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オロチ様はイタズラがお好き!?

二章 完全無欠の最強少女


―― 一 ――

 翌日。
 〈三の風〉クラスの教室は、朝から騒がしかった。
 フウガは、一日の始まりから、さっそく後悔の念に駆られる。
 いつ以来だったか、久々に朝から教室に顔を出した途端、あっという間にクラスメイト達に取り囲まれたのである。
 一体、どこから話が洩れたものか。
 フウガがオロチに取り憑かれ、さらにはツクヨミ・ウズメに勝てなければ女になってしまうという呪いを掛けられた事実までもが、クラス中に知れ渡っていたのである。
 この様子だと、すでに学園全体に広まっていると考えた方が良いかもしれない。
 そして、クラスメイト達は、

「ねー、ねー、オロチって出せないの? 見たい見たい!」
「女って、明日くらいにはなんのか?」
「ツクヨミ先輩相手じゃあ、もう女になるの決定だな――ご愁傷様」
「見た目は変わってないんだ。本当に憑かれてんの?」
「……強く生きろよ」

 ……と好き放題である。
 仮にも大陸中の人間が憧れる神聖騎士の候補生達のものとは思えぬ姿だったが、もともと騎士としての心構えや規律などは、学園を卒業し、騎士見習いになる事が出来てから初めてみっちりと叩き込まれるものなのだ。故に、あくまで今の彼らは神聖騎士の卵にしか過ぎず、こういうノリは世間の若者達とほとんど変わりない。
「おう、来たか。こっちや、こっちー!」
 不意に、独特の訛りのある声が教室の奥から聞こえた。
 フウガは、次々と飛んでくる質問やからからいの言葉を適当にあしらうと、声のした方に歩いて行く。
 窓際の一番後ろ。
 そこは一年の頃からのフウガの指定席だ。
 学年が上がり、教室が変わっても、そこだけは常に一緒だった。
 席は基本、学年が上がった最初にくじ引きで決められ、一年間それが維持される。当然、三年間同じというのは、不正があるわけだが、この辺りは皆やっている事なので、特に責められる事もない。
 フウガの席の前と隣に、見知った顔の男子の騎士候補生が二人居た。
 共に、フウガが学園に入って以来の友人だ。
 隣の席に座る少年はミカヅチ・ライ。
 少女と見間違う美少年で、銀色の髪に深い海色の瞳が、その美貌をさらに際立たせている。纏う空気も非常に落ち着きを感じさせ、彼の内面の成熟度を表していた。
 前の席の少年は、フドウ・ゴウタ。
 ライとは反対に軽薄な雰囲気を持つ、まさに三枚目といった容姿の持ち主だった。栗色の髪と瞳という平凡な色からしても、ぱっと見は完全にライの引き立て役である。
「今日の主役の登場やな。なんやめっちゃ注目されとるやんか」
「うっさい。俺が目立つの嫌いなのわかってて言ってんだろ」
 へらへらと笑うゴウタを睨みつけながら、フウガは自分の席に腰を下ろす。
「皆が騒ぐのも無理はないとは思うけどね。あの魔帝オロチに憑かれるなんて学園はもちろん、王国全体でも大事件だし」
 机で頬杖をつきながら、ライは冷静に言った。
 そして、女はもちろん、男さえも見惚れそうな笑顔をにっこりと浮かべる。
「でも、まあ、大丈夫。女になっても僕達はフウガの親友だから」
「そやそや。何の心配もいらんで」
 ゴウタも腕を組んでうんうんと何度も頷く。
 フウガは、もともと悪い目付きを、さらに険しくする。
「勝手に女になるのを決定事項にするんじゃない。まだ呪いを解く方法は残ってるんだからな」
「だけど、ツクヨミ先輩じゃあね」
「無理やな。あの人は、俺らとは住んでる世界の違う人やで」
「……否定できないのが無性にムカツクな」
 頭をがしがしと掻いて、フウガは溜息を吐いた。
 自身の状況に対しては昨日は開き直りに近い形で受け入れたばかりだが、やはり周囲に騒がれるのは楽しくはなかった。
 そもそもが不必要に目立つのが好きな性格ではないのだ。
 ゴウタが興味津々な視線を、こちらに向けてくる。
「そんでオロチはお前の中に居るんやったよな? おーい、聞こえますか、オロチさーん」
「あ、こら……!」
『おうおう。呼んだかね、輝かしい未来に向けて邁進する、若き騎士候補生の少年達よ』
