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エンジェル 四章

覚醒


―― 五 ――

 早朝。
 静寂と厳粛とした空気が、その場所を支配していた。
 フェイナーン神殿の脇に広がる墓地――そこには数多くの墓標が整然と並んでいる。
 ほんの昨日、そこには新たな墓標が増えたばかりだ。
 イヴァルナ神教の宗主サレファは、その新しく建てられた墓標一つ一つに丁寧に祈りを捧げていた。その背後では、神威騎士団の団長であるリラとオーシャが一緒に付き従っている。
 二人はサレファの護衛としてついてきたのだが、墓地に着いてから、自主的に一緒に祈りを捧げる事を申し出たのである。
 この世を去って行った者達に対し、生きる者が出来る事と言えば、彼らの魂の死後の安寧を祈る事だけ――サレファ達は、昨日の戦いの犠牲となってしまった巡礼者達に対して、何かせずにはいられなかったのだろう。
 あの三人は、表面的な性格は違うが、本質的な所で、どこか似ているように思えた。
 慈母にも近い優しさとでも言うのだろうか。
 そんなものが、三人の中には根付いている気がするのだ。
 ティリアムは墓地の端にある、緑の葉を生い茂らせた木に背を預けて、そんな感慨に耽っていた。
「――こちら側の犠牲者は騎士が二人死んで、あとは何人か負傷者が出ただけだそうよ」
 冷ややかな声は、斜め後ろからだ。
 顔だけそちらに向けると、朝の少し冷えた風に金の髪を靡かせながら、フォルシアがこちらに歩いて来ていた。その冷静さに裏打ちされたような無表情な美貌は、優しさとは縁遠そうに見えた。
「やはり昨日の襲撃では、聖杯を奪う気も、こちらの戦力を削ぐつもりもなかったようね」
 ティリアムは再び、サレファ達に視線を戻しながら頷くと、
「だろうな。そもそも、そういう目的があったのなら、頭の一匹を潰しただけで、残りが全部死んでしまうような仕掛けはしないだろう。
 ――マッドは楽しんでるのさ。あいつの言うところのゲームってやつをな」
 怒りの入り交じった口調で吐き捨てた。
 フォルシアは双眸に同意の光を宿らせながらも、言った。
「でも、何か裏がある可能性も否定出来ないでしょう」
 ティリアムは重々しく頷いた。
「……ああ。単純に遊んでいるだけと切り捨てるのは危険だとは思う。しかし、何を企んでいるのか想像もつかないというのが正直な所だよ」
「まあ、あんな男の思考が理解出来る方が問題でしょうけどね」
「……かもな」
 フォルシアの辛辣な言葉に、ティリアムは皮肉めいた笑みを浮かべながら同意する。
 そこに、ようやく全ての墓標に祈りを捧げ終わったのか、サレファ達が戻ってきた。
「お待たせしました」
 サレファは、まだ悲しみの残滓の残る笑みを浮かべ、丁寧に頭を下げる。
「朝早くに、私のわがままにつき合わせてしまって申し訳ありません」
 心から申し訳なさそうな少女に、ティリアムは頭を振る。
「構いませんよ。……俺達も死んで行った人達には思う所がありますから」
 隣のフォルシアは何も言わなかったが、沈黙の中に同意するような空気が感じられた。
 リラが緊張感に満ちた顔をティリアムに向ける。
「――やはり今日も、襲撃があるのでしょうか」
 ティリアムは、それに迷いなく頷く。
「間違いなくあると思う。そこに嘘を吐く意味を感じないからな。ただ、昨日と同じで、聖杯を奪うための襲撃かは怪しい所だ」
「……あんな悲しい戦いをまたする事になるの……?」
 オーシャが俯き、ぽつりと言った。
 その言葉にサレファが、悲しげに瞳を揺らめかせ、リラが口を引き結ぶ。
 場に、重苦しい沈黙が落ちた。
 思わずティリアムが何か言おうとして――
「マッドが、また下らない事を企んでいるというのなら――」
 だが、先に口を開いたのは、フォルシアだった。
 その面には、ティリアムも数えるほどしか見た事ない優しげな、それでいて頼もしさも感じる微笑があった。
「それごと、まとめて叩き伏せればいいだけよ」
「フォルシアさん……」
 オーシャが驚いた顔で呟く。
 ティリアムを除いた、他の二人の顔にも驚きが浮かんでいた。
 皆、普段、無表情で冷ややかなフォルシアに、こんな表情ができるとは思っていなかったのだろう。
「……そうですね。今、気持ちで負けていては何も守れないですよね」
 驚きから、真っ先に我に返ったリラが言った。
 その口調と顔には、さっきまでと違い、強い意志と力強さが宿っている。
「どんな企みがあったとしても、我々がそれを止めましょう」
 リラの頼もしい言葉に、サレファも明るさを取り戻した微笑を浮かべる。
 フォルシアは身を翻すと、
「……先に行くわ。夏とはいえ、朝は冷えるから」
 そう言って、神殿の方へと歩いて行った。声には、いつもの冷静さが戻っているが、ティリアムは少しだけ違和感を覚えた。
 もしかしたら慣れない表情を浮かべて、照れているのかもしれない。
(今、それを突っ込んだら、それこそ刺されかねないな)
 そんな事を考えて、一人で苦笑した。
「ねえ、ティル……」
 いつの間にか隣に立っていたオーシャが、ティリアムの服の裾を引っ張りながら言った。
「フォルシアさんって、あんな表情できるんだね……」
「意外か?」
「……えっと、正直……」
 オーシャは少し申し訳なさそうに頷く。
 ティリアムはまた苦笑し、少女の頭を軽く叩いた。
「まあ、あいつは普段、無表情に近いからな。無理ないさ」
 それでも彼女は無表情ではあっても無感情ではない。
 ただ、感情を表に出すのが苦手なだけなのだ。
 ほんの一年ほど――偽りとはいえ、彼女の恋人だったティリアムは、それをよく知っている。
 さっき感じた印象通り、確かに彼女には慈母のような優しさというのは、あまりないかもしれない。
 しかし――
「優しさの形ってのは、いろいろあるもんだからな」
「? 何か言った、ティル?」
 サレファ達と神殿へと戻る中、オーシャが怪訝な顔で聞いてくる。
 ティリアムは誤魔化すような微笑を浮かべ、言った。
「いや、何でもないさ」


