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エンジェル 二章

血と罪と鬼人


―― 六 ――

 練兵場には、ティリアムと共に、ジョアンの指揮する数十人の騎士達がずらりと並んでいた。
 さらに、その後方にはレルードと彼を守るフィーマルを含めた近衛騎士達が居る。
 オーシャは、ティリアムに言われた通り、レルードの傍に控えていた。
 あの会議室の出来事から、二日後。
 城の門を守る衛兵から、《デンメルング》襲撃の知らせが飛び込んできた。
 それに合わせて、ティリアムの計画通りに、非戦闘員は王城の離れに避難させ、戦う者は練兵場に集結したのである。
 緊張感と静寂の支配する練兵場に、城の方から足音が近づいて来た。
「来たぞ!」
 ジョアンが叫ぶと、並んでいた騎士達が一斉に剣を抜き放ち、オーシャも背に《白光の翼》を生み出す。
 口笛が響いた。
「門番を殺ってから、他の人間を一人も見ねえから、拍子抜けしてたんだが――これはこれは手厚い歓迎じゃねぇの」
 姿を見せたのは、派手な赤毛の髪をした男だった。
 男は、無数の敵意の視線に貫かれても、余裕を持ってにやにやと笑っている。
 敵が一人しかいないという事実に、騎士達の間に動揺が広がった。
「なるほどな。魔法の事を知って、被害を最小限に抑えるための少数精鋭か。なかなか考えてるじゃねぇか。でも、それは同時に礼の物を渡す気がないと判断してもいいんだな?」
 赤毛の男は、ゆっくりと目の前に並ぶ騎士達を見回しながら、感心していると言うよりも、馬鹿にしている口調で訊いた。
 レルードが決然とした声を張る。
「当然だ。悪いが、シーナ王国の国王の誇りに賭けて――絶対に国宝は渡せない」
「余裕でいられるのも、今のうちだぞ《デンメルング》の者よ。いくら魔法の力があったとしても、たった一人で、この状況をどうにかできると思わん事だ」
 続いて、ジョアンが厳しい口調で言い放った。
 赤毛は、嘲るように笑うと、
「一人? 残念だが、それは違うな」
 指を鳴らした。
 途端。
 五十は軽く越える複数の影が、練兵場に飛び込んでくる。
「デ、《デモン・ティーア》!」
 騎士の一人が、その正体を叫ぶ。
 人型で、右腕だけが大きく発達している《デモン・ティーア》だった。額にその証たる角を一本生やし、顔面の部分にはぎょろりとした巨大な目玉と裂けた様な口だけがある。
 ティリアムは後ろに目配せすると、一歩前に進み出た。
 同時にジョアンが戦闘開始の号令を発した。
 騎士達は素早く動揺を鎮めると、《デモン・ティーア》の群れとの戦闘に突入する。
「ほう、なんか、やたらと手際がいいな。もしかして、予想済みだったか?」
「当たり前だ。お前らのやり方はわかってるんだよ。《デモン・ティーア》を使ってくる事なんて、簡単に予想できた」
 騎士達と《デモン・ティーア》の激しい戦闘を背後に、ティリアムは大剣を構える。
「そして、魔法の力を持った敵は、以前に戦闘経験があり、さらに《デモンズ》である俺が相手をする。――最初からそういう予定だった」
「一番、危険な相手は自分が引き受ける、か? 泣かせるねぇ。ま、俺としては、むしろ願ったりなんだがな」
 赤毛の男は、心底楽しそうに笑むと、《翼》を背中に出現させた。まるで炎が形を成したような赤い翼だった。
「……なあ、お前は、肉は好きか?」
 突然の質問に、ティリアムは眉根を寄せる。
「何を言ってやがる」
「俺は大好きなんだよ。特に焼ける時の、あの匂いと音がたまらねぇよなぁ」
 赤毛の男は、派手な身振りをつけながら、一人で話を続けた。
「それでな、焼けるときの様子が一番好きな肉があるんだよ。……なんだと思う、《デモン》?」
 答えはない。
 問いは完全に無視して、ティリアムは油断なく身構えていた。
 しかし、赤毛の男の方も無視された事は気にせず、一言だけ囁くように、
「それはな――」
 言った。
「人の肉だよ」
 それと同時だった。