 無駄に仰々しい言い方をして、オロチの念話が三人の頭の中だけに響く。
「うおお。本当に居たで!」
「これは、なかなか貴重な体験だね」
 二人は驚きを隠さず、目をしばたたかせる。
「……できるだけ出てくるなって昨日、釘を刺しただろうが」
『いやいや、挨拶をされたのに無視をしては失礼に当たるではないか。私には、そんな真似はできんよ。なにせジェントルメェンだからな。ぬはは』
 不愉快そうなフウガの文句を軽く流して、オロチは笑う。
 フウガは口のへの字に曲げたが、それ以上は何も言わなかった。
 オロチと言い争うのは不毛だという事は、昨日、思い知ったばかりである。
『ライにゴウタだったな。長ければ三ヶ月の付き合いになる。今後共、よろしく頼むぞ』
「おう、よろしゅうな」
「よろしく、オロチ」
 二人は、いともあっさりとオロチを受け入れる。
 そして、ゴウタが楽しそうに、不機嫌なフウガの肩をバンバンと叩いた。
「妖魔の割には、良い奴っぽいやないか。なあ、フウちゃん」
「あのな……俺は、こいつに呪いを掛けられたんだぞ? 良い奴なんて評価を死んでも下せるか」
「そこはやらかい思考で適当に流せばええやん」
「流せるわけあるかい!」
 突っ込んだ後、フウガは呆れた顔で教室を見回す。
「……っというか、なんでお前ら、普通にオロチに馴染んでるんだよ。他の奴らも全然、怖がってないし」
 ああ、それは……、とライが言った。
「悪戯好きを除けばオロチが無害って事、もう皆知ってるから。何より〈三の風〉クラスって妙に適応力が高い上に、良くも悪くも神経図太いのが揃ってるしね。一応、他のクラスでは、普通に怖がってるのも居るみたいだけど」
「ああ、そうやな。自分で言うのもあれやけど、このクラスって変やもん」
 ゴウタも肯定して、笑う。
「――そういえばこういうクラスだったんだっけ……」
 フウガは強張った顔で額を押さえると、その事をようやく思い出す。
 あまり授業にも参加しないので、すっかり失念していた。
 ゴウタの言う通り、なんとも変わったクラスである。だが、悪人面の上、学園史上最低の落ちこぼれと言われているフウガをまるで差別しない寛容さには、ある意味で助けられているのも彼はわかっていた。
「とりあえず余計なトラブルに巻き込まれたくなかったら、無闇に校内をうろつかない方が良い思うよ。特に、この騒ぎが落ち着くまではね」
 ライが少しだけ真剣さを含んだ口調で言う。
 次いで、ゴウタが歯を見せて笑い、拳を掌に打ちつける。
「ま、もしものときは俺らがどうにかしたるけどな」
 フウガはすまなそうに苦笑いを浮かべた。
「気持ちはありがたいけど――三ヶ月しかないんだ。そうもいかないだろ」
 己の力のみでツクヨミ・ウズメに勝たねばならない以上、この三ヶ月で少しでも力をつける必要がある。面倒事は確かにごめんだが、寮に引っ込んでいるわけにもいかない。
 ゴウタが首を傾げる。
「ってゆー事は、やっぱ特訓か?」
「気は進まないけど、少しでも勝ち目を上げるためにはするしかないだろ。何もしないで勝てる相手じゃ絶対ないからな」
 と、そのとき。
 少々乱暴に教室の扉が開けられる。
 騒がしかった教室が静まり返り、異変に気づいた候補生達の視線がそちらに集中した。
 立っているのは、三人の少女。
 腕には一様に赤の腕章が見える。どうやら四年生らしかった。
 彼女達は、集まる視線も意に介さず、ずかずかと教室内へと踏み込んでくる。
 その向かう先は――
「ありゃりゃ……完璧に俺らを睨んどるよな」
「正確には、フウガだけどね」
 ゴウタとライとの呑気な台詞に、フウガは口を引きつらせる。
 どうやら面倒事は向こうから勝手にやって来てしまったらしい。
 候補生達が気圧される様に道を空けていき、程なくして少女達がフウガ達の前に立つ。
 三人揃って、どう見ても、こちらに好感は持っていなさそうだった。
 向けられる視線は酷く冷ややかで、特に先頭に立つ長い金の巻き毛の少女は、間違いなくフウガ達を見下しているように思える。
 最初に口を開いたのは、その巻き毛の少女だった。
「貴方がスサノ・フウガかしら?」
「…………」
 思えば、昨日も似たような状況で同じ質問をされた気がする。
