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エンジェル 三章

逃避者


―― 四 ――

 何だこれは?
 僕は何を感じている? 何を見ている? 何に震えている?
 復讐を誓った僕には、迷いは許されないはずだ。
 なのに、これは何だ?
 
 ――僕は恐れているのか?
 
 ――僕は怖れているのか?
 
 ――僕は畏れているのか?
 
 ――僕は懼れているのか?
 
 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!
 どうして、そんなものを感じていられようか。
 そんなものを持って、どうやって復讐を果たせようか。
 捨てろ!
 棄てろ!
 ステロ!
 それが出来ないのならば、根源を絶つのだ。
 あいつを――あの男を――血のように紅い瞳をしたあの男を――!


 ――さあ、堕ちていけ、偽りの復讐者。
 深き闇の中へ。
 負の想いの渦へ。
 顧みれぬ路へ。
 それが弱きお前にとって唯一にして、最後の――救いだ。


「まったく――オーシャのやつは、どこに行ったんだ……?」
 公園に置かれたベンチに腰掛けながら、ティリアムは呆れを含んだ声を吐き出した。
 大陸の季節は過ごしやすい春を終え、夏を迎えようとしていた。太陽の日差しは日を追うごとに強くなり、花壇に咲き乱れる花も、春から夏のものが多くなっていた。
 《デモン・ティーア》の青年と交戦してから、すでに三日が過ぎている。
 警戒を強めたのか、夜な夜な姿を見せていた《デモン・ティーア》は、あれ以来、音沙汰がない。ティリアムも、怪我はオーシャの魔法で癒せたが、《紅》の反動だけはどうにもならず、二日ほどベッドの上で過ごした。
 そして、今はどうにか体調を取り戻し、朝からウィンリアの街を散歩がてら観光していたのだが――
「完全にオーシャとは、はぐれたみたいですね」
 マリアが周囲を見回しながら言った。
「みたいだな。まったく、子供じゃないんだから勘弁してくれよ……」
 愚痴を吐きながら、ティリアムはベンチに腰掛けたまま、天を仰ぐ。背後に立つ木々の葉の隙間から、陽光が漏れて見えた。
「まあ、暴走なんてしてしまった誰かさんの方が勘弁ですけどねぇ……」
 マリアの明らかな揶揄を含んだ言葉に、ティリアムの頬が引きつる。
 ティリアムは上を見ていた視線を下ろし、隣に座っている――もとい座っているかように浮いているマリアに顔を向けた。
「まだ、怒ってるのか……」
「当然です」
 こっちも見もせずにきっぱりと言われ、ティリアムは溜息を吐く。
「だから謝ったじゃないか。これからは気をつける――いや、もう絶対に暴走なんてしないって」
「とても信用出来ません。いいですか。前にも言いましたけどね――」
 マリアが明らかに怒気を含んだ視線を向けてくる。
「《デモン》化は、身体能力を大幅に引き上げる事ができますが、それと同時にある本能的衝動をも同時に増幅してしまうんです」
「――破壊衝動だろ」
 ティリアムは辟易した声で言った.。
 マリアが大仰に頷く。
「そう、破壊衝動です。それ故に《デモン》化は、強力な魔法であると同時に、非常に危険なものなんです。普段は破壊衝動を理性で抑え込んでいますが、もしもそれを抑えきれなくなれば――この間のように、ただひたすらに破壊を求めて暴走してしまう」
「それは、もうわかってるよ。前にも耳にタコができるほどに聞いた」
「じゃあ、なんで暴走するんですか」
「――こっちが聞きたいくらいだ」
 それは言い訳などではなく、ティリアムの本音だった。
 確かに、あのときは、《デモン・ティーア》に追い詰められてはいたものの、決して打破できない状況ではなかったし、今まではそんな事で暴走した事などなかった。
 少なくとも、あの程度の事で理性を失うような弱い意志の持ち主ではない、という自負もある。
 ――ならば、どうして暴走したのか?
 おぼろげながらに手がかりになりそうな記憶あった。
「暴走した前後の記憶はいまいち判然としないんだが――なんか声を聞いた気がするんだ」
「声――ですか?」
 マリアは怪訝な表情を浮かべる。
「ああ。どんなものかはまったく覚えていないんだけど、《デモン・ティーア》に脇腹を触手で刺された後に、急に頭がぼんやりして……そのときに聞いた気がする」
「声――」
 マリアはしばらく考え込むような顔していたが、特に思い当たる事はなかったのか、諦めたように頭を横に振る。そして、再び真っ直ぐティリアムの方を見つめてきた。
「――まあ、考えてもわかりそうもないですから、とにかく、これからは細っっっ心の注意を払って《デモン》化して下さいね」
「は、はい」
 ものすごい念を押したマリアの物言いに、ティリアムは思わず敬語で返事してしまう。
「あと、《紅》も乱用はしないで下さい。あれは身体に負担が掛かりすぎます。下手すれば、暴走のきっかけにもなりかねません」
 アレは暴走した状態で勝手に使ってたんだから俺に言われても――と思ったが、あえてそれは口にせず、
「わかってるって」
 と、素直に頷いておく。
 ――《紅》は、《デモン》化と同じく、《デモンズ》特有の魔法であるらしかった。
 あの紅い光に触れたものは、あらゆるものが完璧に消滅させられる。
 まさに必滅の魔法だ。
 それは決して破壊などではない。
 完全に消すのだ。
 完膚なきまで。
 確実に。
 塵一つ残さず。
 そんな強力な威力を秘めた《紅》だが、一つだけ欠点があった。
 それは、《紅》を使用した術者に多大な負担をかけてしまう事だ。一度使用しただけでも、まともに動けないほどの反動を身体に及ぼし、それは魔法でも決して癒す事は出来ない。つまりは、諸刃の刃なのだ。
「あの反動がなければ、便利なんだけどなぁ」
 どこか愚痴るようにティリアムは漏らす。
「世の中、そんなに都合良くはいきませんよ」
「ま、そういう事か――ん?」
 ティリアムは、公園の中心にある噴水の前に人だかりができているのに気づく。
 どうやら誰かを囲んでいるらしい。
 興味本位で、その人だかりの原因になっている人物を探ってみる。
「……なるほどね」
 辛うじて人垣の間から見えた姿に、ティリアムは納得したように呟く。
 それは年の頃、四十代中盤辺りの男だった。
 柔和な笑顔を、周囲の人間達に振り撒いている。
 周りの人々の口から、その男の名が聞こえてきた。