 自分の部屋に入ったフォルシアは、素早く腰の剣の柄に手を当てた。そして、部屋の中に視線を走らせる。
 ほんの僅か。
 だが、確かに何者かの気配を感じ取ったのだ。
 見た所、部屋の中に誰かが居る様子はない。
 しかし、フォルシアは柄から手を離さず、慎重に歩を進める。全身の神経を研ぎ澄ませ、どんな状況にでも、すぐに対応できるように集中力を高めていく。
 刹那。
 剣が鞘を滑った。
 斬撃は天井へと奔るが、手応えはない。
 フォルシアは、落ち着いた動きで視線を眼前のベッドの方へと移動させた。
 そこに、ちょうど一人の人影がふわりと着地する。
 双眸以外は、全て黒で覆い尽くした男だった。両腕には、金属で出来た銀色の腕輪が一つずつ嵌っている。表面にいくつか穴が空いており、内部が空洞になっているようだった。
 フォルシアは誰何もせず、滑るような動きで男へと接近した。放たれる刺突は、閃光の一撃となる。
 男の身体が横に流れ、光の剣閃もすかさず、それを追った。しかし、男は軽やかに跳躍して光を回避し、音もなく床に着地する。
 無駄のない動きは、男の技量の高さを感じさせた。
 そして、一つ不自然があるとすれば。
(殺気が……ないわね)
 フォルシアは訝しがり、僅かに眉根を寄せた。
 相手の手には、得物らしい物もない。
 もちろん、この手の人間が必ずしも見える所に武器を持っているとは限らないのだから、油断は出来ようはずもなかった。
 そんなフォルシアの考えを見抜いたように、男が、すうっと流れるような動きで、腕輪の嵌った両腕を顔の前に掲げる。
 黒い布の下に隠れた男の唇が、笑みの形に歪んだ事に、フォルシアは気づいた。
 それぞれの腕に嵌った二つの輪がゆっくりと近づけられ、擦り合わされる。
「――――!?」
 突然、ぐにゃりと視界が歪んだ。
 フォルシアは床に膝を突き、咄嗟に耳を塞ぐ。
 音だ。
 ほんの微かにしか聞こえなかったが、擦り合わせた腕輪から放たれる特殊な音が、フォルシアの精神を侵しているのだ。
 それをすぐに察して、手で遮断しようとしたものの、この音はそんな事では防げないのか、さらにフォルシアの心に侵入にしてくる。
「……やめ……な、さ……い!」
 掠れる声で、フォルシアが言った。
 全身から汗が噴き出し、もはや立つ事もかなわない。
 彼女は気づいていた。 
 心の内の遥か深部――そこに、かつて封じ込めたはずの憎しみが、ゆっくりと、しかし、確かに湧き上がって来ている事に。
「……今、更……こん、な……」
 なんとか男の支配から逃れようと下唇を噛むが、力が入らない。
 フォルシアの精神は、ほとんど抗う事も許さず、完全に男の手中へと落ちていく。
 その心が、古き憎しみへと染め上げられていくのを感じながら――
 彼女の意識は暗転した。