 フウガはなんだか馬鹿馬鹿しい気分になって、咄嗟に答える気になれない。
「……貴方は自分の名前も理解できていないのですか?」
 巻き毛の少女が、あからさまに苛立ちを見せた。
「あ、ああ……すいません。俺がスサノ・フウガです」
 上級生なので、一応の敬語を使って、フウガは仕方なく答える。
 巻き毛の少女は前髪をかき上げて、嘲笑に似た笑みを見せた。
「そうですか。では、わたくし達が誰だかは当然わかっているのでしょうね?」
「いえ……?」
 なんとも不可解な質問をするものだ。向こうが自分の顔も知らないのに、なぜこちらが彼女達の事を知っていなければならないのだろう。
 巻き毛の少女の笑みが、本物の嘲笑へと変わる。
「やはり下賤の者というのは無知のようね。私達の事を知らないなど……愚かにも程がありますわ」
 隠そうともしない明確な侮辱に、フウガは怒り飛び越えて呆れてしまう。
 オロチとは違った意味で、傲岸不遜な少女である。間違いなく無意識に敵を多く作ってしまう人種だろう。
「「ナキ様の言う通りです」」
 不意に、背後で沈黙を守っていた残りの二人が見事に声を揃えて言う。
 フウガは目を剥いた。
 巻き毛の少女の方に気を取られていて気づいていなかったが――童顔な顔、低めの身長に細身の体つき、ショートの黒髪と茶瞳、抑揚のない声など、二人は全てが感心するほどにそっくりだったのである。
 つまりは双子だ。
 もしもフウガが彼女達の名前を知っていたとしても、どちらがどちらなのか区別できる自信はなかった。
 ナキと呼ばれた少女が誇るように、自身の胸に手を当てる。
「では、その中身のない軽い頭に、これから口にする名をしかと刻みなさい。私は王国屈指の名門、サワメ家の長女であり、ツクヨミ・ウズメ様親衛隊隊長を務めます――サワメ・ナキですわ。そして後ろの二人は副隊長の……」
「ハニヤ・スビコ」
「ハニヤ・スビメ」
 ナキの台詞に合わせて、二人が計っていたかのように名乗った。
 ふと、どっちが姉で、どっちが妹なんだろうか、という、どうでもいい疑問がフウガの脳裏を過ぎる。だが、どのみち本人達に聞いても教えてくれはしないだろう。答えの出ない疑問はさっさと忘れて置く事にして、フウガは肩を竦めた。
(しかし……親衛隊とは……)
 ツクヨミ・ウズメの人望の高さは、フウガも良く知る所であるし、そんなものが存在しても確かにおかしくはないだろう。だが、この学園の本分を考えると、何か間違っている気がしなくもない。
 不遜な態度を崩す事なく、ナキがさらに言う。
「貴方のような低俗な方と長々と話をするつもりは毛頭ございません。単刀直入に私達の用件だけを告げましょう」
「はあ……まあ、どうぞお好きなように」
 相変わらず容赦のない言い様に、フウガは失笑すら浮かべながら、先を促す。
 それが癇に障ったのか、ナキはぴくりと眉を動かしたものの――結局そのまま教室中に響くほど高らかに用件を告げた。
「スサノ・フウガ――大人しく女になりなさい。貴方のような格の低い人間がウズメ様に近づいては、気高く美しいあの方が穢れてしまいますわ。どのみちウズメ様に勝つなど、千回生まれ変わっても不可能なのですから、問題はないでしょう?」
「……は、はあ?」
 フウガは目を丸くして、間抜けな声を洩らす。
 いくらなんでもあんまりな要求に、すぐには意味が理解できなかったのだ。
「……キッツイわぁ」
「目眩がするね」
 こそこそと呟いたのはライとゴウタである。
 二人は、すでに完全に他人事モードに入っていた。
 これに狐に摘まれたようだったフウガは我に返る。そして、二人の親友を半ば睨むように一瞥した後、ナキ達に反論するため口を開こうとして――
「私達の要求は確かに伝えましたわ」
 ナキに、あっさりと遮られた。
「良いですか? これに従わない場合は、それ相応の覚悟が必要であると知りなさい。我々、親衛隊は甘くはありません」
「「甘くはありません」」
 それが定番なのか、双子が続けて言う。
 三人共、もはやフウガの答えなど聞く気もないらしい。
「では、ごきげんよう」
「「ごきげんよう」」
 ナキは、口を半開きにして呆然と固まったフウガから目を逸らすと、双子を伴って颯爽と教室から去って――