 ――グリアム様。

 このウィンリアの領主である人物。
 街の人間達からの人望に反して、裏では黒い噂の絶えない男。
 ティリアムは、グリアムの浮かべる笑顔の薄ぺっらさに、ひどく嫌悪感を覚えていた。
「ジョージさんには悪いですが――街の人々の評判は、あまり頼りにはなりそうもないですね」
 漏らしたのは、マリアだ。
 ティリアムに習うように人だかりに視線を向けている。
 どうやら、同じ感想を持ったらしい。
「大抵の人間は、見てる人間の表側しか見ようとしない。人望がある事が同時に、良い人間である証拠になんかならないさ」
「……そう、ですね」
 マリアは、否定する事もなく呟いた。
 ふと、人だかりに変化が見えた。
 人垣を割るようにして、小柄な人影が姿を見せる。
 見覚えのある人物だった。
 三日前。
 《デモン・ティーア》の襲撃から救った少女――後から、ハクトから聞いた名は、確かミニアといったはずだ。
 ミニアは、小走りでベンチに腰掛けるティリアムの方へと真っ直ぐ向かってくる。
 マリアの姿は見えないはずだから、一人で休んでいるようにでも見えたのだろう。
「あの……」
 ティリアムの目の前に立ったミニアは、遠慮がちに声を掛けてきた。
「先日、助けて頂いた傭兵の……ティリアム・ウォーレンスさん、ですよね?」
「半分正解。実際は、元傭兵だから」
 苦笑しながら、ティリアムは返した。
「あ、そうだったんですか。申し訳ありません」
「別に謝る事じゃないよ。やってる事は傭兵と変わりはしないんだ」
 ティリアムは、緊張気味なミニアを安心させるように優しい声音で言った。
 それで少し緊張を解いて、次にミニアは深々と頭を下げてくる。
「あの……先日は、助けていただいて本当にありがとうございました」
 そこからは、偽りのない感謝の気持ちが見て取れた。
「本当はすぐにお礼に伺いたかったのですが、なかなか暇が取れなくて……。そしたら、ここでお休みの所をお見かけしたのでお礼を申し上げに。突然に、申し訳ありません」
 やたらとかしこまったミニアの言い回しに、ティリアムは困った顔になる。
「気にする事はないよ。俺も、とても会えるような状態でなかったしな。……って、それよりも」
 ティリアムは、ずいっと身を乗り出す。
「一つ訊きたい事があるんだけど」
「はい? 何でしょう?」
 首を傾げるミニア。
 ティリアムは、真剣な口調で問い掛けた。
「あの喋る虎は、自分の事を何て説明してた?」
「え? あ……ハクトさんですか?」
 一応、名乗っていたらしい。
 ミニアは、そのときの事を思い出そうとしているのか、視線を上に向ける。
「……ええと、『世の中には、常識では測れないような存在は居るものです。あまり深く考えないでいただきたい』と……」
「上手いような、下手なような……微妙な説明だな、ハクト……」
 ティリアムは苦笑いすると、ミニアへ向けて軽く手を振った。
「まあ、それで納得してくれると助かるよ。詳しく説明した方が、よっぽど納得できないと思うし。あと、出来ればハクトの事は他言無用で」
「あ、はい、それはもちろん」
 ミニアは、少し困惑しつつも素直に頷いてくれる。
 そこで、ふと気づいてティリアムは訊いた。
「しかし、君のご主人様は、こんな街中をなんでウロウロしてるんだ?」
「……定期的に街の様子を見て回るのがグリアム様のご習慣なんです。そうする事で、屋敷に居ただけではわからない多くの事に気づけるから、と」 
「そりゃ、ご苦労な……。まさに領主の鏡だな」
 ティリアムは、再び人々の中心にいるグリアムの方に視線を向ける。
(まあ、心から出た言葉とは思えないな、なにせ――)
 ティリアムは気づいていた。
 周囲のあちこちの物陰に、殺気にも近いものを纏った人間が数人潜んでいる事に。
(あんな物騒な奴らを護衛にこっそり連れて歩いてるんだ)
「小悪党ほど臆病とは言いますけどね」
 彼女も気づいていたのか、隣のマリアが呆れ顔でぼそりと呟く。
 ティリアムは胸中でだけ同意しておいた。
「あ……」
 不意にミニアが何かに気づいた様子を見せた。
 人だかりが動き始めている。
 どうやらグリアムが、この場を離れようとしているらしい。
「戻らなくていいのか? グリアムに付き添って来てたんだろ?」
「あ、そうですね……」
 返すミニアの表情は暗い。
 まる、グリアムの傍に行きたくないかのように見えた。
 ――いや、実際、そうなのかもしれない。
「今度、また改めてお礼に伺います。では……」
 ミニアは一礼すると、人だかりの方へと戻って行く。
 少女の後ろ姿を見送りながら、マリアが囁いた。
「彼女……気づいているみたいですね」
「……ああ」
 吹いた風が木々を揺らし、空へと葉を巻き上げていく。
 夏が近いはずなのに、その風はひどく冷たく感じられたのだった。