 ティリアムが異変に気づいて目を見開く。
 赤毛の男の《翼》が強く発光すると、彼を中心に炎が放射状に放たれたのだ。
 烈火の円は凄まじい勢いで広がり、周囲を焼き尽くしていく。
「伏せろ!!!」
 ティリアムは出来る限りの大声を張った。そして、自分も素早く地面に身を投げ出す。
 すぐ頭上を凄まじい高熱が通り過ぎて行った。
 フィーマルがレルードとオーシャを押し倒し、ジョアンや他の騎士達も、辛うじて炎を躱す。
 しかし、交戦中だった数人の騎士達は、不意の攻撃に《デモン・ティーア》ごと炎に巻き込まれ、一瞬で灰と化して崩れ落ちた。
 攻撃の余波は練兵場全体に広がり、至る所で火の手が上がる。怒号と悲鳴の響くその光景は、まさに地獄絵図だ。
「く〜、たまらんねぇ、この感じぃっ! これだから人を焼き殺すのはやめられない!」
 恍惚に身を震わせながら叫ぶ赤毛の男を、ティリアムは燃え滾る怒りの眼差しで睨みつけた。
「お前っ!」
「おいおい、“お前”なんて言わないでくれよなぁ。俺には、ギャリッドっていう名前が、ちゃんとあるんだぜ。《デモン》――いや、ティリアム・ウォーレンスさんよ?」
 赤毛の男――ギャリッドは、自らが引き起こした惨劇に対する罪悪感など微塵も感じさせずに肩を竦める。
 それは、ティリアムを攻撃に移らせる動機には十分過ぎた。
 双眸は一気に紅く染まり、破壊衝動と共に身体の内から膨れ上がった力が全身を駆け巡る。容赦なく発せられる強烈な鬼気が、ギャリッドを叩いた。
 ギャリッドは、姿を見せたときと同じように、愉しげに口笛を鳴らす。
「へぇ、これが《デモン》化か。すごいもんだな。目が真っ赤だ」
「いちいちうるさいんだよ、赤毛野郎が!」
 感嘆の言葉には耳を貸さず、ティリアムが突っ込んで行く。
「おっと、そうはいかねぇ!」
 ギャリッドが腕を振るう。
 途端、生まれる炎の爪。
 それは地面を焼きながら、真っ直ぐにこちらへと突き進んでくる。
「邪魔だ!」
 怒号と共に放たれた斬撃が、迫る炎爪を爆砕した。
「ん? あれは……」
 その様子を見て、ギャリッドはティリアムの身体と大剣が、淡い光に包まれる事に気づく。
 発生源は、ティリアムが首から掛けている《エンジェル》を象ったペンダントだ。それは以前、ティリアムがオーシャに買い与えた物だった。
 戦いが始まる前に、お守りとしてオーシャから借り受けたのだ。
「なるほどな。《白光》の小娘が、あれに魔力を込めたわけか。だが、そんな申し訳程度の防御魔法じゃ、俺の炎は防ぎきれんぜ!」
 ギャリッドが指を鳴らすと、次に現れたのは、炎の蛇だ。
 炎蛇は身体をくねらせると、ティリアムを飲み込まんと顎を開いて、襲い掛かる。
 それを、ティリアムが振るった横薙ぎの刃が迎え撃つ。
 だが、炎蛇の動きは、こちらの想像以上に素早かった。
 斬撃を巧みに避けると、ティリアムの側面に回り、口から火球を吐き出して来る。
「――くっ!」
 予想外の事に体勢を崩したティリアムは、それを避ける事が出来ず、業火に飲み込まれる。
 燃え上がる炎は、一瞬でティリアムの姿をその内へと隠していく。
「何だ、思ったよりあっさり死んだな。つまらねぇ」
 ギャリッドが拍子抜けしたように、呟いた。
 だが。
「――誰が死んだって?」
 声は、背後だ。
 その主は服を焦がし、全身の至る所に火傷を負いながらも健在のティリアムだった。
 火球を紙一重で避け、ギャリッドの後ろを取ったのだ。
「何っ!?」
 ギャリッドの驚愕が解けるより早く、ティリアムが一撃を放とうとする。
 だが、飛び込んできた炎蛇が、それを遮断した。
「っ! こいつ……っ!」
 脇腹に噛みついた炎の蛇は、そのままティリアムを押し倒した。
 ティリアムが襲ってくる激痛と高熱に思わず苦痛の呻きを漏らす。
 炎蛇は、さらに身体を巻きつけようとしてくる。
 しかし、その前に神速でホルスターから抜かれた拳銃の銃口が向けられた。放たれた弾丸に炎蛇は貫かれ、拘束が緩む。