 昨日の件の事もあり、現在、フェイナーン神殿は一時的に巡礼を禁じ、神殿に入れる人間も規制していた。事情を知らない聖地の人々には、神殿の宝物である聖杯を狙う不貞の輩がおり、その警備のためだと説明してある。それ自体に嘘はないが、根本にあるのは世界の存亡の危機だ。もちろん、この事は無用な混乱を避けるために伏せられていた。
 ティリアム達が神殿に戻り、巡礼者が訪れなくなったせいで急に人気が少なくなった広間に入ると、そこに女神像を見上げたジョンが立っていた。
 ジョンは、ティリアム達の姿を見つけると、手を挙げてこちらに近づいてくる。
「よう、お帰り」
「……お前、こんな所で何してるんだ?」
 ティリアムが怪訝な顔で訊くと、ジョンは振り返って背後の女神像を見る。
「いや、ちと女神様にお願いをな」
「お願い、ですか?」
 オーシャが不思議そうに首を傾げる。
「おう。昨日、死んでいった奴をきちんと天国に送ってやってくれってな。まあ、信心深さとは無縁の俺がお願いしても、聞いてくれるかは微妙だろうが……」
 ジョンはそう言って、口髭を撫でながら苦笑した。
 それに、サレファが穏やかな笑みと共に、頭を振った。
「その願いが真摯なものであれば、イヴァルナ様は、きっと聞き届けてくださいますよ」
「だと、嬉しいがなぁ」
 ジョンは嬉しそうに笑い、それを見てティリアムは少し意地悪な笑みを浮かべる。
「まあ、女神様にお願いなんて、お前には似合わないのは確かだな」
「いやいや、案外、そうでもないかもしれんぞ? ダンディな男に美人はつきものだからな!」
「……いや、そうじゃなくて。本当、お前、女神の天罰とか下っても知らないからな」
 ちょっとからかってやろうとしただけなのに、予想以上の返答をされてしまい、ティリアムは脱力して溜息を漏らす。
 下手すれば、神への冒涜と取られてもおかしくない。
 だが、サレファやリラは、曖昧な笑みを浮かべるだけだった。どうやら、怒る以前の問題だったらしい。
「……それでは、私は部屋に戻りますね」
 そんな内心を感じさせず、サレファが相変わらず、年齢にそぐわない大人びた声で言った。
 ティリアムは頷くと、真面目な顔を向ける。
「神殿内とはいえ、何があるかわかりません。気をつけてください」
「ええ。でも、リラもいますから、大丈夫ですよ」
 サレファは怯え一つ見せず答える。そして、そのままリラと共に神殿の奥へと歩いていった。
 ティリアムがそれを見送っていると、歩くサレファ達とすれ違いながら、誰かがこちらに向かって来ている事に気づいた。
「……フォルシア?」
 それは、先ほど墓地で別れて、先に神殿へと戻ったばかりのフォルシアだった。彼女はサレファとリラが目礼するのにも目もくれず、こちらに真っ直ぐと歩いて来る。
 ティリアムは、近づいて来るフォルシアに妙な違和感を覚えつつ、声を掛けた。
「フォルシア、どうしたんだ? お前、部屋に戻ったんじゃ――」
 問い掛けは、そこで途切れた。
 次に、鮮血が広間の床に落ちる音と、オーシャの悲鳴が重なった。立ち去ろうとしていたサレファとリラが、それに驚いて振り返る。
「ぐ……!」
 ティリアムは床に膝をつき、痛みで顔を歪めながら、横に裂かれた胸を手で抑えた。
 驚愕の感情を宿す瞳は、躊躇う事なく剣を振り切ったフォルシアの美貌の面を映している。
 咄嗟に後ろに飛んだおかげで傷自体は浅い。
 だが、それ以上の動揺が心を支配していた。
「フォルシアさん、何を!?」
「おい、フォルシア!」
 驚きと疑念の表情を浮かべつつも、ジョンとオーシャが、ティリアムを庇うように立つ。
 しかし、当のフォルシアは、まるで仮面をつけたかのような無表情で――だが、その碧の双眸に確かな憎悪と殺気を宿して、再び剣を構え直す。
 周囲では、通りがかった神官の何人かが、突然の出来事に呆然と立ち尽くしている。
「フォルシア、お前、一体……?」
 傷の痛みを無視して、ティリアムは立ち上がった。その動きで磨き抜かれた床に再び赤が落ちる。
 フォルシアは問いに答える事なく、ただ、ティリアムへと溢れ出る殺気を向けていた。
 そして――