「あ……ふぎゃぶっ!」

 ――行く途中で盛大にずっこけた。
『…………え、えええええ?』
 その場に居る全員が唖然となる。
 緊張感に満ちていたはずの教室には、今やしらけた空気が漂っていた。
 さっきまでの緊迫感とか、話の流れとか、傲岸不遜な先輩キャラのイメージとか……いろんなものが根こそぎ台無しにされた感じであった。
 なんかもう、誰にかはわからないけど、謝って欲しい。
「「だ、大丈夫ですか、ナキ様!」」
 すぐさま双子に抱え起こされたナキは、鼻を押さえながら「むぐう……」とくぐもった声を洩らす。そして、突然に振り向いたかと思えば、きっと教室内の候補生達を睨みつけ、
「わ、忘れなさい! 今、見た事は!」
 と、言い残して、今度こそ足早に去って行った。
 しかし、涙目な上、鼻血を垂らした情けない顔で言われても、いまいち迫力に欠けるというものである。
 見事なオチを残して三人の上級生が姿を消すと、先ほど以上に教室がざわめき出し、ゴウタが感嘆の混じった吐息を洩らした。
「あの人の事、噂には聞いてたんやけど、ほんま(いろんな意味で)凄い人やなぁ。こっちの都合なんてお構いなしって感じやんか」
「だね。何より、あれだけ(天然で)プライドの高いサワメ先輩を心酔させる辺り、ツクヨミ先輩も恐ろしい人だ」
 言って、ライの視線がゴウタから隣の少年へと流れる。
「で、フウガ」
「……なんだよ」
 フウガは不満を前面に押し出した顔を向ける。
 美貌の少年はそれに苦笑しながら、続けた。
「サワメ先輩達の要求を呑んで、大人しく女になってみる?」
「冗談」
 ライの問いを、フウガは一笑に伏した。
「最後にはなんだか拍子抜けしたし――俺があんな脅しを怖がって、言う事を聞くとでも思ってるのか?」
 ゴウタが悪戯っぽく笑い、
「ま、思わんなぁ。フウちゃんも例に洩れず神経図太いやん。……あ、サワメ先輩の言葉を借りるなら、頭の中身もないんやったっけ?」
 と、からかうように言った。
「誰がだよ。お前じゃあるいまいし」
「そうそう。頭の中が空なんて人間は、ゴウタ以外に存在しないから」
「あっはっは! そうやな! 頭の中身がないのは俺しか……って、それ、どういう意味!?」
 しかし、逆に二人に苛められて、今にもゴウタは泣きそうな顔になる。
「だけど、相手がツクヨミ先輩となると、生半可な訓練した所で、三ヶ月で勝つのは不可能に近いでしょ。どうするつもりなの、フウガ?」
 傍で膝を抱えていじけるゴウタを軽くスルーして、ライが訊いてくる。
 フウガは表情を引き締め、頷いた。
「ああ、とりあえず、今すぐやるべき事は決めてあるよ」
「それは?」
「とりあえずツクヨミ先輩の強さが実際どれほどのものなのか――知らなきゃいけないだろうな」
 相手の強さを正確に知る事は、目標を具体的にするという意味でも決して無駄にはならないはずである。そして、そのためには直接それを肌で感じる必要があった。
 つまり――
 フウガの言わんとしている事を察して、立ち直ったゴウタが呻いた。
「おいおい、フウちゃん、まさか……」
 フウガは、不敵な笑みを友に向ける。
 そして。
 珍しく朝から教室に顔を出した本当の理由を口にした。
「――さっそく今日、ツクヨミ先輩に手合わせを願うのさ」


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