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エンジェル 一章

翼持つ者


―― 一 ――

 ――ねぇっ! 

(……誰だ?)

 ――いいかんげん……きてっ!

(何を……言ってるんだ?)

 ――もう……いたよっ!

(だから、わからないって。一体、何を……)


「――起きてってばっ!」
 そこで、いきなり意識が覚醒した。
 現実に引き戻されたティリアム・ウォーレンスは気だるげに重い瞼を持ち上げた。そして、声の主に視線を向ける。
「……どうかしたか? オーシャ」
「どうかしたかって……あのね……」
 その問い掛けに、ティリアムと同じ黒髪黒瞳の小柄な少女は呆れた表情を浮かべる。丸く大きな瞳には僅かながら憤りも見て取れた。
「……もう街に着いたの。早く降りないと」
「え? ……ああ、そうか。乗合馬車に乗ってるんだったんだな……」
 寝ぼけた頭がようやく状況をゆっくりと理解し始める。客を多く乗せるために、大きくスペースを取っている馬車内にはすでにティリアム達以外の人の姿はなかった。
 ティリアムは、誤魔化すように笑って、
「悪い。熟睡してたみたいだ」
「もう、寝すぎるなよって自分が言ったくせに」
 腰に手を当てて怒る少女――オーシャに、ティリアムはばつが悪そうな顔で頭を掻いた。
「だから悪かったって。そんなに怒るなよ」
 オーシャに続くように馬車を降りながら、ティリアムは宥めるように言った。その背中には、布に包まれた身の丈ほどの長さの物を背負っているので妙に目立っている。
「別に怒ってないよ。ただ、自分の言葉にちゃんと責任を持って欲しいって言ってるの」
「持ってる持ってる。もう、抱えきれないほど持ってるぞ」
「……それが、ついさっき、まったく持ってない事を証明した人が言う台詞かなぁ……」
 怒りから呆れの表情に取って変えたオーシャが、ティリアムの顔を見上げた。
 それに対して、ティリアムは、堂々とこう言い切った。
「誰にだって失敗はつきものだ」
「はいはい……」
 もう諦めたのか、ひらひらと手を振って、オーシャはその話題を打ち切った。
 二人が降りた事を確認すると、馬車は、がらがらと車輪の回る音を立てながら、その場を去って行く。
 彼らの辿り着いたダランは、世界で最も広大なドルガ大陸の東方に位置する、交易で栄える街だ。さらに東に馬車でニ日程の場所にある港湾都市ウォンに運び込まれた物資が最初に流れてくるのも、この街になる。
 ティリアム達は、ニスタリスという小さな島国から、船で海を渡りウォンへ、その後、乗合馬車で、このダランに移動してきたのだ。
 ちなみに、ウォンもダランも、ドルガ大陸の東に広大な領地を持ち、ロロニア帝国と共に大陸を二分する大国――シーナ王国の領内である。
 隣で街を見回していたオーシャが不意に服の裾を引っ張ってきた。
 ティリアムは何事かと顔を向ける。
「どうした?」
「……ねぇ、お腹減ってない?」
 オーシャは、何故か妙に爽やかな笑顔で訊いてきた。
 ティリアムは少女の視線が向いていた方向を確認した後、きっぱりこう言い切る。
「……いや、減ってないな。全然、減ってない」
 途端、オーシャは動揺を見せる。
「う、嘘だよ。昨日から何も食べてないじゃない」
「でも、減ってないんだから仕方ない。だから、“オデン”なんて食べる必要はない」