 その隙に立ち上がったティリアムは、お返しと言わんばかりに、大剣で蛇を真っ二つにし、消滅させる。
 そこで、ギャリッドが次の攻撃のために手を振り翳している事に気づく。
 再びティリアムは目にも止まらぬ速さで拳銃をギャリッドに向ける。
 轟く銃声は二つ。
「ちぃっ!」
 銃弾を避けるためにギャリッドは攻撃を中断し、そのまま体勢を崩した。
 その隙を逃さず、ティリアムは素早く拳銃をしまうと、ギャリッドに斬り掛かった。
 しかし、炎を纏った拳で応戦され、攻撃は相手の肩を掠める程度になる。
 ティリアムは舌打ちしつつ、そのまま後方に跳躍して間合いを取った。
「なかなかやるねぇ。……だが、そうじゃなくちゃ、面白くない」
 頬に散ってきた鮮血を指で拭いながら、ギャリッドが笑う。そして、その双眸が何か暗い悦楽を期待する光を宿した。
「しかし、それだけ強けりゃ――確かに、育った村の人間を皆殺しにするぐらい朝飯前だったろうな」
「…………っ!」
 ギャリッドの口にした言葉が、ティリアムの顔に驚愕と動揺を走らせた。
 なぜ、その事実を、この男が知っているのか――。
 そんな疑念が、ティリアムの心を激しく揺さぶる。
 気づけば、いつの間にか《デモン・ティーア》達は、騎士達から間合いを取り、動きを止めていた。
 今、その場にいる全員が、二人の会話を聞きいっている。
 それを確認しながら、ギャリッドは、なおも語り続けた。
「クルツ村だったか? みんな、殺したんだってなぁ。子供も、女も、老人も、一人残らず。……しかも、まだたった五歳のガキのときにだ」
 オーシャは、突然に聞かされたティリアムの過去に、呆然と固まっていた。
 レルード達は、ただ厳しい顔つきで沈黙している。
 彼らは、皆、ティリアムの過去を知っているのだ。二年前に、全てを明かしてある。
 しかし、オーシャだけは知らない。
 ギャリッドは、ティリアムの、そして、周囲の反応を楽しんでいるようだった。
「要するに根っからの人殺しってワケだよな。お前も俺と同じだ。人を殺す事が楽しくて堪らないんだろ? なあ、ウォーレンスさんよ」
「…………」
 ティリアムが己の内の激情を表すように、剣の柄を強く握りしめた。
「こんな所で、誰かのために馬鹿みたいに戦ってないでよ。もっと楽しもうぜ? その力で、好きなだけ殺しまくれよ」
「いいかげんに……っ」
 ティリアムが湧き上がる怒りを口にしようとした、そのとき――
「違う!」
 オーシャが叫んだ。
「オーシャ……?」
「貴方に何がわかるっていうの!? ティルは、貴方なんかとは絶対に違う!」
 強く握った拳を震わせながら、オーシャは必死に否定の言葉を叫ぶ。
「決して口にはしなかったけど、ティリアムがずっと過去の何かに苦しんでいた事には、私も気づいていた! ただ自分が楽しむためだけに人を殺めているような、貴方とは違うのっ!」
 ギャリッドは馬鹿にするように、鼻を鳴らす。
「だったら……なんだ? 苦しめば、後悔すれば、こいつのやった事が変わるのかよ?」
「そ、それは……っ」
 オーシャは、まだ言い返そうとするが、結局、何も口に出来ず、俯いてしまう。
 ギャリッドが嘲った笑みを浮かべた。
「違うよなぁ? 間違いなく、こいつは殺したんだ。殺戮したんだよ!」
「そうだな」
 肯定の言葉を口にしたのは、他ならぬティリアムだ。
 オーシャが、はっと顔を上げる。
「ティル……!」
「俺は殺した」
 淡々とした口調だった。
 俯いたまま、ティリアムは、さらに続ける。
「俺と母さんが《デモンズ》だと知ったクルツ村の人間達は、俺達を恐れ、迫害し、最後には殺そうとした。そんな村人達から、母さんは俺を守って殺されたんだ。そして――俺は、己の激情のままに村人達を殺めてしまった」
「…………!」
 更なる事実を知って、オーシャが再び激しい動揺で瞳を揺らす。
「オーシャの言う通り、俺は、ずっと苦しんできた。どうやったら、この罪を償えるのか。考えても、考えてもわからなかった。もしかしたら償いの方法なんてないのかもしれない。そして、確かに――苦しんだ所で、俺の罪は消えはしないんだ」