「……お前は、何歳だっけ、オーシャ?」
「……十六」
 ティリアムの呆れを含んだ問いに、オーシャは首をすぼめるようにして小声で答えた。
 その顔は親に叱られる子供のごとしだ。
 小綺麗な喫茶店。
 店の人間の趣味なのか、椅子やテーブル、置物などから全てアンティークで揃えられている。おかげで、どこか静かで落ち着いた印象を訪れる者に与えていた。
 そんな店の一角に、ティリアムとオーシャは向き合って座っていた。
 マリアは、オーシャの背後で様子を伺うように浮いている。
「その年で迷子とは貴重な才能だな。出来れば、すぐさま廃棄して欲しいんだが」
「面目ない……」
「まあまあ、ティリアムさん。ウィンリアは観光客も多いですから、はぐれる事は仕方ありませんよ」
 フォローを入れたのは、オーシャの隣に座るウィンリア衛兵隊の総隊長――ジョージである。
 他ならぬ彼が迷子のオーシャを見つけ、ティリアム達と引き合わせてくれたのだ。
 ティリアムは一つ溜息を吐いた。
「まあ、何事もなかったから別にいいんだけどな……。それよりもジョージさん、助かりました。連れが迷惑を掛けたみたいで」
「いえ、これも衛兵の務めですから」
 ジョージは迷惑そうな顔一つ見せず、笑って見せる。
 街の衛兵をまとめる者としての責任感と人の良さが一目でわかる笑い方だった。彼には、この職業は天職かもしれないな、とそんな事をティリアムは思った。
「それよりも、お身体の方は大丈夫ですか? 先日はかなり辛そうでしたが……」
 ジョージが気遣った声で聞いてくる。
「おかげさまで。もう、ピンピンしてますよ」
 ティリアムは万全ぶりをアピールするように腕を回してみせる。
「あのときは、特にお怪我をしているようには見えなかったのですが……何が原因だったのですか?」
「いや、まあ……ただの疲労ですから、気にしないでください」
 そこの辺りは曖昧に答えておいた。
 怪我自体は暴走時にほとんど治ってしまっていたし、《紅》の事を話すわけにもいかない。そもそも、話した所で信じてもらえるかは怪しい。
 誤魔化すようにコーヒーを口にしたティリアムは、話を逸らす意味も含めて、ある疑問をジョージに尋ねた。
「ジョージさん、ちょっと聞きたい事があるんですが良いですか」
「はい、何でしょう?」
「この街の領主のグリアムについて、貴方が知ってる事を出来る限り教えて欲しいんです」
「グリアム様についてですか……? それは、また何故……」
「この間、気分を悪くするような事を言ってしまいましたから。そのお詫びもかねて、いろいろ知っておきたいと思ったんですよ」
 ジョージは、一瞬、神妙な顔をして見せたが、
「……そうですか。わかりました」
 と、すぐにそう応じてくれた。
 彼の口から聞かされたのは、ウィンリアでのグリアムの人望、人柄、功績、など様々な事だ。
 だが、ティリアムの聞きたいのは、そんな事ではない。
 話の流れの中で、ティリアムはさりげなく聞き出したい情報へと誘導する。
「そういえば、グリアムの家族構成ってどうなってるんですか?」
「グリアム様のご家族ですか? 一応、結婚されてますが、奥様は数年前に他界され……一人娘のツェーネ様も……」
 ジョージは、言葉尻を濁す。
「……亡くなったんですか?」
 不吉な予感を感じたように、オーシャが声を低くして訊いた。
「いえ……実は、三ヵ月ほど前から行方不明になられているのです」
「行方不明、か……」
 ティリアムが、思案深げに呟く。

 “彼女"を殺した、奴を――!