「御機嫌よう、神殿の皆さん」

  その声は広間に響いた。
 発信源は、フォルシアが首にかけたペンダントの黒い宝石だった。ティリアムの記憶が確かなら、彼女はあんな物は身につけていなかったはずだ。
 考えるまでもなく、声の主が誰かを悟ったティリアムは声を張る。
「マッド! お前か!」
「そうだよ、ティリアム・ウォーレンス。朝早くから申し訳ないが、セカンド・ゲームの時間だ」
 その声は、明らかにティリアム達の驚きを喜ぶような響きを含んでいた。
 ティリアムは怒りに満ちた双眸で、マッドの声を発する宝石を睨みつける。
「フォルシアに何をした!」
 マッドは宝石の向こうで、楽しげな笑いを漏らす。
「なに、ただ忘れ去ろうとしていた、過去の憎しみを思い出させてあげただけだよ。彼女に兄の仇を取らせてあげるためにね」
「…………!」
 ティリアムが絶句する。
 その反応をじっくりと楽しむように間を取ってから、マッドは続けた。
「そう。君を殺させてあげるためにだ――ティリアム・ウォーレンス」
 この言葉に、オーシャとジョンが驚きの視線を、ティリアムに向ける。
 ティリアムがフォルシアの兄の仇――
 この事実は、当事者である二人しか知らないはずの事だった。
 なのに、なぜ、マッドがそれを知っているのか。
 ――いや、この男の事だ。
 部下を使って、自分の過去を調べ上げさせたのかもしれない。

 ――ティリアムはかつての記憶を思い返す。

 そもそも二人の関係は、フォルシアが偶然にも、幼い頃に生き別れた兄を殺した男がティリアムであるという事実を知った事から始まった。
 彼女は兄の仇を討つために、復讐者として、初めてティリアムの前に姿を見せたのだ。
 だが、当時のティリアムは、相棒であるウェインを失ってすぐで、深い失意の中にいた。
 フォルシアは、あまりに憔悴したそんな彼の様子を見て、仇を討つ意味を見失ってしまう。
 それでも、そのまま仇討ちを断念する事もできず、ティリアムの事を遠くから見続けているうち、彼が自分と同じように大切な人間を失い、心に深い傷を負っている事を知った。それをきっかけに、いつしか憎しみは愛へ、殺すべき仇は愛すべき男へと変わっていったのだ。
 そして、一年後――
 今の関係は、ただの傷の舐め合いでしかないと気づいた二人は、自然と別れの道を選んだ。その後、二人は必要以上に馴れ合う事も、しかし、決して憎み合う事もなくなったはずだった。
 だが、今。
 フォルシアは、紛う事なき憎悪の刃を、ティリアムへと向けている。
「では、今回のゲーム内容を説明しようか」
 懊悩するティリアムを尻目に、マッドは他人事のように言った。
「現在、この神殿には私の部下が一人、入り込んでいる」
 この一言に、リラが瞠目した。
 それも当然だ。
 昨日の襲撃以来、相当数の騎士や衛兵を動員して、神殿の警備は一層に強化されている。たった一人とはいえ、いとも容易く侵入されるなど思いもしなかったのだろう。
 マッドは、さらに続ける。
「その部下の男は、自身の能力でフォルシア・ハルバラードに強力な暗示を施し、彼女が、かつて心の奥に封じ込めたティリアム・ウォーレンスへの憎しみを再び表面化、増幅させている。今の彼女は、ただ兄の仇を討つためにのみに動く、一途な復讐者だ。もしも彼女を元に戻したければ、その侵入者の男を捕らえて暗示を解除させるか、もしくは彼自身を殺すしかない。
 だが、急ぐ事だね。早くしないと、彼は神殿のどこかに隠された聖杯を見つけ出して、逃走してしまうし、何より、かつての恋人にティリアム・ウォーレンスが殺されてしまうかもしれないよ」
 そこで一拍置いて、マッドは低い笑い声を上げた。
「まあ、ティリアム・ウォーレンスが、そんな面倒くさい感情など無視して、その女を殺してしまう事が出来れば、また状況は違ってくるだろうが」
「マッド……!」
 この嘲りの言葉に激昂したのは、オーシャだった。
「あなたの目的は聖杯でしょう! なんで、こんな――ティルとフォルシアさんを弄ぶような事を……!」
「もちろん、楽しいからに決まっている」
「な――」
 あっさりと即答され、オーシャは絶句する。
「他人が悩み苦しみ、憎み合い、殺し合い、最後に絶望に支配され、死に果てていく――その事が私は何よりも楽しい。だからさ。これでは説明不足かな?」
「……屑だな」
 ジョンが感情を押し殺した声で吐き捨てた。
 マッドが嗤う。
「そうだな。きっと私は壊れているんだよ。しかし、それも、また人間の形の一つだ。どんなに君達が否定しようともね。私は、それをよく理解しているつもりだよ」
 誰も、彼の言葉を否定する事は出来なかった。
 確かに、人は必ずしも清き存在ではない。
 マッドのような嗜好を持ち、他人に血を流させ、死を撒き散らす事を心から喜ぶ人間は、少なからずこの世には居るのだ。
「――皆、行ってくれ。ここで話していても、この男を喜ばせるだけだ」
「ティル……?」
 オーシャが驚いた顔をティリアムに向ける。
「俺は、フォルシアの相手をする。皆は、その間に侵入した男をどうにかしてくれ。聖杯を奪われる前に」
「そんな一人じゃ――私達も一緒にフォルシアさんを止めるよ!」
「駄目だ」
 ティリアムは言った。そして、こんな状況でありながら、その場にいる皆が絶句するような、酷く穏やかな笑みを浮かべる。
「やむにおえない事情があったとはいえ、俺があいつの兄を殺したのは間違いないんだ。例え、今のこの状況が、マッドに仕組まれたものであったとしても――俺はそれを受け止めないといけない。決して逃げるわけにはいかないんだ」
「……ティル」
 ティリアムの固い決意を前に、オーシャは何も言えず押し黙る。
 その隣を通って、ジョンがティリアムの前へと歩み寄った。そして、ただ黙って、その肩を軽く叩くと、オーシャの方を振り向く。
「よし、行くか。とっとと侵入した奴を見つけないと、聖杯を持っていかれちまうぞ」
「ジョンさん、でも……」
 オーシャが何か言い募ろうとするのを、ジョンは頭を振って遮る。
「もう、何を言っても無駄だよ。あいつのは覚悟は、誰にも揺るがせない。目を見れば、それぐらいわかるさ」
「…………」
 オーシャは俯き、何かを押さえ込むように下唇を噛む。そして、次に顔を上げたときには、彼女の顔にもまた、強い決意が表れていた。
「――わかりました。行きましょう、ジョンさん」
「おう!」
 ジョンはにかっと笑うと、拳を掲げて答えた。
 そこに、リラがどこか焦った様子で駆け寄ってくる。
「聖杯の方は私が行きます。お二人は、神殿内の捜索を。おそらく敵も、聖杯の正確な場所はわかっていないはずですから」
 オーシャは力強く頷くと、フォルシアと対峙するティリアムへと目を向ける。
「……死なないでね。ティリアムも、フォルシアさんも――絶対に」
 ティリアムは背を向けたまま、頷いて答えた。
 その背中からは、生きる事を捨てた者には決して持てない、強い意志が感じ取れる。
 オーシャは、自分の胸を見下ろすと声をかける。
「マリア」
「――ええ、わかっています」
 呼びかけに応え、一時的に《フリューゲル》内で休息していたマリアが姿を見せる。
 中で、外の様子は見ていたのか、何も問う事なく頷いた。
「もちろん私も捜索を手伝いますよ、オーシャ」
「うん、ありがとう」
「よし、行くぞ、二人共!」
 真っ先にジョンが駆け出す。
 もはや振り返る事はせず、オーシャ達は、聖杯を守るため――そして、ティリアムとフォルシアを救うために、その後を追っていった。