「わかってるじゃないか」
 ギャリッドが、さも愉しげに言う。
 しかし、それを遮って、
「だが、それでも俺は戦う」
 ティリアムは、顔を上げながら言った。
「死んでいった友――ウェインが、そして、母さんが言ってくれた。俺の力は、きっと誰かを守り抜く力にできる、と」
 ティリアムは大剣の切っ先を、キャリッドへと真っ直ぐ向けた。 
「この手を血に染めてきた過去を今更、否定するつもりも、そこから逃げるつもりもない。俺は、今まで奪ってきた命の全てを背負って、戦い続けるだけだ。今度こそ大切な誰かを守るために」
 ギャリッドが顔を歪める。
「……そうすれば、村人達を皆殺しにした過去が消えるとでも思ってるのかよ?」
「そうは思わないさ。だが、現実から目を逸らして生きるよりは、ずっと良い。償いの答えだって、いつかきっと見つけてみせる」
 ティリアムの決意を聞いて、オーシャは安心したように笑む。
 レルードとジョアンも穏やかに微笑み、フィーマルは鼻を鳴らしていた。
 ギャリッドが、激しく苛立ったように舌打ちした。
「つまらん! つまらん! つまらんね! もうちょい、悩み苦しんでくれる様を見せてくれりゃあいいものを、まさかこんな開き直り野郎とはな。とんだ期待外れだ! ――もう良い、とっとと焼き殺す事にするぜ」
「出来るもんならやってみるんだな」
 ティリアムは不敵な笑みを浮かべながら、大剣を構えた。
 それが苛立ちに拍車をかけたのか、今まで見せなかったような怒りの表情を浮かべ、ギャリッドは攻撃に移った。
 同時に《デモン・ティーア》達も行動を再開する。
 ギャリッドが指を鳴らすと、今度は三匹もの炎蛇が三方から、ティリアムに牙を剥いた。
 しかし、ペンダントの力で白光を纏った強烈な斬撃が、炎蛇達をあっという間に消滅させる。
「終わりか?」
 ティリアムは、挑発的な笑みを口元に刻む。
 ギャリッドが歯をぎりっと鳴らした。
「なめんじゃねぇ!」
 ギャリッドが両手を地面につける。
 戦いの中で研ぎ澄まされた感覚が、ティリアムに危険を察知させる。
 後ろに跳び退くと、今さっきまで立っていた地面から強烈な炎の柱が伸び上がった。
 それを貫いて、ギャリッドが両拳に炎を纏いながら突っ込んでくる。
 不意をつかれ、ティリアムは間合いに相手を入れてしまう。
「死ねぇっ!」
 右の拳が突き出される。ティリアムは身体を捻ってかわすが、そこにすかさず顔面を狙った左拳が飛んできた。
 躱すには、体勢が悪すぎる。
 勝利を確信した笑みが、ギャリッドの口を歪ませた。
 骨が粉砕される音が響く。
「ぎっ――!?」
 キャリッドが、驚愕と苦痛の呻きを漏らした。
 不安定な体勢になりながらも、ティリアムが下から突き上げた拳で、ギャリッドの拳が届く前に、左腕を砕いたのだ。
 それでもギャリッドは、咄嗟に間合いを取ると、自分とティリアムとの間に炎の障壁を張って追撃を防ぐ。
「ちっ!」
「ち、ちくしょう、ちくしょう! この俺がっ! この俺がっ! こんな奴にぃぃぃぃ!」
 不自然に曲がった左腕を押さえ、脂汗を噴き出しながら、ギャリッドが叫ぶ。もはや、噴き上がる怒りで理性を失う寸前になっている。
「終わりだな、ギャリッド」
 後方では、ティリアムの勢いに乗るように、《デモン・ティーア》の群れを騎士達が駆逐しつつあった。
 すでに戦いの流れは、完全にこちらに向いている
 ギャリッドが荒々しく右腕を振るう。
「うるせえぇ! 俺は力を得る資格を持った選ばれた人間なんだ! こんな所で、こんな所でえ!」
 そのときだった。
 一つの小柄な人影が城から、練兵場に飛び込んでくる。
「お兄様! ティル! 無事なのですか!?」
「エルリアっ!?」
 レルードが、その面を驚愕に染める。
 よりにもよってエルリアが飛び込んできたのは、ティリアムとギャリッドの戦いの場の傍だった。
「なんで、エルリアが?!」
 ティリアムが咄嗟に駆け寄ろうとするが、目の前を走り抜けた炎によって足を止められる。