 不意に《デモン・ティーア》の青年の台詞が頭の中で蘇った。
 ジョージは過去を見つめる遠い目になる
「本当に良く出来た方でした。グリアム様に似て、お優しくて、人望もあり――何より美しかった」
「……その娘に――ツェーネに親しい人間っていたんですか? 例えば、恋人とか?」
「はい、いらっしゃいました。売れない画家をやっていたゲイリー・ダルシェンという同い年の青年で、街でも公認の恋人同士だったのですが……」
「――ですが? 彼にも何か?」
「実は、ゲイリーの方も、一ヶ月ほど前に失踪をしたのです。街では、ツェーネ様の失踪に関わっていて、それを追求される事を恐れて逃げだしたのではないか――という噂さえ立つ始末でした」
「それで、貴方もそう思っているんですか?」
 ジョージは、すかさず頭を振った。
「いえ、彼はとても誠実で真面目な青年でした。間違っても、そんな事をする人間では……」
「そうですか……。言いづらい事を訊きました。すいません」
「構いません。私は、ゲイリーもツェーネ様も必ず無事でいると信じていますから」
 応えるジョージの表情に迷いはなく、心の底から、そう信じているのだと感じ取れた。
 と。
 年季を感じさせる木造りのアンティークの時計が鳴った。
 時刻は、午前十一時を回っている。
 ジョージが椅子から腰を上げた。
「……少し長話になってしまいましたね。そろそろ、私も仕事に戻らないと」
「あ、はい。――ジョージさん、さっきは本当にありがとうございました」
 オーシャが頭を下げて礼を言う。
 ジョージは、にこやかに微笑んで見せた。
「いえ、お気になさらず。では、私は、これで」
「はい、それじゃ。いろいろ助かりました」
 店を出る前に、律儀に軽くこちらに頭を下げてから、ジョージは立ち去っていった。
「――さっきの話で、いろいろ繋がった感じですね」
 ジョージがいなくなって、すぐにマリアが言った。
 ティリアムが頷く。
「ああ、あの《デモン・ティーア》は、おそらくゲイリーだろうな」
「……《融合体》、か……本当にそんな事できるのかな……」
 オーシャが信じられないといった風に漏らす。
「確かに、俺もあんまり信じたくないけどな。だけど、あの人間的な言動に、《デモン・ティーア》と同じ異形の能力……他に考えようもない」
 ――《融合体》。
 それは人間と《デモン・ティーア》を融合させ、高い戦闘能力とそれを最大限に生かす知能を一緒に備えた存在の事である。
 実際に、この街の《デモン・ティーア》を見て、マリアが判断したのは、そういうものだった。
 かつての大戦で、《エンジェル》側で、その《融合体》は研究されていたらしい。
 だが、あまりに多くの問題があった事で、それが現実化される事はなかったのだ。
「でも、あの《デモン・ティーア》がゲイリーさんだったとして、なんで《融合体》になんて、なっちゃったんだろう……?」
 オーシャが、どこか悲しげな声で言った。
「それに関しては、なんとも言えませんね。《デモン・ティーア》自体にしても、野生化してしまったものは、私の知識の範疇では計り切れるものではありませんし……」
 マリアは、困ったように眉根を寄せる。
 彼女自身も、はっきりとした答えは導き出せないようだった。
 あまりに情報の少ないこの状況では、それも仕方がない。