 オーシャ達が広間を去ったのを確認すると、背中に背負った剣を手に取り、ティリアムは《デモン》化を発動する。瞳は一瞬で紅く染まり、全身に凄まじい力が漲っていく。
 フォルシアはそれを感じ取ったのか、全身に纏う殺気が、さらに強まり――

 その姿が、かき消えた。

 殺気は、左。
 咄嗟に首の横に持ち上げた大剣の刃に、閃光の一撃が喰らいつく。
「くっ!」
 再度、フォルシアの姿が消失する。
 次は、右下から跳ね上がって来るような斬撃――これも、かろうじて防ぐ。
 フォルシアの光の如き剣の冴えは、ティリアムに回避をする余裕すら与えない。周囲を凄まじい速さで駆け、鋭い斬撃を乱舞のように次々と送り込んでくる。
(防戦にまわったら――やられる!)
 ティリアムは激しい攻撃の一瞬の間隙を狙って、剣を振るった。
 狙いは足。
 彼女の動きを止めれば、この状況を打破できるはずだ。
 しかし。
 斬撃は空を薙ぎ、逆に脇を走り抜けたフォルシアに脇腹を裂かれた。
「…………!」
 咄嗟に身を捻ったおかげで、致命傷は避けられたが、看過出来る傷ではない。ティリアムは傷の痛みをあえて無視して、勘を頼りに旋回しながらの一撃を後方に見舞った。
 その一撃を避けるために、止めの一撃を繰り出そうとしていたフォルシアの動きは遮断される。フォルシアは後方に跳躍して間合いを取ると、すぐには攻撃に移らず、静かに剣を構え直した。
 ティリアムは脇腹の傷を抑えながら、そんな彼女の姿を油断なく注視する。
(……どういう、事だ……)
 フォルシアの動きは、明らかにおかしかった。
 速過ぎるのだ。
 フォルシアが凄腕の傭兵である事は、今更疑いようのない事実である。
 しかし、いかに腕が立っても、彼女は普通の人間だ。身体能力において、《デモン》化したティリアムに敵うはずがない。なのに彼女の速力は、それに肉薄するほどにまで上昇しているのだ。
 おそらくはフォルシアを操っている者が、無理矢理に彼女の身体能力を限界以上にまで引き出しているのだろう。
 そして、それはつまり――
(手加減して、どうにかなる相手じゃなくなってるって事か……)
 それこそ、彼女を殺すつもりで相手をしなければ、すぐにでもこちらの方が殺されかねない。
 ティリアムは、血が滲み出すほど強く剣の柄を握リ込む。
「っ……出来るかよ……そんな事が……!」
 例え、その身にどれほどの傷を負おうとも、どんなに困難であろうとも――彼女は助ける。そして、自分も決して死なない。
 固い決意と強き意志を双眸に込め、ティリアムは剣を構える。
 傷の痛みなど、もはや気にはならなかった。
 こんな痛みなど、フォルシアが、今まさに心に負い続けている傷の痛みに比べれば、いかほどのものか。
「さあ、来い、フォルシア。お前の憎しみの全てを俺が受け止めてやる!」
 フォルシアは何も答える事なく、無言で地を蹴った。
 その刃に、ただただ一途な憎しみを宿らせて。