 その隙にギャリッドは、無事な右腕でエルリアを背後から羽交い絞めにすると、会心の笑みを広げた。
「形勢逆転だなぁ、ウォーレンス。動けば、この小娘の頭を灰にするぜ」
「……あ……ああ……」
 エルリアは顔を恐怖に染め、声も出せない。
 レルードとフィーマルが慌てて、ギャリッドと対峙するティリアムの傍に駆け寄ってきた。
「……エルリアを放せ」
 低い怒気に満ちた声でティリアムが言った。
 しかし、相手が手を出せない状況になり、完全に落ち着きを取り戻したギャリッドは下卑た笑いをこぼす。
「安心しろ。この場にいる人間を一人残らず焼き殺した後に解放してやるよ」
「くそっ! なんて事だ!」
 普段の態度を一転して、レルードが声を荒げる。
「さあて、誰から殺るかなぁ? やっぱり、お兄様からかな? それとも、隣の色男にするか?」
 ギャリッドは楽しくて堪らないのか、挑発的にその場にいる人間を見回す。
(くそ、どうする!)
 この状況では、手の出しようがない。
 だが、手をこまねいていれば、こちらが殺されるだけだ。
 刹那。
 ギャリッドの背後から、一人の人影が跳び出してきた。
 人影は手にしたナイフを、ギャリッドの折れた左腕に突き立てる。
「うがあああ! くそぉ! この女ぁぁ!」
「きゃあ!」
 キャリッドは咆哮しながら人影――メイリーを突き飛ばした。
 おそらく、異変に気づいてこちらに向かったエルリアを追いかけて来ていたのだろう。
 エルリアは、拘束が緩んだ瞬間にギャリッドの腕から抜け出し、レルードの腕へと飛び込む。
「エルリア!」
「お兄様ぁ!!」
 レルードは妹をしっかりと抱きしめる。
「ギャリッド!」
 もはや何の障害もなくなった。
 止めとばかりにティリアムが、ギャリッドへと突っ込んで行く。
「くそぉ! こうなりゃ、この女だけでもブチ殺してやる!」
 メイリーを狙って放たれた炎は、しかし、腕を襲う痛みのために狙いが逸れたのか、彼女の右腕を掠めるに留まる。
 しかし、凄まじい炎の高熱に、なんの魔法的な守りを持たないメイリーは、ただでは済まなかった。
「きゃああああっ!」
「メイリー!」
 ティリアムは、ギャリッドを殴り飛ばすと、そのままメイリーに駆け寄り、抱き上げた。
「大丈夫か、メイリー!」
「うっ! ……くうっ! ……な、なんと、かね」
 メイリーは気丈に笑ってみせるが、高熱の炎が掠めた腕は、酷く焼け爛れていた。
「わ、私の自慢の白くてぴちぴちの肌が台無しじゃない。ついてないなぁ……」
「……馬鹿野郎」
 こんなになっても、おどけてみせるメイリーに、ティリアムは消え入るような声を落とす。
 駆け寄ってきたオーシャがメイリーの傍に跪いた。
 その顔が、目の前の惨状を見て、悲痛で染まる。
「魔法で治せるか、オーシャ?」
「大丈夫……だと思う。でも、火傷の痕までは……」
「……そうか」
 治療に取り掛かるオーシャを残して、ティリアムはゆっくり立ち上がる。
「……俺が……この俺がぁ……」
 ギャリッドは、身体を引き摺るようにして、この場から逃げ出そうとしていた。
 その前に、ティリアムが立ちはだかる。
「邪魔をするなぁ!」
 やけくそ気味に放った炎が、ティリアムを襲い――しかし、それは彼に届く前に、突如として消滅した。
「なっ!?」
 驚愕の声を上げ、ティリアムの方を見たギャリッドが固まる。
 全身から放たれる今までの比ではない強烈な殺気。
 それらの全てがギャリッドに向けられ、彼は指一つ動かせなくなる。歯をガチガチと鳴らし、痛みによるものとは違う汗が全身から噴き出していた。
「……う……ああ……」
 次の瞬間。
 ティリアムの身体から紅い――血で染めたような紅い光が立ち昇る。
 それは、彼の手にした大剣へとゆっくりと収束していく。
「何だ、あの……光は?」
 フィーマルが眉寝を寄せる。
 その場にいる全員が、唖然と紅き光を発するティリアムを見ていた。
 ティリアムが一歩を踏み出す。
