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エンジェル 一章

翼持つ者


―― 三 ――

 ダランの街の東門。
 昼の陽光がさんさんと射す城壁の上には、二人の見張りの門兵が立っている。どちらもまだ若く、この仕事についてからの経験は浅かった。
 片方の細身の男が、溜息交じりに口を開く。
「……平和だねぇ。まったく、こんな日に見張りなんてつまらんよ」
「ああ、そうだな。……どうせ滅多に《デモン・ティーア》の襲撃なんてないんだから、サボっちまうか?」
 もう一人の大柄の男が冗談めかして相槌を打つ。
 細身の男は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「だけど、そんな事した上の奴にどやされるぜ」
「……まあな。いやはや新人は辛いなぁ」
 そんな呑気な会話をしながら、相変わらず異常の見られない外の風景を、のんびりと二人は眺める。
 確かにここ数ヶ月は話にあった通り、襲撃らしい襲撃もなく平穏が続いていた。そもそも昼間から《デモン・ティーア》が街を襲う事など滅多にないのだ。
 だから、今日も同じなのだろうと。
 二人はそう思っていた。
 しかし。
「――――」
 突然、大柄の男の身体がぐらりと揺れた。
 そのまま重力に逆らう事なく、前のめりに倒れ伏す。
「!? お、おい? どうした?」
 細身の男はぎょっとして、慌てて膝を突くと倒れた男の身体を揺する。
「ひっ……!?」
 途端、喉から悲鳴が漏れた。
 大柄の男の倒れた下から、生々しい鮮血がどろりと広がっていたのである。
「し、死んで……!」
 細身の男が青い顔で後退った所で、胸の辺りで何かが裂ける音がした。
「え……?」
 きょとんとして下を見る。
 胸からは、細長い物が飛び出していた。
 それは紅い液体でぬるりと濡れて、陽光を鈍く照り返している。
 刀の――切っ先だった。
「……嘘、だろ…………?」
 誰に問うでもない呟きを喉から漏らして、細身の男も崩れ落ちた。
 襲った相手すら見る事なく屍と化した二人の上に、一つ人影が差す。
「――お仕事お疲れ様です。どうぞゆっくりと休んでください」
 声の主は、枯草色の髪に、怜悧な光を宿す薄青の瞳の青年。
 ハロン・イヴシェナーであった。
 たった今、二人の人間を殺めたばかりというのに、愛しい人を見守るときのような――そんな穏やかな微笑を口元に湛えている。
 血に濡れた刀を手に、ハロンは傍にある東門へと目を向けた。
 そして、囁くように言ったのだ。
「さて、始めましょうか。……団体様をお迎えする準備をね」


「……う、むう……?」
 まどろみの中から意識が抜け出し、ティリアムはゆっくりと覚醒する。
 テーブルにうつ伏せになって寝ていたせいか、身体の節々が痛んだ。顔を上げると、酒の臭いがつんと鼻につく。
 周囲を見回す。
 小さな酒場である。
 店内ではジョンも含めて、ティリアムと同じように酔い潰れて寝てしまった客達が、あちらこちらに散乱していた。店の主人まで寝こけているのだから、相当な惨状である。
(……ああ、そうか……)
 ぼんやりとした頭が、ようやく状況を理解する。
 昨日、あのまま昼間から酒場に乗り込んで行ったティリアム達は、ジョンの勢いに圧されるままに深夜まで飲み続けていたのだ。しかも、ジョンは飲んでいる途中で見知らぬ客まで、どんどん誘うので、現在のような状態になってしまったのだ。
「――やっと目が覚めた?」
 冷ややかな声が掛かる。
 顔を向けると、右手のテーブルに優雅に腰かけたフォルシアが、こちらに呆れた視線を向けてきていた。彼女も、少なからず飲んでいたはずだが、そんな名残は全く感じさせない。
「もう昼前よ。いいかげん起きてくれないと私が困るのだけれど」
「……悪い。そうか、そんなに寝てたのか、俺」
 深夜の三時過ぎくらいまでは記憶があったが、その後からはぷつりと途切れていた。
 軽く頭を振ってみるが、頭痛は感じなかった。
 もともと酒には強い事もあり、幸い二日酔いにはなっていないらしい。
「お前、もしかしてずっと起きていたのか?」
「店主まで寝ているのよ? 皆が皆、寝てしまったら、何かあったとき大変でしょう」
 フォルシアは当然のように言う。
 徹夜したという割には、やはり眠そうな素振りは見せない。
 ティリアムは申し訳ない気分で頭を掻く。
「いや、ホント悪い。今度、埋め合わせはする」
 そう言って、テーブルから身体を持ち上げたところで。
 背中から何かが床へとずり落ちた。
「? これは……?」
 拾い上げると、それは毛布だった。
 どうやら寝てしまった後に、誰かが風邪を引かぬようにと掛けてくれたらしい。
「その子よ」
 フォルシアが目線で示した先には、隣でこちらに身体を寄せるようにして眠っているオーシャの姿があった。
「……オーシャ」
「酔い潰れた人が出る度、そうやって毛布を一人一人掛けていっていたのよ。後でちゃんと礼を言っておく事ね」
 言われて、改めて周囲を見ると、どこから持ってきたのか、確かに眠っている人間には皆、毛布が掛けられている。この様子を見る限り、どうやらオーシャは、全員が眠ってしまうまで無理して起きていたらしい。
 ティリアムは微笑を浮かべ、穏やかな寝息をたてるオーシャの頬を、手の甲でそっと撫でてやった。その感触に少女が微かに身じろぎする。
「……オーシャ、ありがとな」
 そんなティリアムの様子を、フォルシアが興味深げに見つめていた。
「ティル」
「? どうした?」
「貴方、少し変わったわね」
「そ、そうか?」
 予想もしてなかった事を言われて、ティリアムは思わず自分の顔に触れた。
 フォルシアは頷く。
「ええ。何て言えば良いのかしらね……。そう。表情がどことなく柔らかくなったわ」
「……そうかも、しれないな」
 ティリアムは肯定して、再び隣で眠る少女に視線を落とす。
 きっと、それは。
 彼女のおかげに他ならないだろう。
「……ティル、貴方――」
 フォルシアがさらに何か言おうとした、その瞬間。
 窓から蒼い閃光が差し込んで、さらに――