「……意地悪」
 視線の先にあったのは、ティリアムの言葉通り、オデンの屋台である。威勢の良さそうな店主の声が響き、それなりに人気があるのだろう、小さな人だかりも出来ていた。
 オデンは、主にドルガ大陸の東方で食される煮物料理だ。用いる材料が手軽に用意出来、作るのにさほど手間も金も掛からないため、平民の間では好む人間も多い。
 かくいうオーシャも、オデンには目がないのだ。
「……うう、食べたいなぁ。ここ最近、全然、口にしてないし」
「人間、諦めが肝心だ。それが出来ないと小さい人間と思われるぞ」
 と、もっともそうな事を言いながら、一人頷くティリアムの右手は自然と腰に下がった皮袋へと動いていた。馬車の運賃に使った事もあり、中身はあまり豊かとは言えない。
 要するにティリアムの本音は、そういう事だ。
 と、オーシャは何かを思いついたのか、ぽんっと自分の掌を拳で叩いた。
「じゃあ、小さい人間にならないためにも、諦めて私にオデンを奢ろう!」
「……諦めの悪い」
 ティリアムが半眼で呆れた視線を送ると、オーシャは恥ずかしくなったのか頬を紅く染めて、目を逸らした。
 そのとき、二人の背後にある街の門の方から、何かを引きずるような音が響いてくる。
 日が暮れたからだろう、ちょうど門兵が門を閉めようとしているのだ。
 ダランに限らず、ある程度、規模の大きい街は必ず高い壁に囲まれている。そして、夜を迎える前に、門を閉じてしまうのだ。
 その理由は唯一つ、《鬼獣》デモン・ティーアと呼ばれる凶暴な獣が街に入るのを防ぐためである。
 《デモン・ティーア》とは、普通の獣より獰猛で強力な能力を有す、異形の存在の事だ。その姿は多種多様で、普通の獣のような姿なものもいれば、人の容に類似したものもいるが、全てのものに共通するのが必ず一本以上の角を持っている事だ。
 《デモン・ティーア》は、人肉を好んで食し、そのため街が襲撃されたり、旅人などが襲われるような事は日常的に起きていた。
 しかし、《デモン・ティーア》は夜行性のものが多いので、街の周りを壁で囲み、夜が訪れる前に門を閉じる事によって、少なくとも街への襲撃の多くは未然に防げる。もちろん、それで全ての襲撃を防げるとは限らないため、見張りの衛兵がいつあるともわからない襲撃に常に目を光らせるのだった。
 ただ一つ幸いな事があるとすれば、《デモン・ティーア》は食事の頻度が長く、一度、大量に食べると次の食事までは短くても二週間程は何も食べない。そのため街への襲撃が毎日のように続くという事もなかった。とは言え、その存在は人間にとって十分に脅威であり、街の外に出るときは護衛の傭兵などを雇うのが常識でもあった。
 ティリアムは門が閉じるのを確認すると、
「ほら、もう夜だぞ。宿の部屋も取らないといけないし、やっぱり諦めろ」
 と、隣の少女を説き伏せる。
「……そうだね。仕方ないか」
 オーシャは素直に諦めると、残念そうに溜め息を吐く。
(……許せ、オーシャ。先立つものがなくては旅はできないんだ)
 ティリアムは、胸中でだけ謝っておく。
 オーシャは、まだ未練が残っているのか、ときどき屋台の方へと視線をちらちらと向けていた。
 それに、ティリアムは苦笑を浮かべ、
「それじゃ、宿を探すか」
 ダランの街の中へと足を踏み入れる。
 西の赤い空で、夕陽がゆっくりと沈んでいっていた。


