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エンジェル 三章

逃避者


―― 二 ――

 死。
 この世に生きる者ならば、誰もが迎えるモノ。
 虚偽と絶望の支配する世界で、唯一人が信じられる、絶対の真実。
 人にとって、それは。
 ときに恐怖であり。
 ときに喜びであり。
 終焉の象徴。
 死を迎える者には、大きく分けて二種類がいる。
 何も思い残す事なく、安らかに逝く者。
 悔いを残し、怨嗟と憎しみの中で逝く者。

 ――“彼女”は、後者だ
 
 長衣ローブを身につけた青年は、夜路を歩く。
 美しい街の裏に隠れた闇の路を、ゆっくりとした足取りで歩く。
 彼女には希望があった。
 彼女には未来があった。
 彼女には愛があった。
 彼女、死なねばならない人だったか?
 否!
 断じて、否!
 死ぬ必要などなかった!
 “殺される”理由などなかったのだ!
 それなのに、それなのに――奴は奪った!
 彼女から命を! 未来を! 希望を!
 自分から、彼女の愛を! 存在を!
 奪った!
 許さない許さない許さない許さない許せない!
 ――だから、殺そう。
 奴を。
 奴の手から、彼女を守れなかった愚者達を。
 自分が裁こう。
 それだけの力はある。
 それだけの力は得た。
 自分は人を捨て、復讐者となったのだから。
 青年は歩く。
 目深に被ったフードに隠れた顔は、どんな表情をしているのか窺い知れない。
 しかし、闇の中に爛々と怨嗟に光る瞳だけははっきりと見えた。
 ちょうどガス灯の光の下を通った所で、彼の前に何者かが跳び出した。
 みずぼらしい姿をした男。
 ガス灯の光を浴びた顔は、見る者にもれなく嫌悪を与えるような笑みを浮かべていた。
 手には、ガス灯の光を反射して鈍く光る短剣。
 男が口を開いた。
「金を出せ」
 失笑したくなるほど、お決まりの台詞だった。
 しかし、青年は、男が目に入ってないのか、そのまま横を通り過ぎようとする。
 その態度に激昂した男は、青年に掴み掛かり――
 停止した。
 まるで、男の時間だけ止まったかのようだった。
 ずるりと、何かがズレる音がした。
 首だ。
 男の首に赤い線がまっすぐ走り、それに合わせてズレていたのだ。
 頭が、ぼとりと地面に落ちた。
 身体側の断面からは、噴水のように赤い激流が昇る。そして、そのまま頭を失った身体は背中から地面に倒れた。
 男は自らの死を認識すら出来ず、絶命していた。
 青年の背後で、何かが動いた。
 男の首を切り落としたモノだ。
 それは蛇のようにうねり伸びると、落ちた男の頭に突き刺さる。青年の背中から生えた“触手”は、まるでストローのように脳を吸い上げ、咀嚼していた。
 あっという間に全ての中身を吸い上げると、触手は青年の背中に沈んでいく。
 残ったのは空になった頭と、噴出する血が弱まり出した倒れた男の身体だけだった。
 青年が、再び歩き出す。
 暗い、暗い、路を歩き出す。
 そう、路だ。
 進むほど人を捨てていく事になる、路。
 戻る事など適わぬ、路。
 復讐者の、路。
 希望なき絶望の――路。

 
 ティリアムは、蒸気機関車の降車口からホームに片足を下ろした状態で硬直していた。
 呆気に取られた彼の視線の先には、衛兵の服装をした一人の男が敬礼のポーズをして立っている。
 顔に刻まれた皺から察するに、年は四十代後半といった所だろうか。整った顔立ちや髪型から彼の真面目さが窺い知れた。
「お待ちしておりました、ティリアム・ウォーレンス殿。私は、ウィンリアで衛兵隊の総隊長を務めるジョージ・ゼルダムズと申します」
「はあ……」
 あれから。
 落盤により塞がったトンネルが再び通れるようになったのは、予定通り、事故から一週間ほど過ぎての事だった。
 再び蒸気機関車に乗り込んだティリアム達は、その後は何の問題なくウィンリアまで辿り着く事が出来たのだが――
「え、えーと……ジョージ・ゼルダムズさんでしたっけ?」
 ティリアムは、とりあえず落ち着こうと眉根を揉みほぐす。
 胸中では、一つの嫌な予感が急上昇していた。
「はい、その通りですが。何か?」
「いや、待ってた、というのは、どういう事なのかなー、と思って」
 年相応の皺が刻まれた顔に、ジョージが怪訝な表情を浮かべる。
「レル―ド陛下から何も聞いておられないのですか? こちらで我々の依頼を受けていただけると……」
 その名を聞いた瞬間に、嫌な予感が確信へと変わった。
「やっぱり、あいつか……」
 再び口を開いたときには、怒りのあまり頬が引きつっていた。
「……まあ、はっきりと言ってしまえば――聞いてないですけど」
 ジョージが目に見えて困惑した。
「そ、そうなのですか? 城の方から、ちゃんと報酬は前払いしてあると連絡を受けているのですが……」
「報酬? ああ、もしかして、これ……」
 ティリアムは懐の財布に服の上から触れた。中には、“城で受けた依頼の正当な報酬”と聞いて受け取ったはずの金が入っている。
 だが、それは名目だったのだ。
(あの野郎、本当は、こっちで面倒事を押し付けるために渡した金だったな――!)
 前払いで報酬を受け取ったとなれば、無下にこっちで仕事を断るわけにもいかない。何よりも、すでに蒸気機関車の運賃などにかなり使ってしまっているのだ。
(もう傭兵やめたっていうのに……なんで、こう……)
 いろいろな後悔の念が胸に渦巻くが、もう後の祭だ。
 もはやレル―ドへの怒りとか以前に、ただただ全身が脱力していた。 
 ジョージの方も、まさか依頼を受けてもらうはずの本人が、それを全く知らないとは思いもしなかったのだろう。怒りの表情を浮かべたかと思えば、突然項垂れるティリアムに、どう声を掛けたものかと迷っていた。
 そこに、遅れてオーシャとマリアが背後から現れた。蒸気機関車の降車口の前で立ち止まっているティリアムに不思議そうに声を掛けてくる。
「どうしたの、ティル? こんな所で立ち止まって」
「他に降りてくる人達の邪魔になりますよ」
 振り返ったティリアムは、その顔に力ない自嘲の笑みを浮かべながら、二人に告げる。
「――また面倒な事になってきたぞ、二人共」