 轟音がダランの街に響き渡った。

「! 何だ!?」
 ティリアムが目を見張って、窓の方を振り返った。
 ジョンとオーシャ、さらに他の客達も次々と目を覚ます。フォルシアも目つきも鋭く立ち上がって、素早く腰の剣に手を当てていた。
「ティル、一体、何が……?」
 目覚めたばかりのオーシャが不安そうに、見上げてくる。
 ティリアムは、安心させるように少女の頭をくしゃりと撫でてやり、
「――わからない。とにかく見に行った方が良さそうだな」
 隠し切れない緊張を含んだ声でそう告げた。


「こりゃ、ひどいな……」
 ジョンが呻くように呟いた。
 東門である。
 二日前の夕方、ティリアムとオーシャがくぐった門は、ものの見事に破壊されてしまっていた。破片が周辺に飛び散り、建物の壁や地面に突き刺さっている。周囲は、騒ぎを聞きつけた衛兵や野次馬でごったがえし、あちらこちらで怒声や罵声、助けを求める声などが上がっていた。
「け、怪我人を助けないと!」
 慌てて足を踏み出しかけたオーシャを、ティリアムは腕で制した。
「ティル? なんで止めるの?」
「……来る」
「え?」
 一言呟いたティリアムをオーシャが訝しがって見る。
 ティリアムの鋭い視線は、崩れ落ちた門の向こうを真っ直ぐと睨んでいた。
 オーシャも、その視線の先を追い、
「……何かが……来る……?」
 小さな複数の影が、明らかにこちらに向かって飛んで来ているのが見えたのだ。それは徐々に近づいてきて、その姿を明確にしていく。
「――腐蟲ね」
 呟いたのはフォルシアだ。
 腐蟲と呼ばれたそれは、蝿をそのまま巨大化させたような姿をしていた。だが、口に生えた鋭い牙と頭頂に生えた一本の鋭い角が、より凶悪さを引き立てている。この辺りで、もっとも見かける機会の多い《デモン・ティーア》だった。
 ぶぶぶぶ、と耳障りな音を背中の羽で立てながら、腐蟲達は破壊された門から街の中へと次々と侵入してきた。
「デ、《デモン・ティーア》だ! に、逃げろっ!」
 集まっていた野次馬達は、悲鳴と怒号を撒き散らしながら、逃げ出し始める。逆に衛兵は、慌てて銃や剣などの武器を構え、戦闘態勢を取った。
「仕方ないな」
 舌打ちしながら、ティリアムが背中の大剣へと手を伸ばす。
 だが、それよりも早く、ジョンが一歩踏み出していた。彼は顔だけで振り返り、にやっと笑って見せる。
「ここは俺にまかせとけ。この程度の数、すぐに終わる」
 言いながら、右手が一丁の銃をホルスターから引き抜いた。紅いラインの入った重量感を感じさせる大型の銀色の拳銃だった。
 ジョンは、紅の銀銃を無造作に構えると、ろくに狙いを定める動作を見せないままに引き金を連続で引いた。
 力強い豪音が響き渡る。
 銃弾は、一匹の腐蟲に突き刺さり――爆裂した。その余波は、周囲にいた他の二匹の腐蟲までも巻き込み、息の根を止める。
 次に、左手がもう一丁の銃を抜き放った。
 こちらは紅い方と比べると洗練された印象を与える蒼いラインの入った細身の銀銃だった。
 また、無造作に引き金を引く。
 今度は、研ぎ澄まされた銃声。
 きんっ、と空気を裂く音がしたかと思えば――一匹の腐蟲が頭に穴を穿たれて、地に落ちた。銃声と着弾が同時に感じられるほどの速さだった。
 紅の銀銃が、《爆龍の咆哮》。
 蒼の銀銃が、《瞬龍の咆哮》。
 《爆龍の咆哮》は、破壊力に特化した銃弾を、《瞬龍の咆哮》は、速度と貫通力を特化した銃弾を撃ち出すように作られていた。
 この二丁の銀銃こそが、ジョン・カルバリオが《ツヴィリング・ドラッヘン》と呼ばれる所以の一つでもあるのだ。
 腐蟲達は、ジョンの手によって、あるものは爆破され、あるものは身体に穴を穿たれ、瞬く間に命を散らしていった。衛兵達は、ただ呆然とその光景を眺めるだけである。
「な? たいしたもんだろ?」
 全ての《デモン・ティーア》を殲滅すると、ジョンは、ホルスターに二丁の銀銃を収めながら、自慢げに言った。
 オーシャは、素直に感嘆の吐息を漏らしていたが、
「妙ね」
「ああ、おかしいな」