「疲れてるだろうから、早く寝ろよ」
 隣の部屋に入ろうとするオーシャにティリアムは声を掛ける。
 オーシャは頷いた後、少しだけ意地悪い笑みを浮かべた。
「ティルも早く寝てね。また寝ぼけないように」
 口の端を引きつらせるティリアムを尻目に、オーシャはさっさとに部屋に入ると扉を閉じた。
「まだ根に持ってるな……」
 ぼそりと呟くと、ティリアムも部屋に入る。
 ゆっくりと見回してみると、格安の値段の割には掃除が行き届いていて小綺麗な部屋だった。     
 ベッドの横にあるテーブルに荷物と腰につけていたホルスターごと銃を置き、背負っていた物を立てかけると、ベッドの上に背中から倒れ込んだ。そして、ぼんやりと天井を眺めていると、ふとさっき見た夢の事が思い出された。
「初めて会ったときの夢か……」
 呟く。
 それは、何故か自分自身ではなく、オーシャの視点から見た、二人の出会いだった。
 理屈はわからないが、それは彼女の記憶を垣間見た――という事なのだろう。
(変わったな……)
 目を閉じると、眩しい笑顔を浮かべる少女の顔が浮かんできた。その姿は、あの雨の日に出会ったときとはまるで別人のように思えた。
(いや、違うな。変わったんじゃない)
 あの少女は、きっと本来の明るさを取り戻しただけだ。以前の彼女を知らないティリアムにそう確信させるほど、彼女の笑顔は自然なものだった。
 閉じていた目を開き、ベッドに腰を掛けると、テーブルに立てかけてあった物を手に取る。巻きつけてあった布を取り払うと、その下から重量感のある刃が姿を見せた。
 実際、この剣は、わざと必要以上に重くしてある。
 それは、かつて自らの犯した罪を忘れぬための戒めの枷だ。
 ――ティリアムは、かつて傭兵だった。
 いくつもの戦場を経て、彼の名は多くの人々に知られるものとなり、一つの二つ名も得た。
 多くの命と血塗られた自らの手と引き換えに手に入れた罪深き名――。
 だが、一人の友を失った事をきっかけに、彼は傭兵をやめ、二つ名も捨てた。それでも、犯した罪の象徴たるその名は、今でも彼の歩く道について回ってきている。
(それでいいさ。俺の罪は……捨てたからって消えるものじゃない……)
 ティリアムは、磨き抜かれた大剣の刃に映る自らの顔を真っ直ぐと見つめる。
「俺の力は……本当に誰かを護り通せる力になるのか?」
 目の前に居るもう一人の自分は応えない。
 だが、それでもティリアムは続けた。
「……例えそうでなかったとしても……俺には破壊する事しかできなかったとしても……あいつだけは護ってみせる。だから、見ててくれ……母さん、ウェイン」
 すでに亡き母と友に向けた呟きは、決意を剣に宿すかのように、強くはっきりと響いたのだった。