「そっちはどうですか!」
 空き部屋の一つから飛び出してきたオーシャは、同時に他の部屋から出てきたジョンとマリアに問いかける。
「――いや、居ない」
「こっちも駄目です……」
 しかし、二人共、険しい顔で頭を振る。
 オーシャ達は神殿内を駆けずり回りながら、必死に侵入者を探していた。事情を説明した騎士達にも協力してもらい、相当の人数が神殿内を捜索していたが、今のところ手がかりすら見つけられずにいた。
 オーシャが焦慮を滲ませた顔で、歯噛みする。
「急がないと、ティルが……!」
「落ち着け、オーシャ。焦ったら、マッドの思う壺だぞ」
「わかってます。でも……」
 一体、どうすればいいのか。
 これだけ探しても見つからないとなると、相手は隠密に動く事を生業にする者だという事は間違いない。何より、敵は誰にも気づかれず、警備が厳重な神殿に侵入しているのだ。
(……闇雲に探しても駄目……でも、リラさんの方から何も連絡がないって事は、聖杯の方はまだ安全みたいだし……)
 そもそも侵入者は、どんな方法で捜索者だらけの神殿に潜んでいるのか。例え身を潜めて動く事を専門にする人間でも、今のような状況になれば、隠れて移動する事は、酷く困難なはずだ。
(駄目だ……考えがまとまらない)
 ともかく落ち着こうと、オーシャは一つ深呼吸して、
「――あ……」
 ふと気づいた。
 そうだ。
 神殿内が探索者だらけだというのならば――!
「――ジョンさん!!」
「お、おう、どうした?」
 オーシャの思考を邪魔しないように黙っていたジョンが、突然に声を掛けられて、少し驚いた顔をする。
「もしかしたら、侵入者は、私達の中に紛れ込んでいるのかもしれません!」
「この中にだって?」
「……そうか。確かに、これだけ広い神殿となると、人は大勢いますからね。神殿内に潜入した後、格好さえをどうにかして、神官や騎士の中に紛れ込めば、そうそう見つからないでしょう」
 マリアの説明に、オーシャは頷く。
 それを聞いて、ジョンが自分の掌に拳を打ちつけた。
「よし。それなら、とりあえず適当に神殿の人間を捕まえて、見知らない奴か、怪しい動きをしてる奴を探してもらうか」
「それが一番、確実そうですね」
 三人は、今も廊下をせわしなく駆けていく騎士の一人に声を掛けようとして、その中にロウが居る事に気づいた。
「あ、ロウさん!」
「はい? ……あ、皆さん!」
 ロウはオーシャ達に気づくと、足を止め、こちらに歩み寄ってくる。彼も神殿内を走り回ってくれていたのか、汗をかき、息を荒くしていた。
「すいません。まだ、俺も侵入者は見つけられてなくて……」
「いえ、そうじゃないんです」
 オーシャの言葉に、ロウは怪訝な表情を浮かべる。
「……というと?」
「もしかしたら、私達の中に侵入者が紛れ込んでいるかもしれないんです。だから、怪しい人を探すのに協力してください。これは神殿に来たばかりの私達ではどうしようもないんです」
「なるほど……」
 ロウは感心した様子で言うと、すぐさま頷いた。
「わかりました。もちろん協力しますよ、オーシャ様」
「ありがとうございます! じゃあ他の人達にも、この事を伝えないと……」
 そこで、突然、オーシャは押し黙った。
 何かが。
 何かがおかしかったのだ。
 だが、それが何なのかオーシャが気づくよりも早く、先にジョンが動いた。
 腰のホルスターから抜いた拳銃をロウの額に突きつけたのである。