 水と花の都。
 そう称されるウィンリアは、その名に違わぬ美しさを誇っていた。
 街の至る所を流れる水路に、その上に掛けられた橋。
 優雅に進む多種多様の小船。
 花壇では、豊かな水と肥沃な大地に育まれた花々が一年、春夏秋冬に合わせて姿を変え咲き乱れる。
 立ち並ぶ建物も、景観を失わないように計算されて建てられていた。
 シーナ王国の誇る、最高の美を纏う街。
 それがウィンリアである。
 当然、観光客は一年中絶え間ない。さらに、そこからもたらされるものは、街を潤し、その美しさに磨きを掛けていた。
 しかし、ティリアム達は、そんな街の景色を堪能する暇もなく、中心部にある衛兵達の本部に来ていた。街の各地に点在する詰め所をまとめる、衛兵達の本拠地である。
 依頼の方は、やはり受ける方向で話が決まっていた。
 事情を聞いた、オーシャが「そういう事なら仕方ない」とあっさり快諾したからだ。
 ティリアムは、いまいち納得がいかなかったが、結局は同じ結論に至った。なにせ使ってしまった報酬を返せるアテなどないのだ。
 マリアは、「自分が働くわけではないから」と、相変わらず呑気なものである。
 ティリアム達は客室に案内され、椅子に腰を下ろし、マリアだけはオーシャの背後で浮いていた。テーブルを挟んで反対側には、ジョージが座る。
 部屋に入ってすぐに、女性の衛兵がお茶を運んでくる。
 それが出ていったのを確認した後に、ジョージは話を切り出した。
「まず、これを見てもらえますか」
 懐から取り出したのは数枚の写真だ。
 それを覗き込んで、すぐにオーシャが顔を真っ青にして目を背けた。
 しかし、ティリアムは平然とそれを手に取り、まじまじと全ての写真を眺める。一通り確認すると、顔を上げジョージの方を見た。
「見事に原型留めてませんね、これは」
「ええ……酷いものでしょう……」
 呟くジョージの顔は悔恨と苦渋の色に染まっている。
 写真に写っていたのは――死体だった。
 そして、それら全てに共通するのは肢体をバラバラにされ、人の容を留めてない事。さらに、頭の中身が全て抜き取られている事だった。
「これらは、全てこの街で発見された死体です。最初の事件は一ヶ月前。その後、連続して犯行は行われ、被害者は――すでに二十人を超えています」
「に、二十人ですか」
 いまだに写真を直視できずに顔を青くしているオーシャが思わず声に出して驚く。
 ジョージは、溢れる悔しさを抑えるように、歯軋りを鳴らしながら頷いた。
「我々も何もしなかったわけではありません。しかし、相手は――」
「――《鬼獣》デモン・ティーアですか
 ティリアムが言葉尻を引き継ぐ。
 ジョージは、再び頷いた。
「さすがです。よくお分かりになりましたね」
「この死体の状態を見ればわかりますよ。身体をバラバラにするのなら、普通の狂人でもやりそうな事ですが、頭の中身がなくなっているのは――食事でしょう」
「はい、その通りです。我々も同じような推理で街に入りこんだ《デモン・ティーア》の仕業と判断しました。そして、すぐに討伐に乗り出したのですが――ことごとく失敗に終わり、逆に犠牲者を増やすばかりでした」
「まあ、衛兵は街の治安が守るのが主な仕事ですから。こういう手合いは、傭兵の方が専門家ですよ」
 フォローというわけもなかったが、ティリアムはそう返しておく。
「それじゃ、俺達に頼みたい仕事っていうは、街に入りこんだ《デモン・ティーア》の始末ですか」
「はい、そうなのですが……」
 ジョージが複雑の表情を浮かべる。
 それを見て、ティリアムが眉根を寄せた。
「? 何か問題が?」
 ジョージは、少し言いづらそうに口を開いた。
「……実は、最近になって、この《デモン・ティーア》に変化が見られるのです」
「変化?」
「目撃情報によれば――人の姿をしていた、と」
 何事かと身構えていたティリアムは気が抜けたように溜息を吐く。
「それは別段、珍しい事じゃないでしょう。人の姿に類似してる《デモン・ティーア》なんて腐るほど居る」
 ジョージが頭を振る。