「…………!」
 咄嗟に声を上げようとするが、口を完全に手で塞がれてしまった。
 オーシャの恐怖に染まった眼差しの先に立つのは黒装束で全身を包んだ大柄の男だ。唯一、露出している双眸は、明らかな殺意で染まっていた。そこには一般人が決して持つ事の出来ない暗い光がある。
 ティリアムの言葉に従って、早めに寝ようと思いランプの火を消した瞬間、唐突に音もなく姿を見せたこの男に、オーシャは動きと声を封じられたのだ。
 男は、オーシャの背中を壁に押しつけると、その首に短剣を当てた。
「手こずらせてくれたな、小娘が」
 明らかに苛立った口調で言い捨てると、短剣を少し首に食い込ませ、赤い流れを生む。
 死を目前に感じさせる刃の冷たさが、オーシャの瞳に紛れもない恐怖を浮かび上がらせた。
「……んっ……んっ!」
 必死に呪縛から逃れようともがくが、首の短剣のせいで思うように動けない。
「なんだ? 命が惜しいのか」
 オーシャのもがく姿を見て、一転して男が愉しそうに嘲笑する。
「笑わせる。お前はもう必要のない存在なんだ。生きた所で何の意味もないんだよ」
 オーシャの目が大きく見開かれる。その瞳が動揺に大きく揺れた。
「不必要な物は、おとなしく始末されるがいい」
 つっと涙が頬を伝い、オーシャの身体から力が抜けてく。その顔は恐怖以上の悲痛のために歪んでいった。
 その様子を見て、男は下らないといった感じで鼻を鳴らす。
 刹那。
 隣の部屋と隔てる壁から、どんっと凄まじい轟音が響いた。
 男が、ぎょっとして、そちらに顔を向ける。
 すると、みるみる壁にひびが入り、それは一気に崩壊した。
 部屋を包む粉塵の中、瓦礫の向こうから姿を見せたのは、拳銃と身の丈ほどある大剣を手にした黒髪黒瞳の青年だ。
 オーシャの瞳に、嬉々とした光が浮かぶ。
「残念だったな」
 青年――ティリアムが不敵な笑みを浮かべた。
「始末されるのはお前の方だ」
 拳銃を持った右手をゆっくりと持ち上げ、男に狙いを定める。
 今度は、男が笑みを浮かべた。
「……なるほど。貴様が我々の邪魔をしているという男か。だが、状況を見てものを言った方がいい。下手な事をすれば、即座にこの小娘の首を切るぞ」
「だそうだ、オーシャ」
 相変わらず、笑みを浮かべたままティリアムは悠然と言った。
 その態度に、男が憤りを表にする。
「貴様……!」
「いいか、オーシャ。……“絶対に動くなよ”」
 台詞と、ほぼ同時に銃声が響き渡った。放たれた弾丸は寸分違わず男を目指して奔る。
 オーシャを盾にするなどという考えを浮かべる余裕もなかったのだろう。男は驚愕する暇も惜しんで、オーシャを突き飛ばすと身を躱した。
 弾は、そのまま男とオーシャの背後の壁に突き刺さる。
 オーシャは押された先の壁で手を突き、そのまま座り込んでしまう。
 銃を腰のホルスターにしまいつつ、ティリアムをオーシャを庇うように動くと、嘲笑を口元に刻んだ。
「どうした? 首を切るんじゃなかったのか?」
 男が悔しげに歯ぎしりした。
 ティリアムの迷いの行動が、男の選択を誤らせたのだ。
「……躊躇なく撃ってくるとはな」
「どうせお前は、何をしたってオーシャを殺す気だったんだろう。なら、素直に言われた事に従うなんて馬鹿のする事だろう」
「なるほど。たいした男だ」
 男は、短剣を逆手に持つと、腰を低くして構える。途端、先ほど以上の殺気が全身から溢れ出した。
「だが、我々に歯向かうという事は、結局、馬鹿という事だがな」
「いいや」
 言って、ティリアムは、ちらりと座り込むオーシャを見た。
「馬鹿はお前だよ」
 男が、息を呑んだ。
 ティリアムの顔が、凄まじい怒りの表情へと変わっていったのだ。あまりの眼光の鋭さに、男の身体が竦み、額にびっしりと汗が浮かぶ。
「オーシャに向けて言った言葉……お前の命をもって償え」
 男は、ティリアムの放つ鬼気に耐え切れなくなったのか、何の工夫もなく正面から飛び掛ってきた。鋭く振るわれた短剣は、心臓をめがけて飛んできた所を途中で軌道を変え、首へと吸い込まれていく。相当に洗練された動きだ。
 だが、それもティリアムに対しては無意味なものだった。
 あっさりと男の短剣を持つ手を掴んで、攻撃を止めてしまう。
 男の顔に驚愕が浮かび上がった。
「馬鹿な……っ!」
「遅いんだよ」
 拳が男の顔面に叩き込まれる。男は、噴き出す鼻血と共に、歯を数本飛ばしながら壁に叩きつけられた。
「……ぐっ……お、おのれ!」
 男は、揺れる膝を押さえつけながら、なんとか立ち上がろうとする。
 だが、すでに遅かった。
 大剣を両手で振りかぶったティリアムが、眼前に立っていたのだ。
「終わりだ」
 振り下ろされた斬撃が、男の肩から胸へと走り、血飛沫が部屋を濡らす。男の口から、ごぼりと血塊がこぼれた。
 男は、壁に背中を預けたまま崩れ落ちる。身体からは、徐々に力が抜けていった。
「……こう、もたやすく……私が、殺られる、とはな……噂通りの、男というわけか……」
 肺をやられたのだろう、その声はくぐもっている。
「もう、俺の事を調べたのか。ご苦労な事だな」
 ティリアムは、冷めた目で男を見下ろし、どうでもよさそうに言った。
 男が、くくっと小さく笑う。その顔はすでに蒼白だ。足元には血溜まりが出来ている。
「……調子に、乗っていられるのも……今の間、だけだ……すぐに、私よりも、手練れの……刺客が放たれる……お前達は、死ぬ……必ずな……」
「負け犬がほざくじゃないか」
「……我々を、敵に回した事……後悔、するがいい……地獄で、先に……待っているぞ……」
 男は、頭をがくりと俯かせ、そのまま絶命した。
「勝手に待ってろ。どうせ、お前の顔なんざ覚えちゃいないがな」
 男の屍にそう言い捨て、ティリアムは、オーシャの方へと近づいて行った。
 オーシャは、相変わらず座り込んだままじっとしていた。涙は止まっていたが、その表情は、酷く暗い。
 ティリアムは、オーシャの前にゆっくりと跪いた。
「……大丈夫か?」
「……えへへ、あんまり大丈夫じゃないかも……」
 オーシャは、力のない微笑みを浮かべる。その目元からは、涙が一滴、ゆっくりと流れ落ちた。