「わからない事を議論しても仕方ないさ。今は、わかっている事実だけを整理しよう」
 マリアとオーシャが頷く。
「ええと、まずは、あの《デモン・ティーア》はゲイリーさん……でいいんだよね」
「本当に《融合体》なら、人間側はゲイリーで間違いないだろうな。あとで、ジョージさんに頼んで、写真でも探してもらえばはっきりするだろう」
 続いて、マリアが口を開く。
「そして、彼は、この街の領主であるグリアムを狙っている――ですね」
「間違いないのかな?」
「あいつはこう言っていた……『“彼女”を殺した奴』ってな。そして、今まで狙われたのは、全てグリアムに近しい人間だった。
 さらに、そのグリアムの娘は、三ヶ月前に失踪している――
 “彼女”っていうのがツェーネを指しているんなら、たぶん間違いないだろうな。なにせ、ゲイリーは、ツェーネの恋人だ」
「でも、そういう事だったら、グリアムさんは、実娘の死に関わってるって事になるよね。そんな事って……」
 信じたくない。
 オーシャの顔は、そう言っていた。
 だが――
「……グリアムに黒い噂があり、そのいくつかが事実であるのは間違いない。あの男なら、自分の娘に何をしたっておかしくないだろう。――吐き気がするがな」
 ティリアムは、容赦なく現実を告げた。
 現実から目を逸らしても、現実が変わるわけではない。
 少なくとも戦う事を決意したオーシャには、それは許される事ではない。
 躊躇と迷いは、戦いの中では死と同義なのだから。
 オーシャは、その現実をなんとか受け止めようしているのか、唇を噛みながら俯く。その胸中では、人間の残酷面へ対する憤りと悲哀が葛藤し、渦巻いているのだろう。
「……で、ここまでわかった所で――どうするんです? 直接、グリアムに問いただしますか?」
「そんな事したって、素直に吐くような男には見えな――」
 ティリアムの言葉は最後まで続かなかった。
 不意の破砕音。
 通り側の窓硝子の割れる音だ。
 ティリアムは、その原因を探るよりも早く大剣を手に取ると、巻いていた布を引きちぎるように剥ぎ取った。
 斬撃が窓硝子を割った原因となった物を切り裂く。
 オーシャが驚きの声を上げた。
「……ティルっ! これって――」
 テーブルの上に落ちたのは、斬られてもいまだにうねっている触手だった。
 三日前に戦った《デモン・ティーア》――ゲイリーに間違いなかった。
「昼間から活発な事だな。根暗を引退したくなったのか?」
 皮肉を吐いている間にも、次々と触手は店中へと侵入してくる。
 それを斬り落としながら、ティリアムは叫んだ。
「死にたくない奴は、とっとと店から出るんだ!」
 突然の事に悲鳴を上げる事も出来ず、完全に呆然としていた他の客や店員達は、その声に押されるように店を跳び出していった。
 客がさほどいなかった事もあり、店の中はあっという間にティリアム達だけになる。
 人目ない事を確認してから、オーシャは翼を背中に生み出した。
 同時に髪と瞳が白銀に染まる。
「なんで、こんな明るいうちから……」
「それは本人に訊くとしよう」
 ティリアムの目は、すでに一つの場所に向いている。
 いつの間にか、その人影は店の真ん中に立っていた。
 金髪と翠瞳の青年。
 異形の――復讐者。


