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エンジェル 二章

血と罪と鬼人


―― 二 ――

 黒髪黒瞳の少女――オーシャ・ヴァレンタインは感嘆の吐息を漏らした。
「すごいね! 人多いし、大きい!」
「……その台詞、ここに着いてから三度目だぞ」
 子供のようにはしゃぐオーシャに、彼女と同じく黒髪黒瞳の青年は苦笑を浮かべた。
 その背には布に包んだ身の丈ほどの大剣、腰には無骨な拳銃が収まっている。
 かつて《デモン》という二つ名で恐れられた元傭兵――ティリアム・ウォーレンスである。
 二人が居るのはドルガ大陸を二分する大国のひとつ――シーナ王国の王都エクスの中央広場だ。
 青を基調とした街並みは美しいだけでなく見る者の心を和ませていた。
 国家の象徴ともいえる王城は、背後に聳え立つ山々と前方に広がる王都エクスに挟まれる位置に建造されており、こちらも王都と同じ青で染め上げられている。その姿は果てしなく広がる海原を連想させた。
 城、街共に、王都エクスは大陸で有数の美しさを誇るとされている。
「これなら苦労して来たかいはあるよね!」
「…………そうだな」
 飽きもせず街を見回し続けるオーシャの何気なく口にした言葉に、ティリアムは少し気まずい思いで相槌を返す。
 二人は、王都エクスまで徒歩と馬車を使い、半月以上を掛けて辿り着いていた。
 しかし、現在、世界で最新鋭の移動手段である蒸気機関車を用いれば、それは、たった三日の道程で済むはずなのだ。
 それが出来なかった理由は単純に金欠だったからである。
 普及してそれなりの年月が経った蒸気機関車は、未だに裕福な人々の乗り物ではあるものの、それでも当初に比べ運賃も下がってきている。なので、現在では、一般人も少し無理すれば乗れない事もないのだ。
 だが、ティリアム達には、そんな“少しの無理”もする余裕がなかった。
(所詮、この世は金が全てか……)
 今更ながらに、ティリアムがそんな事を悟って落ちこんでいると、
「あ……!」
 突然、オーシャが声を上げ、駆け出して行ってしまう。
「あ、おい! オーシャ!」
 ティリアムが慌てて追いかけて行くと、すぐ先でオーシャは足を止めていた。
 ただし、その前には五、六歳程度と思われる幼い少女も一緒に居る。
 少女は丸い大きな瞳に涙を溜め、今にも泣き出しそう顔をしていた。彼女の膝には軽い擦り傷があり、血が滲み出していた。
「転んだのか?」
「うん、そうみたい」
 オーシャは、少女をなだめながら、擦りむいた膝に優しく手を添える。
 少女が不思議そうに自分の膝を見下ろした。
 しばらくしてオーシャが手を退けたときには、流れ出した血のみを残して、傷は綺麗に消え去っていた。
「うわあ、お姉ちゃん、すごい!」
 泣き顔から一転して、笑顔になってはしゃぐ少女を見て、オーシャも嬉しそうに微笑む。そして、立てた人差し指を唇の前に持ってくると、声を潜ませて少女に言った。
「この事は私と貴女、それに後ろのお兄ちゃんとだけの秘密ね」
「うん、わかった!」
 少女は素直に頷くと、街へ駆け出して行く。
 だが、途中で一度立ち止まって振り向くと、
「ありがとう!」
 と、手を振り、そのまま人ごみに紛れていった。
「……何だ。翼を出さなくても、魔法は使えるんだな」
「うん。でも、あれを出さないと、たいした事は出来ないんだけどね」
 オーシャは、自分の背中の方を振り返る。
「不思議なもんだよな。魔法の使い方とか、翼が出たときには、全部わかっていたんだろ?」
「うん、もしかしたらあれは、《白光の翼》の本当の持ち主だった人の記憶だったのかな……」