「基本的に夜行性である《デモン・ティーア》が、昼間から、こんなにも活発に動くなんて――しかも、門が破壊されたと同時に襲ってくるのも変よ。あまりにタイミングが良すぎる」
「それに、門の破壊の原因もわからない。今は落雷なんかが起きる天気じゃないはずだ」
 真面目な顔で会話を交わすティリアムとフォルシアは、すでに騒動の原因へと意識が向いていた。
「って、おい! 無視かよ! おーいっ!」
 ジョンが不満の声を上げるが、二人は相手にしない。
「とりあえず、また《デモン・ティーア》が来る前に、怪我人の救出を……」
 そこまで言いかけて、ティリアムは、オーシャが膝を突いて、誰かと話しているの気づいた。
 相手は、どうやら五歳ほどの少年らしい。泣きじゃくって、顔を涙でぐちゃぐちゃにしている。
「親とはぐれちゃったみたいなの……」
 オーシャが我が事のように、悲しげに言った。
 男の子を頭をしきりに撫でて、優しい声で慰める。
「大丈夫だから、ね。すぐに、お母さん達も見つかるから――だから、泣かないで」
「……さっきの騒ぎではぐれたのか。もしかしたら、先に避難場所に行ってるかもしれないな。この街の避難場所は……」
「街の中央にある教会よ」
 フォルシアが言葉尻を継ぐ。
 誰も、「落雷による門の崩壊に巻き込まれたのかもしれない」、と言わないのは、当然、少年に対する配慮だった。
「じゃあ、この子を教会まで……」
 と、オーシャが、言いかけたときだった。
「ま、また来たぞっ!」
 怪我人の救出作業をしていた衛兵の一人が声を上げた。
 門の向こう側からは、先ほどと同じ腐蟲の影が無数に浮かび上がっている。その数は――優に三百を超えているように思えた。
「おいおい……いくらなんでも多すぎだろ」
「……妙にもほどがあるわね」
 言いながら、ジョンは再び銀銃を引き抜くと、手馴れた手つきで次弾を装填し、フォルシアは腰の鞘から長剣をすらりと引き抜く。
 ティリアムも、今度こそ背中の大剣を手にすると、刃に巻いていた布を取り払った。
「……私は、このままこの子を教会の方へ連れて行くね。ここにいたら、皆の足手まといになっちゃうもの」
 オーシャが立ち上がって、少年の手を握る。
「いや、それは……」
 ティリアムは、口ごもった。
 ここでオーシャ一人に少年の避難を任せると、例の組織の刺客がまた襲ってきたときに、自分が彼女を守ってやる事はできない。だが、向かって来ている《デモン・ティーア》の数を考えると、戦えるティリアムやジョン達が離れるのも、やはり得策ではなかった。
 どうしたものかとティリアムが逡巡していると、
「大丈夫。今まで、刺客が連日で来た事はないし、ちゃん衛兵の人に先導してもらうから」 
 こっちの考えを察したのか、オーシャが安心させるように微笑みを浮かべて見せる。
 そんな表情されると反対も出来なくて、仕方なくティリアムは頷いた。
「……わかった。でも、できる限り気を付けろよ?」
「うん、わかってる。じゃあ、行ってくるね」
 オーシャは、少年の手を引きながら、早足で教会へと向かって行った。
 ティリアムは、しばらくその背中を心配そうに見つめていたが、
「おい、来るぞ!」
 ジョンの警告の声に、再び前に向き直り、素早く大剣を構えた。
 オーシャの身の安全への不安は、とりあえず今は置いておくしかなかった。腐蟲は、一匹一匹の力はそれほどではないが、なにせ数が多い。気を抜けば、思わぬ痛手を負う事にもなりかねない。
 すでに群れは、もはや声を大きくしなければ、会話も困難なほどの羽音の不協和音を奏でながら、街へと迫っている。
「大変ね。いろいろなものを一度に守ろうとする人は」
 前に立っていたフォルシアが、こちらに背を向けたままで言った。
 だが、ティリアムはそれに動揺する事もなく不敵な笑みを浮かべると、
「ああ、大変だ。――だが、全部、守ってやるさ」
 自らを奮い立たせるように言って、《デモン・ティーア》の群れへと飛び込んで行った。


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