「ちくしょう……。あんなに取るか、普通」
 ティリアムは、財布代わりの皮袋を覗き込みながら、悲しげにそう呟いた。
 あの後、騒ぎを聞きつけて何人かの衛兵が駆けつけた。襲って来た男に関しては、強盗だと誤魔化したが、部屋の壁は結局、ティリアムの弁償となったのである。当然、もともと豊かとは言えない皮袋の中身が、さらに悲惨な事になったのは言うまでもない。
 今は、新たに部屋を取って、そちらに移動していた。もちろん、それも出費をかさませた原因の一つである。
「ごめんね、私のせいで……」
 ベッドに腰掛けて、申し訳なさそうにオーシャは言う。
「いや、お前のせいじゃないだろ。俺が勝手に壊したんだし」
 ティリアムは何でもない事のように返した。事実、あれはオーシャのせいではないのだ。
「……うん、ありがとう。優しいね、ティルは」
 微笑むオーシャの顔は、相変わらず晴れない。
 ティリアムは、傍にあった椅子を引き寄せ腰を下ろした。
「まだ……気にしてるのか?」
 問いかけにぴくりと反応したオーシャは、少し沈黙した後、言いずらそうに口を開いた。
「……心から信頼して、あの場所に……エリックの所に居たから。吹っ切ったつもりだったけど、やっぱり、あんな風にはっきりと言われちゃうと、ね。……あはは、駄目だね、私」
 明らかに空元気とわかる笑い方。
 ティリアムは、一つ溜め息を吐くと言った。
「別に駄目じゃないだろ。自分の居場所を否定されるってのは誰だってキツイもんだよ」
 ティリアムは、オーシャの悲しげな瞳を覗き込みながら、さらに続けた。
「……それにな、過去の痛みや過ちをさっさと忘れる人間ってのはろくなもんじゃない。だから、忘れるな。それがどんな辛いものでも、だ。そうすれば、お前はきっともう一つ強くなれる。……人生の先輩のありがたいアドバイスだ。しっかり、聞いとけ」
「先輩って……そこまで年は離れてないと思うけど……」
「いいや。人生ってのは少しの差があるだけでもでかいんだぞ」
 オーシャが、くすりと笑った。今度は心から楽しげで、そして嬉しげな笑い。
「おじさんくさいなぁ、ティル」
「……やっぱり、そうか?」
 ティリアムは、困った顔になる。
 それに、またオーシャが笑った。
「でも……ありがとう、ティル。励ましてくれたんだよね。――うん、少し元気出てきた」
 オーシャは、気合を入れるようにぐっと両手を握って見せた。
「よし! 明日になったら、いつもの私になってみせるから大丈夫!」
「ああ、その意気だ」
 ティリアムは笑みを浮かべながら頷き、立ち上がった。
「さて、今度こそ寝るか。衛兵に、いろいろ話をさせられたから、いいかげん時間も遅いしな」
 時計の針は、すでに深夜の三時を指している。
「それじゃ、また明日」
 ティリアムが踵を返して、部屋を出ようとしたとき、オーシャが背中に声を掛けてきた。
「ねぇ、ティル」
「ん?」
 ティリアムは、首だけで振り返った。そして、予想外に真剣な顔つきのオーシャに、何事かと眉根を寄せる。
「以前も訊いたけど……なんで私のために、ここまでしてくれるの? あんな危険な人達と戦って……もしかしたら命を落とすかもしれないのに」
「……それは」
 今日のような刺客がオーシャを襲ったのは、今回が初めてではない。
 ティリアムとオーシャが共に旅をするようになって、数日もせず最初の襲撃があったのだ。もちろん、そのときもティリアムがそれを撃退してみせた。
 刺客の言動やオーシャの話から考えて、彼女を引き取ったエリックという男は、なんらかの組織に属する人間――いや、むしろ率いている立場に在る様だった。
 オーシャを何かの実験台にするためだけに、表面的には慈悲深い貴族の男が身寄りのない少女を引き取るように見せかけて、自らの手元に置いたのだ。そして、二年が過ぎ、もはやオーシャに実験台としての価値がないとみた彼らは、彼女を始末しようと画策していた。
 だが、その会話を当のオーシャに、偶然、訊かれてしまい、絶望した彼女は屋敷を脱出――その後、ティリアムと出会い、現在に至ったのである。
 組織は、逃げたオーシャに生きていられると何か都合が悪いのか、執拗に命を狙い、刺客を放ち続けていた。
 この終わりの見えない戦いを終わらせるために、ティリアムは、その正体も知れぬ組織を潰す事を決意した。そうしなければ、オーシャはいつまでたっても平穏な生活は送れないだろう。
 二人の出会った場所であるニスタリスを出て、ドルガ大陸に渡ってきたのも、あの小さな島国では組織の手がかりが得られなかったからだ。
 今のティリアムの――そして、オーシャの旅の目的は、組織の本拠地を見つけ、彼らを根絶やしにする事にある。
 その事を告げたとき、オーシャは今と同じ質問をしてきた。