「いえ、我々の追っていた《デモン・ティーア》は、普通に化物染みた姿だったはずなのです。まあ、そこは姿を変える事が出来ると考えれば納得出来ない事もありません。実際、そういった《デモン・ティーア》も居ますから。しかし、その目撃者によれば、そいつは人の姿をしているだけではなく、人の言葉も喋ったそうなのです」
 ティリアムは目をしばたたかせ、その後、疑いの眼差しをジョージに向ける。
「人の言葉を? まさか……何かの聞き違いでしょう」
「私もそう思うのですが……それと、あと、もう一つ」
 ジョージは、手元の資料をティリアム達の方に差し出した。
 その資料には、今までの被害者の名前が上から死亡順に並んでる。そして、後半の方にだけ、ほとんどの名前の前に赤い印がつけてあった。どうやら、何かの共通点のある者だけにつけてあるらしい。
「今まで、《デモン・ティーア》は無差別に人を襲っていたのですが、最近は、狙う相手を選んでいる可能性があるのです」
「どういう事です?」
 言葉の意味をいまいち把握できなかったのか、オーシャが訊き返す。
 ジョージは、神妙な顔で先を口にした。
「何故か、この街の領主であるグリアム・ホールマン様と関わりのある人ばかりを襲っている――という事です」
「《デモン・ティーア》が……人を選んで襲っている……?」
 オーシャは呆気に取られたように呟く。
 その隣で、ティリアムが肩を竦めた。
「しかし、グリアム・ホールマンか……。その《デモン・ティーア》も良い趣味しているとは言えないな」
「え? どうして?」
 当然の疑問を投げかけるオーシャに、苦笑を浮かべながらティリアムは答えた。
「一部じゃ有名なのさ。黒い噂に事欠かない男ってな」
「まさか!? グリアム様は、お優しく聡明で、街の人々の人望も厚い尊敬に値する人ですよ!」
 過敏な反応を見せたジョージが両手をテーブルに突き、椅子を後ろに倒しながら立ち上がる。
 突然の事にオーシャが身体をびくりと震わせた。
 ジョージの反論を、ティリアムは茶をすすってから、軽い口調で否定した。
「表向きは、ですよ。だけど、ちょっと裏の事情に詳しい情報屋に銅貨の一枚でも渡せば、イヤになるほど裏話が聞けます。真偽のほどは、ともかくとしてですけどね」
「そんな……」
 ジョージが、それでも信じられないと言った表情で立ち尽くす。
「ジョ、ジョージさん。あくまで噂なんですから」
 オーシャが慌ててフォローを入れる。
 それでジョージは我に返り、慌てて頭を下げた。
「……も、申し訳ありません。少し取り乱しました」
 再び椅子を立てて、座り直す。
「まあ、いくらなんでも《デモン・ティーア》が、グリアムのやらかした何かに恨みを持って、復讐してるってわけはないか……」
 ティリアムは呟くと、背後のマリアに小声で話し掛ける。
「どう思う?」
 マリアは、少し悩むように唸ってから答えた。
「……全ての《デモン・ティーア》は基本的に本能に従って動いています。だから、知能は低く、言葉を扱ったり、意思を持って動いたりなんて、まずありません。元々は、ただの生物兵器。そんなものは邪魔なだけですしね」
《黄昏》デンメルングが関わっている可能性は?」
 続いて訊いたのはオーシャだ。それは、ティリアムも考えていた事だった。
「確かに、彼らが関わっているのなら不自然な動きにも納得は出来ますけど……動機が見えませんね」
「そうだな。奴らなら、こんなに目立つ方法を取るとは思えないし、街の人間が死んだ所で何の特もないだろう」
「……あの、どうかしましたか?」
 急に後ろを向いてぼそぼそと喋る二人を不審に思い、ジョージが声を掛けてくる。
「え? あ! いや、なんでもないです! 少し背中が痒くて!」
「いや、もっと上手い誤魔化し方あるだろうに……」
 慌てて言い訳するオーシャに、ティリアムが呆れて突っ込みを入れる。そして、小さく溜息を吐いた後、その場にいる全員の注目を集める一言を口にした。
「まあ、とりあえず。細かい事は、そいつ直接会って訊く事にしましょう」
「え?」
 集まる視線を悠然と受け止めて、ティリアムは不敵な笑みを浮かべた。
「口がきけるんでしょう? ちょうど良いじゃないですか」


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