 オーシャは、最後の方は少し悲しげに呟きながら、《翼石》フリューゲルの埋められた胸に触れる。
 《フリューゲル》は、《翼持つ者》エンジェルが死んだ際に残す物。
 故に、彼女の胸に在る石を生み出した人物も、すでに死んでいるという事だ。
 ティリアムは、少女の頭に優しく手を乗せた。
「別にオーシャのせいじゃないんだ。そんな顔したってしょうがないだろ」
「……そうだね」
 オーシャが答えたと同時に、街の一角で声が上がった。
「今度は何だ?」
 悲鳴のした方向に、二人が視線を巡らせる。
 どうやら、一人の女性があからさまに柄の悪い男達に絡まれている所らしかった。
 通行人達は、それを遠巻きには見ているが、助けに入ろうとする者はいない。
「何で誰も助けてあげないの? こんなに人が居るのに……!」
「面倒事には巻き込まれたくないんだろう。これだけ大きな街だと、こんな事は日常茶飯事だろうしな」
 少し嫌悪感を滲ませたティリアムの言葉に、オーシャは納得がいかないといった顔で見上げてくる。
「……そんな目で、俺を見るなよ」
「助けてあげようよ。あの人、すごく嫌がってるもの」
 ティリアムは困った顔で頭を掻くと、しばらく考えた後に、諦めたように溜息を吐いた。
「わかったよ。でも、行くのは俺だけだ。オーシャは、ここで待ってろ」
 頷くオーシャを残し、ティリアムは女性を取り囲む男達へと近づいていく。その中の一人がめざとくこちらに気づき、立ちはだかってきた。
「何だ、お前は」
「――離してやれよ」
 ティリアムが簡潔に要求のみを告げると、男はあからさまに馬鹿にしたような下卑た笑いを浮かべた。
「正義の味方気取りか? やめとけ、怪我したくなかったらな」
「冗談言うなよ。正義なんて陳腐な言葉は反吐が出る。だが、それ以上に――」
 一旦言葉を切ると、ティリアムは唇を嘲りの笑みで歪めた。
「お前らみたいなカスは吐き気がするけどな」
「……なんだと」
 男達は目の色を変え、今度はティリアムを取り囲み始める。
「ああ、やめとけよ。怪我したくなかったらな」
 当てつけに、さっきの男が言った台詞をそのままティリアムが返してやる。
 途端、男達が怒号を上げて襲い掛かって来た。
 ティリアムは、目の前の男の放った拳を首を傾げてかわすと懐へと踏み込み、逆に拳を腹にめり込ませる。それだけで男は情けない声を上げて跪いた。
 次いで、その場で身体を旋回。
 背後に迫っていた男のこめかみに回し蹴りを送り込む。
 まともに受けたその男は身体を半回転させると、地面に叩きつけられて、そのままくるりと白目を剥いた。
「――――っ」
 あっという間に仲間を二人倒され、さすがに頭が冷えたのか、残った三人の男達は間合いを取り、すぐには襲い掛かって来ようとはしなかった。
 しかし、ティリアムの方は、相手が襲って来るのを待ってやるほどお人好しではない。
 一人に一瞬で接近すると、相手が攻撃に移る暇を与えず手刀を首に叩きこみ、意識を刈り取る。
 そこに、右手から別の男が跳び掛かってくる。
 ティリアムは後方に軽く飛んで躱すと、持ち上げた膝で隙だらけの男の腹を抉った。
 男は、苦悶の声を上げて崩れ落ちる。
 そのとき。
 残った最後の男が、懐から黒い鉄の塊を取り出そうとするのを視界の端で捉えた。
 ティリアムは舌打ちすると、すでに倒した男の一人が落としたナイフを素早く拾い上げ、そのまま銃を手にした男へと向けて投擲する。
 ナイフは、正確に銃を持った掌に突き刺さり、男は苦悶の声を上げ、銃を取り落とした。
 ティリアムが、ゆっくりとした足取りで男に近づく。
「こんな街中で、銃なんて使おうとしてんじゃねえよ」