 それに合わせて、何かに押されたかのようにギャリッドが一歩後退した。
「わかるか。今、お前を支配する恐怖が?」
 ティリアムが言った。
 さらに一歩進む。
「ひっ……」
 再び、ギャリッドが一歩だけ後退さる
「それが、お前の今まで知らなかった――お前の身勝手な力で傷つけられ、殺された人々の感じていた恐怖だ」
「ひっ! ……うわああああああっ!」
 ティリアムが剣を振りかざすと同時に、ギャリッドは恐怖に耐えられなくなったのか、無様に悲鳴を上げながら逃げ出した。
「その恐怖を! 痛みを! 脳髄まで刻み込んで、塵も残さず消えろ!」
 大剣が振り下ろされる。
 光が迸った。
 紅光は、凄まじい速さで地面を消滅させながら走り、背中の翼ごとギャリッドを飲み込んだ。
「うわっ……ひぃぎゃあああああああああああああああああああ!」
 上がる断末魔の声。
 まさに一瞬でギャリッドは消滅する。後に残ったのは大きく抉られた地面のみだ。
 ティリアムの言葉通り、塵一つ残さずギャリッドは――消えた。
「がはっ!」
 不意に、ティリアムが激しく吐血すると膝を吐く。
「ティル!?」
「どうした!?」
 オーシャとフィーマルが慌てて駆け寄る。
 ティリアムは荒い息を吐きながら、自らの胸を押さえていた。
(さすがに……《紅》くれないを使うのは……無茶だったか……)
「おい!」
「大丈夫だ、問題ないって」
 苦痛を抑え込んで、ティリアムは笑って答える。
 フィーマルは安堵の吐息を漏らし――思わずティリアムを心配してしまった事に気づいたのか、大きく舌打ちする。
「――人騒がせな奴め」
 苛立たしげに言い放つフィーマルに、「何を怒ってんだか」と、ティリアムは苦笑していた。
「……どうやら、これで終わったみたいだね」
 レルードが、エルリアを伴って近づいてきた。
 ジョアンも、その傍らに付き従っている。
 生き残った騎士達は、消火作業と仲間の亡骸の搬送に追われていた。
「ああ。……それよりエルリアは大丈夫か?」
「私は……大丈夫ですわ。……それより、あの……ごめんなさい、私のせいで……」
 ティリアムが、落ち込む少女を安心させるように優しく微笑む。
「気にするなって。……俺達を心配して来てくれたんだろう?」
「……でも、メイリーが……」
 声は、深い悲しみと後悔で震えていた。
 そんなエルリアの頭を、ティリアムはそっと撫でてやる。
「本当にそう思うなら、本人に言わないとな」
「……あら、私は気にしてないですよ、エルリア様」
 沈んだ雰囲気をかき消すような明るい声で言いながら、メイリーがエルリアの背後から姿を見せた。そして、両腕を回して彼女に抱きつく。その右腕にはうっすらとだが、火傷の痕が残っていた。
「メ、メイリー!?」
「レルード様やあなたを守るのは、この国に生きる私達からすれば、当然の事ですもの。この痕も、私にとっては名誉の勲章ですよ」
 何の後悔も見せないメイリーに、エルリアが瞳に涙を溜める。
「……ごめんね……メイリー……本当にごめんね……」
「ええ……もうわかりましたから。泣かなくて良いんです、エルリア様」
 二人の様子に、皆が安堵したように微笑を浮かべた――そのときだった。

「――お見事です、ティリアム・ウォーレンス。まさか、ギャリッドを倒してしまうとは」

 その声が響いた。 
「誰だ!?」
 レルード達が、再び顔つきを厳しくして周囲を見回す。
 しかし、ティリアムとオーシャだけは驚愕に固まっていた。
 何故なら、その声は二人にとって忘れられない――いや、忘れる事など決して出来ない男のものだったからだ。
 一体、いつからそこに居たのか。
 城の方から、ゆっくりと一人の男が姿を見せる。
 オーシャが声を上げた。
「貴方は……!」
 次いで、ティリアムが男の名を口にする。
 かつて自分が腕を奪ったその男の名を――
「ハロン・イヴシェナー……!」


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