 ティリアムは、がくりとその場に膝を突いた。
 全身の至る所に裂傷を負い、その様子は血塗れと言っても相違ない状態だ。足元には、流れ落ちたもので、血だまりが出来ていた。
 大量の出血で顔は青ざめ、呼吸も荒い。視界も少しずつ狭くなり始めている。
 しかし、それでもティリアムは倒れる事を拒んでいた。大剣を杖代わりにして立ち、必死に意識を繋ぎ止める。
 フォルシアの攻撃を、紙一重で致命傷をにならぬよう避け続け、なんとか今の今まで耐え抜いてきたのだ。
 だが、それも限界に近い。
 血に濡れた長剣を手に、表情一つ変えずに佇むフォルシアは、返り血を浴びた以外は、まるで無傷だった。
「……まだ、だ……」
 ティリアムは掠れるような声で言う。
「……まだ、俺は立ってるぞ……フォルシア……」
 それが聞こえたものか。
 再び、フォルシアが動いた。
 その姿が消失したかと思えば、殺意が上空に出現する。
 震える膝を叱咤して、ティリアムはその場を跳び退こうとし――その途端、目眩を覚え、そのまま後ろに尻餅をついてしまう。
「く、そ!」
 ティリアムが呻く。
 フォルシアの攻撃は止まらない。
 剣を真下に向け、一気に落下してくる。刃は、容赦なくティリアムの右の大腿部を貫いた。
 噴き出す鮮血と共に、ティリアムの喉から絶叫が迸った。
 そんな苦痛の叫びになど歯牙もかけず、着地したフォルシアは突き刺した剣を無造作に引き抜く。そして、そのままティリアムの首を刎ねんと斬撃を放った。
 ティリアムは尻をついた状態のままで、なんとかそれを手にした大剣で防ごうとするものの、出血が多すぎて剣を持つ手に力が入らない。いとも容易く重量のある大剣は弾かれ、広間の床を滑っていった。
 フォルシアは、止めの一撃のために再度、剣を振り上げる。
 剣を失い、足に傷を負い、もはやティリアムにはそれを防ぐ術は残っていなかった。
 しかし、それでも決して恐怖は見せず、強い意志を秘めた双眸で、復讐者となってしまった、かつての恋人の美貌を見つめていた。
 だが、今の彼女の瞳にあるのは純粋とも言える憎しみだけ――それ以外の一切の感情を排除した顔のまま、手にした剣は迷いなく振り下ろされる。
 そして。
 刃は、ティリアムの首の皮一枚のところで止まった。
 剣を持つ手が激しく震え出し、その反対側の手で自分の顔を抑える。
 フォルシアは喉の奥から苦悶の呻きを漏らしながら、よろよろと後退さった。
「……フォルシア?」
 ティリアムは呆然と、そんな彼女を見つめる。
 顔を覆う手がのけられたとき、フォルシアの双眸には、先ほどまではなかった理性の光が微かに蘇っていた。
「――殺しな、さい」
「フォルシア!」
 それは間違いなく、いつもの彼女の声。
「早く、今のうちに私を殺しなさい……! 長くは意識は繋ぎ止め、られない……!」
 フォルシアが切迫した声で叫ぶ。
 おそらくは、ティリアムの危機を察して、ぎりぎりのところで精神支配から逃れたのだろう。
 しかし、彼女の言葉と様子から見て、それも長くは保たないようだった。
 ティリアムは、視線を腰のホルスターに落とす。
 今の状態でも、そこに収められた拳銃を使えば、彼女の命を奪う事は出来るはずだ。
 だが、ティリアムは頭を振った。
 それを見て、フォルシアが激昂する。
「……何を……考えているの! ……今、私を殺さないと……貴方の方が死ぬのよ!!」
 ティリアムは、その身をひどく傷つけられた相手に向けるには、優し過ぎる微笑みを浮かべる。
「例え、偽りだったとしても――俺には、一度は惚れた事のある女を殺す事は出来ないよ」
「――――!」
 フォルシアの目が信じられない言葉を聞いたように大きく見開かれた。
「それに、もう死なせたくない人間をこの手に掛けるなんて、絶対にごめんだからな……」
 そのときティリアムの脳裏に過ぎったのは、決して仲が良いとは言えなかった、でも、間違いなくかけがえのない友だった男の顔だ。
 フォルシアは、これまで決して見せなかった、それこそ泣きそうな顔でティリアムを見つめる。続いて口にした言葉は――まるで嗚咽のようだった。
「……馬鹿よ、貴方は……本当に、大馬鹿だわ……」
「――かもな」
 ティリアムは肩を竦めて、苦笑した。
 瞬間。
「……く……あああ……!」
 突然、フォルシアが激しく苦しみ出す。両手で頭を抱え、何かに抗うように振り乱した。
「……駄目……また……う、あああああ!!」
 絶叫。
 そして、彼女の顔から苦悶の表情が消失する。
 フォルシアは、再び復讐者と化し、ゆっくりとティリアムの方へと歩み出した。


