刻む事で、汲み上げたプラナを武器に馴染みやすくすると同時に、〈言力〉を増幅させるのである。この効果は刻まれた名の術者だけに有効なものだ。
 つまりイザナギとイザナミは、まさにフウガがだけが真に扱える、彼のためだけに造られた武器といえた。
 次いで。
 ウズメもまた抜刀し、鞘を舞台の外に投げ捨てた。
 通常のものより、二倍以上に長い刃を持つあの刀の名は、カグヅチ。
 当然、彼女の〈真名武具〉である。
 緋色の刀身には、波打つ炎のような紋様が刻まれ、持ち主と共に引き込まれるような美しさを持ち合わせていた。
 ソウゴが、フウガとウズメの間に立つと、教官としての声を張った。
「規定は、通常の実戦訓練用のものに則り、相手に負けを認めさせるか、戦闘不能にした者を勝者とする。――スサノ、ツクヨミ。戦う理由がどんなものであれ、両者共、アマテラス神聖騎士候補生の名に恥じぬ戦いをしなさい」
 二人は、それぞれ同意して頷いた。
「では……」
 ソウゴが一歩だけ後方に下がると、ゆっくりと頭の上に腕を掲げる。
 〈錬技場〉の空気が一瞬にして張り詰めていく。
(…………)
 静かに身構えたフウガは、戦いを目前にしながら、過去に想いを馳せた。
 それは、もうこの世には居ない大切な人との思い出――

 ――ねえねえ、フウガは、私の夢を知ってるっけ?
 
 ――夢? そんなのあったんだ。

 ――ま! 失礼な! 私だってそれぐらいあるわよ!

 ――……はいはい。じゃあ、言ってみてよ。

 ――えへへ、それはね。私が二人の子供を生んで、一人目は男の子で、二人目は女の子なの。それで、強く格好良く成長した男の子は、あの人のような立派な神聖騎士になって、綺麗に優しく成長した女の子は、私に花嫁姿を見せくれるのよ。それが私の野望なの!

 ――や、野望……。もう夢じゃなくなってるし。……でも、まだ僕しか居ないよね? 確かに男ではあるけどさ。

 ――むむう、そうなのよね。お腹の二人目が女の子であれば良いんだけど……。あ、もちろんフウガは、ちゃんと強く格好良く成長して、立派な神聖騎士になってね! 約束しなさい!

 ――また勝手な事を言ってるよ、この人は……。

 ――文句を言わなーい! はい、返事は!

 ――……もう、わかったよ。まったく。

 だけど。
 二人目が生まれる事はなかった。
 そして、きっと……自分も神聖騎士になる事はないだろう。
 でも、だからこそ、せめて。
 彼女の望んだ、自分が男であるという事実だけは渡せない。
 相手が誰であろうと。
 例え、魔帝オロチであろうと。
 絶対に。
 そのために一時だけ――幼い頃にした己の決意を覆そう。
 だけど、それは呪いを解くまでだけだ。
 それが終われば、自分はまた戻るだろう。
 決して神聖騎士になる事など望めぬ、落ちこぼれの男へと――。
 ソウゴの腕が振り下ろされる。
「――始め!」
 その号令を合図に、フウガは二振りの小剣を手に最強の少女へと挑む。
 決して譲れぬものを護るために。


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