 青年は、どこかで調達したのか、またフード付きの長衣を身に着けていた。
 背中では触手が今にも襲いかからんと蠢いている。
「――ゲイリーだな?」
 ティリアムが問いかけた。
「……何故、僕の名前を知っている」
 意外にも、まともな返事が返ってきた。
「何、先日は、いろいろと世話になったからな。ちょっと気になって調べたのさ。――どうやら間違いなさそうだ」
「ゲイリーさん、貴方は本当にツェーネさんの仇を取るために、こんな事を?」
 ゲイリーにも姿が見えるようにして、マリアが問うた。
 異形の青年の瞳に、爛々とした憎悪の光が宿る。
「そうだ。あいつは――グリアムはツェーネを殺した。だから、僕は力を手に入れたんだ。復讐のための力を! 誰にも邪魔はさせない……!」
「その大層な目的を持つお前がなんで、こんな所に来た? しかも、人目の多いこの真っ昼間から」
「復讐の為に――お前が邪魔だからだ、紅い瞳の男!」
「俺が?」
「そうだ! お前は僕に恐怖を与えた。復讐の為に生きる僕には、こんなものを持つ事は許されない。だからお前を――殺す!」
 叫びと同時に、触手が背中で増殖。
 次に空気を裂いて殺意の群れが、ティリアム達へと殺到する。
 ティリアムとオーシャが弾かれるように左右に分かれて跳んだ。
 触手は板張りの床に突き刺さる。
「やれやれ、とんだ逆恨みだな」
 軽口を叩きながら、腰のホルスターから抜いた銃がゲイリーを捉える。
 引き金が容赦なく連続で引かれた。
 銃声は六発。
 狙いは一つも逸れずに、全ての弾丸がゲイリーの顔面に突き刺さった。眼球が潰れ、脳漿が周囲に飛び散る。
 しかし――
「まあ、予想通りか」
 ティリアムが諦めを含んだ声で呟く。
 再生は、即座に行われた。
 数秒も経たぬうちに、ゲイリーの頭は元に戻ってしまう。
 ゲイリーが、再度攻撃に移る。
 オーシャが危険を察知して、後方に飛んだ。
 地面から飛び出したのは、最初の攻撃で床に突き刺さった触手である。
 どうやら、床下を通って来たらしい。
「この――っ!」
 オーシャが腕を振るうと、その後に三つの光の輪が出現する。
 光輪はオーシャの意思に従って、追撃してくる触手を切り落とした。
「ティル、どうするの!? このままじゃ、埒があかないよ!」
「確かにそうだな……さて、どうしたものやら」
 先日の夜と同じように、触手も再生も無尽蔵だ。
 生物である以上、補給をしない限り、本当に無限という事はないだろう。だが、力尽きる事を期待して攻撃し続けるのは、今の場所を考えても得策とは思えなかった。長引けば、他の人間への危害が及ぶ事は避けれないだろう。
(一か八かやってみるか……)
 ティリアムは、自分に迫っていた触手を斬り落とすと、おもむろに大剣を床に突き刺した。
「ティ、ティル?」
 オーシャが驚きの声を上げる。
「……何のつもりだ?」
 ティリアムの行動をゲイリーも奇異に思ったのか、攻撃を止め、警戒した声で訊いてきた。
「何、ちょっと取引をしようと思ってね」
「取引……だって?」
「そうだ。お前の目的は、俺を――そして、最終的にはグリアムを殺して復讐を果たす事だろう? その手伝いをしてやろうって言うんだよ」
「血迷ったのか? 馬鹿馬鹿しい」