 明確な怒気のこもった台詞と共に、放たれた拳が男の顔面を捉える。
 鼻骨の折れる鈍い音が響き、男は鼻から血を噴出しながら仰け反った。さらにもう一つ拳が腹に叩きこまれ、衝撃で顔が前に出た所に、下から飛んできた蹴りが顎を砕く。男は、声を出す暇もなく、背中から倒れた。
 瞬く間に男達を全て片付け一息吐くティリアムに、離れた場所で見守っていたオーシャが駆け寄ってくる。
 そちらに振り返ると、ティリアムは、
「どうだ? ちゃんと助けたぞ」
 と満足げに言った。
 だが、何故かオーシャの非難するような厳しい視線が突き刺さって来る。
「……な、何だ?」
「助けたのはいいけど、ちょっと……ううん、かなりやり過ぎ」
 オーシャの指摘を受けて、ティリアムは、さっき蹴り倒した男を見下ろす。
 顔は血塗れで、鼻骨と顎骨が砕けている。どう見ても重傷だった。
「ま、まあ、全治半年程度だ。大丈夫だって」
「そういう問題じゃないでしょ」
 あっさり言い返されると、ティリアムは気まずそうに視線を逸らして、押し黙った。
 オーシャは呆れたように溜息を吐く。
 同時に、周りに集まっていた野次馬からざわめきが起きる。そして、人ごみが分かれ、そこから紺色の制服に身を包んだ三人組の男達が現れた。
 先頭の生真面目そうな男は、ティリアムを見ると、あからさまに顔をしかめる。
 それは、その男に気づいたティリアムも同じだった。
「騒ぎが起きていると報告を受けて来てみれば……貴様か、ティリアム・ウォーレンス。こんな所で何をしている」
「近衛騎士団団長のフィーマル・ハードナーともあろうお方が、衛兵の仕事のお手伝いか? ご苦労な事だな」
 質問には答えず、ティリアムはからかうようにそう言って、肩を竦めた。
 フィーマルと呼ばれた男が、その態度に苛立ったように目つきを鋭くする。
「……たまたま、陛下の命を受けて街へ出ていただけだ。それより、何をしでかしたんだ、貴様は」
「しでかしたとは心外だな。人助けだよ。女性が絡まれていたから、助けてやったのさ」
 フィーマルは、馬鹿馬鹿しいと言った風に鼻を鳴らす。
「ならば、その助けた女性はどこにいる?」
「どこって……」
 訊かれて、ティリアムは辺りを見回す。
 しかし、目的の人物はどこにも見当たらない。そして、視線を問いかけるようにオーシャに持っていく。
 オーシャは、それを受けて目を泳がせると、言いづらそうに口を開く。
「……逃げちゃったみたい」
 オーシャの言葉を聞いて、ティリアムは頬を引きつらせ、フィーマルは楽しげに笑みを浮かべながら、倒れた男達を見下ろす。
「ほう……。助けたという女性がいないのならば、これはただの暴行だな。来てもらおうか」
 ティリアムは慌てて声を上げる。
「ま、待てよ! 周りにはこんなにも証人が……!」
 叫んだと同時に、周囲の野次馬達は、面倒はごめんだ、といわんばかりにあっという間に散っていく。
 ティリアムは、信じられないものを見たように硬直していたが、しばらくするとがっくりと肩を落とした。
「もういい……。どこにでも連れて行ってくれ」
「潔いのは良い事だな。――連れていけ」
 フィーマルが指示すると、背後に控えていた二人の騎士は、ティリアムを挟むように立つと、腕を掴んで引きずるように連れていった。
 その後、駆けつけた衛兵達が倒れた男達を運んでいき、その場に残されたのはオーシャ一人になる。
 あまりに急な展開に呆然としていたオーシャは、はっとそれに気づくと、
「ああ! ちょ、ちょっと私を置いてかないで――!」
 慌ててティリアム達を追いかけたのだった。


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