 突然、額に銃口を突きつけられ、ロウは目を丸くして硬直する。そして、引きつった笑みを浮かべながら、両手を挙げた。
「ジョ、ジョン様……? これは一体、何の冗談で……」
「悪いが、もう演技はいらない。お前の正体はわかってるからな」
「ど、どういう事です?」
 その問いに、ジョンは、にやりと笑い返した。
「俺は知ってるんだぜ? 本当のロウが、オーシャの事をオーシャちゃんって呼ぶ事をな」
「あ……」
 そこで、ようやくオーシャも思い出した。
 昨日、初めてロウと出会ったとき――  

 ――それにしてもオーシャちゃんが、こんな可愛らしい女の子だったなんてビックリしました。  

 確かに、彼は自分の事をそうやって呼んでいたのだ。
「お前が侵入者だろ。さあ、今すぐフォルシアにかけた暗示を解除しろよ。あと、本物のロウの居場所も吐いてもらおうか。正直に言わないと、頭が吹っ飛ぶぞ」
 ジョンが銃口と共に、脅しを込めた声を突きつける。
 ロウは、途端に沈黙した。
 ゆっくりと、その面から明るい青年の表情が消え去っていく。
「――全く……仕方ないな」
 次に呟いた声は、すでにロウのものではない。
 不意に、ロウの姿をした侵入者の全身の硬直が解ける。そして、ばね仕掛けのように、その右足が跳ね上がった。
「むおっ!」
 突きつけていた拳銃が、足で蹴り飛ばされ宙を舞った。
 その隙を逃さず、侵入者の男は身を翻して逃走に移る。
「逃がさない!」
 オーシャは、すかさず《白光の翼》を発現すると、光の弓矢を構えた。放たれた光の矢は、呆然と固まる騎士や衛兵の合間を縫って、逃走する男の背中を追う。
 しかし。
 男は軽やかに跳躍すると、背中に目でもあるかのように矢を避けてしまう。
「しまった!」
 そのまま逃走を許してしまうと思われた――そのとき。
「そうはいかないな」
 隣でジョンが、もう一丁の拳銃――《瞬龍の咆哮》を構えていた。
 だが、その銃口は、なぜか天井を向いている。
「ジョンさん!?」
 オーシャの声と銃声が重なった。
 銃弾は一直線に天井へと突き進み、そこでぶつかって軌道を変える。次に向かった先は、逃走する男の背中だ。
「――――がっ!」
 さすがに、これを避ける事はできず、後ろから銃弾を受けて男は崩れ落ちた。そして、床に血の海を広げると、もう動かなくなる。どうやら心臓を撃ち抜かれたようだった。
「ちょ、跳弾で……」
 これにマリアが舌を巻き、オーシャも眼を見開いて、呆然としていた。
 ジョンは二丁の拳銃をそれぞれのホルスターにしまうと、
「銃弾が真っ直ぐにしか飛ばないなんて、偏見だぞ?」
 そう言って、得意げに笑った。


 フォルシアの手にした剣が、それ以上ティリアムを傷つける事はなかった。
 こちらに向けて歩き出したかと思えば、突然、意識を失い、糸の切れた操り人形のようにティリアムの上に崩れ落ちたのだ。
「フォルシア!」
 ティリアムは、倒れる彼女をしっかりと抱き止めた。
「……間に合ったのか。助かったよ、オーシャ、ジョン……」
 呟き、安堵の溜息を吐く。
 あともう数秒――フォルシアの暗示が解けるのが遅ければ、間違いなくティリアムは彼女の手に掛かっていただろう。
「く……」
 不意に、ティリアムは目眩を覚え、額を指で押さえる。
 正直、今にも意識を失ってしまいそうだったが、その前にやるべき事があった。鋭い視線は、フォルシアが倒れた際に紐が切れ、そのまま床に転がったペンダントの宝石へと向けられる。
「そこから見ているんだろう、マッド」
「――やはり気づいていたか」
 途端、漆黒の宝石からくぐもった笑い声が漏れ出した。
「いや、おめでとう、ティリアム・ウォーレンス。見事にセカンド・ゲームも君達の勝利――」
「黙れ」
 一言で、マッドの言葉を遮断する。
 ひどく冷たく静謐で、しかし、業火の如き激しい怒りの込められた一言だ。噴き出す殺気は広間の空気をびりびりと震わせ、窓の硝子にヒビを走らせた。
「お前は、俺が必ず殺す。この言葉を、お前の腐った頭に刻み込んでおけ」
 殺意の宣言の直後、銃声が轟く。
 ティリアムが手にした拳銃で、宝石を撃ち砕いたのだ。宝石は、完全に粉々となり、もはやマッドの忌まわしい言葉を届ける事はなくなる。
 そして。
 銃口から立ち昇る硝煙の向こうのティリアムの面は、まさにこう呼ぶに相応しい凄まじき怒りの形相だった。
 そう――《デモン》と。


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