 ――なぜ、自分のためにそこまでしてくれるの?

 それは、当然の疑問だった。
 相手は、名前も目的も規模もわからない、明らかにまともではない組織だ。しかも、小国とはいえ、ニスタリスの貴族を装っていた事を考えれば、決して小さな組織ではないだろう。
 それほどの組織を、たった一人で潰そうなどとは、普通の人間が聞けば正気の沙汰でないと疑っても仕方ないかもしれない。
 だが、ティリアムは、ただ一言こう答えただけだった。

 ――似てるからかな。お前が――昔の俺と。

「あのとき、あれ以上は訊けなかったけど……教えて欲しいの。自分の護ってもらえる理由、やっぱり知りたいから……」
 オーシャは、真摯な瞳でティリアムを見つめ、答えを待っている。
「…………」
 背中を向けたまま、ふと天井を見上げて、ティリアムは、逆にこう訊き返した。
「俺とお前が一緒に旅するようになって、どれくらい経ったかな?」
「どれくらいって……」
 予想外の返しだったのだろう、オーシャは怪訝な顔を浮かべつつも、
「……そうだなぁ、もう半年になるかな」
「そうか。もう結構、経ってる。……たった一年の半分だけど、それなりにいろいろあったよな」
 オーシャも懐かしむような目をして頷いた。
「そうだね。確かにいろいろあったよね」
「……それじゃ足りないのか?」
「え?」
 きょとんとした顔で、オーシャはティリアムの顔をまじまじと見る。その目を、ティリアムは真っ直ぐと見つめ返しながら、
「誰かを、心から守ってやりたいって……思えるようになるための時間には足りないのか?」
「……ティル」
 なんだか照れ臭くて、ティリアムは再び前を向く。
「納得したか? だったらもう寝よう」
「……うん。それじゃ、おやすみなさい。あ、それと――」
 オーシャは頬を紅潮させると、
「――嬉しかったよ。ありがとう、ティル」
 満面の笑顔を浮かべて言った。
「……ああ」
 今は絶対に振り返れるような顔をしてないな、と思いつつ、ティリアムは静かに部屋を出た。


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