「そうでもないと思うけどな。――四日後、深夜の零時だ。ウィンリアの外れにあるキェニア湖の畔に来い。そこに俺がグリアムを連れて行ってやる」
 突然のティリアムの言葉に、オーシャが制止の声を上げようとするのを、いつの間にか背後に回ったマリアが素早く口を塞いで止める。
「……むっぐ……マ……っ!」
「まあまあ、落ち着いて」
 それを横目に、ティリアムは続けた。
「ただし、それまでの間、もう街の人間には一切手を出すな。どうだ、悪い話じゃないだろう? お前の殺したい相手が、わざわざ来てくれるんだ。――まあ、もちろん俺は、ただで殺されてやるつもりはないがな」
 ティリアムは不敵な笑みを浮かべた。
 それに対し、ゲイリーは無言だった。
 だが、不意に、
「…………いいだろう。その条件を飲んでやる。四日後の深夜零時――決して忘れるな」
 そう言い残すと、硝子のなくなった窓から跳び出していった。
 外から野次馬の悲鳴が響くが、それもすぐに収まる。
 ティリアムが息を吐いた。
「思いのほか上手くいったな」
「上手くいったな……じゃないよっ!?」
 床から剣を引き抜いていたティリアムに、翼をすでに収めたオーシャが柳眉を逆立てながら詰め寄る。
「あんな事約束しちゃってどうするもつもり? 本当にグリアムさんを連れて行くつもりなの!?」
「ああ、連れてく」
 さも当然とティリアムがあっさり頷く。
 オーシャが頭痛でも感じたように額を押さえて項垂れた。
「そんな簡単に……。仮にも領主さんなんだよ。頼んだって話を聞いてくれるかどうかさえ……」
「それは、もう、拉致るしかないですね」
「ああ、拉致る」
「拉……ち……っ!?」
 ティリアムとマリアの台詞に、オーシャが絶句する。
「もとより、普通に頼むつもりなんかなかったしな。そっちの方が手っ取り早いだろ。それに、街の人間を巻き込まないためにも、外に連れ出した方が良いじゃないか」
「でも……拉致って……捕まっちゃうよ?」
「その辺りは、レルードにどうにかさせるさ。そもそも、この件に人を巻き込んだのはあいつだしな。何より、グリアムには無関係な顔をさせわけにはいかない。そもそもこの事件の原因は、あいつだ」
「まあ、オーシャも覚悟を決めましょうよ。なるようになりますって」
 マリアは相変わらずの楽観論を口にしながら、オーシャの肩をぽんぽんと叩いた。
「本当にどうなっても知らないよ……」
 オーシャは諦めの溜め息を吐いた。
 ようやく覚悟が決まったらしい。
「じゃ、さっそく今日の夜にでも、拉致のための下見にグリアムの屋敷に忍び込むとするか」
 ティリアムは、さらりと危険な発言を口にする。
 忍び込むと聞いて、マリアがすかさず手を挙げた。
「はいはい! 下見なら、私が行きますよ? 見張りにも見つからないし、壁を通り抜けられるし、適役です!」
「いや、それはいい。自分の目で確かめたい事もあるから」
「え〜、そんなぁ〜……」
「…………行きたかったんだ、マリア」
 オーシャが呆れたように呟いた。
 そして。
 ジョージを含めた衛兵達が遅れて店に駆け込んできたのは、そのすぐ後だった。


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